旅の日記

モンゴル編その6(2002年8月25〜27日)

2002年8月25〜26日(日、月) 嵐の湖(Stormy lake)

 さて、ネタをばらすと、この日記はツアーから戻ってきて8月31日に打っている。やばい。日記が溜まっている。モンゴルは一気に寒くなった。潮時だ。あー早く打たねば。でも俺って凝り性だから、結局色々と書いちゃうんだよな・・・。

 などと未来の僕がブツブツ言っているのをよそに、8月25日の僕は他の5人とともに「あづさや」のロシア製バンに乗ってウランバートルを出発した。僕たちを率いるのは、例のごとく運転手バギと助手メガの名コンビ。
 初日は徹底的な移動日。かつてモンゴル帝国の首都だった古都ハラホリン(カラコルム)までは約400キロ、そこまではほとんどが舗装路だった。夕方には着いたが、街は帰りに見る予定なので素通りする。
 ハラホリンから先はダートになった。次の町ツェツェルレグまで約100キロだが、その少し手前でチイ兄は車を止めるように言った。彼は以前、馬を買ってこの周辺を旅していたのだが、その時に泊めてもらった家族のゲルが道から見えたのだ。

 家族はチイ兄のことをよく覚えていて、僕たちは全員ゲルに招かれ、ソーテイ・ツァイ(塩味の効いたミルクティー)をごちそうになった。チイ兄は前回撮った家族の写真を渡し、TV番組のような感動的再会の図、というものが繰り広げられるのだった。
 時刻はすでに8時に迫ろうとしており、今夜はこのゲルに泊めてもらえるのだろう、とみんなは淡い期待を胸に抱いていたが、そうも行かないらしく、僕たちは近くの川原でキャンプをすることになった。

  今回のツアーは4泊中、3泊がテントだったが、結果的にいうとこの夜が一番快適だった。「今年の夏は異常に暑い」と「あづさや」の野口オーナーはずっと言っていたが、さすがに最近かげりが見えてきた。モンゴルは秋になると、もう一気に寒くなるらしい。俺は無事にモンゴルを出られるのか?

 次の朝、僕たちはキャンプ地のすぐ先にあるツェツェルレグの町にまず立ち寄った。
 小さな町だが17世紀からの歴史があり、僕たちは古い寺を改造した県立博物館を見たり、その裏山に登って町を見下ろしたりした。
 そして食堂で昼食を食べたあと、僕たちはザハ(市場)に寄り、羊肉のカタマリをガツン!と買ってしまった。今夜は目的地のホワイト・レイクに着くはずである。今夜は湖畔でキャンプ。そこでドカン!とバーベキューをしてしまおうではないか、という意見で一致したのだ。
 湖とテントとバーベキュー。うむ、正しいアウトドアの構図なのだ。
 
 だいたい、モンゴルというのは羊肉がべらぼうに安い。キロあたり数十円、ヘタな野菜より安く、果物なんかよりははるかに安い。まさに羊肉こそがモンゴルの食卓の屋台骨なのだ。
 肉を買った後、バーベキューなら串が必要だと思ったが、メガが胸を張って「まかせておけ」 と言った。若干の不安を覚えたものの、串の件は彼に任せることにして僕たちは町を後にした。

 その先はいよいよ道が悪くなった。メインルートが工事中なので迂回路を通るのだが、モンゴルには珍しく山がちな地形で、アップダウンの激しい凸凹道を行くことになる。ロシア製のバンはドッタンバッタンと左右上下に激しく揺れ、薄い鉄板の屋根はバオンバオンと鳴き、ドアの隙間からは砂埃がビュービューと入ってくる。
 今回のツアーは6人なので、座席すべてが埋まることになった。狭い車内では座る席によって快適さに大きな差があるが、公平を期すため、午前と午後に一回ずつじゃんけんをして座る位置を決めることになった。

 席は3つずつ2列に並んでいるが、一番悪い席は後列の中央。狭苦しく、足を伸ばすどころか、うかつにしていうると段差のショックで自分のスネを前席の鉄パイプにぶつけてしまう。
 この席に連続して3回座ることになった不運な男がいる。6人のじゃんけんで負ける確立は6分の1だから、それが3回で216分の1。そんな稀有な負け方をしたのは、名古屋の大学院生進之介だ。

