旅の日記

ロシア横断編その2(2002年7月21〜26日)

2002年7月21日(日) テイトに出会う(Meeting an American rider)

 選んだ林は底冷えして、僕は午前5時ごろに目が覚めてしまった。しばらくウトウトしていると、雨粒がテントをたたく音が聞こえてきた。テントから出てみると、西の空から鉛色の雲が近づいてきていて、目指す東の空は晴れている。雨雲に追いつかれてしまったのだ。
 これはいかん、と支度をしてその場を後にしたのは、日が出てまもない午前6時前のことだった。

 今日目指すのはシベリアで一番大きな街、ノボシビリスク。ロシア横断のちょうど中間地点にあるこの街が、僕のとりあえずの目的地だった。ホテルもたくさんあるみたいなので、2、3日ほどゆっくりして体を休め、さらなる長旅に備えたい。
 ただし、そこまでの距離は700キロある。えっちらおっちら、僕は休憩を挟みながら東へ向かった。

 「チタまで3200キロ」というすごい標識を見つけたので、写真を撮ろうとバイクを停めたところ、後ろから一台のバイクが走ってきた。ピカピカのBMW-F650GSである。
 ライダーはロシア語で話しかけてきたので、「ロシア語はわかりません」と例のごとくいうと、「じゃ、英語は話すか?」と流暢な英語で言ってきた。なんだ、英語うまいじゃないか。
 バイクのナンバーはロシアのものだった。しばらく英語で話すが、妙に英語がうまいし、ピカピカのバイクに乗っているし、これはお金持ちのロシア人なのだろうと僕は思った。

 彼は休暇でモスクワから走ってきて、行けるところまで東に行くという。彼も今夜ノボシビリスクに泊まるので、同じ宿にしようということになったとき、彼はオモムロに携帯電話を取り出して、あるホテルに電話をかけた。
 モスクワで調べてきた安いビジネスホテルだというのだが、「外国人は泊まれません」と彼は断られてしまった。「くそっ、こういうロシア人が頭に来るんだよな」と彼がつぶやいたので、僕はおや?と思って聞いてみた。
 「あなたは何人なの?」「俺かい?俺はアメリカ人だ」
 彼は英語の流暢なロシア人ではなく、ロシア語の流暢なアメリカ人だったのだ。名前はテイト、モスクワに住んで5年のビジネスマンだった。

 「君はロシア語も話せないで、携帯電話も持たないで、バイクでロシアを横断するとはなんて勇敢なんだ。ここらへんの道路脇の看板、なんて書いてあるかわからないだろう。『強盗が出ますので、ガソリンスタンド以外では停まらないようにしましょう』って書いてあるんだぜ」
 「・・・・・」
 結局、僕たちはロンリープラネットに載っていた大きなホテル「ノボシビリスク」に泊まる事にして、また別れた。彼はけっこう飛ばすので、僕はついていけないのだ。

 途中立ち寄ったガソリンスタンドで酔っ払いに絡まれながらも、午後6時にノボシビリスクに到着する。大都市なのでちょっと迷ったが、目指すホテルは中央駅の前なので、中心地に出たらあとは簡単だった。

 先にチェックインしていたテイトに手伝ってもらって、駅を見下ろす部屋に入った。一泊1225ルーブル(約4800円)。一人で泊まる宿としては、この旅で最高の金額だ。しかし清潔な部屋だし、お湯の出るシャワーもバスタブもあるし、今までがんばって走ってきた自分へのご褒美として、2泊することにした。
 ここで僕は自分の時計が1時間狂っていたことに気付いた。今朝、僕が出発したのは午前6時じゃなくて、5時だったのだ・・・。

 シャワーを浴びた後テイトと街をぶらついたが、適当なレストランがないので、結局ホテルのレストランで食事をすることにした。
 夕食の後も、そのままビールを飲みながら夜遅くまでいろんな話をした。聞くと彼はやり手のビジネスマンで、極東を含むロシア各地で仕事をしてきたという。今はテレビ関係の仕事をしているらしい。
 ロシアで仕事をする上で苦労するのは、行動が結果に繋がる、という簡単なことをロシア人に教えることだという。たとえば、ロシア人は「出世させてくれ。そしたら頑張るから」というらしい。「いや、頑張ったら、その結果として出世させてあげよう」という会話を、彼は何度も繰り返したという。
 また、地元の有力者やマフィアとのコネがないと、物事は遅々として進まないという。外国人だけでビジネスはできないので、パートナーとしてロシア人を入れるしかないのだが、そのパートナーがまたトラブルを起こしたりするらしい。

