旅の日記

ロシア・ウラジオストク編(2002年9月11〜17日)

2002年9月11日(水) 帰国の段取り(Reservation of the ferry)

 無事ウラジオストクに着いたからって、のんびりしてはいられない。富山県に向かうフェリー、ミハエル・ショロホフ号は毎週月曜日に出航する。その前にいろいろと手続きが必要だろうから、僕は11日の朝、客船ターミナルの3階にある「ビジネス・インツアー・サービス」に向かった。
 小梅&得政ペアは愛する僕のために(と勝手に解釈している)、極東情報を細かくメールしてくれた。それに、フェリーの乗船手続きをしてくれるこの代理店の事も書いてあったのだ。

 客船ターミナルは人でごった返していた。入口には警官が立ち、荷物チェックまでして雰囲気が物々しい。なんか普通じゃないな、と思ったら、大きな横断幕が掲げられていた。
 「APEC Investment Mart 2002」。APECって、環太平洋経済共同体・・・だっけ?投資?市場?
 ターミナル全体を使った会場には環太平洋地域の国々や企業のブースが建ち並び、スーツ姿のビジネスマンが談笑している。どうやら「同じ海を囲む同士、投資しあって発展しましょ、グフフ。EUなんて目じゃありませんぜ、ウフフ」というイベントらしい。最初はロシアへの投資を促すのが目的だと思っていたが、カナダやオーストラリアのブースもあって、必ずしもそうではないらしい。
 「ビジネス・インツアー・サービス」のオフィスに行ったが担当者がまだ来ていないというので、僕はそのイベント会場で時間をつぶした。

 もちろん、わがニッポンのブースもあった。お金をかけて、結構立派である。(こういうところが日本らしい)
 ロシアとの貿易高をパネルにして「こんなにお友達ですぜー」というのを静かに主張するとともに、通産大臣か何かのもっともらしい顔の写真の下に、「隣国ロシアはわが国にとって重要な・・・」などという、もっともらしいメッセージが貼りつけてあった。
 その前ではカチッとしたスーツに身を包んで髪の毛を7:3に分け、銀縁メガネをかけた、僕と同じくらいの世代のお利口クンたちがロシア人を案内していた。きっと大使館関係か、日本から出張で来たお役人だろう。
 ねえ、そこの君。こんな僕だけど養ってみない?一緒に住むと・・・ちょっと楽しいヨ!
 
 悲しい光景も見られた。大きな敷地をとり、立派な展示のわりに閑古鳥が鳴いているブースがあると思ったら・・・ペルーじゃないか!
 誰も見ていないモニターにはマチュピチュの映像が流れ、寒々とした空気の中、フォルクローレがむなしく流れていた。
 これは僕が想像するに、「へへへ、ペルーさん。出展料、松・竹・梅とありますが、今回、おたくはガツンと勝負に出るべきです。ここいらで一発ドカン!と花火を打ち上げて、ペルーにガッポガッポ投資を持ち帰りましょう!」というイベント業者の言葉に、純粋な在ロシア・ペルー大使が「そっかなあ。じゃ、松コースでお願い!」とノッてしまった結果だろう。・・・本当か?

 僕は新聞社の社員でありながら、演劇を興行するという仕事をしていた。宣伝のためのイベントの仕事もやった。だから人を集めようと思ってうまくいかない状況を見ると、本当にいたたまれない気持ちになってしまう。
 記者発表会をやったのに取材陣が集まらない(→女優に嫌味を言われる)、チケット発売日なのに全体の8パーセントしか売れない(→女優に怒られる)、開幕したのに客が入らない(→女優にキレられる)、という経験をしているから、自分の身に置き換えてしまうのだ。

 ああ、いたたまれない、いたたまれない、と「ビジネス・インツアー・サービス」に戻ると、英語が少し話せるキレーな担当者、ダイアナさんが戻っていた。
 簡単な説明を受けるが、小梅&得政情報とまったく同じだ。16日の便に乗れなかったら一週間待つハメになるな、と内心心配していたが、無事に乗船できるらしい。航海は二晩かかり、18日の朝に富山県の伏木港に着くという。
 説明を聞いていると、背後から話しかけられた。「今日、お着きになったんですか?」・・・むむむ、この言語は日本語ではないか!

