旅の日記

ブルガリア編(2002年6月1〜3日)

2002年6月1日(土) ブルガリアに入国する(Entering Bulgaria)

 目が覚めたときには空は鉛色だったが、朝食を食べているうちに高気圧が雲を押しのけてくれた。あとに広がったのは久しぶりの抜けるような青空。今日こそ出発だ。
 昨日の今日なので恥ずかしいが、午前8時半、またみんなに見送られてコンヤペンションを後にした。

 国際空港を回り込んでイスタンブールを後にし、あとはブルガリアを目指して牧草地の中の国道を東北に進む。すり減ってきたリアタイヤを少なくてもブダペストまで持たせなければならないのと、ガソリンがもったいないのとで、時速は90キロ程度に押さえた。
 トルコというのは世界に見てもガソリンが高く、リッターあたり140円くらいする。高税率のためだが、それにしたって他の物価に比べるとべらぼうな数字だ。トルコでは140円もあればレストランでスープとパンが頼めるし、チャイハネ(喫茶店)に入ればチャイが5杯は飲める。国土も決して小さくはないので、車が生活に必要な人は大変だろう。

 昼過ぎに国境に到着。残ったトルコリラで昼食を食べたから越境した。
 そしてブリガリアに入ったとたん、うらぶれた感じになった。道路の舗装は荒れ、特産品や免税品でも売っていたのだろうか、路肩には商店の廃墟が並んでいた。しばらく進むとルーマニアにもあった、共産主義と環境汚染のシンボルのような巨大な工場群も見えてきた。
 しかし人里を離れると、見事な田園風景が広がった。トルコ側より丘や緑が多く、鮮やかな紫色のりんどうのような花が咲き乱れていた。ブルガリアの丘陵地帯は天候の変化が激しいみたいで、頭上は青空でも、ちょっと向こうには黒い雲がかかって雨のベールがおり、稲妻が光っていたりする。カザンラクまでの200キロで久しぶりに自然の荘厳さを感じた。

 さて、ブルガリア中部には「バラの谷」と呼ばれるバラの特産地が広がる。バラといっても我々が想像するような鑑賞用の真っ赤で大きいものではなく、香料用のピンクで小ぶりなものである。穏やかな気候のこの谷では、世界のバラ香料の7割が生産されているという。
 そしてその中心となる町カザンラクでは、毎年5月末から6月頭にかけて1週間、バラの収穫祭が行われるのだ。今年は5月28日から6月2日までで、今日は6月1日。何とか祭りのクライマックスには間に合ったみたいだ。

 期間中、町内のホテルは満杯になるというので、迷わず郊外のキャンプ場に直行。しかし予想に反してキャンプ場はガラガラで、僕の他にはヨーロッパ全域のキャンプ場に生息する、キャピングカーに乗ったドイツ人の老夫婦が2組いるのみだった。

 テントを張った時点でもう6時を回っていたが、まだまだ日は落ちない。僕はとりあえず町に出てみた。
 町外れの広場には移動式の遊園地がたち、そこから町の中心に向かって飲食関係から日用雑貨まで、さまざまな露店が並んでいた。
 そして石畳の敷かれた中央広場では、ちょうど盛大なセレモニーが行われていた。白と赤の艶やかな民族衣装に身を包んだ男女がステージの上でフォークダンスを披露し、その後は迷彩服を着た若い兵士たちが行進しながら入場した。アナウンスがブルガリア語だったので意味がわからなかったが、どうやら号令にあわせて気を付けしたり休めをしたり、銃を上げ下げしたりして、普段の訓練のデモンストレーションをしているらしい。

 そして最後は夜空に輝く花火でしめられた。きれいだったけど、広場を囲む建物の屋上に並んだ兵士が空砲の機関銃を空に向かって撃ち、それに合わせて花火が広がるという演出が僕には悪趣味に思えた。花火というのは火薬の平和的、芸術的利用手段だ。人を殺すために火薬を使う機関銃なんかと一緒にしてもらいたくはないのだ。
 広場は国内外の人でいっぱいだった。花火の演出はともかく、祭りの雰囲気は味わうことができた。さて明日の朝は祭りのハイライト、バラの摘み取りが近郊の畑で行われる。そっちの方はどんなんだろうか?