 しかし、ロシアはチャンスに溢れているという。何でもいい、ホテルをやるのでも物を作るのでも、西側の仕事のレベルでやっていけば、まず失敗はないという。逆にいえば、それほどロシア国内で行われている事業はレベルが低いのだ。
 「例えば」、と彼はミネラルウォーターのペットボトルを手にして言った。「このミネラルウォーターの会社の創立者を僕は知っている。彼はアメリカ人で1993年にロシアにやってきた。奥さんはロシア人で、彼はアメリカでトラック運転手をやっていた。彼はビジネスのことなどまったく知らなかったし、勉強をしたこともなかった。それがロシアで『水でも売ってみよう』と、5万ドル(約600万円)で販売会社をつくったんだ。そして9年たち、先月、彼はその会社の経営権を某西側企業に売却した。その金額は150万ドル(約18億円)だったよ」
 アメリカや日本ではどんな事業をやっても競争が激しくて、成功するのは難しいという。それがロシアなら、当たり前のことやっても金になるのだ。

 いろんな話をしているうち、彼の携帯電話が鳴った。すると、「もしもし?あ、ちょっと待って」と言い、彼は僕に電話をよこした。「日本語で話してみな」
 「??もしもし??」「あ・・・こんにちわ。テイトの家内でございます(日本語)」
 なんだ、奥さん日本人じゃないか!もう、早く言ってよ・・・。

 そんなこんなで、午前5時出発の疲れも忘れて僕はテイトと話した。彼は夕食をごちそうしてくれたばかりか、明日、地元の知り合いに街を案内してもらうので君もどうだ、と言ってくれた。しかし、僕は日記やメールを打ったりバイクの整備をしなくてはならないので遠慮することにした。移動続きだと、さすがに日記が溜まるのだ。


本日の走行距離        約700キロ(計78076キロ)

出費                    193P  ガソリン
     2450P 宿泊費(2泊分)
     95P 飲食費
計     2738P
(約10430円)
宿泊         ホテル「ノボシビリスク」


2002年7月22日(月) 文明社会で一息つく(A day in Novosibirsk)

 今日は久々の安息日だ。ホテル代に含まれている豪華な朝食を食べたあと、午後まで部屋にこもって最近の日記を打った。一応シティホテルだけあって、机と椅子があって作業がやりやすい。
 昨日の分までを打ち終え、データをフロッピーに落とすと、僕はインターネットカフェを探して街に出てみた。

 僕の泊まっている巨大なホテルのある中心街は、かなりモダンである。ATMのある銀行があるし、スーパーマーケットもデパートもあるし、ファーストフードの店もある。たまに日本製のバイクが走っていたりもする。
 昨日までずっと原野を走ってきた僕は、「ああ、文明社会に戻ってきた」としみじみ思ってしまった。自然もいいけど、都会っ子としてはやっぱりこういう雰囲気の方が安心できるのだ。

 「ロンリープラネット」のロシア編は最新版でも2年前の情報なので、載っているインターネットカフェがまだあるか心配だったが、ちゃんと営業していて、少々てこずったがホームページも更新できた。
 僕はほんの1年前まで、ロシアなんかモスクワ以外ではとてもインターネットなどできないと思っていたが、意外とあるものだ。そういう時代なんだなあ。

 することをした後は街をぶらつき、スーパーマーケットに寄ってから快適なホテルの部屋に戻った。
 そして僕はバスタブに湯をはり、ブダペスト以来の風呂を楽しんだあと、スッポンポンのままビールを片手に窓辺に立ち、「ふふふ、下界のロシア人どもめ・・・」と一人、ノボシビリスクの街を見下ろすのだった。
 本当は明日もここに泊まることを考えていたが、ホームページの更新も出来たし、駐車場を含めると一泊40ドルという宿泊費はやっぱり辛い。一日だが良い休憩になったし、明日、東に向かう旅を再開しよう。


本日の走行距離            0キロ(計78076キロ)

出費                     70P  インターネット
     213.5P 飲食費
計     283.5P
(約1080円)
宿泊         ホテル「ノボシビリスク」
インターネット    Internet Klub


2002年7月23〜24日(火、水) ロシアのモーテル(Motels in Russia)

 朝食を食べてから別れを告げようとテイトの部屋に電話をすると、彼はまだ寝ていた。昨晩は午前5時まで地元の知り合いと飲んでいたらしい。しかし彼は限られた休暇の中で旅をしているので、もう一眠りしたら出発すると言っていた。
 彼もイルクーツクまでは行くと言うので、また路上で会えるかもしれない。

