旅の日記

ギリシャ編その11(2002年5月4〜6日)

2002年5月4日(土) 最終日(Last day in Athens)

 週末になって、ギリシャはいよいよ復活祭の連休に突入した。アナベルのまわりも、いつもの喧騒が嘘のようにひっそりとしている。まるでゴーストタウンのようだ。
 出発を明日に控え、最後のインターネットをしようとしたが、いつものインターネットカフェも閉まっていた。仕方なく近くにあるインターナショナル・ユースホステルに行ってみたが、そこのパソコンはインターネットだけが使えるようにシステム上で制限されており、フロッピーディスクが使えない。僕はホームページの更新はもちろん、インターネット代金を節約するためにメールも自分のパソコンで打ってからフロッピーに落として持って行くことにしているので、フロッピーディスクが使えないと何もできないのだ。

 しばらく格闘していたら、背後に人の立つ気配を感じた。ふりむくと、そこには日本人の中年男性が、いかにも「日本語の会話に飢えています」という顔をして立っていた。建築関係の仕事を辞め、しばらくヨーロッパをまわる予定だそうで、今はインターナショナル・ユースホステルに宿泊しているらしい。そこで僕とごり君は彼を数少ない営業中のカフェに誘い、5月の陽射しが照りつけるなか、3人で生ビールを飲んだ。
 そしてそのまま彼を我らが「アナベル」に連れて行き、最後の「残飯処理ディナー大会」に加えてあげた。4人のライダーたちは明日の朝にアテネを発つので、残った食材を処分しなくてはならないのだ。ありあわせの夕食で申し訳なかったが、その中年男性は恐縮し、食後のワインのためにわざわざおつまみを買ってきてくれた。かえって気を使わせちゃったな・・・。

 もっと話をしたかったが、明日の朝が早いので午後9時にはお開きとなった。荷物のパッキングをして午後10時半にはベッドに入ったのに、久しぶりにバイクに乗ると思うと興奮してなかなか寝つけなかった。
 やがて12時になり、教会の鐘が鳴り響いて「聖なる日曜日」の到来を知らせ、そして午前1時にはごり君の激しいイビキが部屋に響きはじめた。ようやく眠くなってきたかと思うと今度は蚊が出始め、僕は浅い眠りと目覚めを繰り返し、最後の夜を過ごしたのだった。


出費                     1E   飲食費
     1.75E インターネット
計     2.75E
(約320円)
宿泊         Hostel Annabel
インターネット    International Youth Hostel


2002年5月5日(日) 僕たちの復活祭(Our Easter)

 午前7時に起床して、みんなで物置からバイクを出す、というのが昨夜の約束だった。
 最近、みんなが起き出す時間がズルズルと昼ごろにまでずれ込み、7時に起きるというのは至難の技かと思われたが、そこはさすがにライダーたち。7時過ぎにはロビーで寝ていたオヤジを起こし、物置のカギをもらってバイク脱出大作戦に取りかかった。

 一番手前に止まっていたごり君のハーレーから出すことになったが、3段の階段に木の板をのせ、エンジンをかけて登るとあっけなく表に出すことができた。小梅さんのXT、得政さんのバハはエンジンをかけずにそのまま押して出すことができた。一番苦労したのは横幅のある僕のDRだったが、ハンドルバーを壁にこすりながら、800cc単気筒のトルクにまかせて階段の上に押しあげることができた。
 実はバイクが無事に出せるかどうか、僕は不安だったのである。バイクを表に出しただけで、今日の課題の半分は済んだような気分になった。

 オヤジに別れを告げ、「アナベル」を後にしたのは9時すぎだった。
 考えてみれば僕は通算で約2ヵ月、この宿にいたことになる。これはメキシコの「ペンション・アミーゴ」と並ぶ最長記録だ。その間の行動を問われれば「酒飲んで料理をしていた」と答えるしかないのだが、無駄な月日かというと、決してそうではない。一日一日がかけがえのない旅の一部だったのだ。

