旅の日記

ハンガリー編その6(2002年6月6〜12日)

2002年6月6〜8日(木〜土) ライダー集結!(5 riders in a hostel)

 6日の朝、テントから顔を出すと鉛色の雲が頭上を覆っていた。雨が降らないうちに急いで荷物をまとめ、ハンガリーとの国境まで走った。
 僕のパスポートにはハンガリーの入国/出国スタンプが山ほど押されているので怪しまれるかもしれないと思っていたが、入国の手続きはまったく問題なかった。しかし、越境している間にとうとう雨粒が落ちてきた。毎日毎日、これじゃ日本の梅雨だよ。

 ハンガリー南部に広がる平原をトコトコと走り、午後1時ごろ古巣のブダペストに到着する。目指したのはもちろん「テレザハウス」。ブダペストに4軒ある日本人宿のうち、唯一バイクが置ける宿だ。
 テレザハウスには「魔のロックアウト」があり、掃除のおばちゃんが仕事をする午後1〜4時の間、宿泊者は外出しなければならない。観光に忙しいまじめな旅行者ならいいが、宿でグータラしたい向きにはちょっと辛いルールである。できればロックアウトの時間が終わる頃に着きたかったのだが、雨でハンガリーの平原を楽しむことができず、走りつづけているうちに予想外に早く着いてしまったのだ。

 まあ、荷物だけでも置かせてもらおうとテレザハウスが入っているマンションの入口をくぐると・・・おお!駐車場になっている中庭の隅に、赤いヤマハSR400とホンダXL250Rが停まっている!やっぱり彼らは来ていたのだ!

 彼らとは、僕が昨年ドイツで会った村田けんじさんと、彼女のふみえさんだ。
 僕はこの旅の中で数え切れないほどの旅人と出会ったが、中でもけんじさんは最も強烈な一人だ。僕より年下だけど日本を出てもう丸7年、オンロードバイクのSRでアンデスのダートもサハラの砂丘もコンゴ(!)のジャングルも走り、「なんとかなるでしょう」が口癖で、その言葉どおり無理と思われることを自分の力で切り開いてきた快男児だ。
 僕が昨年ドイツで会ったときにはさらなる旅のための資金づくりをしていたけれど、今春、日本から来た彼女のふみえさんと一緒に旅を再開、これからユーラシアを横断して日本まで帰るのだ。最近メールのやりとりをして、一応テレザハウスで再会しましょう、ということになっていた。
 ふみえさんに会うのは初めてだったけど・・・まいった!えらいべっぴんさんじゃないか!やっぱりいい男はいい女とくっつくのだ。俺も今からいい男になれるかな?

 再会してすぐに彼らはテレザハウスの窮状を訴えた。
 テレザハウスはかつてテレザという名物おばちゃんが切り盛りしていたが、昨年のはじめに急逝してしまい、今ではその息子ナジムが主人ということになっている。ただし彼はまだ二十歳過ぎと若く、母親の死が引金となって宿の経営よりもハッパを吸う方に身を入れている。
 しかし酒が飲めないからハッパで寂しさを紛らわせるのであり、吸うといってもその臭い以外に宿泊者には迷惑を一切かけない。だから僕は大目に見てあげたいのだけど、「オーナーがジャンキー」という噂はすっかり広まってしまい、日本人旅行者は「ヘレナ」や「マリア」など他の宿に流れてしまっている。
 おまけに今年はじめから値上げを断行、客足はますます遠のいていた。最近けんじさんたちが「このままじゃ誰も来なくなるぞ」とナジムを説得、料金設定は僕がいた時と同じ水準まで戻したが、それでも現在の宿泊者はけんじさんたちの他にバックパッカーが一人。依然として風前の灯火なのだ。
 ただし、そのバックパッカーとは僕がシリアで会ったタケシ君だった。思いがけず2ヵ月ぶりの再会となった。

 さらに、けんじさんによると荒木/滝野沢夫妻がこっちに向かっているという。そういえばこの間、ブルガリアにいるとメールがあったっけ・・・。
 彼らは僕がギリシャで会ったライダー夫婦で、特に奥さんの滝野沢優子さんは説明の必要がないほどライダーの間では有名な人だ。
 彼らが来れば寂しいテレザハウスが盛り上がるばかりでなく、ライダーが5人集結するという珍しい事態となる。さて、いつ到着するのだろうか?