 ノボシビリスクの街を後にして250キロほど走ると、ケメロヴォ(Kemerovo)という街に着いた。ロンリープラネットには載っていないけど、けっこう大きな都市だ。
 今まではこれくらい大きな街になると、迂回路があったり、標識がしっかりしていて簡単に抜けられたのだが、このケメロヴォ、国道は街に入って途絶え、その後は標識の「ひょ」の字もない。
 何回も迷い、その度に道を尋ねるが、みんな言う事が違う。「あっちだ」というのでそっちに行くと、ノボシビリスクから走ってきた国道に戻ってしまったり、道路脇の警察官に尋ねたら、下から上まで舐めまわすように見られたうえ、やっぱりとんちんかんな方角を教えられた。
 結局、信号で並んだミニバスの運転手と、キオスクの前でビールを飲んでいたゴキゲンなオヤジ2人の教えてくれた道が正しくて、1時間半もウロウロした街をようやく出られた。

 このタイムロスが大きくて、本当はもっと距離を稼ぐつもりだったが、そこから70キロほど進んだクラスニン(Krasnyn)という小さな村にドライブインと一緒になったモーテルがあったので、今日はそこに泊まる事にした。

 このモーテル、部屋はピカピカのツインで150ルーブル(約580円)。バイクは隣のパンク修理屋で50ルーブルで預かってくれることになったが、この修理屋、エンジンオイルも売っているではないか。もちろんバイク用などあるわけないが、Essoの半化学合成オイルがあるし、エストニアで最後に交換してからちょうど5000キロほど走ったところなので、この機会に交換することにした。

 ところが、である。オイルフィルターを交換しようとキャップのボルトを開けると、指先に嫌な感触が走った。見ると、ボルトと一緒にまわりのネジ山も崩れて出てきてしまっている。くっそー、あの時のだ・・・。
 僕は昨年スイスにいるとき、GSX-1100Fに乗る弾丸親父トニーの友達にオイル交換をしてもらったのだが、彼は必要以上のトルクをボルトにかけ、ネジ山を破損してしまったのだ。その後、バイク屋でネジ山を再生してもらったのだが、今回、それもダメになってしまったのだ。

 ボルトは3本あり、ダメになったのはそのうちの1本。完全に締まらず、中途半端な位置でクルクル回ってしまう。困っていると、修理屋のお兄さんがそこら中をひっくり返して、同じ径、同じピッチで長さの違うボルトを見つけてくれた。それで試してみると、なんとかフィルターキャップは締まってくれた。
 また、オイルを抜くドレンボルトの方もあいかわらずネジ山を削っている。日本まで長くてあと6000キロ、オイル交換はこれで最後にしよう。ヘタにやって、取り返しのつかないことになったら大変だ。

 次の朝は小雨が降っていた。しかし雲は西から東に行くわけだから、東に進めば晴れるだろうと思い、僕は出発した。しかし、僕の読みは大外れだった。
 雲は、正確には北西から南東に向かうのである。だから東に進んでも、昨日の晴間に追いつけるとは限らないのだ。北の方から行く手をふさぐように雨雲が下りてくることもある。

 今日の目的地は400キロ先のクラスノヤルスクと設定したが、雨は一向に止まないどころか、どんどん強くなってくる。しかも途中、道路工事のためにダートの箇所もあり、僕とバイクは泥だらけになってしまった。
 こんな工事中のところでも、飛ばすバカがいるのだ。アスファルトの上ではゆっくり走っていたダンプなんかが、「どうじゃ、この車はダートなどものともしないのだ!」といわんばかりに、砂利道の上で無理に追い越してくる。その度に泥水や小石を浴びせられるのだから、たまったものではない。こっちはヘルメットのシールドが泥と雨粒で見えにくくなっているので、ゆっくり進まなくてはならないのだ。

 途中、休憩を挟もうと思ったのだが、雨が降って全身が濡れてしまうと、休憩よりも早く目的地に着いて、乾いた部屋でゆっくりしたいという願望が勝る。結局給油2回、立ち小便2回で止まっただけで、あとはずっと雨の降る中を走り、6時間かけてクラスノヤルスクに到着した。
 ちなみに雨の中の立ち小便って、けっこうみじめだ。防水加工なんかとっくに剥がれてしまったカッパだから、中のジーンズもびしょ濡れ。バイクで走りながら、「わざわざ止まって小便しなくても、このまま漏らしてもあんまり変わらないんじゃないか」と思ったほどである。でも一応、人として、ちゃんとしたけどね。

