ロシアに再入国するのに相当時間がかかるだろうと思い、午前9時ごろに国境に挑んだが、今回は僕の予想を超えていた。
モンゴル側はいたってスムーズだった。延長したビザの件も、書かなかった税関申告書の件も(入るときに用紙をくれなかった)何ら問題にならず、役人は並んでいた車を抜かさせてくれて、30分ほどで出国手続きを終えた。
問題はその先だった。
両国間にある中立地帯には、僕のようにモンゴルを出国し、ロシア入国を待つ車が数台並んでいた。
ロシア側のゲートは閉まっていた。まあ、ジタバタしたって仕方がない。待つしかないのだ。
・・・しかし1時間経っても、2時間たっても、いっこうにゲートは開かない。これが少しずつでも列が進んでいれば希望が持てるのだが、まったく動かないとなると、あとどれくらい待てばいいのか、あるいは全く徒労に終わるのか、予想がつかない。金持ちと思われるメルセデスに乗ったロシア人も、「これだからウチの役人は」と怒っていた。
やがて昼時になった。僕は朝から何も食べておらず、矢吹丈との試合を控えた力石徹の状態にかなり近づいていた。
中立地帯には食堂も商店もない。絶望感が募ったとき、どこからともなくカバンを抱えたおじさんが登場。彼は我々の前でカバンを下ろすと、中からアルミ製の大きな器を取り出した。中に入っていたのはホカホカのボウズ(羊肉の肉まん)。彼は流しのボウズ売りだったのだ!
しかし、彼の持ってきたボウズの数は人数に対して圧倒的に少なく、群がるモンゴル人に圧倒されて出遅れた僕は一つも買えなかった。そこで大量ゲットに成功したおばちゃんに「腹減った、死にそう。それ、くれくれ!」とゼスチャーで伝え、何とか二つを譲ってもらったのだった。
その油ギトギトのボウズの美味かったこと!
結局、ロシア側の女性係官が気まぐれのようにゲートを開けたのは午後3時過ぎだった。僕たちは中立地帯で5時間も待ったことになる。
そこから1台1台荷物検査をして、書類を作成して、僕の再入国手続きが終わったのは午後4時ごろだった。手続き上で問題はなかったけど、正味7時間もかかったのって、今回の旅で最長記録かもしれない。
その夜はそこから200キロほど北上し、ウラン・ウデの街に泊まることにしていた。あそこなら両替もできるし、安くていいホテルも知っている。夜までには到着できるだろう。いざ北上!進めや進め!
と思ったら、本当の試練はそれからだった。
一ヵ月前に来た道を戻っているつもりが、いつのまにかダートになり、山の中に入っていく。素直に引き返せばいいのだが、そこはツーリングライダーの悲しき性。「無駄に走る」ということをしたくないのだ。
途中で人に道を聞いたが、僕はウラン・ウデのある北ではなく、まったく明後日の方向である東南に進んでいることがわかった。それでも引き返さず、なんとかウラン・ウデ方面に戻る道を探すが、夕暮れは一ヵ月の間に確実に早くなっていた。午後6時半で空は赤くなり、僕は人里離れた川原に芝生という絶好の野宿ポイントを見つけてしまった。
結局、僕はウラン・ウデをあきらめ、そこで泊まることにした。そして夜、テントの中で考えていると、ウラン・ウデに戻る意味があまり無いことに気づいた。僕は東に進んできており、ここから北西のウラン・ウデに戻るとなると、丸一日を無駄にすることになる。問題はロシアの通貨ルーブルをあまり持っていないことだが、これはこの先のチタ市でも替えられるだろう。
夜空には星も見えた。グズグズせず、天気が良いうちにこのまま東に進もう。
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