旅の日記

トルコ編その5(2002年5月15〜18日)

2002年5月15日(水) イスタンブールでナマズ釣り。(Fishing in Istanbul)

 15日には体調がマシになったので、みんなとガラタ橋へ釣りに行った。
 ガラタ橋は旧市街と新市街を結ぶ、イスタンブールでも最も往来の激しい橋である。長さ500メートルの欄干には釣り人がいつも並び、今日は陽気もいいので自分の陣地を確保するのが大変だった。
 椎名誠は「イスタンブールでナマズ釣り。」という本の中で、この橋から日本製の最新釣具を用いてトライしたが、その結果は芳しくなかった。それで我々はどうするかというと、橋の上に出ている露店の釣具屋さんに行き、約150円の釣り糸と仕掛けのセットを買うのである。以上、おしまい。エサも要らないのだ。

 仕掛けにはハリが4つと重りがついているだけで、ウキもない。橋の上から手を伸ばし、木片に巻かれた釣り糸をほどいて10メートルほど下の海面に「ボチャン!」と仕掛けを落とす。そのまま糸が止まるまで降ろして行き、水底についたら少しだけ糸を戻す。そして楽団の指揮者のように右手を動かして仕掛けを水中で上下させるのだ。
 これが昨日、みんなの先陣をきって約30匹の収穫をあげてきたごり君とまるちゃん(ちびまるこちゃんに似ているからそう呼ばれている)の、「地元のヒマなおっさん漁法」なのだ。

 「エサもつけないで本当に釣れるのだろうか?」と思ったが、その5秒後、早くも愚かな小魚がハリにひっかかり、ビクビク!というアタリが指先に伝わった。やはり地元のおっさんは色々と知っているのだ!
 おっさんたちは同じような仕掛けを竿につけ、多いときは一度に7匹も釣り上げている。釣れるのは長さ10センチほどの小さなアジばかりだが、それでもみんな足元に置いたバケツを一杯にしている。
 こんなに釣ったら魚がいなくなっちゃうんじゃないか?と思うほどの勢いであり、そもそも、この魚に学習能力はないのだろうか?という疑問もわいてしまう。
 しかし我々の心配をよそに小魚たちは釣られ続け、9人で170匹という大漁に終わった。小物でもこれだけ釣れるとけっこう楽しい。

 その夜は小麦粉からうどんを打ち、昨夜のカレーライスで余ったルーからつゆをつくってカレーうどんにした。そして小魚は唐揚げにしたが、170匹なんてとうてい食べきれる量ではない。そこで我々はどうすることにしたかというと・・・


本日の走行距離            0キロ(計69027.7キロ)

出費                   1.5ML  釣具
     4.5ML 飲食費
計     6ML
(約600円)

宿泊         Konya Pension


2002年5月16日(木) 干物とコロッケ(Dried fish)

 ・・・半分は干物にすることにした。干物なんて作ったこともないが、適当に魚を開き、塩をふってキッチンの屋上に置いたら、5月のトルコの太陽はみるみるうちに魚肉を乾燥させていった。
 ハエがぶんぶん寄ってきて、はじめのうちこそ「日本の干物だってハエがたかっているじゃないか」と気にしていなかったが、コンヤペンションのお母さんが「ほっておくと卵を産み付けてウジがわくよ」と怖いことをいうので、アフリカ帰りのまるちゃんがもっていた蚊帳を吊って保護することにした。干物のせいでみんなの体がウジだらけになったら、ちょっと申し訳ないのだ。

