旅の日記

ブルガリア編その2、ユーゴ編(2002年6月4〜5日)

2002年6月4日(火) リラの僧院とソフィア("Monastery of Rila" and Sofia)

 朝食を食べたあと、部屋に荷物を置いたまま、目の前にあるリラの僧院を見に行った。
 僧院は上から見ると4角形をしている。僧侶のための房が並んだ4階建ての建物が中庭を囲み、その中庭には僧院の中心となる「聖母誕生教会」が建っている。いずれも朱と白の縞に塗られており、ちょっと不謹慎な言い方だが高原のホテルのようでもある。かといって決して軽薄ではなく、「僧院」と聞いて連想するような陰鬱な感じもなく、その中間でいい感じなのである。
 とりあえずまわりの建物の上まで階段であがり、緑の山々をバックにした僧院全体の風景を楽しんだあと、中庭に降りて教会に行ってみた。

 「聖母誕生教会」の内外は見事なイコン画で装飾されており、天井や壁は鮮やかな色で描かれた聖母マリアやキリストの物語でいっぱいだ。ブルガリア正教も他の正教(ギリシャやルーマニアなど)と同様、立体の像を禁止しているので、教会を彩るのはもっぱらこのようなイコン画なのだ。
 今までイコン画というと、どこかディフォルメされたような、ちょっと手を抜いたような感じがしていたが、ここのイコン画は違う。19世紀の火災でもとの教会が焼け落ちたあと、新しい教会に当時の絵描きが無償で描き上げたらしいが、非常に手が込んでいて世界遺産の名に恥じない美しさである。
 しかも僧院の見学は無料なのだ。なんて良心的なのだろう!(ちなみに15ドルくらい出せば、僧院内の房に泊まることも可能らしい)

 最後に僧院内にある、ちょっとした博物館に入った。ここだけ有料だが、それでも200円もしない。
 ここには古い聖書や美しい装飾の施された十字架なんかが展示されているが、一番の見物は「ラファエロの十字架」だ。高さ50センチの木製の十字架の表面に、まるで米粒に文字を書くような感覚で1500人もの人物の姿が彫り込まれているのだ。ラファエロという僧侶が12年かけて彫り上げたそうだが、完成したときにはすっかり視力が衰えていたという。そりゃ凝りすぎだろう!

 2時間もかからないで僧院の見学は終わった。部屋に戻って荷物をまとめ、ソフィアに向かって走り出したのは午前11時くらいだった。
 リラの僧院がある山の方は雨が降っていたが、午後早くにソフィアに着くと、そこでは青空が広がっていた。昨日、曇天の下で遠目で見たときには醜い街だと思ったが、中心地に入ると意外と趣きがある。ニセ警官や東洋人いじめが大好きなスキンヘッズ(またの名をネオ・ナチ)の噂ばかり聞いていたので、ソフィアなんかルーマニアのブカレストのような雰囲気かと思っていたが、けっこう色気のあるところじゃないか。旧共産党本部のビルも、ブカレストのものと比べるとはるかに愛嬌がある。

 首都ソフィアは人口120万人の大都会である。しかし、ごり君がていねいに行き方を教えてくれたおかげで、目指す「ホテル・ビキ」はすぐに見つかった。この間、ギリシャで一緒だった荒木/滝野沢夫妻からもメールをいただいて、この宿ならバイクも置けると聞いていたのだ。
 ホテルといっても名ばかりで、日本でいう民宿、こっちでいうプライベート・ルームなのだが、ビキおばちゃんと旦那さんはなかなか親切な人たちだった。日本人バックパッカーが多く利用するそうなのだが、なぜか今はチュニジアからの出稼ぎ労働者予備軍(仕事を探している最中らしい)の若者たちが10人以上も泊まっており、ほぼ彼らの貸し切り状態になっていた。

