稲川さんと一緒に朝食を食べてから出発しようと思っていたが、なぜかホテルのカフェは週末で休みだという。12階にあるバーに行け、とフロントのお姉ちゃんが言うので行ってみると、食べ物はパンきれにハムがのったカナッペしかなかった。
ウラン・ウデの街を見下ろしながら、午前8時にカナッペを食べるのは妙な気分だった。立食パーティじゃないんだから・・・。
街外れまで一緒に走り、イルクーツクに向かう国道M55号線と、モンゴルに向かう国道A165号線の分岐で稲川さんと別れた。
稲川さんは晴れ男らしい。昨日の天気予報ではウラン・ウデは雨のはずなのに、今日も雲一つない青空が広がっている。よっしゃ、今日はモンゴルだー!
モンゴルに下る国道は舗装されているものの、ところどころ剥がれていたり、砂がたまっていたりして走りにくかった。
ようやく100キロほどを走り、休憩を挟んだところで、向こうから2台のバイクが走ってきた。あー、ロシアに帰ってくるのが早いよ・・・。
そう、彼らは小梅さん&得政さんのカップル。イスタンブール以来の再会だ。彼らもモンゴルに入ったことはメールで知っていたが、「西モンゴルに行ってきます」と書いてあったので、僕がウランバートルで待っていれば、そこで再会できると思っていたのだ。
しかし彼らも「クロの親父」こと岡野さんと同じく、自力でモンゴルを走ろうとしたものの、標識一つないわ、道は悪いわで、早々に西モンゴルから引き上げてきたらしい。なにしろモンゴルの未舗装路というのは、メインルートと枝道の区別もつかないらしい。
「もしウランバートルで青山さんに会えたら、もうウラジオストクまで一緒だね、って話してたんですよ」と得政さんが眼鏡の奥で罪作りな笑顔を浮かべながらいう。うっ、クラクラ・・・一瞬、このまま引きかえして二人と東に向かおうかとも思ったが、ここまで来たらやっぱりモンゴルに行かなければ。
30分ほど路肩に止まり、別れてからの経緯を語り合った。そして僕たちはふたたび北と南へ走り去った。焦らなくても、彼らとは日本に帰ったらいくらでも会えるさ。僕が日本に帰るころには、彼らも日本に着いているはずだから。
さらに100キロ走ってモンゴルとの国境に到着。小梅さんたちが4時間かかったという通り、ロシア出国のゲートは閉ざされ、その前にモンゴル人の乗った車がズラリと並んでいる。これはなかなか手ごわそうな国境だぞ。
長期戦にそなえ、まずは腹ごしらえをすることにした。羊肉の串焼きを食べさせる屋台があったので、そこのテーブルに座ると、反対側に座っていた人相の悪いモンゴル人運転手が話しかけてきた。
「お前は、日本のヤクザか」「ちがうよ(あんたの方が百倍怖いぜ)」「あのバイクを運転させてよ」「えー、かんべんしてよ」
などと話しているうちに串焼きが出され、僕は運転手と一緒にムシャムシャとそれを食べた。食事が終わると、モンゴル人運転手は「バイクを前に押すぞ」と言い出して、僕は何が何だかわからないまま、彼に力を借りてバイクを列の一番前まで押した。
モンゴル人は列を作るのが苦手で、横入りなど当たり前らしい。僕もバイクなら前に行かせてくれるかな、などと甘い期待をしていたのだが、みんながジーッと待っているのを見ると、とてもそんなことはできなかったのだ。
僕が列の前に出ると、ちょうどほんのわずかな間だけゲートが開き、僕は2台の車とともに滑り込むことができた。
ふたたび閉められた金網のフェンスの向こうで、人相の悪い運転手は「じゃーなー」と手を振っていた。見かけによらず、いい人だなあ。「バイラルラー!(ありがとう)」と僕は大声で言った。
ロシアの出国手続きは入念で、簡単な荷物検査もあったが、英語の話せる係官がいて雰囲気は悪くなかった。「ここの国境で料金はかかりません。係官に要求されてもお金を払わないで下さい」という看板があったのが、何か「エサを与えないで下さい」みたいな感じで笑えた。
ロシア側を抜けてモンゴル側に行くと、雰囲気がまるで違う。イミグレや税関の建物はほったて小屋だし、道だって舗装されていない。
モンゴルの入国手続きは1時間ぐらいで終わった。全部で3時間半はかかったことになる。やっぱりこの国境は越えるのに数時間はかかるのだ。
61カ国目、モンゴル。国境から首都ウランバートルに向かう道はきれいに舗装されていて、道の左右にはガイドブックやテレビで見たとおりの草原が広がった。背の高い木はほとんど無く、上からのしかかってくる青空をさえぎるものはない。誰かが「世界で一番、空の大きな国」と言っていたが、それがよくわかる。
鉄の騎馬民族は、とうとう本物の騎馬民族の大地にやってきたのだ。
国境からウランバートルまでは300キロ以上あり、今日のうちに到着するのは厳しい。ロシアのようなすさんだ雰囲気もないし、そこらへんでブッシュキャンプすることにしたが、水がない。
一応、モンゴル第2の都市というダルハン(といっても、人口9万人の田舎町だが)で水を買ったが、その間にバイクのまわりに騎馬民族たちが群がってきた。
しかしモンゴル人はロシア人のようにあんまり色々と聞いてこないし、顔つきも親近感があるし、嫌な感じがしない。写真を一枚撮らせてもらったけど、これもロシアなら僕はしないなあ。「そのカメラを見せろ」とか言われそうで・・・。
国境から150キロ走ったあたりでいい繁みがあったので、今夜はそこに泊まる事にした。
時刻はすでに9時を回り、だんだんと暗くなってくる。しかし僕はテントを張る前に、まずリアのブレーキパッドを交換した。さっき国境で何気なく見たとき、とても減っているのを発見したのだ。
古いパッドを外してみると、パッドの部分はほとんど無くなり、土台の鉄がブレーキディスクを削る寸前だった。危ない危ない、最後に交換して15000キロ以上走っているのを忘れていた。
それからテントを張り、インスタントラーメンを作って食べたが、モンゴルの草原は蚊がいない。何て快適なんだろう!やっぱり、この国はキャンプ天国なのだ。
さて、明日はウランバートルの日本人宿「あづさや」だ。どんな人たちがいるのかな?
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