朝、カンスクの街は濃霧に包まれていたが、街を出ると青空が広がった。とりあえず雨宿り作戦は成功した模様である。
しばらくして渡った橋の上から、約6000キロもロシアを走ってきて、実に初めて「あ、写真に撮りたいな」という風景を見た。今まで天気がさえなかったというのもあるけど、ロシアの国道から見る景色はそれほどモノトーンなのだ。
朝ごはんを食べていなかったので、2時間ほど走ったあたりで一軒のカフェに入ったのだが、そこでまた一人の青年に絡まれた。30キロほど逆方向の村まで乗せていってくれというのだ。
車なら他にバンバン走っているし、なんで俺がわざわざニケツして30キロも逆方向に行かなくてはならないのだ?やんわり断るが、この青年、酔っ払っているわけではないのだけど、モロッコ人と同じくらいしつこい。「なあ、いいじゃないか。バイクならすぐだろう」と、僕がカフェを立ち去るまでずっと言っていた。5回言ってダメなことでも、20回言えばかなうとでも思っているのだろうか?
田舎のロシア人男性はだらしないのが多い。酔っ払っていたり、絡んできたりするのはみんな男性だ。
ロシアを根底で支えているのは女性だと思う。共産主義は女性の社会進出を促したから、ホテルやカフェだけでなく、バスやトラックの運転席にもおばちゃんの姿は見られる。田舎の村で、マガジン(商店)の前でたむろしてビールやウオッカを飲んでいるオヤジどもの横で、道路に向かって机を出し、その上で野イチゴなんかを売っているのも、おばちゃんだ。
客に対する態度は何とかならないものか、と思うこともしばしばだが、それでもとりあえず男性に比べればよく働いている。男の方、もうちょっとしっかりしろ!
カフェを後にして、断続的にダートが現れるようになった。
とはいっても、固くしまった路面の上にうすい砂利や土がのった程度で、たまにある段差に気をつければ時速50キロくらいで巡航できる。雨が降っていれば「おっとっと」と思うこともあるかもしれないが、雨宿りが功を奏して路面は乾いていた。
僕は、西と東から少しずつ舗装が伸びてきていて、その結ばれていない区間がダートなのかと思っていたのだが、どういう道の作り方をしているのか、ダートを10キロ走ったらピカピカのアスファルトが30キロ続き、そしてまたダートが20キロあり、今度はガタガタの舗装路が10キロあったりするのだ。
ダートの区間は全部で100キロにも満たなかったと思う。アンデスのダートに比べればまったく問題にならないし、パタゴニアのダートよりも走りやすかった。
夕方になって、今日の目的地トゥリン(Tulin)に到着した。昨日カフェで会った家族連れのお父さんが、ここにもモーテルがあって、オススメであると親指をグイと突き出して教えてくれたのだ。
トゥリンは村なのか町なのか微妙な位置にあるが、町だとしても、しょぼい町である。
その町に入ると、商店の前に日本製のバイクが一台停まっていて、その傍らで白人が魚の缶詰をむしゃむしゃ食べていた。声をかけてみると、彼はホンダNX650ドミネーターで東から走ってきたオーストラリア人のデイブという男だった。
彼は、「タキという日本人ライダーを知っているか」と僕に聞いてきた。
「なに?タキ?知らないなあ」「そうか、もう世界を35年もバイクで走っていて、今は16人のライダーを率いてロシアを横断しているんだ」「そりゃ、タカシ・カソリじゃないか?」「本名はよく知らない。俺はずっとタキと呼んでいたんだ」
彼は東南アジアを走ったあと日本経由でロシアに渡ったが、そのフェリーで賀曽利さんの一行と一緒だったらしい。彼らは東シベリアの道のない区間を列車で越えたが、デイブは苦労して自走したという。その間に置いていかれたというのだ。
ということは、僕は賀曽利さんたちとどこかですれ違ったことになる。あー、会えると思っていたのに残念・・・。
また、デイブは約2時間前、テイトとも会ったらしい。しかし彼は今夜中にイルクーツクに着き、バイクを知り合いに預け、明日の飛行機でモスクワに帰ると言っていたらしい。もう一度くらい会えると思っていたのだが、それもかなわないようだ。
デイブはペラペラの革ジャンに色あせたジーンズという軽装だった。それでも東南アジアのヌタヌタの泥を越え、シベリアの道なき道を進んできたのだ。
「あの区間?バイクで行けるよ。ちょっと大変だけどね」と彼はいうが、彼のバイクはガソリンタンクに穴があき(石鹸で塞いでいた)、走行3万キロのわりにはかなりくたびれた感じがした。僕は大人しく列車だな、やっぱり・・・。
もっと話したかったが、彼はビザが8月の中旬で切れてしまうので、それまでにフィンランドまで走らなくてはならない。一日700キロ以上のノルマを自分に課しているので、今日もまだまだ走るという。
お互いの無事を祈って別れ、僕はすぐ先のモーテルにチェックインした。
しかしそこは、「ここのどこがオススメなんだ?」と思うようなところだった。おばちゃんの愛想はいいのだが、横になると体が「く」の字になる、くたびれたベッドの置かれた粗末な部屋はカンスクのホテルとほとんど同じ金額だった。シャワーはなく、共同トイレは屋外にある世紀末的ぼっとん便所。
他に食事をするところがないので、そこの食堂で夕食を頼んだら、煮すぎてグズグズになったウインナーが馬小屋のニオイのする豆ご飯にのって出てきた。ロシアの普通の食事はかなりレベルが低いと僕は思っているのだが、それにしても「よくぞここまで不味く作ったものだ」と感心してしまった。こんなに不味い食事は、おそらくこの3年間で初めてだ。うーん、あっぱれ!
食堂は妙にハエが多く、食べているうちに(「食べる」というより、もはや「栄養を摂取する」という作業にすぎないが)、僕のまわりには10匹以上のハエがたかってきた。酒でも飲まなければやってられないので、ビールを頼んだら、おばちゃんが満面の笑みで持ってきた瓶は人肌の温もりだった・・・。(栓が抜かれていたので、僕は断りきれなかった)
これはもう寝るしかないと思い、ベッドの上で体を「く」の字にしたら、今度はモーテルの前が町民の集会場になっているようで、午前1時ごろまでみんなで騒いでいた。
あー、はやくイルクーツクに行きたい!
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