 クラスノヤルスクもけっこうな都市で、今日は贅沢も言ってられないので40ドルくらい出してシティホテルに泊まろうと思っていたが、街の入口にモーテルを発見。ずぶ濡れのまま都会を走りまわることを考えてゲンナリしていたが、これぞ天の恵み。即チェックインして、濡れた服を乾かそうと思ったら、靴下からパンツ、長袖のインナーシャツまでみんな濡れていた。明日までに乾くかな?
 さて、次の目的地イルクーツクまで1000キロを切ったが、この先、本格的なダートがあるはずだ。タイヤも磨耗してきたし(日本まで持つだろうか?)、チェーンもどんどん伸びてきているし、ゆっくり進もう・・・。


2日間の走行距離       約800キロ(計78876キロ)

出費                    152P  駐車場代
     102.6P 飲食費
     475P エンジンオイル
     400P 宿泊費
計     1129.6P
(約4300円)
宿泊         道路脇のモーテル


2002年7月25〜26日(木、金) ド田舎で雨宿り(A stop in a rain)

 25日、目が覚めると、東の空は暗かったが、西の方から晴間が近づいてきていた。雨に追いついてしまったら休憩して待てばいいや、と思って出発したが、僕の考えは今日も甘かった。
 100キロも走ると小雨が降ってきて、雨宿りする場所を探して進むうち、本降りになった。道路脇に注意を払いながら走るのだが、クラスノヤルスクを出たらそこは本格的なロシアのド田舎。道端にあるのは死んだような寒村とガソリンスタンドのみ。

 ガソリンスタンドに入ればいいじゃないか、と思うかもしれない。しかしチッチッチッ、ロシアの田舎のスタンドは雨がしのげないのだ。給油ポンプの上に屋根があったり、ちょっとしたカフェがあったりする西洋風のガソリンスタンドは、シベリアに入ってほとんど見なくなった。あるのは雨ざらしのポンプ数台と、レジのある小屋から構成された、「本当にガソリンしか売らないからね」方式のスタンドだけだ。
 レジの小屋は強盗を防ぐために鉄格子で囲まれており、とても中で休憩させてもらえる雰囲気ではない。給油する場合は小窓の下に設けられた引き出しにお金を入れ、鉄格子の向こうのおばちゃんがそれを内側にひっぱり出して受け取り、その分だけ給油できるようにポンプを設定する仕組みになっている。非常にものものしく、不便なシステムなのだ。前もって「何リットルくれ」と言わなくてはならないから、きっちり満タンにできないのも辛い。(特に今の僕はトリップメーターが動かないから、何キロ前に入れたか覚えていなくてはならないのだ)

 150キロほど走って、ようやく道路脇に粗末なカフェを見つけた。
 ボルシチ(スープ)とパンを食べていると(これしかメニューを知らないから、僕はこればっかり食べている)、妙にハイなオヤジが「串焼きもどうだ」と言ってきたので、それもお願いした。すると、かなりゴツイ牛肉が炭火で焼かれて出てきた。これで全部で2ドルもしないのだから、ロシアのド田舎カフェも捨てたものではない。
 カフェには家族連れもいて、道に詳しそうなお父さんに尋ねてみると、50キロ先のカンスク(Kansk)という町にホテルが一軒あるという。その先は200キロほどホテルはないそうで、さらにその先から未舗装路が始まるという。
 決めた。この雨の中、無理に進んで野宿したり、ダートを走るのはまっぴらゴメンだ。今日はカンスクの町で切り上げて雨宿りをしよう。

 そう思い、カフェの前に停めてあったバイクに向かうと、なぜか雨の中で焚火をしているオヤジがいる。僕を見ると近寄ってきたが、全身びしょ濡れのうえ、おそらく誰かに殴られたのだろう、左眉のあたりがパックリ割れて血が出ている。そして右手に柄の折れた斧を握り締めて、震える声でいうのだ。「10ルーブルめぐんでくれよう」
 別に僕を脅しているわけでもなく、たまにいる物乞いや気のふれた連中の一人なのだが、顔から血を流し、斧を持ったオヤジに「金をくれ」といわれるのは、決して気持ちのいいものではない。
 10ルーブルぐらいあげてもいいんだけど、財布を出して面倒なことになるのが嫌だ。「ごめんおじちゃん、ロシア語わかんねえんだ」と、僕はその場からそそくさと立ち去った。(それにしても、かなりキているオヤジだったぜ)

 家族連れのお父さんの言う通り、雨の中をさらに50キロほど耐えて進むと、カンスクという町に着いて、4階建てのホテルがあった。(写真は晴れた次の日に撮ったもので、僕が着いたときは土砂降りだった)
 このホテル、バス/トイレ、テレビつきのシングルがなんと210ルーブル(約800円)。駐車場はちょっと遠いけど、期待していなかったバスはアツアツのお湯が出る!オー、ワンダフル&ビューチフル!

