旅の日記

ハンガリー編その7(2002年6月13〜19日)

2002年6月13日(木) なめんなよ!(Trouble with a motorcycle shop)

 注文したタイヤが届いているはずなので、今日はまず、この前の自転車/バイクタイヤ屋に行った。
 すると、ピカピカのトレールマックスが僕を待っていたのはいいのだが、リアが注文したのとは違うチューブレス用だった。チューブタイプの方の在庫がなく、僕に連絡のつけようも無かったから取り寄せたらしいが、チューブレス用ってビードが固くてパンク修理が一苦労なんだよな・・・。まあ、いいけど。
 前後とも換えてもらった方が楽なのだが、僕のバイクの場合、リアタイヤは持って12000キロだ。エストニアからまっすぐウラジオストクまで走って約10000キロと聞いているので、やっぱりロシアに入る直前に換えたい。交換はフロントだけにして、リアは重たいけど持っていくことにした。

 そして作業に取りかかってもらったのだが・・・目をちょっと離したすきに、店のおじさんはやってしまったのだ。
 フロントのシャフトはヘキサゴンボルトでロックされているのだが、けっこう固いので、ちゃんとした工具でやらないとナメてしまう。それを車載工具についてくるようなL字型のちゃちなレンチで力まかせにやったものだから、ボルトの穴を完全にナメてまん丸にしてしまったのだ。
 おじさんは英語がまったく話せない。その代わりに奥さん(らしき人)が話せるので、今までもずっと通訳をしてもらっていたのだが、「頼むよおじさん。その工具はひどいよ、プロ用じゃないよ」という文句もマジャール語に訳してもらった。するとおじさんは、しゅん、と小さくなっていた。

 近くにボルト専門のショップがあるので、そこで外してもらおうということになったが、まだ昼休み中だというので僕も昼食を食べに出た。
 そして戻ってみると、その間におじさんは何とか自力でボルトを外してタイヤも交換してくれていた。新しいボルトも入れてもらって元通りになったが、さっきはちょっとあせったぜ。海外のショップって店構えは立派でも作業が雑な場合があるから、やっぱり注意が必要なのだ。

 タイヤ交換で予想以上に時間がかかり、宿に帰るともう夕食を準備する時間になった。今日はカツ丼なのである。
 荒木さんはカツ丼にも目がない。アテネでも作ってもらったが、けんじさんたちも食べたいというので、みんなで作ることになったのだ。
 パン粉がないので古いパンを日に干してカラカラにし、それを丹念につぶして自分たちで作る。ブタ肉はカタマリでしか売ってくれなかったので、一人あたりステーキ並みの量となった。
 それを日本食屋で働いていたけんじさんに揚げてもらい、玉子でサッととじてアツアツのごはんにのせる。みんなで一斉に食べることができないから、できた順にお先に失礼して・・・ああ、やっぱりうまい!
 作るのに2時間くらい必要だったが、食べるのには5分もかからなかった。旅行中にここまでやるのって、やっぱり日本人くらいかな?


本日の走行距離          22キロ(計71030.7キロ)

出費                 20000Ft  タイヤ残金
     665Ft 飲食費
計    
20665Ft (約10330円)
宿泊         テレザハウス


2002年6月14日(金) 決勝トーナメント進出!(Watching Worldcup)

 14日はW杯日本代表の決勝トーナメント進出がかかった予選リーグ最終戦、対チュニジアの試合があった。
 ハンガリー時間では午前8時半に始まるのでみんなで早起きしたのだが、ヨーロッパでは同時に行われたロシア/ベルギー戦の方が注目されるみたいで、日本戦はその後に録画で放送された。ちなみにロシアだが、ベルギーにも負けてきれいさっぱり敗退してしまった。この方が中途半端に決勝トーナメントに進出するより良かったかもな・・・僕がロシアに行くころには、みんなワールドカップなど忘れているだろう。
  さて、日本対チュニジアだが、1点差なら負けても決勝進出という楽勝モードだったので、逆に大差で負けたら永遠に立ちあがれないな、と心配していた。そしたら、あらら見事!!チュニジアにも勝って1位で決勝トーナメントに進出しちゃったよ!・・・むむむ、また出発が延びそうだ。

