旅の日記

ロシア横断編その3(2002年7月27〜29日)

2002年7月27日(土) デイブに出会う(Meeting an Aussie rider)

 朝、カンスクの街は濃霧に包まれていたが、街を出ると青空が広がった。とりあえず雨宿り作戦は成功した模様である。
 しばらくして渡った橋の上から、約6000キロもロシアを走ってきて、実に初めて「あ、写真に撮りたいな」という風景を見た。今まで天気がさえなかったというのもあるけど、ロシアの国道から見る景色はそれほどモノトーンなのだ。

 朝ごはんを食べていなかったので、2時間ほど走ったあたりで一軒のカフェに入ったのだが、そこでまた一人の青年に絡まれた。30キロほど逆方向の村まで乗せていってくれというのだ。
 車なら他にバンバン走っているし、なんで俺がわざわざニケツして30キロも逆方向に行かなくてはならないのだ?やんわり断るが、この青年、酔っ払っているわけではないのだけど、モロッコ人と同じくらいしつこい。「なあ、いいじゃないか。バイクならすぐだろう」と、僕がカフェを立ち去るまでずっと言っていた。5回言ってダメなことでも、20回言えばかなうとでも思っているのだろうか?

 田舎のロシア人男性はだらしないのが多い。酔っ払っていたり、絡んできたりするのはみんな男性だ。
 ロシアを根底で支えているのは女性だと思う。共産主義は女性の社会進出を促したから、ホテルやカフェだけでなく、バスやトラックの運転席にもおばちゃんの姿は見られる。田舎の村で、マガジン(商店)の前でたむろしてビールやウオッカを飲んでいるオヤジどもの横で、道路に向かって机を出し、その上で野イチゴなんかを売っているのも、おばちゃんだ。
 客に対する態度は何とかならないものか、と思うこともしばしばだが、それでもとりあえず男性に比べればよく働いている。男の方、もうちょっとしっかりしろ!

 カフェを後にして、断続的にダートが現れるようになった。
 とはいっても、固くしまった路面の上にうすい砂利や土がのった程度で、たまにある段差に気をつければ時速50キロくらいで巡航できる。雨が降っていれば「おっとっと」と思うこともあるかもしれないが、雨宿りが功を奏して路面は乾いていた。

 僕は、西と東から少しずつ舗装が伸びてきていて、その結ばれていない区間がダートなのかと思っていたのだが、どういう道の作り方をしているのか、ダートを10キロ走ったらピカピカのアスファルトが30キロ続き、そしてまたダートが20キロあり、今度はガタガタの舗装路が10キロあったりするのだ。
 ダートの区間は全部で100キロにも満たなかったと思う。アンデスのダートに比べればまったく問題にならないし、パタゴニアのダートよりも走りやすかった。

 夕方になって、今日の目的地トゥリン(Tulin)に到着した。昨日カフェで会った家族連れのお父さんが、ここにもモーテルがあって、オススメであると親指をグイと突き出して教えてくれたのだ。

 トゥリンは村なのか町なのか微妙な位置にあるが、町だとしても、しょぼい町である。
 その町に入ると、商店の前に日本製のバイクが一台停まっていて、その傍らで白人が魚の缶詰をむしゃむしゃ食べていた。声をかけてみると、彼はホンダNX650ドミネーターで東から走ってきたオーストラリア人のデイブという男だった。

 彼は、「タキという日本人ライダーを知っているか」と僕に聞いてきた。
 「なに?タキ?知らないなあ」「そうか、もう世界を35年もバイクで走っていて、今は16人のライダーを率いてロシアを横断しているんだ」「そりゃ、タカシ・カソリじゃないか?」「本名はよく知らない。俺はずっとタキと呼んでいたんだ」
 彼は東南アジアを走ったあと日本経由でロシアに渡ったが、そのフェリーで賀曽利さんの一行と一緒だったらしい。彼らは東シベリアの道のない区間を列車で越えたが、デイブは苦労して自走したという。その間に置いていかれたというのだ。
 ということは、僕は賀曽利さんたちとどこかですれ違ったことになる。あー、会えると思っていたのに残念・・・。