 振りかえると、ショートヘアーにジーンズ姿の日本人女性が立っていた。彼女はケイコさんといい、3週間前からこのオフィスにいるという。以前は伏木の方で同じような仕事をしていたが、ロシア人の旦那さんと結婚してこっちに住むことになったので、今度はこっち側で働くことになったのだ。
 うおー、日本語が通じるなんて!列車の件もそうだが、俺は最近なんてツイているんだ。
 とりあえず初日は乗船に必要な書類を作ってもらって終了。明日、税関に行って手続きをするというので、時間を決めて別れた。

 その後、僕は市内のホテルを何軒かあたった。
 虫が多いのを別にすれば民宿紹介所に問題はないが、そこでは外国人登録をしてくれないのだ。ウラジオストクでは長居することになるし、登録をしないまま街をウロウロするのは心配だ。自分でOVIR(外国人登録所)に行っても話にならないだろうし(自分でやることは可能だそうだが、それなりの語学力がいるらしい)、かといって全ておまかせの高級ホテルに泊まる金はない。イワケンたちはあるホテルの2階にあるビジネスセンターで無料で登録してくれると教えてくれたが、僕の場合は断られてしまった。
 外国人登録ができて、なおかつ安いホテル・・・やっぱりそんなのない。

 困った末、いつのまにか足は昨日のホテル「ウラジオストク」に向かっていた。あそこのフロントに確か「外国人登録費用は○○ルーブル」とか、書いてあったはずなのだ。泊まっていない人の分までしてくれないだろうか?と無理やりな考えを秘めて行ったら・・・何と、してくれることになった。
 英語の話せるフロントのお姉さんは、一泊分を支払ったら来週の月曜日まで登録してくれると言った。そこでパスポートを見せると、「あら、登録ならしてあるじゃない」。

 そう、僕のビザは有効期限いっぱいまでサンクトペテルブルグのあるホテルで登録されている。お姉さんはそれで問題ないというが、僕はイルクーツクの警官に「これは他の都市では通用しない」と言われている。本当にこの外国人登録の件は何とかしてほしい。人によって、言う事が全然違うのだ。
 ある都市に着いたら72時間以内に登録する、というのがルールなので、警察の職務質問にあった場合、「俺は昨日着いたばかりだ。今から登録する」と突っぱねればいい、という理屈も成り立つが、最後の最後で面倒なことにはなりたくない。僕は16日の便で日本に帰りたいのだ。

 僕は「それでも登録してくれ。登録済みのスタンプをくれ」とフロントのお姉さんに言った。すると彼女は肩をすぼめ、「サンクトで登録しているんだから半額でいいわ」と、謎の割引をしてくれた。
 来週の月曜までホテル「ウラジオストク」に宿泊しているという嘘っぱちのスタンプをもらい、その費用787ルーブル(約3000円)。これだけ払っても民宿紹介所に居続ける方がよっぽど安いし、安心も買える。最後の保険料だと思って支払った。

 というわけで僕は結局、月曜日の朝まで民宿紹介所の部屋に泊まることになったので、向こう5泊分をまとめて払い、一泊あたり500ルーブルにまけてもらった。
 バイクは50ルーブル支払うことで、宿の一階にある韓国料理屋「コリアンハウス」の搬入口に入れさせてもらうことになった。ただし朝一番に店の前にバイクを出し、夜にまた入れる、という作業を毎日しなければならない。
 こうして僕はウラジオストク滞在の体勢を整えたのだった。


本日の走行距離            0キロ(計83221キロ)

出費                   2500P  宿泊費(5泊分)
     267.5P 飲食費
     787P 外国人登録
     50P 駐車場代
     61P インターネット
計     3665.5P (約13960円) 宿泊         民宿紹介所
インターネット    中央電話局


2002年9月12〜15日(木〜日) フェリーを待つ(Waiting for the ferry)