 前回のゴビツアーのMVPは何と言ってもY氏だったけど、今回の目玉は進之介だった。
 彼は超伝導技術を研究しており、将来の夢は砂漠にリニアモーターカーを走らすこと。というと、白衣の似合う、ちょっと細面で神経質そうな研究者タイプを想像するが、実際の彼は金髪に耳ピアス、そしてちょっぴり小太り。寝ているときを除けば、だいたい笑い話をしているか、歌を歌っている。
 朝起きた瞬間から「あっ、やべー、みんな起きてたんスか。あっ、あっ、俺やりますよ、コップに湯を入れますよ。わっ、こぼした、あちーあちー」と騒ぎ出し、夜、眠る瞬間まで「よっしゃ、次は恋の話、コイバナ!何が出るかな何がでるかな・・・」とアクセル全開である。まさにスイッチオンかオフか、二者択一の男なのだ。

 そして、そんな進之介とチイ兄が組むと、賑やかさは1+1=3って感じ。もともとチイ兄はギターを持っていて歌うのが好きだから、進之介が歌い出せばチイ兄も歌い出す。
 そんなわけで、車内は2人のおかげで(あるいは2人のせいで)、常に笑い声と歌声に満ちていたのだった。

 深さ100メートルはありそうな険しい渓谷に沿って走っていくと、いきなりカモメが現れた。海のないモンゴルの草原にカモメ。めちゃめちゃ違和感があるのだ。
 そうか、目指す湖が近いのだ。湖ならカモメがいてもいいような気がする。・・・しかし、そもそも彼らはどうやって飛んできたのだろう?
 湖にそのまま向かうかと思いきや、バギは車を山の方に向かって走らせた。道は急な登り坂のうえにメロン大の黒い石がゴロゴロとしていて、とてもわがバイクでは走れないだろう。バンはロシア製だが4輪駆動で車高も高く、超低速ギアでグイグイと登って行く。なかなかやるじゃん!

 すると、道は突然行き止まりになった。おいおい、こんなところで道を間違えたのか、と思ったが、助手のメガはドアを開けて降りろという。そして彼は僕たちを先導して、山の斜面に設けられた階段を登っていった。
 標高は2000メートルを超えていた。息を切らせながら登って行くと、突然、眼下に巨大な穴が広がった。これは・・・噴火口じゃないか!

 数千年前に「死んだ」とされるこのホルギーン・トゴー火山は、我々の目指すホワイト・レイクを作り出した火山でもある。この噴火口から流れ出た溶岩が川の流れをせき止め、湖が出来あがったのだ。
 噴火口の直径、深さはそれぞれ200メートルくらいあった。僕たちは今や静まり返った噴火口に向かって軽石を投げ込んだり、淵で写真を撮ったりした。モンゴルと火山、これもなかなか珍しい組み合わせの気がする。

 火山を見た後は、僕たちはいよいよその麓にある湖に向かった。湖畔でキャンプ!バーベキュー!胸を躍らせる僕が描いていたイメージとは・・・
 雲一つない紺碧の空の下、広がるホワイト・レイク。モンゴルでも有数の美しさを誇る湖、そのほとりに僕たちはテントを張る。キャンプサイトは日光をたっぷり吸った緑の草で覆われており、マットを敷かなくてもいいくらいに眠る僕たちをフワフワと包んでくれるだろう。

 朝は焚火を起こしてコーヒーを沸かそう。そして、みんなで母なる太陽が火山の稜線を赤く染めるのを見上げよう。3日目はゆっくりする一日だ。あくせくせず、借りてきた釣具でイトウを狙ったり、馬を借りて乗馬をしたり、ギターを弾くチイ兄を囲んで歌を歌おう。
 午後になれば、暑くなるかもしれない。そしたら水着になって、湖に入ろう。

 「さあ、怖がってないで、一緒に入ろうよ」
 「えっ、でも冷たそう」
 「そんなことないよ、ほら」(女性の手を引くオレ)
 「あっ、本当だわ。青山さんの手も温かい」
 「ははは、水をかけちゃうぞ、それそれ」
 「キャー、それならこっちも!」(バシャバシャ)
 「ははは、やったな、こいつう!」

