旅の日記

ポーランド編その3(2002年6月22〜24日)

2002年6月22日(土) メーターケーブルが切れる(Speedometer brakes)

 夜のうちに雨が降った。雨粒がテントを叩く音を聞きながら、「ここ2日は見事に晴れていたのに俺はやっぱり雨男か、とほほ」と夢うつつに思ったが、朝になったら雨は上がっていた。朝食を食べるうちに残っていた雲も流され、ふたたび青空が広がった。まだツイているようだ。
 しかし上機嫌でキャンプ場を後にすると、スピードメーターの針がユラユラと揺れているのに気がついた。いやな予感、そして的中。すぐに針は0に戻り、そして動かなくなった。ギリシャで切れたメーターケーブル。あれから4000キロしか走っていないのに、また駄目になった。あのときは面倒くさくて近所のバイク屋で直させたけど、やっぱり新しいものと交換しなければならないみたいだ。

 バルト3国で直らなければ、このままロシアを走ることになる。速度はそんなに重要じゃないけど、距離が計れなくなるのが不便だ。まあ、ガソリンタンクを満タンにすれば400キロは走るし、地図をしっかり見ていれば間違いはない。いざとなったらサイクルメーターを付けるという手もあるし。(自転車用の電子メーターはバイクに付けても機能し、しかも機械式のバイクのメーターよりも正確らしい)

 150キロほど走ってポーランドとの国境に着いた。スロバキアは確かに小さい国で、大きな見所はないかもしれないけれど、山や緑は美しい。自分の足があれば、ぜひとも走ってみるべきところだ。
 レストランで昼食を食べてから越境する。今回も手続きは簡単だったが、ポーランドの自動車保険に加入する必要があった。僕の持っているグリーンカード(欧州共通の自動車保険)はポーランドの保険会社が発行したものだが、なぜか自国では通用しない。ポーランドだけの保険、一番短くて15日有効のものに12ズオッティ(約400円)払って加入する。
 ちなみに僕のグリーンカードは去年、ポーランドとチェコの国境で買ったものだが、1年有効で40ドルを切り、しかも西欧・東欧問わずほとんどの国で有効という優れものだった。しかし、その情報を得て最近そこでグリーンカードを取得したけんじさんによれば、最長で4ヵ月有効のものしか売ってくれなかったという。係員によっても説明はまちまちなようで、外国人ライダーがグリーンカードで悩むのは宿命のようだ。

 ポーランドに入国して道が単調になった。ポーランドには山がない。平原に広がる畑や牧草地、森の中を淡々と走るだけだ。生あくびを繰り返しながら、ポカポカとした陽気の中を走った。
 夕方になって、ルブリンに着いた。なかなか風情のある町であるが、大きな町でもある。ロンリープラネットに載っていた安宿を当たろうとするが、土曜日でインフォメーションセンターは閉まっているし、町の地図はないし、宿が見つかったとしてもバイクが置けるという保証はない。
 実はルブリンに着く前、宿が見つからなかったらガソリンスタンドの裏にテントを張らせてもらおうと、大きなスタンドに2、3、目星をつけておいたのだ。来た道を引き返してスタンドの店員と交渉すると、ちょっと奥に湖があり、そのほとりにキャンプ場があるのでそこに行けといわれた。

 幹線道路から外れ、見とおしのきかない畑の中の道を走りまわるが、湖はなかなか見つからない。英語のまったく話せないポーランド人に何回か道を尋ね、ようやく鏡のように穏やかな湖面が見えてきたのは午後7時過ぎのことだった。
 湖のほとりにレクリエーションセンターがあり、そこにキャンプ場もあるのだが、受け付けのお兄ちゃんが席を外していてテントを張れたのは結局午後8時過ぎだった。粗末なキャンプ場だが、8ズオッティ(約250円)と安かった。

  ポーランドではキャンプ場はあまり流行らないらしく、テントは僕の以外に一張もなかった。そういえば去年もキャンプ場探しに苦労した記憶がある。あったとしても、ここのようにテントを張るより木製の簡素なコテージに泊まる方が主流のようだ。
 キャンプやアウトドアは、やはり経済的に豊かな国でないと流行らない。テントを張る料金の方がコテージよりも安いのだが、テントや寝袋など道具そのものが高いのだ。年に一度や二度楽しむだけなら、その元をとるのに何年もかかってしまう。それならなんの準備もいらず、手軽に泊まれるコテージに泊まろうということになるのだろう。実際、ここのキャンプ場もコテージだけは満杯だった。


本日の走行距離        約440キロ(計71936キロ)

出費                   570Sk  ガソリン
     100Sk 昼食
     12Zl ポーランド自動車保険
     8Zl キャンプ場
     13.5Zl 夕食
計    
670Sk (約1860円)
     33.5Zl (1ドル=約4ズオッティ、約1050円)
宿泊         湖のほとりのキャンプ場


2002年6月23日(日) マイダネク強制収容所跡(Majdanek concentration camp)

 ルブリンの郊外にはアウシュビッツよりも規模が大きかったといわれる、マイダネク強制収容所跡がある。昨年アウシュビッツ、ビルケナウ、トレブリンカと三つの収容所跡を見て、今回4箇所目となるが、ここを見てから出発することにした。
 僕はカンボジアのトゥール・スレン博物館も見ているが、別にこういったもののマニアというわけではない。せっかくその地を訪れているのだから、見ておいた方が良いと思うのだ。人として。
 マイダネクは入場料が無料で、しかも広い敷地内をバイクで自由に走ることができた。まずは20万人以上の死体が焼かれたという焼却炉と、その横の霊廟を見た。

