ツアー4日目、ウランバートルに向けて引きかえす日。湖に関しては残念だが、嫌というほど乗馬ができたからいいか・・・。
ロシア製のバンは僕たちをのせて、ふたたびドッタンバッタンと揺れながら湖と火山を後にした。
その日は全身ほこりまみれになって夕方まで移動。午後5時ごろにハラホリンに到着、そこから観光をはじめた。
ハラホリンはかつてカラコルムと呼ばれ、モンゴル帝国の中心だった街だが、今では「エルデニ・ゾー」を見所とした静かな観光都市だ。
「エルデニ・ゾー」は200メートル四方ほどの白い外壁に囲まれたモンゴルでも最大級の寺院で、16世紀に建設された。
バギは正面入口に車を止めたが、そこには他のツアーの車もあった。日本人の姿も見られ、みんな小奇麗な格好をしている。それに比べ、僕たちは風呂にも入れずツアー4日目。髪はバクハツして砂で真っ白、顔は志村けんの「変なおじさん」か、浮浪孤児のような勢いだ。
僕たちはどこから来たのだと思われただろう?
外壁をくぐって内部に入ると、そこは思ったより閑散としていた。お堂や寺、仏塔が点在しているが、中心の建物はソ連によって破壊されたらしい。そこではかつて、僧侶が交代交代で200年以上にもわたってお経をあげ続けていたという。200年も止まないお経の声って・・・すごいなあ。
残っている建物の内部を見せてもらったが、金色の仏像や曼荼羅、壁に描かれた宗教画を見るうちに、僕は気づいた。俺はやっぱり坊さん顔をしている。だって、俺に似ている顔がいっぱい描かれているんだもん。
内部を見た後は、街の裏側にある丘に登って「エルデニ・ゾー」と街の全景を楽しんだ。小麦だろうか、郊外に畑が広がっているのが印象的だった。遊牧民族の国モンゴルでは、畑ってなかなか見られないから・・・。
そこから僕たちは街の近くを流れる川に移動し、テントを張った。
実はツーリスト・キャンプの客引きがやってきて安い金額を提示してくれたのだが、今夜は最後の夜。いまさら中途半端にシャワーを浴びても仕方がない。ここまで来たら最後まで汚いまんまで通し、明日「あづさや」で心置きなく体を洗おう、と僕たちは決めたのだ。
川には中型の魚が泳いでいて、地元の少年たちが釣り上げていた。それをみてチイ兄と進之介が釣りに挑戦したが、収穫はゼロ。やがてそのまま水浴び大会と化し、僕が湖で夢見ていた「ははは、水をかけちゃうぞ、それそれ」「キャー、それならこっちも!」(バシャバシャ)
「ははは、やったな、こいつう!」を男2人でやり、唇を紫色にしてガタガタと震えていた。
最後の夜もけっこう寒かった。僕たちは余った食材を全部ブチ込んだ「人類巨大化計画鍋」をつくり、余った酒も飲み干して寝袋に潜り込んだ。
明日はウランバートル、あっちの方もやはり寒くなっているんだろうか・・・?
と思っていたら、やっぱり寒かった。
翌朝、川原を出発した僕たちは一路ウランバートルを目指した。ハラホリン〜ウランバートル間はほとんど舗装路のはずで、行きはほとんど問題が無かったのに、帰りは工事のための迂回路が多く、僕たちは最後の最後まで車の揺れと砂埃に悩まされた。
途中、道路脇に砂丘が見えてきたので寄ることにしたが、すでに全身砂まみれになっているみんなはヤケクソになって砂に埋まったり、砂丘から転げ落ちたりしていた。カメラを死守するモンゴリアン板垣と、後始末が面倒だと思った僕はやらなかったけど・・・。
この砂丘群、草がところどころ生えているのを除けばけっこう立派で、いいアングルで写真を撮って「これがゴビです」と見せれば人は信じるだろう。実際、ふもとにはツーリスト・キャンプもあって、日本人のグループが泊まりにきていた。ウランバートル近郊では見所の一つなのだろう。
ウランバートルに戻ってきたのは夕方だった。
わずか5日間で街の様子はガラリと違っていた。風は涼しく、日光に力はなく、街行く人も重苦しい格好をしている。この前まではヘソ出しギャルがいたのに!
「あづさや」に戻ると、野口オーナーまでもが室内でジャケットを着込んでいた。ここ数日でウランバートルも一気に冷え込んだらしい。モンゴルの秋の到来はいつも突然で、今年はそれでも遅いほうだという。
その夜はシャワーを浴びて5日分の砂を流したあと、ツアーのみんな+@で韓国料理を食べにいった。チイ兄と進之介が明日モンゴルを発つので、ツアーの無事終了記念&お別れ食事会なのだ。
他の長期滞在組もそろそろ動き出すようだ。俺もそろそろ潮時かな?
ちなみに今回のツアー代(車のチャーター料)は一人47ドルだった。食事など、現地での費用を含んでも一人60ドルもいかなかった計算になる。あいかわらず安いなあ。(天候が良ければもっと楽しめたのだけど)
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