 12日にはケイコさんとダイアナさんと一緒に街外れにある税関に行き、バイクをフェリーに積み込むための手続きをした。税金158ルーブルを払って書類にスタンプをもらうだけだが、何の案内もないから一人では難しかっただろう。開いている窓口はいくつかあったが、ダイアナさんが向かったのは何の表示もなく、小窓が閉められたところだった。そこに行き、コンコン、とノックをすると、小窓が開いて書類が受理されるのだ。こんなの分かるわけがない。
 しかし待ち時間にケイコさんと話をしたが、わがニッポンの役所や警察も外国人、特にロシア人に対しては決して優しくはないらしい。

 たとえば戸籍の登録。結婚してロシア姓になっても、登録はカタカナでしなくてはならない。カタカナ表記が不可能な名前もあるのに、アルファベットでは受けつけてくれないのだ。
 またフェリーが就航しているから、富山県には多くのロシア人が訪れる。車を買いに行く人が多いのだが、伏木港から近い高岡市のスーパーなどでは、日本のシステムに戸惑いながら買物をするロシア人の姿が見られるという。
 ケイコさんはロシア語が話せるから、頼まれて警察の通訳をしたことが何度かあったそうだ。そこで多かったのが万引きの容疑で捕まったケース。例えば、デパートである売場の商品を手にしたまま他の階に行ってしまった。スーパーでオレンジを10個買おうとしたが、持ちにくいので自分で持ってきた買物バッグに入れてしまった。

 ロシア人による犯罪が確かに増えているから目を光らせているのだろうが、こんな場合でもすぐに警備員が飛んできて捕まえてしまうらしい。そして警察に突き出されるのだが、大体において、ケイコさんが行くまで警察側とロシア人側とで何の意志の疎通もできていないという。ロシア人の多くは日本語も英語も話せないし、警察官の多くも聞く耳を持とうとしないのだろう。
 ケイコさんのような通訳がいればまだいいが、彼女によると、何のコミュニケーションもとれないまま警察側の一方的な判断で処理されるケースもあるだろうという。
 こういうのを聞くと、人の国の文句ばかりを言っていられないなあ・・・。(僕はイスタンブールで会ったアメリカ人の女性に、日本で駐車違反をしただけで留置場に入れられ、700ドル相当の罰金を取られたと聞いたことがある。はじめは信じられなかったが、ディテールを聞くと、とても嘘を言っているようには思えなかった)

 税関での手続きが終わってしまえば、あとは当日の朝、9時までにフェリーの停泊している桟橋まで行って積み込むだけだという。しかし、それがどこになるかは寸前まで分からないらしい。おそらくは客船ターミナルの裏だというが、そうでない場合はどこになるのだろう?
 当日まで確定されないとは、ちょっと不安だな・・・。

 さて、僕は続く13、14、15日とつぶすことになったが、主に最近の日記を打ったり、帰国を知らせるメールを打ったりして過ごした。インターネットは中央電話局が安くて驚くほど速かったが、プロキシサーバーの設定があってホームページの更新だけができない。
 ホームページ上ではモンゴルにいるまま日本の土は踏みたくないので、僕はのりさん に無理をいって、更新したいファイルをメールに添付して送り、日本からアップロードしてもらった。

 合間にウラジオストクの街を歩き回ったが、ここまで来てしまうと、もうあんまり観光したいとは思わない。
  しかし州立博物館ぐらいは見ようと思って足を運んだら・・・すごいものがあった。シベリア名物、アムール虎の剥製である。絶滅の危機に瀕している世界最大級の虎だと聞いていたが、デカイ!なんじゃ、こりゃ!