 また、デイブは約2時間前、テイトとも会ったらしい。しかし彼は今夜中にイルクーツクに着き、バイクを知り合いに預け、明日の飛行機でモスクワに帰ると言っていたらしい。もう一度くらい会えると思っていたのだが、それもかなわないようだ。

 デイブはペラペラの革ジャンに色あせたジーンズという軽装だった。それでも東南アジアのヌタヌタの泥を越え、シベリアの道なき道を進んできたのだ。
 「あの区間?バイクで行けるよ。ちょっと大変だけどね」と彼はいうが、彼のバイクはガソリンタンクに穴があき(石鹸で塞いでいた)、走行3万キロのわりにはかなりくたびれた感じがした。僕は大人しく列車だな、やっぱり・・・。
 もっと話したかったが、彼はビザが8月の中旬で切れてしまうので、それまでにフィンランドまで走らなくてはならない。一日700キロ以上のノルマを自分に課しているので、今日もまだまだ走るという。

 お互いの無事を祈って別れ、僕はすぐ先のモーテルにチェックインした。
 しかしそこは、「ここのどこがオススメなんだ?」と思うようなところだった。おばちゃんの愛想はいいのだが、横になると体が「く」の字になる、くたびれたベッドの置かれた粗末な部屋はカンスクのホテルとほとんど同じ金額だった。シャワーはなく、共同トイレは屋外にある世紀末的ぼっとん便所。
 他に食事をするところがないので、そこの食堂で夕食を頼んだら、煮すぎてグズグズになったウインナーが馬小屋のニオイのする豆ご飯にのって出てきた。ロシアの普通の食事はかなりレベルが低いと僕は思っているのだが、それにしても「よくぞここまで不味く作ったものだ」と感心してしまった。こんなに不味い食事は、おそらくこの3年間で初めてだ。うーん、あっぱれ!

 食堂は妙にハエが多く、食べているうちに(「食べる」というより、もはや「栄養を摂取する」という作業にすぎないが)、僕のまわりには10匹以上のハエがたかってきた。酒でも飲まなければやってられないので、ビールを頼んだら、おばちゃんが満面の笑みで持ってきた瓶は人肌の温もりだった・・・。(栓が抜かれていたので、僕は断りきれなかった)
 これはもう寝るしかないと思い、ベッドの上で体を「く」の字にしたら、今度はモーテルの前が町民の集会場になっているようで、午前1時ごろまでみんなで騒いでいた。
 あー、はやくイルクーツクに行きたい!


本日の走行距離        約430キロ(計79536キロ)

出費                    110P  ガソリン
     133P 飲食費
     200P 宿代
     40P 駐車場
計     483P
(約1840円)
宿泊         おばちゃんの笑顔だけが取り柄のモーテル


2002年7月28日(日) イルクーツク到着!(Arriving in Irkutsk)

 今日の目的地は、いよいよバイカル湖地方で最大の都市イルクーツクである。もうロシアのド田舎はお腹いっぱいなので、今日は早く到着してシティ・ボーイに戻るのだ、と僕ははりきって荷支度をした。
 しかし、モーテルを出るとなぜか小雨が降っている。おい!どこからわいて出たんだこの雨雲!昨日は見事な夕暮れだったじゃないか!
 しかもトゥリンの町を出る検問で、僕はとうとう腐った警官というのに出会ってしまったのだ。

 いつものようにバトンのような棒で路肩を指すので、そこにバイクを停めて書類を見せると、顔色の悪い痩せた警官は隅々まで目を通し、僕のビザが「車で入国」となっているのを見つけ、「これはバイクじゃないか」と言い出した。前にも一度指摘されたことあるが、その時も問題にならなかったし、そもそも「車」というのは飛行機や列車に対する、乗用車、トラック、バイクを含めた車両一般のことだと僕は思っていたのだ。
 「ちょっと事務所まで来い」と彼は言った。くそっ、長期戦のムードである。