 ・・・しかし!!現実はそんなに甘くなかったのだ。僕たちを待っていた風景とは・・・こりゃ、賽の河原かー!!
 鉛色の空の下、湖は重く黒く広がっていた。吹きすさぶ寒風は波頭を白く砕けさせ、「ホワイト・レイクのホワイトとはこのことかも」などと悪い冗談を考えてしまう。岸は黒い火山岩がごろごろしていて、ところどころ仏塔のように高く積み上げられている。
 僕たちは車から降り、風に吹かれながらボーゼンとしてしまった。桃源郷を期待して、いきなりこの世の果てに連れてこられた気分である。

 しかし、めげても仕方がないのである。明日になれば天候も回復するかもしれない。僕たちはテントを張り、焚火を起こし、バーベキューをガッツンドッカンと食べて元気を出す作戦!にとりかかった。
 羊肉をこまかく切り、あっ、串は?とメガに聞くと・・・予想は当たった。彼は余ったテントのペグを満面の笑顔で持ってきたのだ。
 でも、この状況下でそんなことを気にする奴はいない、いたら前に出ろ、湖に落とすぞ、このやろう!という、若干ヤケクソ気味な僕たちはペグにぶすぶすと肉塊を刺し、焚火でゴー!と焼き、どうだ!と食らいつくのだった。
 食べ終わったら酒である。こうなったら、もう焚火を囲んで飲むしかないのだ。焚火は強風で、まるで常にふいごで吹かれているかのように真っ赤だった。面している体の部分は暑いけど、背中は寒風で冷たい。仕方なく、僕たちはモンゴル産の蒸留酒アルヒを飲みながら、炎の前でクルクルと回った。ロースター作戦である。

 そんな感じで外で頑張っていたが、やがて薪もなくなってきた。仕方なく、僕たちはすごすごとテントに入って眠ることにしたが・・・深夜になってますます風は強くなり、飛ばされるんじゃないか、と思うほどテントは風に揺らされた。ラブ&ピースのキャンプのはずが、いきなり冬山のビバークの気分だ。
 ああ、明日はどうなるのだろう・・・?


2日間の走行距離           0キロ(計81021キロ)

出費                   1600Tg 飲食費
計     1600Tg(約170円) 宿泊         川のほとりでキャンプ(25日)
           賽の河原でビバーク(26日)


2002年8月27日(火) 馬に乗って疾走する(Riding a horse)

 翌朝。空は晴れあがったものの、風はあいかわらず傍若無人に吹き荒れていた。テントか車の中じゃなければ全く落ち着かない。せっかく湖に来ても、これじゃ何にもできないじゃないか。
 とりあえず僕たちはその場から移動することにした。このままここにいても仕方がない。
 すると、どこからともなく馬を連れた少年が登場。ちょうど「馬に乗りたい」と女性陣が言っていたので、移動する前に交代に乗らせてもらって、そこらへんを一周した。

 少年は近くのゲルに住んでいるらしく、宿泊も可能らしい。とりあえず荷物をまとめ、山を越えて行ってみると、そこは谷あいに設けられた集落で風が弱かった。馬の手配も可能で、5、6人なら一緒に遠出ができるという。
 僕たちは少年のゲルで昼食を食べながら、今日のプランを相談した。湖畔はどこに行っても風が強いし、かといって町に戻るのはもったいない。今日は大人しくここに泊まることにして、馬を借りて大草原を疾走しようではないか、ということで意見はまとまった。

 そんなわけで、一眼レフを3台持ってきていてヒマさえあれば写真を撮りたいというモンゴリアン板垣をのぞき、あとの5人はその午後、乗馬をすることになった。
 ここにおいてリーダーシップを発揮したのはチイ兄である。彼は日本の牧場で働いていたことがあり、馬の扱いには慣れているのだ。引率役としてモンゴル人のおじさんが一人やってきたが、基本的な馬の乗り方はチイ兄が全部教えてくれた。

 実は、僕は本格的に馬に乗るのは初めてではない。今から約20年前、イギリスに住んでいたときにちょっとかじった事があるのだ。
 イギリスで乗馬というと優雅な響きだが、僕にとっては一種のトラウマだ。被っていたヘルメットが落ちて馬の後ろ足に当たって暴走→落馬、蹄鉄を履いた馬に足を踏まれる、夏の乗馬キャンプに行かされてホームシックになる、など、いい思い出がない。
 しかし鉄の馬を駆るもの、やっぱり本物の馬も乗れなきゃ。今日は20年ぶりのリベンジなのだ!