 体長2メートルは優にある熊とガップリ四つに組ませている展示なのだが、熊に負けず劣らず大きいのだ。立ち上がるとこんなに高くなるんだ・・・。
 それにしても、アムール虎と灰色熊の夢の対決。怪獣映画でいえばゴジラ対ガメラであり、格闘技でいえばヒクソン対桜庭であり、芸能界でいえば北島サブと和田アキ子の「ふたりのビッグショー」といったところだろうか。
 学生割引10ルーブル(40円)で、すごい得した気分になった。

 最終日の日曜、インターネットをした帰りにウラジオストク駅周辺をフラフラしていると、「カズ!」と呼びとめられた。気のせいかな、と思って振りかえると、おお!列車でお世話になったアレキサンダさんとマキシム君じゃないか!
 ふたりは急いでいる様子だったのであまり話せなかったが、これからまた仕事で長い列車旅になるらしい。彼らは人生のうち、いったい何キロシベリア鉄道に揺れれる事になるのだろう?俺はわずか2000キロでお腹いっぱいになっちゃったけど・・・。

 ルーブルがけっこう余ったのでドルに再両替し、それでも残った分を効率よく使った。食事は「電熱湯沸し棒」を駆使して袋に入った米を炊いたり、インスタント麺やパンなどで簡単に済ませた。
 明日から乗るフェリーは食事つきだし、日本に帰ればまた美味しいものを食べ、酒も飲みたくなるだろう。(3年間の旅の中で何が一番金がかかったかというと、実は2度の一時帰国中の飲み代だ)
 最後ぐらいはパーッと・・・と思っていたが、やっぱり現実を目の前にして、最後のケチケチ生活を送る僕だった。(だからみんな、日本で飲もうね!)


4日間の走行距離           0キロ(計83221キロ)

出費                    158P  バイクの出国税
     653.5P 飲食費
     30P シャワー代
     20P 駐車場代
     288P インターネット
     10P 博物館
計     1159.5P (約4420円) 宿泊         民宿紹介所
インターネット    中央電話局


2002年9月16〜17日(月、火) 日本に向けて出航!(The last departure)

 ロシア最後の朝、僕は心配で早く目が覚めてしまった。
 ケイコさんによると、僕の乗り込むミハエル・ショロホフ号は日曜日のうちに客船ターミナルの裏につくはずだった。しかし夕方に見に行っても、まだ船は来ていない。もし接岸場所が変わるとすると、車で数時間もかかるザルビノ港という可能性もある。
 最近、僕はツイている。その分、最後に何かどんでん返しが来るのではないか、と心配なのだ。例えば乗船できないとか・・・。(僕には最後の最後で大トラブルが待っていた、という旅人が身近にいて、彼らに「最後が一番怖い」と聞かされているのだ)
 しかし僕の心配をよそに、まず歩いて客船ターミナルに行ってみると、黒々と煙を吐き出すフェリーの勇姿が。白い船体に青いライン、「M.SHOLOKHOV」の文字。おおミハエル・ショロホフ君、僕は君を待っていたのだ!

 宿に戻り、荷物をまとめてバイクで再びターミナルへ。タラップの下で待っていると、約束の午前9時前にケイコさんが登場。しかし積み込む前の最後の税関チェックがなかなか始まらない。スケジュールは遅れ気味らしく、まだ船には日本から積んできた車が残されていた。
 やがてそれらを降ろす作業が始まった。ミハエル君はフェリーなので当然車を積むためのスペースが確保されているのだが、ロシア人の日本車購買熱はそれだけでは収まりきれないほどヒートアップしている。デッキだろう通路だろうが、空いているスペースがあれば車をクレーンで持ち上げて、どんどん積み込んでしまうのだ。
 僕が見たのはそれを降ろす作業だが、自動車が宙ぶらりんになっている姿はやっぱりすごい、というか、怖い。しかしロシア人も慣れたもので、20秒もあれば1台を降ろし、次にとりかかっている。まさに「ホイッ、ホイッ」って感じなのだ。

 日本から来る便が車で満載なのに対し、こっちから出る方はガラガラだという。どうやら今日積みこまれる車両は僕のバイクだけで、全ての車が降ろされてから入れるよう言われたが、ケイコさんがようやく現れた税関の職員と交渉をしてくれて、邪魔にならない場所に先に積み込めるようにしてくれた。
 午前11時、最後の税関検査と手続きを終えて、わがDRはミハエル君の体内に飲み込まれた。