 アジがジリジリと干上がっている横で、僕とまるちゃんとテル君とイズミール(和泉さんという女性なので、トルコのイズミールという地名から命名)は夕食のコロッケの下ごしらえをはじめた。
 コロッケというとアテネで得政さんが作ってくれたのを思い出すが、残念ながら小梅さんと得政さんはアジの開きもコロッケも味わうことなく、僕やごり君の引きとめ工作に惑わされることもなく、今朝、旅立って行った。
 小梅さんたちも今夏ロシアを横断して日本に帰る予定だが、彼らはまだイスタンブールしかトルコを見ていない。これからパムッカレやカッパドキアを見て、そしてここに戻り、それからバルト3国まで北上するのだ。彼らのスケジュールはけっこう忙しいのである。

 そしてごり君も日本に帰る決意を固め、今日、貨物空港に行ってルフトハンザ系のカーゴ会社にハーレーを預けてきた。日本までの空輸代は全てコミで1000ドルで、ただ預けるだけのおまかせ方式らしい。
 日本まで走って帰りたいのもやまやまだが、彼のスポーツスターも走行12万キロで、シベリアを走るのに不安があるらしいのだ。(大体、日本を出る時点ですでに5万キロ走っていたという)
 なによりもこの青いバイクが可愛いので、無茶をせずに無事に日本の地を踏ませてあげたいという。彼は今後もこのハーレーに乗りつづけるのだろう。

  さて、夕方まで干してアジの水分はほとんど飛んでしまった。コロッケを食べたあと、酒のツマミに軽くあぶって食べたら・・・おお!アジの開きじゃないか!
 何もイスタンブールでアジの開きを作らなくてもいいのだろうが、これが日本だとなおさらやらないのである。昨日はうどんを打ったし、今日もコロッケ用のパン粉をパンから作った。無いから自分で作ろうとする気力がわくのである。旅ではいろんなことを覚えるな・・・。


本日の走行距離            0キロ(計69027.7キロ)

出費                  0.75ML  インターネット
     0.75ML はがき
     9.25ML 飲食費
計     10.75ML
(約1075円)

宿泊         Konya Pension
インターネット    Konya Pension


2002年5月17日(金) 男の夢(A man's dream)

 今日はいよいよイスタンブール観光のハイライト、トプカプ宮殿に行ってみた。ごり君も行ったことがないというので、今日も一緒なのである。(この男は前回イスタンブールにいたとき、いったい何をしていたんだろう?)

 トプカプ宮殿は400年以上も続いた大帝国、オスマン朝トルコの歴代のスルタン(王)が住んだ城である。敷地はさすがに大きく、城壁に囲まれたエリアは旧市街の大半を占める。
 入場料の高さも際立っており、国際学生証があってもハレムと宝物館を見るのに5ミリオン(500円)ずつ取られた。これが一般だと、1500円ずつも取られるのである。

 ハレムとはアラビア語のハリム(禁じられた)を語源とするスルタンのプライベート・エリアで、早い話が数百人の側室に囲まれてウッハウッハの大騒ぎ、まさに男の夢OH!カモーンなのである。(俺は何を興奮しているのだろう?)

 ハレム見学は英語を話すガイドがついて、グループごとに行われる。
 ガイドによると、ハレムには400人の側室がいたらしい。入口付近にこそ門番や食事を運び入れる係としてエジプトのヌエビア地方から連れてこられた黒人の宦官がいたが、その奥、ハレムの深部において女性たちと会えるのはスルタンただ一人。
 たとえば、ハレムには宴を設けるための豪華な広間もあるが、楽団が入るための小部屋は広間とは反対方向を向いている。楽団員であっても、女性たちを見ることさえ許されなかったのだ。

 女性たちは通常は10人部屋に別れて住み、スルタンの身の回りの世話をしていたが、400人のうち約20人の「お気に入り」になると個室を与えられ、さらに男の子を産んだ順に4人までが正妻の座を獲得した。そして自分の息子が次のスルタンとなった女性は、帝王の母として絶大な権力の座を得ることになる。

