沈没したあとの出発一日目は、とにかくそこを出る、というのが目標になる。重い腰を上げるのにエネルギーを使うのに、そのうえ遠いゴールを設定してしまっては体が参ってしまう。
ドナウ川を挟んだブダペストの反対側に「子ども鉄道」の走るヤーノシュ山がある。そこにはキャンプ場もあるのだが、冗談で「今夜はそこに集合しましょう」とみんなで言うほど、気負わず、ゆっくり起きてから出発の準備に取りかかった。
結局、みんながバイクに荷物を載せ終えたのは昼過ぎだった。すでに太陽はテレザハウスの中庭に容赦なく照り付け、準備の終えた人からヘロヘロと日陰に逃げ込む。出発もしていないのに、もう汗をかいていた。
最後にバイクを5台並べて記念撮影をした。一緒に出発するといっても、3組とも最初の交差点から曲がる方向が違う。けんじ&ふみえカップルはルーマニア方面へ、僕と荒木夫妻はスロバキア方面だが、僕はハンガリー北部のホッローケーに寄るから道順が違う。
つまり、ここを出ればもうお別れなのだ。
走り出す段になって、ふみえさんの年代もののXLがグズついた。3週間近くかけていなかったエンジンがなかなか目覚めず、ふみえさんはテレザハウスの中庭を何往復もして押しがけしていた。ようやくかかったと思ってもまた止まってしまい、そのあともなかなか言う事を聞かないのだ。
けんじさんが先に行ってください、というので僕と荒木夫妻は走り出すことにした。けんじさんがついていれば大丈夫だろうし、XLも走り出せば安定するだろう。ふみえさんは予算の関係で20年近く前のモデルをドイツで買ったが、けんじさんのSRも世界を走り回って年季が入っているので、その点でもいいコンビかもしれない。
などと困っている本人が聞いたら怒りそうなことを考えながら、あとの3人はセルモーターで楽々とエンジンを始動し、中庭を後にした。
テレザハウスの近くにある、いつもの大きな交差点で荒木夫妻とも別れた。僕はラコツィ通りをひたすら西に進んでブダペストを抜けるのだ。
荒木/滝野沢夫妻、けんじさん&ふみえさん、2週間の間いろんな話が聞けて楽しかったです。中央アジアやアフリカの話を聞いて、僕もまだまだだな〜って思いました。また世界のどこかで会いましょう。その時まで、お気をつけて!
僕が選んだ道は交通量が多く、ブダペスト市街を抜けても流れは遅いままだった。信号で止まるたびにヘルメットのシールドを開けてやらないと、蒸れて曇ってしまうほど暑い。しかし、道端には小さな花が咲き乱れていてきれいだった。
早いもので、ヨーロッパで経験する2度目の夏だ。
ホッローケーまでは100キロ足らずだが、たっぷり2時間はかかってしまった。
ここはかつてモンゴル帝国から逃れてきたトルコ系の住民が独自のライフスタイルで生活を営んでいるという世界遺産の村である。彼らの伝統的な様式で建てられた町並みや、民族衣装なんかが見所らしい。
しかし、僕は暑さに参ってしまった。
平屋建てが並ぶ村には日光を遮るものがなく、歩いているうちに汗が滝のように出てくる。ライダーズジャケットを着たままだから仕方ないのだけど・・・。
他に訪れている観光客は老人が多く、家と家の間をゼンマイ仕掛けのおもちゃのようにヨロヨロと行き来していた。
白い壁の小さな家やその前で咲いている花々、木製のかわいらしい教会など、確かに一見に値するが、こう暑くっちゃたまらない。
僕は村を一回りしたあと、バイクを停めた駐車場に戻って売店で気の抜けたコーラを飲んでぐったりしてしまった。
ホッローケーからまっすぐ北に向かい、ややマイナーな国境からスロバキアに入国した。
ハンガリーの北隣、スロバキアはちょっと前からビザが要らなくなった。それまではどこかのスロバキア大使館に出向き、いくらかの金を払ってビザを取得する必要があり、面倒のわりには国は小さく、見所も少ないという噂から東欧まで足を運んでもスロバキアに行く旅行者は少数派だった。
しかし、今ではパスポートを見せるだけで簡単に入国できるのである。通らない手はない。
実際、越境は至極簡単だった。ハンガリー側のイミグレとスロバキア側のイミグレは隣接しており、ハンガリー側の係官はパスポートに出国のスタンプを押すと、そのままそれを隣のスロバキア側の係官に窓越しに手渡す。
最初、僕は二つの小屋ともハンガリー側のもので、スロバキア側の手続きはもう少し進んでからあると思ったのだが、いつのまにかパスポートにはスタンプが押され、スロバキアに入国していたのである。
入国してからすぐの村にATMがあったので、そこでスロバキアの通貨コルナを引き出した。
さらに50キロほど走り、Zvolenという町の入口にキャンプ場があったので今夜はそこで泊まる事にした。200キロちょっとしか走っていないのに、初日はやっぱり疲れるのだ。
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