 僕は濡れた服を干し、さっそくお風呂に入って体を温めた。そしてテレビで天気予報を見ると、目指すイルクーツクの方はまだ雨が降るという。また雨雲に追いつきたくはないし、この先はダートもあるから、僕は明日もこのホテルに泊まって低気圧が去るのをじっくり待つことにした。
 別にダートじゃなくても、ロシアで雨の日に走るのは辛いのだ。路肩や、ガソリンスタンドやカフェに入る導入路が舗装されていないから、そこがドロドロ&ネチョネチョになる。そして町に入ればそこら中が池のような水溜りになっていて、せっかくこっちがスピードを落として進んでいるのに、対向車はお構いなしに猛スピードで突っ込んできて泥水を浴びせるのだ。
 ここまで来れば、バイカル湖もモンゴルもあとちょっと。慌てず急がず、じっくり進もう。

 次の朝、西からだんだん青空が広がってきた。いいぞ、がんばれ高気圧!この先のダートも乾かしてくれ!
 さて、もう一泊分払おうとフロントに行くと、500ルーブル札でお釣りがないという。しかたないので、崩しに町にでてみた。
 カンスクは思ったよりも大きな町だった。通りはガタガタで、そこら中が泥&水溜りに覆われた本当にシケた町だが、一応路線バスなんかも走っていて、きっと数万人は住んでいるのだと思う。

 しばらく行くと、何かの工場のようなデザインだが、2階建てのデパートもあった。そこの薬局でビタミンCのタブレットを買い、500ルーブル札を崩した。

 ちなみにこのビタミン剤は57ルーブル(220円)、昨夜ホテルのレストランで食べたカツレツ、サラダ、ビールの夕食が117ルーブル(440円)。道端のカフェでスープ、パン、コーヒーを頼むと、だいたい1ドル(120円)以内で収まる。
 こうして考えると、モスクワやサンクトペテルブルグの物価は、まるで別世界のように高い。ここらへんの人にとっては海外はおろか、モスクワで生活することも夢のまた夢なのだろう。
 そういえばテイトが言っていた。彼の勤めている会社のロシア人従業員は、同じ仕事をしても、モスクワ勤務と地方勤務では収入に10倍もの格差があるという。

 無事に宿代を払ったあとは、部屋で日記を打ったり、ロンリープラネットを読んでゆっくり過ごした。
 午後になってホテルの目の前で検問がはじまり、警察官が目に付く車を片っ端から止めて職務質問をしていた。これまでロシアの警察に嫌な目にあったことはないが、決してこちらから近寄っていきたい人たちではない。外国人など皆無に等しいド田舎の町で面倒なことになりたくはないし、特に出かける用事もないので、結局夜までそのまま部屋で過ごした。

 夕食は余っている食材で自炊した。ロシアは思ったより自炊する機会がないし、する必要もないので、食材を使いきって荷物を減らしたいのだ。でも、ホテルの部屋でガソリンストーブを使うのはやっぱり気を使う。プレヒートの時の煙もそうだけど、「ショボー」という音が外に漏れないか、外から聞こえたら何だと思うのだろうか、などと気になってしまうのだ。

 雨雲はきれいに去り、きれいな夕焼けが広がった。よしよし、と思っていたら、テレビの天気予報によるとイルクーツク方面はまだ雨。というより、イルクーツクあたりに停滞している低気圧が、こっちの高気圧を押し戻している感じである。(ロシア語がわからないので、予想天気図からの判断だけど)
 うむむ・・・うまくいかないなあ。明日、東に向かうけど、ダートの箇所くらいは晴れてほしい・・・。


2日間の走行距離       約230キロ(計79106キロ)

出費                     30P  駐車場代
     276P 飲食費
     197P ガソリン
     57P ビタミン剤
     420P 宿泊費
計     980P
(約3730円)
宿泊         ホテル「Sibir」