本日の走行距離        462.3キロ(計69499.8キロ)

出費                    18ML  ガソリン
     2ML 昼食
     14.5Lv ガソリン
     10Lv キャンプ場
     4Lv 夕食
     3Lv 新しい財布
計     20ML
(約2000円)

     31.5Lv (1ドル=約2.1レバ、約1875円)
宿泊         カザンラクのキャンプ場


2002年6月2日(日) バラ祭り本番(The Rose festival)

 昨夜ピザレストランで出会った、去年も見に来たという日本人(JICA職員らしい)のアドバイスに従って、バラの摘み取りの会場にはだいぶ早めに行った。会場といってもただの畑なので、警備のためのパトカーや参加者を乗せたバスが停まっていなければ通りすぎてしまっただろう。
 やがてバスから民族衣装を着た少年少女たちが降りてきた。東欧は美人の宝庫だが、小さい女の子もやばいくらいにかわいい。天使のような笑みを向けられると、ついついさらってしまいたい衝動にかられる。グヘヘ・・・お嬢ちゃん、僕のバイクに乗らないかい?
 付近の村からは家族が馬車に乗って集まってきた。やはり一張羅の衣装を着て、馬や馬車にもバラの飾りをつけている。今日は年に一度の晴れ舞台なのだ。

    

 参加者が集まるに従って、観光客を乗せたバスや車も続々とやってきた。アメリカ人の団体、中国人の団体、日本人の団体・・・そしてNHKの取材スタッフまできた。さすがはブルガリアを代表する祭りである。
 そして僕はイスタンブールのコンヤペンションで一緒だった、まるちゃんと再会した。彼女の本名は「さちよ」と言うのだが、あのサッチーとはキャラクターが180度違い、むしろ「ちびまるこちゃん」に似ているのでそう呼ばれている。マケドニアあたりを回った後、バラ祭りを見に行くと言っていたので会えるかもしれないと思っていたが、それがバラ畑のど真ん中だとは・・・。
 彼女は首都ソフィアで出会ったという、ユーコさんという女性と一緒だった。その後は3人で摘み取りの様子を見ることになった。

 摘み取り、といっても誰かの号令に従ってみんなで一斉にやるのではなく、小さなグループごとに歌を歌ったりフォークダンスをしながら畑に入っていくのである。そしてカメラのレンズが向けられる中、昔ながらのスタイルでバラを摘み、その花びらを観光客に配るのだ。
 すでにバラは収穫されているので、この「摘み取り」というのは祭りのセレモニーのひとつ、みんなで衣装を着て盛り上がったり、観光客に対するデモンストレーションが目的なのだ。

 華やかで晴れ晴れしいバラ祭りだが、僕は悲しい一面も見てしまった。
 ブリガリアにもロマ(ジプシー)たちがいる。大人たちはバラ農家の下働きをしているようで、作業着を着たまま祭りの様子を遠巻きで見ていた。彼らはよく知っている。この祭りは生粋なブルガリア人のためのもので、肌の色の違うロマたちはお呼びでないことを。
 しかし、可愛そうなのはその子どもたちだ。同年代のブルガリア人の子どもたちがピカピカな衣装を着て観光客の賞賛を浴びている横で、ボロを着て、落ちている花びらを拾い集めているのだ。
 プロのカメラマンが何人か集まってブリガリアの少女が花を摘むシーンを撮っていたが、その背景にロマの少女たちが回り込むや、「おい!邪魔だ、どけ!」と罵声を浴びせていた。こうして彼女らは学んで行くのだろう。社会の不条理を、ほかの人種の同年代の子たちよりはるかに強烈に。
 僕がルーマニアで見た12歳くらいのロマの少女は、すでに世界の辛酸を嘗め尽くしたような目をしていた。自分たちロマ以外はすべて信用に値せず、スキさえあれば何かカスめてやろうと虎視眈々と狙う目だ。こんな経験をしながら育ったら、あんな目にもなってしまうのだろう・・・。