 しかし、そうなる確立は極めて低い。その他大勢の女性たちは30歳で定年を迎え、ハレム内でスルタンからもらった小遣いで作った財のほかに年金ももらい、豊かな老後(?)を送ったという。
 ハレムを引退した女性たちはその後、結婚することも可能だったというが、実際はもらい手が無かったという。ハレム内で何が行われているか知る由がないから、男性の方が怖がるのだろう。

 ハレムの後は写真撮影禁止の宝物館へ。なにしろトプカプ宮殿というのは略奪されたことがないから、握りこぶしぐらいのエメラルドやたまごぐらいのダイヤモンドなど、世界級の財宝がザックザックなのだ。
 この86カラットのダイヤモンドの原石は漁師がみつけ、市場でたった3本のスプーンと交換してしまったという。それがまさかダイヤモンドだったとは・・・なんとも可愛そうだな。

 久しぶりの観光で疲れた僕たちは、そのあとイスタンブール大学の学食で昼食を食べ、宿に帰って海のように深い眠りに落ちた。
 さいきん料理ばかりしていたので、夜はみんなでロカンタ(食堂)に行って食べた。そのあとは日記打ち。今日は久しぶりに酒をぬいたのだった。


本日の走行距離            0キロ(計69027.7キロ)

出費                    10ML  トプカプ宮殿
     3.4ML 飲食費
計     13.4ML
(約1340円)

宿泊         Konya Pension


2002年5月18日(土) 喉の痛みと地下宮殿(Underground reservoir)

 喉が痛い。全体的な体調は戻ったのに、喉だけはここ2、3日でさらにひどくなり、まるでカミソリを飲み込んだように鋭く痛むのだ。テル君をはじめ宿泊者の何人かは腹痛を訴えているし、いまコンヤペンションには病原菌が蔓延しているのだ。

 18日は宿の近くの「地下宮殿」に行ってみた。ここはビザンチン時代の巨大な地下貯水池なのだが、間接照明の淡い光のなか、石の柱が数百本も並ぶさまには「宮殿」の名がふさわしい。
 今でも池には水がたまり、天井からは冷たい雫がポトポトと垂れてくる。外の陽射しが嘘のような、ひんやりとした地下空間はまるでロール・プレイング・ゲームの舞台で、暗闇の奥に怪物が潜んでいるような気分になる。

 そんなおどろおどろしい雰囲気を助長するのが、「宮殿」の一番奥にあるメデューサ像である。
 メデューサはギリシャ神話に出てきた怪物で、髪の毛が蛇、顔は女性だが、その眼光は人を石に変えてしまうという。たしかある勇者が鏡を使ってその眼光をはねかえし、メデューサは自らが石になってしまったというオチがあったはずだ。

 地下宮殿にはメデューサの像が二つあり、両方とも柱の台座に彫られている。ただし一つは逆さまで、一つは横になっている。この理由は不明だが、伝説どおりメデューサは石となり、20世紀後半に発見されるまで人知れず泥の中に埋もれていた。人をやたらめったら石に変えるのはいけないことで、やはりバチがあたるのだ。

 その夜はピーマンの肉詰めを作った。今、コンヤペンションには川平慈英そっくりのフランス人がいるが、彼も絶賛する味となり、洋食にも自身を得た僕とごり君だった。
 ただ唯一残念だったのは、肉詰めの上に溶けるチーズをのせたら美味いだろうと思い、スーパーでそれらしきモノを買ってきたのだが、宿で開けたらなんとイースト菌のカタマリだったことだ。パッケージにはチーズが溶けて伸びているピザの写真やクロワッサンの写真があったし、まわりもみんなチーズだったし、商品自体もちょっと大きめのプロセスチーズのような形をしていたので、何も疑うことなく人数分、8個も買ってきてしまったのだ。
 今度はパンづくりかな・・・?


本日の走行距離            0キロ(計69027.7キロ)

出費                     1ML  インターネット
     4ML 地下宮殿
     9.9ML 飲食費
計     14.9ML
(約1490円)

宿泊         Konya Pension
インターネット    Konya Pension