 さて、試合もすごかったが、僕が驚いたのは試合前の国家斉唱だ。この前もそうだったけど、スタジアムを埋めた日本人の観客が声を大にして「君が代」を歌っているのである。これにはちょっと感動してしまった。
 「君が代」問題は複雑だ。天皇支配の世が続くように、という歌に古い世代や周辺国の人々は嫌悪を示すかもしれない。だけど一応、国歌ということになっているじゃないか。今までのように、スポーツの国際試合でも伴奏だけが流れてほとんどの人が歌わない、というのはどう考えてもヘンだ。
 僕は海外に出て、ますますそう感じるのだ。世界の大半の人々は経済状態とかに不満はあっても、自分の国や文化や国歌に誇りをもっている。国民の休日があれば国旗をフリフリするし、国歌の伴奏がかかれば声を上げて歌う。
 だけど日本だけは中途半端だった。僕は中学時代、担任の先生から学校の行事で「君が代」がかかっても歌うな、と言われた。僕はその先生が嫌いじゃなかったし、歌の内容が今の日本にそぐわないという彼の意見ももっともだと思ったから、その通りにした。僕のような経験を持つ人も多いだろう。
 「君が代」が国歌としてふさわしいかどうかは、確かに議論の余地があるかもしれない。だけど、そのあやふやさが若い世代のアイデンティティを下げているともいえないか?「君が代」を斉唱することが即,、かつてのような軍国主義につながるというのは乱暴な意見だと思うのだけど・・・。
 とにかく、僕は若い世代のサッカーファンが日本チームを誇りとし、一丸となって「君が代」を歌っている姿に感動したのだ。まあ、言いたいことはそういうことである。


本日の走行距離            0キロ(計71030.7キロ)

出費                    0Ft
計     0Ft
(0円)

宿泊         テレザハウス
インターネット Cyberbridge Internetcafe


2002年6月15〜17日(土〜月) 荒木さん受難(A motorcyclist in trouble)

 ちょっと前まで雨ばかりだと嘆いていたけど、このごろはみんな暑さで参っている。梅雨がないぶんヨーロッパはすでに夏本番。日中は30度を優に越す暑さなのだ。
 15日は掃除のおばちゃんが来てロックアウトとなったので、クーラーの効いたペスト側のショッピングセンターに避難した。出発したときからずっと履いているライディングシューズ(ラフ&ロードのゴアシューズ)がすでにボロボロで、昨年から修理を重ねてだましだまし使っていたのだけど、さすがに新しいのが欲しくなってきた。昨年秋にブダペストに来たとき、靴が安かった印象があるので最近探しているのだが、僕の思い違いだったようで、いい物はやはりそれなりの金額はする。やっぱり、このままこいつを履きつぶそう・・・。

 また、最近どういうわけかテレザハウスが急に繁盛してきた。
 本格的な観光シーズンに突入したのもあるが、ほんの2週間前までは閑古鳥が鳴いていたというのに、今では11あるベッドが全て埋まっているのである。賑やかなのはいいけど、ここまで混むとシャワーやトイレが大変だ。この宿は6〜8人ぐらいがちょうどいい。

 テレザハウスは完全な日本人宿ではないので、白人のバックパッカーも泊まりにくる。日曜日、若いアメリカ人の女の子が2人チェックインして宿の雰囲気が国際的&華やかになったが、彼女たちが来てすぐ、下駄箱周辺に妙なニオイが充満した。
 こ、このニオイは・・・そう、彼女たちの足が臭いのだ。それもそのはず、この炎天下にサラリーマンオヤジご用達、黒くて薄い化繊の靴下を履き、その上は皮のスニーカーである。そりゃ蒸れるだろう・・・。
 その後、その靴下がトイレの洗面台に放置されるという事件も発生し、ロックアウトのない穏やかなはずの日曜の午後は一時騒然となった。
 しかしテレザハウスに本当の激震が走ったのは、その次の日だった。アメリカ娘は足のニオイを別にすれば、良い人たちだったし・・・。

 月曜日の朝、インターネットに行って帰ってくると、一人の日本人男性がチェックインしていた。
 50歳前後でよく日焼けした、ゴルフと仕事の好きなサラリーマンといった感じの人だった。そして歳のわりにはエネルギッシュな印象のとおり、この人は本当によくしゃべる人だった。
 はじめは宿の情報ノートを見て、「すごい、すごいなあ。情報の宝庫だ、こりゃ。みんなマメに書くなあ、あっ、この人なんかすごい!」と一人で騒いでいたのだが、やがて弾丸トークの矛先を我々に向けるようになった。
 僕が日記を打とうとパソコンを開けば、横に来て延々と自分のパソコンや昨今のコンピュータ業界の話をする。そしてひとしきり自分の言いたいことを言い、ようやく去っていったかと思うと、今度は荒木さんやけんじさんを捕まえてしゃべり出す。この人、はじめだけは人の話を聞くのだが、その後は全部自分のことに持っていくのだ。
 「ホウ、バイオですか。なるほど初期型、ハードディスクの容量は?ははあ、なるほど。いやネ、実は私のパソコンというのは・・・(以下30分)」

