さて、出発だ、と思ったら雨である。昨日までイルクーツクは晴れ渡っていたのに、まったく嫌になる。
パッキングをし、ゆっくり朝食を食べ、隣の中華マーケットで買物をしてから宿を出ると、時刻はもう午後12時をまわっていた。
3人はクラスノヤルスク方面、僕はウラン・ウデ方面に向かうが、きっと道は郊外に出てから分かれるのだろうと思い、一緒に街外れを目指す。ところが雨は強くなってくるし、道はよく分からないし、僕たちはたまらず一軒のガソリンスタンドに入った。
車に給油をしていたおじさんに道を尋ねると、3人は目の前の道を行けばいいという。僕は街の反対側まで行かなければならないらしい。
その時点ですでに午後2時だった。降りしきる雨の中、4人はガソリンスタンドの隅で話し合った。「もう一泊した方がいいかもしれない・・・」
みんな口では「どっちでもいい」というので、多数決を取ることになった。結果は出発2、延泊2の半々。しかし「延泊」のうち一人は僕だったので、行動を共にする3人のうち2人は「出発」を選んだことになる。彼らはやっぱり出発すべきだろう。
かといって僕も一人でイルクーツクに残る気にはなれないので、僕もやっぱり街を出ることにした。黒い雲、強い雨、濡れた服、午後2時のポイント・オブ・ノーリターン。しかし、これが大正解だったのだ。
3人と別れ、再び一人で市街に入っていくと、意外にも「ウラン・ウデ方面」というしっかりとした標識が出ていて、1時間もかからないうちに街を東に抜けられた。
そして1時間ほど走ると雨はあがり、両脇に針葉樹の迫るワインディングを抜けると急に視界が開け、その先にバイカル湖が広がっていた。
バイカル湖。世界最大の湖。面積こそ世界6位だが、1600mという深度を誇るため、たたえる水は世界一。その量はアメリカの五大湖を合わせたよりも多く、世界中の淡水湖を合わせた5分の1に匹敵するという。
また、湖はガスや生物の死骸がたまって沼化が進み、通常は3万年でその寿命を迎えるという。ところがこのバイカルは2500万年前からあったことが確認されており、生態的に見ても脅威の湖なのだ。
しかし雨は上がったものの、鉛色の空の下の水面はアスファルト色。それでも一応、三脚を出して記念撮影をしていると、ロシア製のバイクに乗った少年がやってきて、「これらはいくらだ」「何キロ出るんだ」「いじらせてくれ」などと、いつもの一連の会話が繰り広げられるのだった。
まったくロシア人というのは、人をほっておいてくれない。ロシアを「白いインド」と呼んだ人がいるそうだが、インドに行ったことのない僕の感覚だと「白いアラブ」かな?
道はバイカル湖畔に沿っていた。しばらく進むと雲は去り、青空がのぞくようになったが、服が濡れたままなので寒い寒い。
休憩を取りたいが適当なカフェがないし、早く進まないと明るいうちに450キロ離れたウラン・ウデに着けない。結局ほとんど停まらずに、午後10時にウラン・ウデに到着。夜の帳が下りる前に、ギリギリ間に合った感じだ。
「クロの親父」こと岡野さんに教えてもらったホテルにチェックインし、目の前にある有料駐車場にバイクを預けに行くと、日本製のバイクが停まっているじゃないか。それを見ていると、駐車場のオヤジはノートをめくりながらこう言った。
「そのバイクの持ち主はだな・・・そうそう、イナガワというのだ」
イナガワ!というと、あの稲川さんか!僕はホテルのフロントに戻り、稲川さんの部屋番号を聞くと、まっしぐらに部屋に行った。
ドンドンドン、ドンドンドン、「稲川さん!稲川さん!」。興奮気味にドアを叩くと、しばらくして眠そうなヒゲの男性がドアを開けた。
「初めまして!青山です!」「ふぁ・・・あ、青山さん、初めまして。稲川です」
稲川さんはすでに眠っていたらしい。しかし、ずうずうしい僕は30分後に戻ることを約束し、シャワーを浴び、インスタントラーメンを食べ、コーヒーの缶と電熱湯沸し棒を持って再び524号室を訪ねた。
稲川さんはすでにバイクで世界を2周している海外ツーリングの達人だ。今回はロシアを横断してアフリカ方面へ下る予定で、スズキ・ジェベル250に乗って日本を約2週間前に出発した。こっちに向かっていることは知っていたが、まさかこんな形で会えるとは・・・。
もし僕がイルクーツクで延泊していたら、すれ違いになっていたかもしれないのだ。やっぱり出発して良かった!
