旅の日記

トルコ編その4(2002年5月10〜14日)

2002年5月10日(金) アヤソフィア博物館(Ayasofya museum)

 ブルーモスクの次は、その隣のアヤソフィア博物館に行ってみることにした。イスタンブールに長いこといたわりにはまだ行ったことがないというので、ごり君と2人なのである。

 ブルーモスクもすごいが、このアヤソフィアはもっとすごい。
 今や博物館となっているこの建物は、もともと6世紀前半、かつてこの都がビザンチン帝国の首都コンスタンチノープルだったころ、ギリシャ正教の本山として建設された大聖堂だった。それが900年後、この都がイスラム教徒の手に落ちてイスタンブールと改称されると、この大聖堂もモスクとして改装されたのだ。

 内部を覆っていた見事なモザイク画は漆喰で塗り固められ、その存在は忘れられた。それが20世紀前半に「発見」されると、近代トルコ建国の父アタチュルクはここを博物館として公開することにしたのだ。
 そのおかげで入場料1500円、さらに2階の回廊は別途1500円というちょっと高めの料金を払うと、ビザンチン様式とイスラム様式がミックスされた、イスタンブールを象徴するような内部を見ることができるのだ。
 国際学生証を見せると料金はそれぞれ500円にまで落ちた。今日だけで一気に2000円も得してしまったのである。これはかなり嬉しいぞ。

 ローマ帝国が分裂した片割れ、ビザンチン帝国が威信をかけて建築した大聖堂だけあって、中に入るとその大きさに圧倒される。ブルーモスクもでかいけど、歴史だけでなく規模からいってもアヤソフィアに軍配はあがるだろう。
 中央のドームは修復中で、鉄骨で組まれた足場の高さに驚いた。それだけで20階建てのビルくらいあるのである。しかしここが建てられたのは6世紀。そのころは木で足場を組んだのかと思うと、さらに驚いた。

 大天井には「発見」された聖母マリアや天使ガブリエルのモザイク画があり、一階にはカトリックの聖堂に見られるような、神父が説教するための演壇がある。しかしその一方、イスラムの聖地メッカの方角を示す祭壇や、アラビア語で宗教的なメッセージの書かれた巨大な円形の看板が壁にかかっていたりして、まさに東西の宗教文化のチャンポンなのである。

 別料金となっている上階の回廊にはさらに多くのモザイク画が残っており、さすがに痛んではいるものの、キリストや聖母マリアの姿が拝める。これらのモザイク画を破壊せずに漆喰で塗り固めたことは、キリストを神の使いとして認めるイスラム教徒の尊敬の現れかもしれない。破壊するには忍びないので、まるで隠すように上から覆ったのではないか?
 今日知ったことだけど、聖母マリアに受胎を知らせた天使ガブリエルは、イスラム教ではその後、モハメッドに経典を授けたと伝えられているのだ。知れば知るほどキリスト教とイスラム教って密接なんだなあ。
 アヤソフィアの入場料は高かったけど、十分そのもとは取ったと思う。

 そのあとはごり君と買物をして宿に帰り、今日はコンヤペンションの常連だというタケシさんの誕生日だったので、みんなで祝った。
 コンヤペンションでの生活もなかなか楽しく、最近は「ガラスの仮面ごっこ」が流行っている(というより、僕とごり君で勝手に流行らせている)。コンヤペンションには日本の本と漫画が各種そろっているが、中でも一番のウリは「ガラスの仮面」だ。芝居好きの少女、北島マヤが演劇界の幻の名作「紅天女」のヒロインを目指すという少女漫画の大作で、コンヤペンションでは40巻くらいまで揃っている。

 チリの日本人宿「汐見荘」で「沈黙の艦隊」を全巻読み、料理をしているときも「艦長!スパゲティが茹であがりました!」「よし!アップトリム15度、魚雷装填、お湯を切れ!」などとやっていた僕たちだから、今では「オホホ!あなた、塩コショウを忘れたのね。おばかさん!」とか「ごはんを炊くときは心の耳でお米のささやきを聞くのよ!」とか、やっているのである。
 同室のテル君は元オカマバー勤務だし、新しい客が来たら、この宿はなんなんだろうと思うかもしれない。


本日の走行距離            0キロ(計69027.7キロ)

出費                    10ML  アヤソフィア入場料
     7ML 飲食費
計     17ML
(約1700円)

宿泊         Konya Pension


2002年5月11日(土) ボスポラスクルーズ(Bosporus cruise)