 花びらを集めていた少女が「私たちの写真も撮って」というので、僕は喜んで撮ってあげた。すると、その横で民族衣装を着たブルガリア人のおばさんが、「あらこの人、ジプシーの子なんか撮っているよ」とゲラゲラと笑って言った。
 ロマの人たちは一筋縄では行かない、手ごわい人たちだ。中途半端な同情で近寄ると足元をすくわれる、というのがルーマニアの時の僕の実感だったが、さすがに今日は同情してしまった。華やかな祭りの影を見て、僕はちょっと悲しくなるのだった。
 ロマの少女たちよ、君たちの笑顔だって可愛いよ。

 最後の方になって、黒い面をつけた男たちが腰からさげた鐘をガラガラと鳴らしながら輪になって踊った。これが一番盛り上がり、そして唯一全体的な儀式だった。プロのカメラマンもTVの取材スタッフも、必死になってその様子を収めていた。

 それが終わると摘み取りの儀式も終わりのようだった。来た時と同じように参加者たちが流れ解散的に消えていくので、僕たちもカザンラクの町に戻り、中央広場に面したレストランで昼食を食べた。

 午後からは広場でフォークダンス大会が開かれた。群衆の拍手に迎えられて馬車に乗った家族や子どもたちが登場、ステージ上の合唱団に合わせて石畳の上で踊っていた。中でも若い男女の組が一糸乱れぬ踊りを見せていて見事だった。昨夜のブリガリア兵のデモンストレーションとは大違いである。彼らは私語も交わしていたし・・・。

 フォークダンスのあと、大々的な閉会式があるわけでもなく、祭りはいきなり終わってしまった。あれよあれよという間に広場から人は去り、ステージは片付けられ、清掃係がゴミを拾いはじめた。あまりのあっけなさとその後の手際の良さに、僕たちはちょっと驚いてしまった。これじゃ余韻がないじゃないか。

 仕方なく、僕たちは町外れの移動遊園地の方に行ってみた。そっちの方はまだ賑わっていて、町中の人が集まっているんじゃないかと思うほど屋台のビアホールは一杯だった。やっぱり地元の人にしてみれば花より団子、見飽きた民族衣装やダンスよりも、ビールを飲みながら家族や友達とワイワイやっている方が楽しいのだろう。
 小雨がパラつく中、僕たちも屋台でビールを飲んでいたが、やがてまるちゃんもユーコさんも泊まっている町に帰って行った。彼女たちはやはりカザンラクで部屋が取れず、付近の町に泊まってバスで来ているのだ。

 こうして僕のバラ祭り見学は終わった。最後はちょっとあっけなかったけど、バラの摘み取りは華やかだったし、ロマの少女たちとのほろ苦い出会いもあったし、イスタンブールで出発を遅らせたぶんの価値は十分にあった。
 みなさん、ブルガリアに来る際は5月末〜6月頭にしましょう!ちょっと雨が多いけど・・・。


本日の走行距離         36.3キロ(計69536.1キロ)

出費                    13Lv  バラ摘み取り入場料
     11.2Lv 飲食費
     10Lv キャンプ場
計     34.2Lv
(約1950円)

宿泊         カザンラクのキャンプ場


2002年6月3日(月) ヴェリコ・タルノヴォ・・・を通過(Veliko Tarnovo)

 カザンラクのキャンプ場を後にして、訪れた人がみんな勧めるヴェリコ・タルノヴォの町を目指した。カザンラクの約90キロ北にある古都で、オスマン・トルコの侵略を受けるまでブルガリア王国の首都として栄えたところである。
 何も食べていかなったし、文字通り朝飯前に着くと思っていたが、道のりは意外と険しく、途中で雨も降ってきた。町に着く頃にはすっかり濡れて、朝からみじめな気分になってしまった。

