旅の日記

トルコ編その2(2002年4月19〜21日)

2002年4月19日(金) 枯れパムッカレ(Pamukkale)

 次の目的地パムッカレまでは、距離にして500キロはある。その手前、デニズリの着いたのが午前5半時で、そこからバスを乗り換えてパムッカレについたのは午前7時だった。待ち時間を除けば全部で10時間バスに揺られていたことになるが、腰が痛くて2時間ぐらいしか眠ることができなかった。

 パムッカレではバス会社が提携しているホテルの前で降ろされた。本当はシングルの部屋に5ドルくらいで泊まれる安いところを探そうと思っていたのだが、ここでも冷たい雨が降っていた。そのホテルの部屋を見せてもらうと清潔なバスルームがついたツインで、7ドルにしてくれるというので、結局そこに泊まることにした。
 そしたら部屋で落ち着いたとたん、雨が止んだ。なんだよそれ。
 少し眠ってから動き出そうと思っていたが、なぜか神経が高まってあまり眠くない。そのままパムッカレの石灰棚を見に行くことにした。

 パムッカレはトルコ随一の温泉地である。石灰棚とは、源泉に含まれる石灰分が丘の斜面を真っ白に覆って段々畑のようになったものである。「棚」には水色の温泉が溜まり、まわりの白さとのコントラストが美しいばかりでなく、夕暮れ時にはまたまったく別な、幻想的な色調を見せるらしい。
 しかしそんな謳い文句とは裏腹に、パムッカレを訪れるとガッカリするという噂がバックパッカーの間では語り継がれている。世界遺産ではあるが(最近これも増えすぎてどうかと思うが)、言うほど綺麗じゃないし、すぐに見終わってしまうので、パムッカレを訪れても泊まる必要はないというのである。現に同じバスで着いた旅行者の多くは、今日のうちにパムッカレを後にするらしい。
 しかし僕はといえば、それでも一応は有名だし、バスでは眠れなかったし、温泉に浸かってゆっくりしたいと思ったので、ここで一泊することにしたのだ。

 しかし観光をはじめると、僕は本当にガッカリしてしまった・・・。
 開発を急いだために温泉は枯れつつある、というのは「地球の歩き方」にも書いてあったが、その通り、湯量が圧倒的に足りない。「棚」はカラッポで、水のないプールのようにみすぼらしい。靴を脱げば石灰の上を歩くことができるのだが、ちょろちょろと流れる温泉に足をつけると、申し訳程度にぬるいだけで、僕は身も心も寒くなってしまった。

 いったん町の方へ帰り、朝食を食べてから3時間ほど眠った。そしたら、嫌な夢を見た。
 僕はまるでカッパドキアのような、岩がゴロゴロとした荒野にいる。目の前には黒っぽいウサギがいる。かわいいな、と思うと、他にもウサギがいることに気付く。右を向いたらそこにもいて、左にもいる。数えてみると十数匹いる。
 あれ?これ、多すぎやしないか?すました顔をしているけど、もしかしたらこのウサギたちは僕を襲うつもりじゃないか、という不安がよぎる。ふり向くと、そこにも地平線までびっしりとウサギがいる。そして「こいつめ、気付きやがったか」みたいな感じで歯を剥き出し、目を血走らせて怒りを露にしている。
 僕は怖くなって目の前のウサギを踏み潰す。するとその瞬間、大地を覆っていたウサギはみんなカエルになる。食用ガエルのような大きなカエルだ。僕はカエルを踏み潰し続ける。だけど、手に負えない。なにしろカエルは星の数ほどいるのだ。
 すると遠くにトルコ人の親父が数人見える。僕は助けを求め、彼らも「こりゃ大変だ」と、すぐに走り寄ってきてくれる。そして僕たちはカエルを踏み潰し続けるのだ。次から次へと・・・。

 ・・・などという謎の夢をみて汗をかいたあと(どんな意味があるのだろう?)、僕は石灰棚の方にもう一度行き、今度は水着を着て温泉に入ることにしたのだ。
 パムッカレにはかつてローマの町があり、円形劇場などローマ遺跡の「お約束」もあるのだが、温泉はそんな遺跡のど真ん中にある。プールというよりは神殿の跡に湯が溜まったような感じで、底には倒れた柱なんかが沈んでいるのだ。
 湯温はそれほど高くなく、温水プール程度。藻が浮いていてきれいとは言えないが、ローマの柱の上に寝そべってくつろげるなんて、なんて贅沢な温泉なのだろう。よく金魚や熱帯魚の水槽の中に入れるためのおもちゃの柱や橋なんかがあるが、ここに沈んでいるのは本物なのだ。
 もっと温度が高ければ楽しめたのだが、30分ほど浸かって体が冷えてきたので上がった。タオルで体を拭いて服を着るまでの間が非常に寒かった。まもなくアテネに戻るが、あそこの気温はどんなものだろう?