 巨大なコンクリートの霊廟は、かつて遺体の灰を処分した場所の上に築かれている。大きなかさの下には、砂がうずたかく積まれていた。まさか、と思ってガイドブックを見たら、その通りだった。それは砂ではなく、実際にガス室で処刑された人々を焼いた灰だった。
 手を伸ばせば届きそうな距離にある、60年前の犠牲者の変わり果てた姿。圧倒的なリアリティ。無言の一粒一粒が語りかけるようだ。

 次に焼却炉を見た。一日に1000体を焼いたといわれる建物が、ほぼそのままの状態で残されている。炉も死体を乗せた鉄板もそのままだ。
 炉は全部で5つしか無かった。一日に1000体燃やすとしたら、一つあたり200体ということになる。思ったより規模は小さい。ということは従事した人、無論囚人、は重労働だったろう。きっとめまいのするような暑さの中、同胞の死体を一日中燃やしつづけなければならなかったのだ。

 焼却炉のあとは実際に処刑の行われたガス室を見た。ここの展示には詳しい説明がついていて、僕はガスといえば、天井の穴なんかからプシューと出てくるものと思っていたが、実際は缶に入ったシクロBという薬品の結晶体、氷砂糖のようなものが天井の穴からザラザラと落とされ、それが気化して毒ガスになったらしい。
 イメージが具体的にわくぶん、恐ろしい。自分はコンクリートに囲まれた暗い部屋にいる。天井の穴からは光が落ちている。そして、その穴から絶望的な結晶体がザラザラと落ちてくる。スポットライトのような明かりのなか、その粒から煙がのぼる。煙の向こうに苦しむ家族や友達の姿が見える。そして自分の呼吸も止まる。もがく。だけど分厚いコンクリートの壁は、か弱い人間の抵抗をあざ笑ってものともしない。

 マイダネクにはユダヤ人、ポーランド人を中心として約30万人が収容された。そのうち20万人以上が処刑されるか、病気、あるいは自殺で命を落とし、数万人が他の収容所に送られて同じ運命を辿った。ここでの辛酸をなめ、生き長らえたのはわずか2万人。1割にも満たないのだ。

 そのあとは雑居房、といっても木製の粗末なバラックだが、を見に行った。今ではかつての狂気を物語る博物館になっている。
 毒ガスの結晶体を入れた缶、当時の記録写真などが並ぶが、僕の心を打ったのはユダヤ文字の刻まれた石の破片だ。これはルブリンにあったユダヤ人墓地の墓石だったという。それを収容所を建設するとき、砕いて道の敷石にしたのだ。まったくナチスというのは人の尊厳、プライドを踏みにじることに関しては天才的なアイデアを持っていたのだ。

 一通りマイダネク強制収容所跡をみたあと、ルブリンの町を後にした。
 そのあとはふたたび単調な道。100キロほど走って行く手に暗雲が立ち込めた。給油のついでにカッパを着ると、さっそく風呂桶をひっくり返したような雨になった。その先の町では下水が溢れ、道は川のようになっていた。だけどすぐ先に青空が広がっているので気にならない。ライダーが嫌がるのは長くて陰険な雨だ。

 僕はポーランドの北隣、リトアニアとの国境を目指して走っていたのだけど、どういうわけか道を間違ってベラルーシとの国境に出てしまった。ベラルーシとポーランドを結ぶ橋は建設中で、リトアニアに向かう道を人に尋ねても、みんな「ベラルーシとの国境は閉まっているよ」の一点張りだ。
 仕方なく、地図と睨めっこして北を目指す田舎道を探す。距離にして50キロは無駄にした。

 リトアニアが近づいてきたところで今夜の寝床を探し始めた。しかし道端に出ているキャンプ場の標識を辿っても、つぶれているのばかりだ。ポーランドはキャンプ場は安くても、ホテルは安くはない。しばらく探してダメならその辺で野宿かな、と思った頃、幹線道路にキャンプ場の看板をみつけた。これで最後にしようと見に行ったら、小さな湖のほとりにレストランがあり、その裏にテントも張れるが部屋もあるという。それを見せてもらったら、25ズオッティ(約780円)で快適なツインの部屋。迷わずチェックイン。簡単な共同のキッチンもあり、シャワーの湯の出もいい。
 リトアニアに入る前に、明日もここに泊まって日記を打つことにした。何の変哲もない湖のほとりだが、静かでいいところなのだ。


本日の走行距離        約470キロ(計72406キロ)

出費                  13.5Zl  昼食
     63Zl ガソリン
     25Zl 宿代
計    
101.5Zl (約3170円)
宿泊         Kompleks Turystyczny "U Jawora"


2002年6月24日(月) 湖畔で休憩(Taking a rest)

 今日は休憩&日記打ちの日にした。
 朝一番で洗濯し、あとは本を読むかパソコンに向かっていた。この前ブダペストで買った「不夜城U」の文庫本だが、登場人物が多すぎて、しかもみんな中国人とかだから名前が覚えにくい。少しずつ読んでいてはその度に前に戻って記憶をたどらないといけないので、今日、残っていた300ページ以上を一気に読んでしまった。
  最近の日記も一気に打った。本当は町に買物に行こうと思っていたのだが、体が休憩モードに入ると動くのが億劫になる。宿にレストランも簡単な商店もあるので、用事はすべてそこで済ませることにした。
 そんなわけで、今日はとても穏やかな一日だったのだ。


本日の走行距離            0キロ(計72406キロ)

出費                  17.9Zl  飲食費
     25Zl 宿代
計    
42.9Zl (約1340円)
宿泊         Kompleks Turystyczny "U Jawora"