 道をよく知っているごり君に先頭を走ってもらい、アテネ市街を出るまで4台で走った。郊外から高速道路に乗ったあたりで2台ずつに別れる。1200cc、800cc、600cc、250ccが一緒に走るのは、やっぱりちょっと無理があるのだ。僕とごり君の巡航速度は時速100キロから120キロ、小梅さんたちは80キロから90キロくらいだ。

 小梅さんたちと別れ、しばらくはそのままごり君に前を走ってもらった。彼は青空の下、ガラガラの高速道路を時速120キロで快調に飛ばす。僕はあまりに気持ちがいいので、ついついアクセルを開け気味にしているのかと思った。
 しかし1時間後に休憩をとったとき、彼は時速100キロで走っていたという。彼のバイクについているスピードメーターで旅の途中でつけてもらった適当なものなので、相当に誤差があるのだ。僕が120キロだったというと、彼は「どおりでエンジン音が高いと思った・・・」と妙な納得を見せていた。その後は僕が前に出て、時速100キロちょっとで走ることにした。
 久しぶりのライディングは始めこそおっかなびっくりだったが、「聖なる日曜日」の空は見事に晴れ渡り、非常に気持ちがいい。今日の目的地は約400キロ離れたメテオラ。ラミアという街で高速道路を降り、山の中の田舎道を淡々と走った。

 ギリシャの復活祭では家族一同が集まり、羊をまるごと焼いて食べる習わしがある。先日、TVのニュースでは羊を買う客で賑わった各地の市場を紹介していた。その様子は年末のアメ横を思わせ、きっとギリシャ人にとって復活祭の羊は、日本でいう正月の雑煮やおせち料理のようなものなのだろうと思った。

 いやしい僕とごり君は、「道端でそんな光景を見たら、ぜひともご馳走になってしまおう!」と期待に胸を膨らませていたが、はたしてそれは実現した。
 田舎のガソリンスタンドの軒先で、大きなロースト台に羊を2頭ものせ、グルグルと回しつづけている家族がいたのだ。僕たちがわざとらしく「わー羊だ。すごいなあ」と写真を撮り、物珍しそうにしていると、一家の主らしきおじさんはすでに酔っ払った手つきで羊の内臓とワインを持ってきてくれた。ずうずうしいついでに言えば内臓ではなく肉の方を食べてみたかったのだが、本体は焼きあがるまでにもうしばらくかかるらしい。
 その家族は英語をまったく話せなかったので、ギリシャ語と日本語のテキトーな会話を交わしながら、僕たちはほろ酔い気分になった。商店はすべて閉まり、小さな村に響くのは集まった家族の会話だけだった。とても静かで、平和なのである。

 さらに走り、メテオラに着いたのは午後2時半だった。予想より早かったが、久しぶりに走る400キロは意外に疲れた。
 メテオラはギリシャ正教の聖地である。ギアナ高地の小型版のような、高さ数百メートルの切り立った岩の塔が立ち並び、その上には修道院が建っている。ギリシャ正教の聖職者は厳しい環境下での修行を好み、アトス半島やここのような、「なんでわざわざこんなところに」と思うような場所に修道院を作った。最盛期には24の修道院があったというが、その数は今では5つに減っている。それでも世界遺産に登録されている、ギリシャ屈指の観光地だ。

 岩山のふもとにはカランバカという町とやや小さめのカストラキという村があるが、僕たちは後者のキャンプ場を選んだ。まわりを岩山に囲まれた素晴らしいロケーションで、久しぶりのキャンプがますます楽しくなる。
 テントを張ってしばらくすると、小梅さんと得政さんが予想よりはるかに早く到着した。あまり休憩をしなかったからだというが、それにしたって僕たちと1時間もかわらない。ガソリンとタイヤを浪費して120キロで飛ばそうが、ゆっくり90キロで走ろうが、到着時間にたいした変わりはないと僕とごり君は学んだのだった。