 でも、こんなのは大した害じゃないのだ。オランダ人旧車マニアのオノやスイス人ライダーのマルセルのように、一方的にしゃべりまくる人というのは世界中に存在する。
 しかし!このおしゃべりおじさんは、実はおこりんぼ&お説教おじさんでもあったのだ。時が経つにつれてそれが明らかになってくるのだが、その被害を一番受ける運命にあったのが荒木さんだったのだ。

 テレザハウスの入口すぐには通路兼ベランダがあり、そこは洗濯物を干す場所にもなっている。僕がTシャツを取り込もうとそこに行くと、おじさんは物干しの前でぷりぷり怒っていた。
 「ひどい、ひどいよ。この洗濯物、あの体の大きいオートバイの人(荒木さん)のだろう?自分だけ良ければいいと思って、まったくもう!話した感じは良い人だったのに・・・」
 よく聞くと、おじさんが厚手のジャンパーを洗って干しておいたのに、荒木さんがそれを脇に寄せて自分の洗濯物を干したというのだ。確かにジャンパーの横には荒木さんの洗濯物があるが、ジャンパーはおじさんのいうように「グイッと脇に寄せられて」はいない。動かされたとしても、ほんのちょっとだ。それにこの陽気である。どんな干し方をしたってすぐに乾くだろう。

 おじさんは室内にいた荒木さんを捕まえてブーブー文句を言った。しかし、荒木さんも人の洗濯物をないがしろにするような人ではない。奥さんの優子さんに言わせると「顔は佐野史郎、話すとつぶやきシロー」だが、やんわりと、しかしはっきりとおじさんに反論。おじさんも「いや、じゃ、もしかしたら他の人かも・・・」と引き、表面上は何とか収まったように見えた。

 この一件で難しい人だとわかったので、僕たちはその後、なるべくそのおじさんと接点を持たないようにしていた。しかし、ずっと外出していた他の旅行者は帰ってすぐに捕まり、延々とトークに付き合わされていた。聞こえてきたその内容とは・・・
 「どこでサラリーマンやっても、人間関係が一番難しいってのは同じよ」(お前がややこしくしているんだろ!)
 「中期国債ファンドってのは結局・・・」(誰も海外にまで来て財テクの話なんか聞きたくねえよ!)
 「人ってのは、話してみなければ分からないよ、やっぱり」・・・「フランス代表のジタンってのは韓国との練習試合でケガしたんでしょ?韓国人ってのは気をつけないと、汚いことを平気でするからねえ」(おいおい、矛盾していないか?)

 その横で僕たちは平和裏にトランプをしていたが、夜12時近くになっておじさんがベッドに入ったので、さすがにお開きにした。
 その後は各自ベッドに戻って本を読んだりしていたが、一人しんみりとビールを飲んでいた荒木さんが「何時だと思っている!早く寝なさい!」と、またもやおじさんの怒りをかってしまった。さらにおじさんは部屋の隅でおとなしくトランプをしていたアメリカ娘も「ここは個室じゅないんだ!」と一喝、無理やり消灯させてテレザハウスのみんなを自分のおじさんペースに合わせようとした。ほっておいても午前1時にはみんな寝るし、若者中心のドミトリー宿としては健康的な方なのに・・・。
 口には出さないが、彼が「目上の者にもっと敬意を表しなさい」といいたいのは明らかだ。だけど、こんなところにまで日本のサラリーマン社会の価値観を持ち込まないで欲しい。そんなに自分のペースを大切にしたければ、自分が個室に泊まればいいじゃないか。

 おじさんは眠りに落ち、ようやくテレザハウスに平和が訪れたかと思ったら・・・今度はイビキがすごい!隣の部屋で寝ている僕まで目を覚ましたくらいだ。そして、その横で寝ていたのは他でもない荒木さんである。ああ荒木健一郎、受難の夜。
 その夜はみんな寝不足だった。そういえばさっき、「仕事は声の大きい方が勝つ!」とか言っていたけど、寝てまで大きくしてどうすんのよ。まったく、寝ても起きてもうるさい人なのだ!