 イスタンブールの観光スポットは、曜日によって割り引きがあったりする。土曜日はボスポラスクルーズが半額だというので、みんなで行ってみることにした。(しかし後で調べたら、実は他の日でも料金は一緒だった)

 ボスポラス海峡は地中海側のマルマラ海と黒海とを結ぶ、長さ40キロほどの海峡だ。東岸がアジア、西岸がヨーロッパとされ、文字通りこの海峡が東西の境界線となっている。イスタンブールは海峡がマルマラ海とぶつかる地点にあり、ガラタ橋のたもとから約1時間半かけて海峡をさかのぼる船が出ているのだ。
 船といっても観光船ではなく、普段は市民の足となっている定期船。晴れ渡った土曜日で船は満員だった。

 サバサンドをほおばりながら船に揺られる。陽射しは強いが風はまだ冷たく、デッキに出ているとちょっと寒い。
 イスタンブールを出れば建物も見えなくなると思っていたが、どこまで進んでも海峡の左右に家が並んでいる。聞けば海峡沿いは高級別荘地だそうで、なるほど、モーターボートやクルーザーが停泊している豪邸がある。ヨーロッパ調のかなり格式高い建物で、その威厳あふれる姿は「トルコをなめんなよ」と言っているようだった。

 終点まで二つの橋をくぐった。この橋をバイクで渡る予定はないけど、走ったら気持ちがいいだろうなあ。
 途中、船が立ち寄った町がヨーグルトの名産地らしく、そこで小さなカップに入ったヨーグルトが大量に積み込まれ、ダニー・テピートに似た船の物売りが販売を開始した。ヨーグルトの酸味と上にふりかけられた粉砂糖の甘味がうまくミックスされて、とても美味しい。一人が試しに買ったのをみんなで味見し、その後、続々と買いに走ったのだった。

 終点の村は残念ながら黒海には面していないが、丘の上にある城砦の跡まで登ると、海峡が黒海にぶつかる地点がみえる。
 黒海。僕はこのあと、この海の彼方を走ることになるんだなあ。

 ボスポラス海峡は不思議で、海水は黒海からマルマラ海の方に流れているという。水面をみると、風のせいもあると思うが、たしかに流れている気がする。それでは黒海の水がなくなってしまうじゃないかと思い、宿に帰ってから看板娘のエリフ(イスタンブール大学の学生)に聞いてみると、なんと水面近くは確かに黒海からマルマラ海に向かって水が流れているが、深いところはその逆だという。なんでそんな現象が起きているのだろう?

 丘の上の城砦跡は格好のピクニック・エリアで、地元のカップルや家族連れでいっぱいだった。イスタンブールへ戻る船の時間まで、1時間ちょっとしかなかったのが残念である。本当はもっと早い便で、お弁当なんか持ってきたらもっと楽しかったのだろうな。
 帰りは夕方になり、傾いた陽光が射し込む暖かい船内で1時間以上も眠ってしまった。ボスポラス海峡より深く、母の胎内にいるような心地よさだった。

 宿に帰ってみんなで親子丼をつくり、食後にまたビールを飲んだ。快適なイスタンブールの生活だが、不満をいえば酒が高いことだ。ビールは500ミリリットルで100円と安いのだが、ワインや、ウイスキーなどのハードリカーは高い。アテネでは1.5リットル入りで300円程度の安ワインで十分満足できたのに、ここでは720ミリリットルのワインでも400円はする。トルコ名産のラクという酒も、ボトルで800円くらいするから決して安くないのだ。
 ああ、ギリシャとトルコの間にある免税店で、もっとメタクサを買ってくれば良かった・・・。


本日の走行距離            0キロ(計69027.7キロ)

出費                     3ML  船の料金
     5.55ML 飲食費
計     8.55ML
(約855円)

宿泊         Konya Pension


2002年5月12〜14日(日〜火) 風邪ひいた(Catching cold)

 12日は午前中に日記を打ったあと、午後から小梅さんと得政さんと軍事博物館に行ってみた。
 トルコに限らず、軍事博物館というのは自国の軍隊を宣伝する意味合いがあるから、入場料は安い。イスタンブールでも学生証を見せれば25円で入場することができる。
 でも、僕は別にトルコ軍の歴史や武器に興味があるわけではない。この博物館では毎日、午後3時から4時の間に軍楽隊がミニコンサートを開くのだ。

 トルコの軍楽隊はオスマン朝からの歴史があり、戦時中、音楽が兵士の士気を高めるのに効果があると驚いた各国は、トルコの真似をして続々と軍楽隊を設立したという。
 軍事博物館には小さいコンサートホールがあり、3時ちょっと前にいくと、正面のスクリーンではトルコ軍楽隊の歴史を紹介する映画が上映されていた。
 映画が終わり、どこから軍楽隊が現れるのかと思いきや、スクリーンのあった正面の壁がおもむろに電気仕掛けで開き、中庭からまぶしい日光がホール内に差し込んだ。そして遠くから「トルコ行進曲」が聞こえてきたと思うと、30人くらいの楽団が演奏をしながら拍手に迎えられて登場した。なかなか憎い演出じゃん!

