旅の日記

スロバキア編(2002年6月20〜21日)

2002年6月20日(木) みんなで出発(Leaving altogether)

 沈没したあとの出発一日目は、とにかくそこを出る、というのが目標になる。重い腰を上げるのにエネルギーを使うのに、そのうえ遠いゴールを設定してしまっては体が参ってしまう。
 ドナウ川を挟んだブダペストの反対側に「子ども鉄道」の走るヤーノシュ山がある。そこにはキャンプ場もあるのだが、冗談で「今夜はそこに集合しましょう」とみんなで言うほど、気負わず、ゆっくり起きてから出発の準備に取りかかった。
 結局、みんながバイクに荷物を載せ終えたのは昼過ぎだった。すでに太陽はテレザハウスの中庭に容赦なく照り付け、準備の終えた人からヘロヘロと日陰に逃げ込む。出発もしていないのに、もう汗をかいていた。

 最後にバイクを5台並べて記念撮影をした。一緒に出発するといっても、3組とも最初の交差点から曲がる方向が違う。けんじ&ふみえカップルはルーマニア方面へ、僕と荒木夫妻はスロバキア方面だが、僕はハンガリー北部のホッローケーに寄るから道順が違う。
  つまり、ここを出ればもうお別れなのだ。

 走り出す段になって、ふみえさんの年代もののXLがグズついた。3週間近くかけていなかったエンジンがなかなか目覚めず、ふみえさんはテレザハウスの中庭を何往復もして押しがけしていた。ようやくかかったと思ってもまた止まってしまい、そのあともなかなか言う事を聞かないのだ。
 けんじさんが先に行ってください、というので僕と荒木夫妻は走り出すことにした。けんじさんがついていれば大丈夫だろうし、XLも走り出せば安定するだろう。ふみえさんは予算の関係で20年近く前のモデルをドイツで買ったが、けんじさんのSRも世界を走り回って年季が入っているので、その点でもいいコンビかもしれない。
 などと困っている本人が聞いたら怒りそうなことを考えながら、あとの3人はセルモーターで楽々とエンジンを始動し、中庭を後にした。

 テレザハウスの近くにある、いつもの大きな交差点で荒木夫妻とも別れた。僕はラコツィ通りをひたすら西に進んでブダペストを抜けるのだ。
 荒木/滝野沢夫妻、けんじさん&ふみえさん、2週間の間いろんな話が聞けて楽しかったです。中央アジアやアフリカの話を聞いて、僕もまだまだだな〜って思いました。また世界のどこかで会いましょう。その時まで、お気をつけて!

 僕が選んだ道は交通量が多く、ブダペスト市街を抜けても流れは遅いままだった。信号で止まるたびにヘルメットのシールドを開けてやらないと、蒸れて曇ってしまうほど暑い。しかし、道端には小さな花が咲き乱れていてきれいだった。
 早いもので、ヨーロッパで経験する2度目の夏だ。

 ホッローケーまでは100キロ足らずだが、たっぷり2時間はかかってしまった。
 ここはかつてモンゴル帝国から逃れてきたトルコ系の住民が独自のライフスタイルで生活を営んでいるという世界遺産の村である。彼らの伝統的な様式で建てられた町並みや、民族衣装なんかが見所らしい。

 しかし、僕は暑さに参ってしまった。
 平屋建てが並ぶ村には日光を遮るものがなく、歩いているうちに汗が滝のように出てくる。ライダーズジャケットを着たままだから仕方ないのだけど・・・。
 他に訪れている観光客は老人が多く、家と家の間をゼンマイ仕掛けのおもちゃのようにヨロヨロと行き来していた。

 白い壁の小さな家やその前で咲いている花々、木製のかわいらしい教会など、確かに一見に値するが、こう暑くっちゃたまらない。
 僕は村を一回りしたあと、バイクを停めた駐車場に戻って売店で気の抜けたコーラを飲んでぐったりしてしまった。

 ホッローケーからまっすぐ北に向かい、ややマイナーな国境からスロバキアに入国した。
 ハンガリーの北隣、スロバキアはちょっと前からビザが要らなくなった。それまではどこかのスロバキア大使館に出向き、いくらかの金を払ってビザを取得する必要があり、面倒のわりには国は小さく、見所も少ないという噂から東欧まで足を運んでもスロバキアに行く旅行者は少数派だった。
 しかし、今ではパスポートを見せるだけで簡単に入国できるのである。通らない手はない。

 実際、越境は至極簡単だった。ハンガリー側のイミグレとスロバキア側のイミグレは隣接しており、ハンガリー側の係官はパスポートに出国のスタンプを押すと、そのままそれを隣のスロバキア側の係官に窓越しに手渡す。
 最初、僕は二つの小屋ともハンガリー側のもので、スロバキア側の手続きはもう少し進んでからあると思ったのだが、いつのまにかパスポートにはスタンプが押され、スロバキアに入国していたのである。

 入国してからすぐの村にATMがあったので、そこでスロバキアの通貨コルナを引き出した。
 さらに50キロほど走り、Zvolenという町の入口にキャンプ場があったので今夜はそこで泊まる事にした。200キロちょっとしか走っていないのに、初日はやっぱり疲れるのだ。