3日間の走行距離           0キロ(計71030.7キロ)

出費                  3045Ft  飲食費
     212Ft 交通費
     190Ft 瞬間接着剤
     2090Ft 新しいマネーベルト
     1480Ft CD-Rディスク、ポジフィルム
     780Ft インターネット
計    
7797Ft (約3900円)
宿泊         テレザハウス
インターネット Cyberbridge Internetcafe


2002年6月18〜19日(火、水) 日本敗退(Japan loses in W-cup)

 18日、ハンガリー時間で朝、日本チームが敗退してしまった。
 残念だったけど、あまり悔しいとは思わなかった。雨でグラウンドのコンデションが悪かったかもしれないけど、日本チームの動きは予選リーグの時の精彩を明らかに欠いていた。トルコがきれいに一点を入れた。日本は入れられなかった。仕方のないことである。
 それに比べて、午後に見た韓国の逆転劇は見事だった。掃除のおばちゃんに閉め出され、僕は近くのバーで昼食を取りながら見ていたのだけど、後半終了間際の同点ゴール、そして延長のゴールデンゴール(日本ではVゴールというのだっけ?)をリアルタイムで見ることができた。主審が韓国びいきではなかったか、というクレームがイタリア側からあったそうだが、少なくても僕は見ている間はそんな感じはしなかった。韓国の選手は個人技でも光っていた。日本の分まで勝ち進んでほしいものだ。

 問題のおじさんは日本戦が終わったあと、「いやいや、お騒がせしました」と言い残して宿を去っていった。言葉だけを聞くと反省しているようだが、そんな殊勝な人ではない。そのあとに「とりあえず周辺国を見て、またブダペストに戻ります。そのときまたテレザハウスに来るかも」と続くのだ。
 彼がいなくなって再び静寂が訪れたが、いつ帰ってくるとも限らないし、日本代表も負けたし、そろそろ潮時である。ブダペストを後にしよう。

 本当はその翌日、19日に出る予定だったのだが、ライダーたちの足並みが揃わなかった。
 やっぱり5人もライダーがいると、みんなで記念撮影をしてから一斉に走り出したい。荒木組、けんじ組ともブダペストでの用事を済ませており、日本対トルコ戦が最後のイベントだった。その次の19日にみんなで出よう、ということになっていたのだが、18日の夜になってもみんなゆっくりとしていて、明朝に出発という緊張感がない。
 結局、酒を飲みながら「やっぱり明後日にしますか」と話がまとまり、出発は延期となった。いいぞ、俺はこういうのって何か好きだ。
 一人で出発することももちろん可能だが、僕がいなくなったあと、みんなで楽しく酒を飲んでいるんだろうなあと考えると、寂しがりやの僕は耐えられないのだ。

 そんなわけで6月20日が正真正銘のブダペスト最終日となった。一日伸びた分で温泉でも行こうか、はたまた映画でも行こうかと考えていたが、この日もうだるような暑さで何もする気がおきない。ロックアウトもなかったので、結局宿で最後のメールを打ったり、近所のスーパーで今後のキャンプ生活のための買物をするうちに一日が終わってしまった。
 だけど、この一日で心の準備もしっかりとついた。長い間日本人宿にいると、重い腰をあげるのに心の準備が必要になる。今回は特に長居していないけど、ここを出るともう日本人の集まる宿はない。ヘタをすると、僕はロシアを抜けて日本に帰るまで日本語を話さないかもしれないのだ。
 海外にいるのだから当たり前といえば当たり前なんだけど、僕がこの旅で一番長く日本語を話さなかった期間って・・・よく調べたら去年の夏、2ヵ月というのがあった。しかも、ポーランドのアウシュビッツで小梅さんたちと出会って数時間一緒にいたというのを挟み、その後ふたたび丸一ヵ月間、日本人とは会っていない。
 なんだカズヒロ、やればできるじゃないか。


2日間の走行距離           0キロ(計71030.7キロ)

出費                  3263Ft  飲食費
     14000Ft 14日分の宿泊費
     299Ft まな板
     640Ft インターネット
計    
18202Ft (約9100円)
宿泊         テレザハウス
インターネット Cyberbridge Internetcafe