 楽団はチャルメラのような笛の音を主旋律に数曲を演奏したあと、最後にもう一度「トルコ行進曲」を演った。やっぱりこの曲が代表的なナンバーらしい。
 5分の休憩のあと、また数曲をやるというアナウンスがあって軍楽隊は姿を消したが、どうも「トルコ行進曲」以外の曲はどれも同じに聞こえるので、前半だけで満足した僕たちはホールを後にした。
 帰りに博物館の展示を見たが、あまりにも所蔵品が多すぎ、またそんなに興味深くもないので、さらりと流してしまった。昔使われていたという軍用テントの内張りが豪華絢爛だったのには驚いたけど・・・。

 その夜、僕は風邪をひいた。
 例のごとく、ビールを飲みながらみんなで話していたが、少しずつ喉が痛くなった。てっきりしゃべりすぎかと思ったが、最近コンヤペンションで流行っている風邪は喉からくるようで、深夜には唾を飲むときの痛みで目が覚めてしまうほどになった。イスタンブールでするべきことはまだまだ残っているというのに・・・。

 次の朝、同室の元オカマバー勤務、テル君が最近同じような風邪をやったというので、彼から薬やトローチをもらった。これを飲んでしばらくゆっくりしていれば風邪も治るだろう。

 その日の午後は僕、ごり君、小梅さん、タケシ君で麻雀をやった。久しぶりの麻雀だったが、最初の2半荘はトップをとることができた。ちなみに今日の僕の一番の手は、リーチ・ピンフ・リャンペーコーだった。
 3半荘目は小梅さんの代わりに得政さんが麻雀に初挑戦することになった。得政さんは飲み込みが早く、となりにいる小梅さんの教え方もやさしくて、また2人でナイスカップルぶりを見せていたのだった。

 その夜、近くの喫茶店が水パイプ無料のサービスをやっているというので、みんなで行ってみた。
 真ん中のテーブルに置かれた水パイプをみんなで回しながら、リンゴ味の紫煙を味わう。店内にはシャキーラの新しいアルバムが大音量で流れていたので会話は難しかったが、みんなでボーッとしているのも悪くなかった。
 暗い店内には無数の落書きがあるので、僕たちもマジックを借りて書いてみることにした。僕はいつも描いている自分の似顔絵を描き、その横に「水パイプ 煙の向こうに ボスポラス」と一句付け足した。ごり君は「水パイプ プカプカプイと 夢を吐き」と書いた。小梅さんにも一句書くように促したが、何も思い浮かばないというので、僕が代わりに「水パイプ アヤコと僕は ケムい仲 BYうめ」と書いた。
 6人で行ったのだが、パイプの葉が1時間以上も持ったのには驚いた。お茶代として一人100円で済んだのだが、日本で水パイプをやろうとするとアラブ料理屋なんかで2000円は取られるらしい。

 次の朝、起きるといきなりヨルダンで会った足立君が宿にいた。足立君はごり君とも昨年イスタンブールで会っており、予想外の再会に3人とも驚いてしまった。しかし足立君はエジプトから日本に帰る途中にトランジットで寄っただけで、空港で12時間も待つのが嫌なのでコンヤペンションにふらりと遊びにきたのだ。

  あまり話もできないまま、足立君は午後にはふたたび空港に向かった。僕は風邪がひどいので、足立君を見送りに玄関を出たほかはずっと宿にいて眠っていた。
  こんなときも日本人宿にいて良かったと思う。誰かが食事を作ってくれるし、ベッドの中で読む本や漫画にも事欠くことがないからだ。


3日間の走行距離           0キロ(計69027.7キロ)

出費                   1.7ML  バス代
     0.25ML 軍事博物館
     2.5ML インターネット
     16.25ML 飲食費
計     20.7ML
(約2070円)

宿泊         Konya Pension
インターネット    Konya Pension