本日の走行距離        219.4キロ(計71250.1キロ)

出費                  3650Ft  ガソリン
     135Ft 気の抜けたコーラ
     112.5Sk 夕食買いだし
     127Sk キャンプ場
計    
3785Ft (約1890円)
     239.5Sk (1ドル=約45コルナ、約670円)
宿泊         Zvolenの「Autocamping」


2002年6月21日(金) スピシュスキー城(Spissky Castle)

 いきなり荒木/滝野沢夫妻と再会してしまった。
 キャンプ場を出て北に向かい、しばらくしたところで東に折れた。山間を進む、景色のいい幹線道路である。道端に黄色い花が咲いていたので、僕は路肩にバイクを止めて写真を撮った。
 そして再び走りだしたところで、道の向こうから2台のバイクが見えてきた。ジェベルとセロー。見間違えることはない、荒木夫妻だ!
 彼らは昨日スロバキアに入国したあと、この先の湖のほとりでキャンプしたという。そして「城」は見ずに、これから西に進むらしい。僕はこれからその「城」を見に東に進むので、ここですれ違うことになったのだ。
 黄色い花の道端で偶然の再会を喜んだ。そして僕たちはまた、お互いの方向に走り出した。地球規模で繰り返す集散、ライダーの喜びのひとつだ。
 あ、海外ライダーのみんなで地球規模のオニごっごをしたら楽しいかも。

 美しい田園風景の中を進んで行くと、城壁に囲まれた情緒のある町に着いた。ここはどこかいな?と思って調べると、レヴォチャというガイドブックにもちゃんと載っている町だった。ちょっと走り足りないとも思ったが、郊外にキャンプ場があったので、今日はそこにテントを張って行動の基点にした。

 まずは10キロほど東にある「城」である。
 丘の上にそびえる「スピシュスキー城」という中世の城の廃墟は、世界遺産にも登録されているスロバキアの最大級のみどころである。丘のふもとには古い城下町もあり、こっちも合わせて世界遺産になっている。

 ところで世界遺産、世界遺産って日本人は騒ぐが(僕も含めて)、これはやっぱりあのテレビ番組の影響だと思う。あの番組は実にドラマチックに各地の世界遺産を紹介しているので、「世界遺産=見て面白い」という方程式がなんとなく我々の頭の中にあるけど、実は世界遺産の中には見てつまらないものもある。文化的に意義あるものが、必ずしも観光に適するわけではないのだ。
 ちなみに僕の会った旅行者の中で、あの番組のテーマ曲をテープに入れ、それをウォークマンで聴きながら世界遺産をみるという人がいた。楽しいやり方だけど、逆にいえばそれくらいやらないと気分が盛り上がらない世界遺産もあるのだ。

 でも、このスピシュスキー城は音楽なしでも十分に満足できた。
 城は高い丘の上にあり、太陽の下、僕はふもとの駐車場から延々と登っていかなければならなかった。実は最近、ここを訪れたことのある松井史織からメールがあり、城の入口まで登る道路があるというのだが、僕はどうしてもその道が見つけられなかったのだ。
 息絶え絶え、汗まみれになって城に着くと、丘の下から見たときにはまったく人の気配がしなかったのに、土産物やレストランがあって観光客で溢れている。やっぱり丘の反対側にはちゃんと道があり、車やバスでみんな来ているのだ。
 しかし、ふもとの村から丘をぐるりと迂回しなければならないので、その道はみつけにくい。これは「地球の歩き方」の書き方がひどいと思う。「村のはずれの墓地から歩いて登りましょう」としか書いていないから・・・。

 でも後悔はしなかった。なぜなら日陰の道をバイクで登るより、日向の丘の斜面を、青空にそびえる城を見上げながらてくてく登ってくるほうがはるかに眺めが良かったからだ。城自体はすでに廃墟になっていて、見晴らしは素晴らしいが、やっぱり丘の下から見上げている方がカッコいい。シリアにあるクラック・デ・シェバリエ城が「天空の城ラピュタ」のモデルになったといわれるが、個人的にはこのスピシュスキー城の方がその雰囲気があると思った。
 城の内部には簡単な博物館があるが、これが素晴らしかった。何が素晴らしいって、堅牢な石造りの内部はとても涼しいのだ。え?展示はどうだったって?いいじゃん、そんな細かいこと。

 城を見終わったあとは丘を降りて城下町をバイクで回り、レヴォチャの旧市街に行った。教会にある祭壇が一見の価値があるそうだが、残念ながら見学時間が終わっていた。
 旧市街にある広場のまわりをぶらついてからレストランでピザを食べ、キャンプ場に戻った。

 キャンプ場の主人が親切な人で、本当は有料のキャンピングカー用の電源を、コンピューターは電力をあまり使わないからと無料で使わせてくれた。延長ケーブルを使ってテントまで電源を引いてきたのだが、疲れていてあまり日記ははかどらない。やっぱり中途半端にやるより、どこかで集中的に打った方が効率がいいようだ。 


本日の走行距離        245.9キロ(計71496キロ)

出費                   150Sk  キャンプ場
     70Sk 城と駐車場
     163Sk 飲食費
計    
383Sk (約1060円)
宿泊         レヴォチャの「Autocamping」