 みんなでテレビを食い入るように見ているので、何かとのぞき込んだら・・・うおおお!ベルギーを相手にした、W杯日本代表の初戦じゃないか!!
 すぐに市内観光に出る予定だったが、これが応援せずにいられるだろうか。しばらく見ていると、日本のイナモトが素晴らしいシュートを決めた。ぐおおおお!すげえすげえ!やるじゃないかニッポン!おいみんな、何を落ち着いているんだ、ニッポンがゴールを決めたのだぞ!と一人で盛り上がり、隣のチュニジア人の背中をバンバン叩いたが、よくみたらリプレイの映像だった・・・どおりでみんな静かだと思った。ちょっと恥ずかしい・・・。
 強敵ベルギーに勝てると思ったが、結局同点にされて試合は終わった。それでも日本代表チームの実績を考えたら上出来じゃないか。チュニジア人も日本チームを誉めていたぞ。

 その後で街に出てみた。ソフィアのメインストリートにはきれいなショッピングセンターなんかもあって、ブカレストのようなすさんだ雰囲気はなかった。ブルガリアというとついついルーマニアとセットにして考えてしまうが、今までの感じだとブルガリアの方が小奇麗に思える。
 ただし、ソフィアにはガツンと来る名所がない。バルカン半島で最大だというアレクサンダル・ネフスキー寺院や、古い半地下の教会も確かにきれいだが、ブカレストの「国民の館」のような目玉がないのだ。
 「国民の館」は今までの旅の中でも、バカげたモノとしてはトップクラスだと思う。美しさとか存在意義とか全く関係なく、ただ「アホだな〜!」と思うだけなのだが、与える印象は極めて強烈なのである。あれはあれで、独裁者のわがままの象徴として世界遺産にすべきだと思うのだが・・・。

 帰りにスーパーに寄って、夕食用の生ハムと赤ワインを買った。生ハムは日本人が好むような脂身が混じっている方がはるかに安いし、ブルガリアは世界でも有数のワイン産地だから、一番安いボトルでもちゃんと自己主張のある、しっかりとした味なのだ。この旅ですっかり赤ワイン党になったが、こっちで普段200円とか300円とかで買っているモノは、日本だといくらくらいするのだろうか?


本日の走行距離          119キロ(計70129.8キロ)

出費                     3Lv  僧院の博物館
     11.85Lv 飲食費
     3Lv ソフィアの地下教会
     10Lv 宿代
計     27.85Lv
(約1590円)

宿泊         ホテル・ビキ


2002年6月5日(水) ユーゴスラビアを走る(Riding Yugoslavia)

 昨夜はよく眠れなかった。ホテル・ビキはドミトリー形式の宿だが、同室のチュニジア人の寝言が激しかったのだ。常に「あー」とか「うー」とかいう声を出していて、たまに「ふぇー!」などと叫んだりする。まったく、たまったものではない。
 朝方になってようやく静かになったと思ったら、今度は7時前、いきなり警察官に起こされた。なんだなんだ、なんで警察がいるんだ?と思ったら、どうやら一斉パスポートチェックらしい。アラブ系の若者が十数人まとまって宿泊しているので、まわりの住民が不審に思って通報したのだろうか?
 日本のパスポートで入国したばかりの僕は問題なかったけど、チュニジア人の若者の中にはオーバーステイしている人もいて、24時間以内の国外退去を命じられていた。ちょっと可愛そうだな・・・。
 おかげで早起きしてしまった。今日はユーゴスラビアに入国してガンガン走らなければならないので、そのまま支度をして宿を出た。

 ユーゴスラビアとの国境まで約60キロ走った。最後のガソリンスタンドでガソリンを満タンにしてから、いざ越境に挑む。
 ご存知の通りユーゴスラビアはちょっと前まで内戦をやっていて、それに伴ってNATO軍から空爆も受けて、国内はだいぶ荒れていた。ここ数年で自由に旅行できるようになり、最近では問題のコソボ自治州も行けるようになったのだが、僕の持っている「地球の歩き方」によるとまだ外国人をスパイ視する向きがあるという。

 ブルガリア側の出国手続きをすませ、やや緊張の面持ちでユーゴスラビア側に行くと・・・歓迎されてしまった。
 ユーゴスラビアの役人はカタコトだけど英語が話せて、保険の入り方などていねいに教えてくれた。なんだ、ぜんぜん簡単じゃないか、と思ったら、両替で面倒なことになった。僕はユーゴ側にATMがないと思い、ブルガリアの通貨レバから両替をしようと昨日ソフィアで多めに引き出していたのだが、銀行がそれを受けとってくれないのだ。ユーゴの通貨ディナールからレバへは替えられるのに、その逆は不可。ディナールを得るためにはユーロやドルなどから替えなければならないというのだ。
 ドルの現金はもっているけど、今後のことを考えるとなるべく取っておきたい。それに大量にあまったレバを何とかしないと、この先持っていてもますます両替が難しくなるだけだ。
 ブルガリア側へ戻ろうとしたが国境で追い返され、結局これからブルガリアに行くというユーゴ人のおばちゃんの集団を捕まえて両替してもらった。彼女たちがいなかったら、ちょっと困っていただろう。