 道路脇のレンガの小屋に入ると、机の向こうに制服の胸ボタンをはだけた、「法の番人」というよりは「チンピラ」というような風体の警官が座っていた。どうやらこいつがボスらしい。
 彼は僕のパスポートに目を通すと、「お前はさっき、追い越し禁止違反をした。罰金100ドルを出せ」と言った。なんだ、ビザじゃなくてやっぱり金かよ。
 「ちょっと待ってよ、俺は走り出してまだ5分なんだぜ。そんなことしてないよ」(思いきり日本語)
 「電話で通報があったのだ。ホンダが追い越しをしたと」(ロシア語、なぜか会話が成り立っている)
 「俺のバイクはホンダじゃなくてスズキだよ」(電話で通報って、そんなヒマ人どこにいるんだ?)
 「あっ、そうか。いや、そんなことはどうでもいい。金をよこせ」

 僕は相手を刺激しないように、「100ドルなんてそんなバカなー。冗談でしょ、ねえ」などと和やかに言いながら、さりげなく机の上の書類をまとめて立ち去る用意をした。
 すると、ボスは意外にも簡単に折れた。「むむむ、それじゃあ、なんでもいいからスーバニア(お土産)をくれ」と言ったのだ。
 そう来たらこっちのものである。僕はエストニアで5本100円で買ったボールペンを「ヤポニアのハラショーなペンだ」とウソを言ってわたし、おまけに一枚余ったモスクワの地下鉄の回数券をつけてあげた。

 ボスはしげしげとペンと回数券を見て、「行ってよし」と言った。
 これにはかなり笑ってしまった。ロシアの役人の給料は低いとか、腐敗しているとかよく聞くけど、仮にもかつて世界を二分した国である。そこの警官が、ホンジュラスやパラグアイのようなレベルまで堕ちているのだ。
 そんな安物のペンが日本製なわけねーだろ!それに、お前らの安月給でモスクワなんか行く機会あるのか?その回数券、どうすんだ?
 プライドもお金もないシベリアの警官たち。なんか、ちょっと可愛そうになってしまった・・・。

 その後、雨は強くなり、イルクーツクまであと100キロというところまで、実に5時間も降りつづけた。ダートはもう終わったからいいけど、それにしても、なんでこんなに雨ばっかり降るんだ?
 例によって、パンツまで濡れてイルクーツクに到着。街に入る前に雨が止んだのがせめてもの救いだ。

 さて、期待していたイルクーツクの街。ここで優雅なシティライフを満喫しようとホテルを探すが・・・しょぼい。何ともしょぼい街である。ここのどこが「シベリアのパリ」なんだ?日曜の夕方というのもあるけど、メインストリートだってカラスが「カァー」と鳴いていないのが不思議なくらいの雰囲気だ。

 僕はロンリープラネットに載っていた「ホテル・アレナ」というのに、まず当たってみた。外観は街によくマッチしたしょぼさであるが、値段の方は安いらしい。
 しかし、入口にいたジジイは僕を下から上まで見て、「部屋なんかないよ」と言い放った。(ロシアのホテルのロビーには私服の警備員みたいのがいて、そして大体において彼らは使えない。客に気持ち良く滞在してもらうことより、娼婦をあっせんして小銭を稼ぐことで頭がいっぱいなのだ)
 ジジイを無視し、受付らしき机に座っていたババアに「部屋が必要なのです」というと、彼女は冷ややかな目のまま、計算機に「1550」という数字を叩いて見せた。1550ルーブル、50ドル!ロンリープラネットに載っている金額の2倍じゃないか!

 結局、僕はすぐ近くにある巨大なホテル「アンガラ」にチェックインした。受付のおばちゃんは何と英語が話せ、40ドルではあるが、ピカピカの部屋を提供してくれた。ホテルのランクも「アレナ」より全然上である。スタッフの雰囲気もいいし、どう考えてもこっちの勝ちなのである。
 僕はこっちを選び、ホテル「アンガラ」の今日の売上は「アレナ」より40ドル多く、そして僕はおそらく明日も泊まるだろう。そして僕は「アレナ」を決して人に勧めないだろう。
 「アンガラ」は西洋のサービスを知っているが、「アレナ」は知らない。外国人の多くは「アンガラ」に流れ、「アレナ」はロシア人しか泊まらないようになるだろう。そして両者の差はますます拡大するのだ。