何しろ部屋を訪ねたのが11時だったから、稲川さんから色んな話を聞くうち、すぐに深夜になってしまった。
「それで稲川さん、明日は何時に出るんですか?」
「いや、せっかくこうして会えたのだからもう一泊・・・」
おお、そうこなくっちゃ!そんなわけで僕たちは次の朝にまた会う約束をして、とりあえずその夜はお開きにした。
8月2日のウラン・ウデは快晴だった。ホテルのカフェで朝食を食べたあと、稲川さんがインターネットをやりたいというので2人で街に出てみた。
ウラン・ウデは、ロシアで最もロシアらしくない街といわれる。モンゴルとの国境まで約230キロあるが、ここが最後の都市。巨大なレーニンの頭が中央広場を見下ろしているが、その前を通りすぎる人々の半分は親近感あふれる顔つきをしたモンゴル人だ。
気候の良い今が結婚シーズンなのだろう。金曜日だったが、広場ではウェディングドレスとタキシードのカップルが何組か見られた。中にはモンゴル人女性とロシア人男性のカップルもいて、なかなか微笑ましい光景だった。
インターネットは電話局にあったが、なぜかホットメールはできないという。何でだろう?
仕方なくカフェでビールを飲み、「この後どうしましょうか?」と稲川さんに聞くと、「うーん、部屋で語らいましょうか」という答えが帰ってきた。僕はこの「語らう」という単語に、妙にウケてしまうのだった。
そんなわけで僕の部屋で語らっていると、部屋の壁にかけられている、ある機械が僕の目に止まった。
「稲川さん、このキカイ、何ですかね。よくロシアのホテルにあるんです」
「さあ、気付かなかったなあ。右のはスピーカーですね。これがボリュームかな?」
2人でスイッチを入れたりしていると、スピーカーがハウリングをおこし、「あ、うるさいうるさい」とツマミを元に戻そうと思ったら、スピーカーから火花が散り、やがて「ボン!」という音がして煙が上がった。まるで正体を知られそうになったスパイが自爆するかのように・・・。
これはきっと何かの受信機なんだろうな。周波数を調整するツマミがないから、きっと緊急用ラジオか、あるいは共産党チャンネル専用ラジオか・・・(まさか盗聴機じゃないだろう)。壊れてしまったけど、火事にもならなかったし、まあ、ホテルにもバレないだろう。
それにしても、爆発したときはびっくりした!(それに対して稲川さんは、表情一つ変えていなかった。なんて落ち着いている人なんだ)
夕食を食べに出たが、ウラン・ウデの街にはレストランが無いので、ホテルのレストランで食べるしかない。しかし僕たちのホテルのレストランでは結婚式をやっていて、モンゴルオヤジが赤ら顔でスピーチをしている最中だった。
仕方なく隣のホテルのレストランに行ったが、けっこうちゃんとした感じのところだったのに、魚料理とコーヒーで100ルーブル(約400円)だった。モスクワなんて全く比較にならなし、イルクーツクよりも全然安い。本当にロシアは都市によって物価が違うのだ。
夕食の後はまた部屋に戻り、夜11時ごろまで稲川さんとビールを飲みながら語らった。
稲川さんもウラジオストクからバイクで走ってきて、はやくもロシアに疲れてきたという。ハードな区間は列車に載せて越えたが、そこで嫌なロシア人といろいろあって、国の印象ががらりと変わったという。
「ロシアは本当に気力を奪う大地ですねえ」と、僕たちはうなずきあった。はあ、俺もモンゴルから日本に帰れないとしたら、ウラジオストクまでまだまだ走らないといけないんだよな・・・。
|