 と思ったら、次の日にあっさりと来た。
 雨の中をインターネットカフェに行こうとしたら、向こうから日本人のカップルが手を振りながら歩いてきた。それが荒木夫妻だった。とりあえず見つけた「ヘレナ」にバイクを置き、テレザハウスを歩いて探しに来たのだ。
 これでテレザハウスの中庭にはバイクが5台並び、ライダーたちの奇妙な共同生活が始まることになった。

 けんじさんたちと荒木夫妻は初対面だった。早速その夜から情報交換が始まり、アフリカや中央アジアなどのコアな話題が出た。それを聞いていた僕も、今まで考えもしなかった中央アジアを意識してしまう。行きたいな、行っちゃおうかな、でもカルネが切れるな、などと一人で悩む僕だった。
 次の8日も雨で、結局この3日間は日記を打って過ごした。しかし日本人宿ってついつい話をしてしまうから、なかなかはかどらないのだ。


3日間の走行距離       342.6キロ(計71008.7キロ)

出費                 1280Din  ガソリン代金
     165Din ハンバーガー
     5E 高速代
     20Din 公衆トイレ
     5209Ft 飲食費
     2100Ft インターネット(回数券)
計     1465Din
(約2700円)

     5E (約550円)
     7309Ft (1ドル=約250フォリント、約3510円)
宿泊         テレザハウス
インターネット Cyberbridge Internetcafe


2002年6月9日(日) 万歳!だけど!(Riots in Moscow)

 「魔のロックアウト」も今日ばかりは免除してもらった。なにせ今日はW杯日本代表の予選第2試合、みんなで応援しなければならないのだ。
 午後1時からTVの前で構え、みんなでキックオフを見守った。今日の対戦相手はロシア。インターネットのニュースによると、トルシエ監督は「とにかく負けないことが大事だ」と言っていたそうだが・・・うおお!今日も日本が押しているじゃないか!
 そしてイナモトのシュートが決まった!やったやった勝った勝った!日本チームの記念すべきW杯初勝利、決勝リーグに向けて大きな前進をしたのだ!

 しかし、僕は喜んでばかりいられない。僕はこれからロシアに行くのだ!
 これでロシア人の反日感情が高まったんじゃないか?と思って夕方にインターネットをやりに行ったら・・・ぐええ、予想以上に大変なことになっている。モスクワの広場で試合を見ていたファンが大暴れ、車は燃やすわ日本料理屋は破壊するわ、死者も出る騒ぎとなった。一部の報道によると極右のスキンヘッズが人々を扇動していたという。
 日本に負けたからといって決勝リーグ進出の道が閉ざされたわけではないのだ。それなのにこんなに暴れるなんて・・・ロシア人、なんて単純なんだ!これがかつて世界を2分した国の姿か?
 日本もロシアも、今度の6月14日金曜日の試合で運命が決まる。願わくば両チームで仲良く決勝リーグに進んでもらいたいけど・・・。


本日の走行距離            0キロ(計71008.7キロ)

出費                   340Ft  飲食費
計     340Ft
(約170円)

宿泊         テレザハウス
インターネット Cyberbridge Internetcafe


2002年6月10〜12日(月〜水) 荒木夫妻と一緒(Buying tires)

 この3日間は荒木/滝野沢夫妻とずっと行動を共にしていた。
 10日、また雨が降っていたが、宿でいつまでもダラダラしていてもしようがないので、インターネットでみつけたバイク屋まで歩いて行ってみることにした。僕は前後のタイヤ、滝野沢さんはドライブチェーンが必要なのだ。
 カワサキの正規ディーラーというその店は、ある通りの136番に位置している。その通りは宿からそう遠くないので歩いていけると踏んだのだが、実は東西に非常に長い通りで、僕らは40番台から歩き始めたのだが、1時間たっても100番台にもいかない。郊外に行くにつれて建物の間隔が広まり、大きな公園なんかもあって全然番号が進まないのだ。
 結局目的のバイク屋まで行きつけなかったが、途中にあった自転車屋がバイクのタイヤも扱っているというので取り寄せてもらうことにした。選んだのはダンロップのトレールマックス。マルチパーパスのバイクに標準装備されている何の変哲もないタイヤだが、僕の経験からいうと安くて長持ちする。次の一本でロシアを走りきりたいので、どこの馬の骨かわからないようなタイヤは履きたくないのだ。