 「アレナ」のババアやジジイこそが、テイトの言っていた「行動と結果を結びつけて考えることのできないロシア人」というヤツだ。しかしある意味、彼らも可愛そうなのだ。人生の大半を共産主義下で生き、突然、市場経済体制になってもついていけないのだろう。
 彼らは客足が遠のき、ホテルの経営が傾いても、決して自分たちの行動の結果だとは思わないだろう。そのかわりこう思うのだ。「ああ、昔はよかった」

 何はともあれ、僕はホテル「アンガラ」の4階の快適なシングルに泊まることになった。
 熱いシャワーを浴び、さっそく街に出てみたが、日曜日の午後7時では商店もほとんど閉まり、通りは閑散としていた。バイクを預けた駐車場のある通りを歩くと、いきなり日本語で「金沢通り」と書いてあってびっくりした。イルクーツクは石川県の金沢市と姉妹都市になっているので、それでそんな名前をつけたのだろう。よくみると通りには灯篭や松の木があって、申し訳程度に日本の雰囲気を出そうとしていた。
 逆に、金沢には「イルクーツク通り」というのはあるのだろうか?

 インターネットカフェを探したが、見つからないのであきらめる。部屋に電話があるのだが、GricもI-Passもアクセスポイントを変更したようで、うまく繋がらない。
 明日、電話局にでも行ってみて、ダメならホテルのビジネスセンターを使おう。(どうも高そうで嫌なのだけど)


本日の走行距離        約400キロ(計79936キロ)

出費                    210P  ガソリン
     315P 飲食費
     1270P 宿代
     30P 駐車場
計     1825P
(約6950円)
宿泊         ホテル「Angara」


2002年7月29日(月) 4人のライダーに会う(Meeting four riders)

 とりあえず、朝一番にモンゴル領事館に向かった。
 モンゴルの領事館はこの先のウラン・ウデにもあり、旅行者の多くはそこでビザを取っているのだけど、どうせイルクーツクに滞在するのなら、その間に取ってしまった方がいい。
 イルクーツクのモンゴル領事館ではビザ取得が難しいようなことが「地球の歩き方」には書いてあったが、いざ行ってみると簡単だった。一軒家の領事館には日本語がペラペラのおばちゃんがいて、普通は14日までのビザしか発給しないらしいが、無理をいって30日にしてもらった。
 1週間待てば安いそうだが、あいにくそんなに暇でもない。明日の朝にもらうことにして、ビザ代は特急料金で50ドルだった。
 これで明日の朝まで僕はパスポートなしということになる。ちゃんとした機関に預けているのだから法律違反じゃないはずだが、イルクーツクの警察と面倒なことになった旅行者の話も聞くので、ちょっと緊張する。

 さて、インターネットもしなければ、と思って電話局に行くが、パソコンは置いていない。そこで目についたのが「インターネットカード」だ。
 ロシアではプリペイド式のインターネットカードというのが売っていて、買ってカードの裏をこするとログインIDとパスワードが現れる仕組みになっている。そして自分のパソコンを電話線に繋ぎ、カードに書いてあるアクセスポイントにそのIDとパスワードでアクセスすると、1時間とか2時間とか、買った分だけインターネットに接続ができるのだ。

 とりあえず1時間分を買い、早速ホテルの部屋に戻って試してみる。しかし、画面に表示されるメッセージは「ホストコンピューターが反応しません」。くそー!やっぱりここはロシアだ!
 仕方ないので、高いのは承知でホテルのビジネスセンターに行って見ると、改装作業を黙々と進める男たちの横で、お姉さんが上目でチラっとこっちを見て、「また後でね」。
 
 チッ、どいつもこいつも俺のネット接続を邪魔しやがって、とヤケクソ気味に街に出ると、いとも簡単にインターネットカフェを発見。なんで昨日は見つけられなかったんだろう?
 受信メッセージをチェックすると、おっ!彼らもイルクーツクに到着している!なになに、ホテル「バイカル」の841号室。よっしゃ!訪ねていくぞ!