 替えてもらったユーロを使い、噂通り50ユーロというバカ高い自動車保険に加入する。一ヵ月有効らしいが、そんなには要らないのだ。1週間でいいからもっと安くしてほしい・・・。
 両替でてこずったけど、思ったより簡単に国境は越えられた。このとき僕は外貨をいくら持っているか税関で申告しなかったが、後で聞いたらやっておいた方がいいらしい。確かにロンリープラネットにはそのようなことが書いてあるけど、ユーゴに行った人たちはそんなこと言っていなかったから大丈夫だろうと思っていたのだ。しかしごく最近、入国の際に外貨申告をせず、出国するときに3000ドルの現金を没収された日本人男性がいたらしいのだ。ユーゴスラビアは今でも外貨の持ち出しには神経質らしい。

 何はともあれユーゴスラビアに入国、一路ベオグラードを目指す。
 ユーゴの田舎は非常にのどかだった。この国で内戦やナチスまがいの蛮行が行われていたとはとても思えない。途中から高速道路に乗ったが、よく整備されていて、平均的日本人がユーゴと聞いて抱くイメージとはうらはらの雰囲気に拍子抜けしてしまった。
 午後4時ごろにベオグラードに到着。激しい空爆のあった首都だが、中心地はモダンでピカピカだった。これに比べればサラエボの方がよっぽど傷跡が残っていた気がする。郊外には確かにスラムがあったけれど・・・。
 ロンリープラネットに載っていたキャンプ場を探すがなかなか見つからず、また僕の悪い癖が出て、さらに北上することにしてしまった。本当は誤爆された(とアメリカが主張する)中国大使館を見たかったのだけど、ほかに大きな見所も無さそうだし・・・まあいいか。

 引き続き80キロほど走り、ノビ・サドという町に着いた。ドナウ川のほとりにある古い町である。
 ロンリープラネットによると、ここにも大きなキャンプ場があるという。町の人に訪ねながらその場所を見つけるが、そこは自然公園と小じゃれたロッジになっており、フロントでキャンプ場のことを訪ねると「ここがキャンプ場だったのは5年も前だ」と鼻で笑われた。ロッジは一泊28ユーロ(約3000円)もするという。そんなん泊まれるか!

 結局、町が見下ろせる高台にちょっとした空き地があったので、そこで野宿することにした。そこからドナウ川の方に目をやると・・・うお!片側3車線の大きな橋が川に落ちているじゃないか!これも戦争の傷跡かな、やっぱり。
 むやみに空き地なんかに入っていくと地雷なんかが埋まっているんじゃないか、とも思ったが、ボスニアはともかくユーゴじゃ地雷の話はあんまり聞かないし、普段人が来ている形跡もあるので大丈夫だと判断した。

 空き地は道路の近くにあり、乗用車の窓からは見られないが、トラックやバスなど車高の高い車からは丸見えである。僕の真っ黄色のテントは目立つので、暗くなってから張ろうと思っていたが、最近日が長いので9時になってもまだ明るい。途中から待つのも面倒くさくなってしまって、見られてもいいや、と開き直ってテントを広げた。
 暗くなってから夜景を見にカップルが来たり、野良犬が来てテントの外で吠えていたが、久しぶりの野宿も特に問題はなかった。ロシア、とくにシベリアの方は野宿ばかりになるだろうから、今から慣れておかないと。


本日の走行距離        536.3キロ(計70666.1キロ)

出費                    20Lv  ガソリン代
     50E 保険代
     5E 高速代
     250Din 飲食費
計     20Lv
(約1140円)

     55E (1ユーロ=約110円、約6050円)
     250Din (1ドル=約65ディナール、約460円)
宿泊         そこらへんの空き地