 小梅さんたちは今日はキャンプ場でゆっくりするというので、僕とごり君は2人で観光に出かけた。
 カストラキの村を出ると、道は曲がりくねりながら岩山を上って行く。DRには楽しい道だが、バンク角がなくてホイルベースの長いハーレーには辛い。観光バスとも頻繁にすれ違うので注意が必要だ。

 ごり君は前にも来たことがあるので、彼の案内で一番大きな修道院メテロ・メテオロンに入った。中には簡単な博物館や展望台があり、教会のイコン画が美しかった。ギリシャ正教では立体の像を崇拝することを禁止しているので、カトリックの教会にあるようなキリスト像やマリア像はない。代わりに壁や天井の一面に宗教画を描くのだが、その絵柄は独特の調子でデフォルメされていて、こんなことを書くとバチがあたるかもしれないが、一見コミカルにも見える。

 ごり君によると他の修道院の内部も似たような感じだというので、僕たちは見晴らしの良い場所までバイクで走り、外から修道院を眺めて楽しんだ。観光をはじめたころには雲がかかって小雨が降ったが、そのあとはふたたび青空が広がって気持ちがよかった。
 僕はギリシャに長いこといたわりにはあんまり観光をしていないが、少なくてもメテオラは今までの中で一番いいと思う。オリンピアの100倍は壮大だし、パルテノン神殿の50倍は風情がある。

 一通り観光を終え、キャンプ場に戻った。夕暮れ時にまた岩山に上ろうかとも思ったが、その代わりに近くの商店で自家製のワインを買ってきて、夕陽に染まる岩山を見上げながら4人で乾杯した。
 世間ではキリストの復活を祝っているが、僕たちは自分がライダーとして復活したことに祝杯をあげたのだった。


本日の走行距離          405キロ(計68157.1キロ)復活!

出費                  13.5E   ガソリン
     2E 修道院入場料
     10E 飲食費
     6E キャンプ場
計     31.5E
(約3690円)
宿泊         Camping the Cave


2002年5月6日(月) トルコを目指す(Hedding east)

 岩山のふもとでも朝方は冷え込み、目覚めるとバイクもテントも夜露に濡れていた。インスタントラーメンの朝食を食べ終わる頃に岩山から黄金色の太陽がのぼり、しっとりとしたキャンプ場を乾かし始めた。コーヒーを飲みながら少しずつ目覚めて行く世界を見る。こういうのもキャンプの醍醐味だ。
 小梅さんと得政さんに別れを告げ、キャンプ場を後にしたのは10時ごろだった。次に2人と会えるのはイスタンブールの「コンヤ・ペンション」。僕たちより1日遅れで来るだろう。

 メテオラからグレベナ、コザニといった山の中の町を通りぬけながら、一路トルコを目指す。今日は月曜日だけど、あと2、3日は休みが続くみたいで、町はまだ息をひそめたままだった。峠にあったレストランが営業中だったので、そこでポーク・チョップを食べる。ごり君は豚肉の串焼きだった。トルコに入ると豚肉が食べられなくなるからだ。

 ギリシャ第2の都市テッサロニキを通り抜け、今夜はカバラという港町で泊まることにした。もう少し先まで行けそうだったのだが、地図を見る限りではこの先にキャンプ場がなかなか無いのだ。
 カバラのキャンプ場は砂浜に面し、夜は熱海のように町の灯りが海に反射してきれいだった。だだっ広いテントサイトには、僕たちのほかにキャンピングカーに乗った白人の老夫婦が一組いるだけだった。
 ・・・しかし、何の変哲もないこのキャンプ場で、このあと奇妙な事件(?)が起きることになる。

 今日も400キロほど走ったけど、「こんなに疲れるっけ?」と思うほど、体は重かった。まだ体が慣れていないのだろう。バンバン走るようになると、500キロや600キロは当たり前のようになるのだ。


本日の走行距離        418.5キロ(計68575.6キロ)

出費                  11.5E   ガソリン
     6.2E 飲食費
     7E キャンプ場
計     24.7E
(約2890円)
宿泊         カバラのキャンプ場