旅の日記

ギリシャ編その10(2002年4月27日〜5月3日)

2002年4月27〜29日(土〜月) 4人のライダー(Four riders)

 27日は、関西人のカオリちゃんとキョウコちゃんの最後の日だったからというわけではないが、かき揚げを作って食べた。ここでかき揚げを作るのは3回目なのに、やっぱり準備した材料が多すぎて、翌28日は同じ生地を使ってお好み焼きになった。いつも同じパターンである。

 28日の早朝に2人が出発して、残る日本人はライダーの4人となった。新しい日本人が来たら、「この宿は何なんだろう?」と思うことだろう。物置には市川君のバイクも眠っているし・・・。
 小梅さんと得政さんは、あと2、3日はバイクを整備をして過ごすらしい。小梅さんのXTはサビがひどいし、得政さんのXRバハはスプロケットとチェーン、ガソリンフィルターの交換が必要なのだ。

 最後に交換してからまだ15000キロしか走っていないが、僕もスプロケットとチェーンを交換することにした。あと1万キロはいけそうなのだが、今ここで換えておくと日本まで交換する必要がない。予備を持ち続けるのも重いだけなので、荷物を減らす意味でもやっておくことにしたのだ。
 そしたら久しぶりの作業に操作を誤り、チェーンカッターを壊してしまった。小梅さんも持っていたので助かったが、1人だったらちょっと面倒なことになっていた。やっぱりここでやっておいて正解だったのだ。
 ついでにフロントのブレーキパッドも交換して、全部で一日作業になってしまった。

 29日、僕はごり君に付き合ってアテネ郊外にあるハーレーダビッドソンのショップに行ってみた。彼のハーレーはアテネの手前200キロで壊れてしまい、ロードサービスのトラックに載せられてこの店に運ばれてきたのだ。
 走行中にリアホイールを破損してしまい、そのまま20キロ先の町まで走りきろうとしたところ、今度はスイングアームが壊れてしまったという。予想外の大ダメージだ。

 新しいホイールはアメリカからすぐに届いたが、スイングアームは一ヵ月経っても来ない。ごり君はイスタンブールから日本にバイクを送り返すつもりなので、ホイールさえ直せば壊れたスイングアームのままでもたどり着けないことはない。僕や小梅さんたちが近いうちにイスタンブールに向けて出発するので、ごり君はシビレを切らし、スイングアームが来ないのならホイールだけを直すように言いにいったのだ。

 すると、店員は「実は中古のスイングアームが手元にある」と切り出した。金額は新品の半分でいいが、レシートが出せないという。僕たちの推測によると、今までそのことを言わなかったのは、それが正規に仕入れた部品ではなくチューンした客かなにかが置いていったもので、本当は売ってはいけないものだからだ(まさか盗品ではないと思う)。一ヵ月待っても来ないのを可愛そうに思い、特別に売ることにしたのだろう。
 もちろんレシートがもらえないのをごり君が気にするわけがなく、話はすぐにまとまった。あと2、3日のうちに彼のスポーツスターは直るらしい。

 さて、小梅さんと得政さんのカップルは僕と同様、今夏ロシアを横断して日本に帰る。
 僕たちがハーレーショップに行っている間、彼らはロシアのロードマップを探しに行き、大きな本屋で西ロシアと東ロシアに分かれた詳しいものを買ってきた。一時帰国したときにも買ってきたのだが、あまり詳しくないので満足できなかったらしい。しかし見せてもらうと僕には十分だと思うので、いらなくなったその地図を安く譲ってもらうことにした。

 彼らはロンリープラネットのモンゴル編も買ってきた。現在、外国人に開放されているロシア〜モンゴル間の国境は列車で通過するしかないが、近いうちに道路の方も開くそうだし、そうでなくても列車にバイクを載せてモンゴルに入国することは可能なのだ。

 そんなわけで29日の夜は「得政さん特製コロッケ」を食べながら、ロシアの地図やモンゴルのガイドブックを広げ、今後の計画を話し合った。ごり君だけ近々日本に帰るつもりなのだが、僕たちの話を聞き、ちょっと揺らいできている。
 僕は「ライダーならライダーらしく、日本まで走って帰ろう!」と、自分が冬の間バイクをほったらかしにしてバックパッカーになっていたのを棚に上げて説得を試みているが、はたしてごり君の運命やいかに・・・?