 その後は客船ターミナル3階の「ビジネス・インツアー・サービス」のオフィスに行き、パスポートと引き換えに乗船券をもらう。パスポートは出航後、船内で返されるらしい。船の料金もそのときに支払うそうだ。
 バイクの通関手数料50ドルだけはその場で支払い、ケイコさんとダイアナさんに別れを告げて船に乗り込んだ。航海は食事つきだが、今日の昼食はないので余ったルーブルでピロシキを買っておく。

 船室がなかなか決まらず、ロビーで1時間以上も待たされたが、ようやく案内された部屋を見てビックリ。こりゃ、個室じゃないか!一番安い3等料金、しかも学生割引まで効かせたのに、こんな待遇とは・・・俺はまだまだツイている。

 結局、船が客船ターミナルを後にしたのは午後4時近かった。朝は曇っていたが午後には晴れ渡り、日本に向けて前途洋々の出航、というめでたい図式になった。
 遠ざかる港に軍艦の姿があった。ウラジオストクはロシア極東艦隊の要であり、ほんの10年前まで外国人の立ち入りは許されていなかった。10年前といえば僕は大学生で、ヤマハRZ‐250Rで日本中で走り回っていた。それが今、こうしてウラジオストクから日本に向けて出航することになろうとは・・・。

 3年間、80000キロの旅が終わろうとしている。さらばウラジオストク、さらばロシア!万感の思いをのせ、ミハエル君は速度をあげた。遠ざかる山がちな街並み、車を満載した船たち。色んな思い出をありがとう、ユーラシアの大地よ!
 ・・・と思ったら、そのわずか20分後、ミハエル君は急にスローダウン。港の沖合いでいかりを下ろしてしまった。街がまだ見えるじゃないか・・・。
 スケジュールの都合上、こうしてウラジオストクの沖で数時間停泊するらしい。結局、本格的に日本海に乗りだしたのは夕食後の午後10時ごろだった。

 その夕食だが、期待していた通りに豪華なものであった。テーブルクロスの敷かれた綺麗なテーブルに座り、前菜から始まってスープ、メインと続く。初日の夕食はサーモンだった。うむむ、トレビアン!ウラジオストクで貧しい食生活を送っていたぶん、感動もひとしおなのだ。

 クルーの全て、そして客の大半がロシア人なので、船内の雰囲気はまだロシアそのもの。伏木に着く瞬間まで日本はお預けらしい。
 しかし日本人旅行者も数人いたので、僕たちは毎食を共にし、これまでの旅の話などを語り合った。(写真の右端に写っているのはヤマちゃんという男性だ)

 夜、デッキにあるバーでビールを飲んでいると、シャキーラが聞えてきた。しかもスペイン語で歌っている一枚前のアルバムだ。彼女の歌声に出会ったのは、まだ旅をはじめて間もないメキシコだった。その後、彼女は爆発的にヒットし、ラテンアメリカはもちろん、ヨ−ロッパや中東でもよく聞いた。しかし、日本に帰る船の中でまで聞くことになるとは・・・。

 部屋は個室、食事は豪華。この旅で何回となく乗ってきたフェリーの中でも最も快適だ!と感動していたが、翌日の午後から様子が変わってきた。初日はまったく揺れを感じなかったのに、少しずつ海が荒れてきたのだ。
 部屋でパソコンが使えるので、僕は今までの旅を振りかえり、この日記の「あとがき」のようなものでも書こうと思っていたが、おかげで2日目の大半をベッドの上で寝て過ごすことになってしまった。
 まさか、今回の旅で日本海の荒波に揉まれるとは・・・。
 ちなみに船の料金は人間が190ドル、バイクが90ドルで、2日目の午後にドルで現金払い。それと引き換えにロシアの出国スタンプの押されたパスポートが返された。


2日間の走行距離         約5キロ(計83226キロ)

出費                     15P  ピロシキ
     50$ バイク通関手数料
     280$ フェリー代
     6$ 船上での飲み物代
計       15P (約60円)        336$ (1ドル=約120円、約40320円) 宿泊         ミハエル・ショロホフ号