 と、カフェを出ると、広場の前で英語で話しかけられた。「オートバイ乗りでしょ?」
 デイブと同じ、ホンダ・ドミネーター650の横で座っていたのは、アンジェラというドイツ人の女性ライダーだった。僕が肩からタンクバッグを下げていたのを目ざとく見つけたらしい。
 彼女は故郷のドイツからユーラシアを反時計まわりに走り、東南アジアから日本経由でロシアに入国。これからドイツに走って帰るのだ。日本でとてもよい時間を過ごしたというので、僕もドイツ人によくしてもらったといったら、彼女はとても喜んでいた。
 彼女は出発して2年だという。女性一人でよくやるなあ!しかも、こういってはなんだが、彼女はおばちゃんである。すごいぞ、ゲルマンおばちゃんパワー!

 アンジェラはこれから地元の人たちと会う約束があるらしい。そうそう、俺も会わなければならない人たちがいるのだ。
 彼女と別れ、いったん部屋に戻ってからホテル「バイカル」に向かおうとホテルを出ると、目の前を3台の日本製バイクが通りすぎて行った。
 間違いない、おおーい!ここだここ、青山はここにいるぞ!!

 手を振りながら追いかけると、一番後ろのヤマハSR400が気付いてくれた。はあはあはあ、やっと会えたぞ、と僕は動悸・息切れ・めまいを覚え、「救心」のCMを思い出しながら3人に追いついた。
 彼らは今夏、日本からフェリーでロシアに渡り、東から走ってきたホンダXRバハのイワケン&グリ君、そしてヤマハSR400のジュンヤ君だ。もともと3人組ではなく、ジュンヤ君は一人なのだが、日本海を渡るフェリーで一緒になり、3人とも海外ツーリングが初めてなので、しばらく一緒に走って助け合うことにしたらしい。
 今までメールのやりとりを何度かして、どこかで会えればと思っていたのだが、それがここイルクーツクで実現したのだ!

 とりあえず路上で挨拶をして、彼らもこれから戻るというので、僕は予定通り彼らの部屋を訪ねた。
 3人のうち、イワケンとクリ君は僕と同い年、ジュンヤ君は僕の二つ下だった。イワケンたちは一応4ヵ月の予定でヨーロッパまで、ジュンヤ君は金と気力が続くかぎり旅を続けるらしい。
 そして彼らは海外ツーリング情報をインターネットで調べるうちに僕のHPにたどりつき、日記を全部読んでくれたというのだ。うーん、なんか、気恥ずかしいぞ!(ジュンヤ君に至っては、僕の日記の南米編を全部プリントアウトしたらしい)

 彼らからこの先の道のことを聞くと、列車にバイクを載せたとしても、その先のダートが辛いらしい。
 「俺ら、海外走るの初めてじゃないスか。それであれは辛かったッス」(イワケン)
 「僕はSRじゃないですか。いきなり帰りたくなりましたよ」(ジュンヤ君)
 「うーん、そう聞くとなあ・・・。実は僕はもう疲れたので、モンゴルから飛べれば、もう帰ろうと思っているのですけど」(僕)
 「はあ??何言ってんスか?ここまで来て」「読者として、がっかりしました」(みんな)
 むむむ、そう言われるとやっぱり最後まで走りたいような、走りたくないような。でも気になるのは、東側から走ってきた人たちって、みんな距離の割にタイヤが減っているんだよなあ・・・。モンゴルまで行って、俺のは最後まで持つのだろうか?

 しかしまあ、難しい話は抜きにして、とりあえずビールを飲みながらこのHPのウラ話などをして、僕たちは深夜まで盛り上がるのだった。それでも話し足りないので、僕たちは明日、みんなで安いホテルに移動することにしてお開きにした。
 十分に歩ける距離だが、帰りはさすがにタクシーを利用した。「地球の歩き方・シベリア編」に、午前1時に駅の近くの橋を歩いて渡っていた人が追いはぎに会ったという読者投稿が載っていたが、僕に言わせれば単なるアホである。タクシーの車窓から見た深夜のイルクーツクは、まるで人通りがなくて、とても歩ける雰囲気ではなかった。こんなところをバックパックを背負って歩いていたら、まさに「カモネギ」だろう。


本日の走行距離            0キロ(計79936キロ)

出費                     63P  役立たずのインターネットカード
     39.2P インターネット
     1270P 宿代
     107P 飲食費
     60P タクシー代
     50$ モンゴルビザ代
計     1539.2P (約5860円)      50$ (約6000円) 宿泊         ホテル「Angara」
インターネット    Web Ugol