 滝野沢さんはまた晴れた日にバイクで出なおすといった。僕たちは地下鉄に乗って引き返し、帰りに「ももたろうラーメン」に寄った。日本風のラーメンではないが、さっぱりとした塩味のおいしい中華麺である。
 日本語の情報誌がテーブルに置いてあったので何気なく手にすると、そのラーメン屋がスタッフを募集していると載っていた。宿に帰ってその話をしたらタケシ君が興味を示し、後日、面接を受けてそのまま就職してしまった。ラーメン屋というよりは同系列の旅行代理店や土産物屋の仕事がメインだそうだが、海外で働く機会なんてなかなか無いので良い経験になるだろう。

 僕なんか海外で働くことに二の足を踏んでしまう方だけど、人によっては当たり前のように働き口を見つけて旅行資金を作ってしまう。例えばけんじさんがそうである。日本を出たときの旅行資金は200万円に満たなかったけど、各地で働きながら7年も旅を続けているのだ。そのバイタリティがあるからオンロードバイクで道無き道を進めるのだろう。

 翌11日から一転して好天となった。日本の食材を仕入れにドナウ川を挟んだ反対側、ペスト側にある「うさぎや」に行く。食材だけでなくビデオレンタルや喫茶/軽食コーナーもあり、そこで日本語の雑誌や漫画を読むことができるのだ。
 食事をすると高くつくのだが、メニューを見たらやっぱり食べたくなる。結局荒木さんたちと3人でカレーライスを食べ、池上遼太郎(だっけ?)の「サンクチュアリ」を読んだ。
 食事の後に買物をしたが、日本の食材はやはり高く、僕は大人しく醤油とだしの素だけに留めた。荒木さんは納豆に目がなく、それが目的で来たようなものだが、3個パックで1300フォリント(約650円)という価格に葛藤を覚えていた。悩んだ末にやっぱり買っていたけれど・・・。
 しかし僕の方もレジで精算する際、脇にあった図書コーナーで馳星周の「鎮魂歌 不夜城U」の文庫本を発見、1000フォリントで買ってしまう。やっぱり日本人は日本食や日本語の活字に弱いなあ・・・。

 12日も晴れていたので、僕たちはセーチェニ温泉に行った。ブダペストに数ある温泉の中でも最大規模で、そして健全なところである(ブダペストには同性愛者の社交場と化している温泉もある)。屋外にも温泉プールがあり、今日のような青空の下でゆっくりと浸かっているのは大変に気持ちがいいのだ。
 湯の中で、僕はずっとこれからのルートのことを考えていた。考えてもいなかった中央アジアのルート、聞けば聞くほど行きたくなるが、ロシアから中央アジアを経てイランからパキスタン、インドに抜けるとなると、イラン以降のビザをトルコに戻って取ってこなければならない。また、逆にイランから北上して中央アジアを抜けてシベリアとなると、今度はロシアのビザをバルトで取ってこなければならないのだ。

  さらに、僕のバイクのカルネは7月末で切れてしまう。ロシアはカルネ無しでも問題ないけど、イランやパキスタン、インドは税関の目が非常に厳しい。トルコかイランで延長の手続きが取れるというけど、最大で3ヵ月、しかも認められない場合もあるという。認められなければその場で旅は終わり、7月末なんてあと2ヵ月もないのだ。ああ、こんなことならイスタンブールでやっておくんだった!
 どう考えても無理がある。やはり予定通り、まっすぐロシアを横断して日本に帰ろう。本当はインドにも行きたいのだけど・・・それはまた別に考えよう!
 実はマイレージが溜まっているから、日本に帰ってからでもタダで行けるんだよな・・・。ロイヤルエンフィールド(インド産のバイク)でも買って旅するかな!?


3日間の走行距離           0キロ(計71008.7キロ)

出費                  7258Ft  飲食費
     500Ft 交通費
     329Ft ひげそり
     20000Ft タイヤの前金
     1000Ft 文庫本
計    
29087Ft (約14540円)
宿泊         テレザハウス
インターネット Cyberbridge Internetcafe