出費                   0.9E   交通費
     18E 宿代
     14.2E 飲食費
     4.6E インターネット
     10E ロシアの地図
計     47.7E
(約5580円)
宿泊         Hostel Annabel
インターネット    Mocafe


2002年4月30日〜5月2日(火〜木) 沈没モード(Lazy days)

 宿のオヤジは、ものごとを大袈裟にいう癖がある。
 たとえばキッチンを汚すと、「悪臭が漂ってツーリストポリスが飛んできて営業停止になる」とかいうし、屋上へ通じるドアのカギをかけ忘れると、「アルバニア人のマフィアがやってきて俺は殺される」とかいう。
 だから「今年は異常気象で、あと数日で夏になる」と彼が言ったとき、誰も本気にしなかった。しかし、彼は正しかったのである。アテネの陽射しは4月末からグングンとパワーアップし、日中は30度を優に超す陽気となった。おかげで毎日が洗濯日和、干すそばから「ジュー!」と水蒸気が立ちのぼる音が聞こえてくるようだ。

 4月30日は何をしたのか、もはや覚えていない。おそらく昼近くまで寝て、それから朝食兼昼食を食べ、市場に買物に行き、夕食を作りながらビールを飲み始め、そしてワインに突入し、夜遅くまで止めどない話しをしていたのだと思う。甘美で危険な沈没モード突入なのだ。

 しかしロシア横断のことを忘れたわけではない。5月1日はロンリープラネットのロシア編と、やはり小梅さんに譲ってもらった大雑把なロードマップだけでは不安なので、シベリア地方の詳しい地図を買ってきた。

 僕たちは小さいながらも、世界各地のロードマップやガイドブックを取り揃えた旅行専門の本屋を見つけたのだ。アフリカやシベリアのロードマップ、「自転車でロシアを横断するガイド」などの本ばかりをそろえて商売になるのだから、やっぱりヨーロッパ人ってのは旅行が好きなのだ。フランスやドイツのオフロードライダーは当たり前のように北アフリカに走りに行くし、普通の乗用車に乗っている人たちも日々、国境を越えてドライブを楽しんでいる。
 本当にインターナショナルな人たちというのは、ヨーロッパ人のことだと僕は思っている。それに比べれば日本人の国際感覚はかなり劣るし、アメリカ人もせいぜい日本人とヨーロッパ人の中間ぐらいだと思う。ヨーロッパ人が冷めた目でアメリカを見ているのは、その癖にアメリカ人が世界の舵取りをしたがるからだ。

 5月2日、ごり君のハーレーが直った。中古のスイングアームは1インチ短かったが、それでもごり君のバイクにはまった。本当は出発するまで店に預けておくつもりだったのだが、明日から連休で店を閉めるそうなので、ごり君は乗って帰ってきた。「アナベル」の物置に通じる通路は狭い上に階段もあって、クソ重い鉄のカタマリであるハーレーを中に入れるのに、ごり君と僕と小梅さんの3人でかからなければならなかった。
 次に心配なのは物置から出すときである。ハーレーも重いが、僕のDRもかさでは負けない。まあ、いざとなれば4人いるし、何とかなるだろう。

 ギリシャは今週末が復活祭で、これから帰省ラッシュがはじまる。今年は気候もいいので、アテネを脱出する人の数は記録的になるらしい。金曜、土曜の下りのハイウェイはまったく動かないだろうとオヤジもいうので、僕たちは出発を日曜日に設定した。
 僕は余計な荷物を日本に送り返し、小梅さんと得政さんもバイクの整備を終えた。旅立ちの準備は整っているのだが、もうしばらくアテネの怠惰な日々は続くのだ。


出費                  32.2E   ロンプラ・ロシア編
     9.5E シベリアの地図
     18E 宿代
     13E 飲食費
     2.5E インターネット
     13E 小包送料
     3.5E 潤滑剤
     1.1E CD‐Rディスク
計     92.8E
(約10860円)
宿泊         Hostel Annabel
インターネット    Mocafe