 バイクを停めて、ユーコさんの泊まっているプライベートルームを探す。彼女は今夜もこの町に泊まる予定で、バイクが停められるかどうかわからないけど、お勧めの宿だそうなので、昨日その住所を聞いていたのだ。
 ヴェリコ・タルノヴォはヤントラ川が大きく弧を描くほとり、急な斜面や断崖の上に広がっている。歩いているうちに空は晴れ、高台の上から趣きのある古い町並みが見渡せた。

 そして町の外れにある宮殿跡にたどり着いた。かつてブルガリア王朝があったところだが、オスマン・トルコに徹底的に破壊され、今ではまわりの城壁ぐらいしか残っていない。だけど全体が丘になっているので、上からの展望は素晴らしいという。僕はそのまま入場料を払い、左足を引きずりながら(相変わらず歩いているとヒザが痛くなるのだ)、今では教会が建っているその丘に登った。
 そして青空の下、ヴェリコ・タルノヴォの町を見下ろしたら、なんかもう満足してしまった。西の空を見ても雲はないし、時計を見たらまだ昼前だ。宿もなかなか見つからないし・・・うーむ、このまま進んでしまえ!と、僕はふたたびバイクにまたがって町を後にしてしまった。
 ユーコさん、ごめんなさい。僕には悪い癖があって、一度走り出すと停まるのがとても億劫に感じて、ついついそのまま進んでしまうのです・・・。

 そんなわけで、僕は丘陵地帯の中の一本道を、西に向かってガンガンと進んだ。
 ヴェリコ・タルノヴォはブルガリアの北部にあり、ルーマニアとの国境に近い。次に目指すブダペストまではルーマニアを通って帰った方が早いのだが、あそこはすでに去年の秋に行っている。あの時は列車でだったけど、同じルートを辿って帰るのは能がない。
 そうなるとブルガリアの西、ユーゴスラビアを通って北上することになるのだが、あそこは僕の持っているグリーンカード(欧州共通の自動車保険)の適用外で、ユーゴ専用の保険に50ユーロ(約5500円)も払って加入しなければならないのだ。
 本当はヴェリコ・タルノヴォで泊まってゆっくり考えようと思っていたのだが、天気もいいし、首都のソフィアも「リラの僧院」も見たいし、やっぱり西だ!ユーゴスラビアだ!ということに決めてしまったのだ。

 230キロ走ってソフィアに差しかかったとき、また雨が降ってきた。ソフィアで泊まっても良かったのだが、まだ日は高いので、そのまま環状道路で回り込んで120キロ南のリラの僧院を目指した。
 ひっそりとした山奥にあるリラの僧院は、ブルガリア正教の本山として1000年も前から信仰の中心地であり続けている。19世紀はじめの火災で大部分が焼け、今ある建物はその後に建てなおされたものだが、それでも世界遺産に登録されているのだ。
 僧院のまわりにはレストランや土産物屋が数軒あるだけだが、一軒のレストランの2階がタコ部屋のようになっていて、安く泊まることができる。トイレは壊滅的に汚く、シャワーもなく、部屋も極めて質素だが、宿泊者は僕だけの貸し切りで、一応コンセントもあった。
 着いたのが午後6時で、僧院の見学時間はすでに終わっていた。観光は明日の朝にまわし、夜は一階のレストランで食べ、部屋で3日ぶりにパソコンを開けた。
 しかし予定外に走って疲れていたので、日記もあまりはかどらないまま眠ってしまった。やっぱりブダペストまで行かないとゆっくり日記は打てないのだろう。


本日の走行距離        474.7キロ(計70010.8キロ)

出費                  47.5Lv  ガソリン
     12Lv 飲食費
     2Lv 宮殿跡の入場料
     12Lv 宿代
計     74.5Lv
(約4260円)

宿泊         レストラン「リラ」の2階