6日の朝、テントから顔を出すと鉛色の雲が頭上を覆っていた。雨が降らないうちに急いで荷物をまとめ、ハンガリーとの国境まで走った。
僕のパスポートにはハンガリーの入国/出国スタンプが山ほど押されているので怪しまれるかもしれないと思っていたが、入国の手続きはまったく問題なかった。しかし、越境している間にとうとう雨粒が落ちてきた。毎日毎日、これじゃ日本の梅雨だよ。
ハンガリー南部に広がる平原をトコトコと走り、午後1時ごろ古巣のブダペストに到着する。目指したのはもちろん「テレザハウス」。ブダペストに4軒ある日本人宿のうち、唯一バイクが置ける宿だ。
テレザハウスには「魔のロックアウト」があり、掃除のおばちゃんが仕事をする午後1〜4時の間、宿泊者は外出しなければならない。観光に忙しいまじめな旅行者ならいいが、宿でグータラしたい向きにはちょっと辛いルールである。できればロックアウトの時間が終わる頃に着きたかったのだが、雨でハンガリーの平原を楽しむことができず、走りつづけているうちに予想外に早く着いてしまったのだ。
まあ、荷物だけでも置かせてもらおうとテレザハウスが入っているマンションの入口をくぐると・・・おお!駐車場になっている中庭の隅に、赤いヤマハSR400とホンダXL250Rが停まっている!やっぱり彼らは来ていたのだ!
彼らとは、僕が昨年ドイツで会った村田けんじさんと、彼女のふみえさんだ。
僕はこの旅の中で数え切れないほどの旅人と出会ったが、中でもけんじさんは最も強烈な一人だ。僕より年下だけど日本を出てもう丸7年、オンロードバイクのSRでアンデスのダートもサハラの砂丘もコンゴ(!)のジャングルも走り、「なんとかなるでしょう」が口癖で、その言葉どおり無理と思われることを自分の力で切り開いてきた快男児だ。
僕が昨年ドイツで会ったときにはさらなる旅のための資金づくりをしていたけれど、今春、日本から来た彼女のふみえさんと一緒に旅を再開、これからユーラシアを横断して日本まで帰るのだ。最近メールのやりとりをして、一応テレザハウスで再会しましょう、ということになっていた。
ふみえさんに会うのは初めてだったけど・・・まいった!えらいべっぴんさんじゃないか!やっぱりいい男はいい女とくっつくのだ。俺も今からいい男になれるかな?
再会してすぐに彼らはテレザハウスの窮状を訴えた。
テレザハウスはかつてテレザという名物おばちゃんが切り盛りしていたが、昨年のはじめに急逝してしまい、今ではその息子ナジムが主人ということになっている。ただし彼はまだ二十歳過ぎと若く、母親の死が引金となって宿の経営よりもハッパを吸う方に身を入れている。
しかし酒が飲めないからハッパで寂しさを紛らわせるのであり、吸うといってもその臭い以外に宿泊者には迷惑を一切かけない。だから僕は大目に見てあげたいのだけど、「オーナーがジャンキー」という噂はすっかり広まってしまい、日本人旅行者は「ヘレナ」や「マリア」など他の宿に流れてしまっている。
おまけに今年はじめから値上げを断行、客足はますます遠のいていた。最近けんじさんたちが「このままじゃ誰も来なくなるぞ」とナジムを説得、料金設定は僕がいた時と同じ水準まで戻したが、それでも現在の宿泊者はけんじさんたちの他にバックパッカーが一人。依然として風前の灯火なのだ。
ただし、そのバックパッカーとは僕がシリアで会ったタケシ君だった。思いがけず2ヵ月ぶりの再会となった。
さらに、けんじさんによると荒木/滝野沢夫妻がこっちに向かっているという。そういえばこの間、ブルガリアにいるとメールがあったっけ・・・。
彼らは僕がギリシャで会ったライダー夫婦で、特に奥さんの滝野沢優子さんは説明の必要がないほどライダーの間では有名な人だ。
彼らが来れば寂しいテレザハウスが盛り上がるばかりでなく、ライダーが5人集結するという珍しい事態となる。さて、いつ到着するのだろうか?
と思ったら、次の日にあっさりと来た。
雨の中をインターネットカフェに行こうとしたら、向こうから日本人のカップルが手を振りながら歩いてきた。それが荒木夫妻だった。とりあえず見つけた「ヘレナ」にバイクを置き、テレザハウスを歩いて探しに来たのだ。
これでテレザハウスの中庭にはバイクが5台並び、ライダーたちの奇妙な共同生活が始まることになった。
けんじさんたちと荒木夫妻は初対面だった。早速その夜から情報交換が始まり、アフリカや中央アジアなどのコアな話題が出た。それを聞いていた僕も、今まで考えもしなかった中央アジアを意識してしまう。行きたいな、行っちゃおうかな、でもカルネが切れるな、などと一人で悩む僕だった。
次の8日も雨で、結局この3日間は日記を打って過ごした。しかし日本人宿ってついつい話をしてしまうから、なかなかはかどらないのだ。
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