 最初はちょっと緊張したが、僕の乗った黒い馬は従順で扱いやすかった。はじめて一人で馬に乗る他の3人も特に問題はなく、僕たちはモンゴル人のおじさんやチイ兄に連れられてトコトコと湖を目指した。2、3時間の遠出である。

 溶岩が作り出した岩窟などを案内してもらいながら、僕たちは1時間ちょっとかけて約5キロ離れたホワイト・レイクに到着した。あいかわらず風は強く、空はふたたび雲に覆われていた。白人のグループがテントをたてていたが、思いきりつまんなそうな顔をしていた。無理もないけど・・・。

 そこから引きかえしてゲルに帰る事になったが、僕の尻はすでに痛くなっていた。モンゴルの鞍は固い木で出来ていることが多いが、僕のはその上にたいしたクッションもなく、ショックはガンガンと僕の尾骨を突き上げる。早く帰ろうとして速足にすれば、僕自身も膝を使い、馬の背の上下に合わせて体を動かさなくてはならない。普段運動をしていない僕には、これがけっこう辛いのだ。

 尻は痛いし、膝は笑うし、風は冷たいし、空は暗くなってくるし・・・と思っていたら、とうとう白いものが空から落ちてきた。本年度の初雪、8月27日。8月だぞ、8月!
 もうこうなったら一気に帰ってしまおう!と、僕は駆け足に挑戦した。あの競走馬のような、ドドドッ、ドドドッてヤツである。イギリスでは馬に乗ってトコトコとそこらへんを歩く程度だったので、本格的な駆け足というのは初めてなのだ。

 すると、おお!ちょっと怖いけど疾走感がたまらない。これぞ乗馬の醍醐味、俺は今、馬に乗ってモンゴルの大草原を突っ走っているのだ!
 しかし、駆け足もやはり膝を使い、体を起こしていないと馬の背に弾かれてしまう。一回につき距離にして100〜200メートルも走れればいい方で、それ以上は僕の膝が持たない。休憩をはさみながら、少しずつ走ってゲルを目指した。

 何回目かの駆け足のときだった。僕の馬と進之介の馬が並んでしまった。すると、どうだろう。馬同士は対抗意識をムキ出しにし、乗り手の意志を無視してどんどん加速していくではないか!
 まるで天皇賞、最終コーナーからの立ち上がりである。しかし、そんな呑気なことは言っていられない。ここまで乗ってきて膝はガクガク、馬が疲れる前にこっちが落ちてしまうのだ。僕たちはお互いの馬の進む方向をそらせ、手綱を必死に引っ張って馬を止めた。あー、ほんと落馬するかと思った・・・。
 その後も馬は興奮気味で、普通に「進め」とカカトで腹を蹴っても、その瞬間から走り出すようになってしまった。鉄の馬と違って、本物の馬は感情を持っているから難しい。だけど、そんなところがまた面白いのだろう。

 2時間半の乗馬を終え、無事にゲルに戻ったとき、雪は大粒になってボタボタと落ちていた。幸い夕方には止んだが、その夜はさすがに冷え込んだ。
 テントよりは暖かいだろうと思っていたが、泊まったゲルは夏仕様のままで、壁の下の開いている部分から冷風が吹き込む。僕はじゃんけんに勝ってベッドにありつけたのだが、それでも背中がシンシンと冷え、今回のツアーの中で一番眠れなかった。
 湖畔での穏やかなキャンプ・ツアーのはずが、いつのまにか乗馬&耐寒訓練。天候だけは本当にどうしようもない。


本日の走行距離            0キロ(計81021キロ)

出費                    900Tg 飲食費
     6000Tg 馬レンタル代
     2500Tg 宿泊費
計     9400Tg(約1020円) 宿泊         馬使いの少年のゲル