2002年5月3日(金) 29歳のゴリラ(Birthday Party)

 今日はごり君の29回目の誕生日だ。昨年はチリのサンチャゴで1人さみしく誕生日を迎えたというから、今年は盛大に祝ってあげよう。

 夕食は得政さんが肉じゃがを作ってくれた。
 小梅さんと得政さんは物静かで穏やかなカップルで、ポーランドで初めて会ったときに僕が「喧嘩はしませんか?」と聞いたところ、「喧嘩・・・そういえばしないなあ」と言ったので、僕は目からウロコが落ちる思いがした。僕と久美子といったら、それはそれはバトルの連続だったから・・・。
 今回も「嫌いな国ってありますか?」と聞いたら、「・・・そういえば、ないなあ」と言うのだ。みんながいうように中米の国境越えや、モロッコでも嫌な思いはしなかったという。きっと2人の人当たりがソフト&メローだから、イライラした空気や雰囲気が生まれないのだろう。

 これは僕がエジプトで経験したことで、1月にはじめてエジプトに行った時、僕はボラれまい、ナメられまいと思って必要以上に現地の人との交渉に感情的になっていた。たとえばタクシー料金の数十円の差のために運転手と罵倒しあったものだ。
 定価社会で生きている日本人は、たとえば現地の人が100円で買えるものに200円払わせられたら、「ボラれた」と認識する。我々にとって「ボる」ということは「詐欺」と同義語であり、怒りの対象になる。だから安宿にある情報ノートなんかにもよく、「どこからどこまでのバスの現地料金は何ドルです。それ以上要求されたら遠慮なくバトルしましょう」と書いてあったりする。

 しかし、アラブ世界でよく言われる「定価がない」ということは、「ボるという概念がない」ということでもある。たとえば現地人に100円で売っているものでも、店が外国人に200円要求し、それを払ってしまったら、それはそれで正当な価格なのである。現地価格はまったく関係なく、「ボる」という罪悪感もなく、両者の間で交渉の末に決められた価格なのである。
 だからアラブの商人は当然、彼らから見たら億万長者である我々に多めの金額を要求する。しかし、そこで「ボろうとしているな」と思って感情的になってしまうと、彼らも感情的になる。彼らに言わせれば、「こいつ金持ちの癖しやがって、とんでもねえケチだ」ということだ。さらには、富める者は貧しい者に財産を分与すべき、というバクシーシの思想もあるから、ケチな金持ちはますます嫌われる。

 だからといって、向こうが要求してくる金額をホイホイ支払うべきではない。要は向こうのやり方を尊重し、感情的にならずに気長に構えることだ。
 3月にエジプトに戻ったとき、僕は前回よりも感情を押さえ、時には数十円くらいなら目をつぶることもあった。そうしたら快適に旅をすることができたのだ。こっちが感情的になれば向こうも感情的になり、そしてストレスが溜まる。普段からソフト&メローにしていれば、こっちも楽に、快適に旅ができるのだ。

 と、そんな長い話をしているうちに肉じゃがは完成し、4人でバースデー・ディナーを食べた。
 そして食後はいつもとは違う、高級なワインを開けて大きなアイスクリームのケーキのロウソクに火を灯し、「ハッピーバースデーディアごりくーん」と、年甲斐もなく歌うのだった。
 実は、昨夜12時にすでにごり君の誕生日を祝っており、その時に僕が「28歳だった1年を振りかえり、ポエムを詠むべし」と課題を出したところ、彼は酔っ払って以下のような詩をつくったのだった。

 旅、道を走っているとき、とても気持ちいい
 たまに歌を歌ってみたりする
 バイクって気持ちいい
 旅も気持ちいい
 女も気持ちいい
 このままオッサンになろうかな  By武田圭介

 とまあ、ごり君というのはそういう男で、そういう1年を送ったのである。そして今年もそういう1年を送るのだろう。


出費                    12E   宿代(2泊分)
     7E 飲食費
     2E インターネット
計     21E
(約2460円)
宿泊         Hostel Annabel
インターネット    Mocafe