出費                    9ML   宿代
     1ML パムッカレ入場料
     8ML 温泉
     8ML 飲食費
     0.5ML バス
計     26.5ML
(約2650円)
宿泊         Koray Otel


2002年4月20〜21日(土、日) トルコの逆襲(A sea side resort town)

 さあ、そろそろアテネに戻ろう。ポーランドのアウシュビッツ強制収容所跡で出会った世界一周中のライダー・カップル、小梅さんと得政さんと、ハーレーでずっと旅しているおなじみのはーれーごり君と、アテネで再会する予定なのである。

 トルコといえばイスタンブールを見ないと話にならないが、この街に行ってしまうとアテネに戻るのにエーゲ海をぐるりと一周するハメになる。イスタンブールはバイクで行くことにして、今はとりあえず海を渡って一直線にアテネを目指そう。
 トルコ西海岸にはヨーロッパ人に人気のリゾートタウンがいくつもあり、ギリシャの島々ともフェリーで結ばれている。航路はいくつかあるが、調べたところによるとボドルムという町とコス島を結ぶ国際フェリーが一番距離が短く、したがって料金も安い。
 そんなわけで僕はボドルムを目指すことにした。

 パムッカレは小さな村で、オトガルもない。とりあえずデニズリまで戻るのだが、その途中で昨夜のホテルの客引きと一緒になった。ユイジェルという男で、奥さんが日本人だという。
 奥さんが日本人だとか、彼女が日本人だとか、そんなことを言って近づいてくる輩はとても多いので(モロッコがひどかった)、最初は警戒していたのだが、結果的に言うと、この人は親切心のカタマリのような人だった。デニズリではボドルム行きの直通バスを一緒に探してくれ、出発の時間までずっと付き合ってくれた。「今度パムッカレに来たときはウチに泊めてあげるよ」といって住所を教えてくれたが、パムッカレ、また来るかなあ?
 バスが出る前に一緒に写真を撮ってもらったが、タイミングがあわなくてマヌケな写真になってしまった・・・。

 デニズリからボドルムに向かうルートは幹線ではない。曲がりくねった険しい山道を、途中の村々に寄りながらエッチラオッチラ進むので、バスは20人乗りくらいの中型だった。車内は混雑して立っている人もいたが、それでもサービスの質は落とさないようで、車掌が器用に飲み物とスナックを配っていた。

 5時間かかって紺碧の海に面したボドルムに到着した。
 パムッカレもデニズリも雨だったが、ここでは気持ち良い青空が広がっている。午後6時だというのに、まるで真昼間のように明るかった。
 宿は「地球の歩き方」に載っていて、ユイジェルも薦めてくれた「エミコペンション」にした。日本人女性が経営しているのだが、今はオフシーズンで帰省しているらしく、旦那さんらしきトルコ人男性はダブルの部屋を半額にしてくれた。

 宿を出てヨットハーバーや、高級レストランや旅行代理店の並ぶ通りを歩いてみたが、ここが同じトルコとは思えない。外国人旅行者はもちろんだが、現地の人たちも垢抜けたファッションをしていて、車はピカピカ、中型や大型のオートバイもバンバン走っている。
 パムッカレが2月の平日の湯河原だとすると、ここは5月の週末の代官山だ。それくらい雰囲気が違う。
 コス島へ渡るフェリーは毎日あるものかと思ってたが、今の季節は週3便だけで、次は月曜の朝になるという。仕方ないので、休憩をかねてこの町で2泊することにした。

 中世に建てられた要塞をのぞけば、この町には大した観光名所はない。ヨットに乗ったり、ビーチでのんびりしたり、ハーバーに面したカフェで読書したりするのがここでの正しい過ごし方なのだ。
 従って日が落ちてしまうと、金の無いバックパッカーにはインターネットくらいしかすることがない。「なにか面白いことはないかな」、と思って歩いていたら、あった。

 こすったとかぶつけたとか、そんなことだろう。2台の車が狭い路地に止まって運転手同士が口論していたが、やがて一台の車が発進して逃げようとした。しかし道は他の車で塞がれており、残された車から走ってきた連中がすぐに追いついた。すると彼らは屋根に乗って暴れるわ、ドアは蹴っ飛ばすわ、しまいには運転手を引きずりおろしてボコボコぶん殴っていたが、やがて回りの人たちに止められた。あー、面白かった・・・野次馬的に言えば。

 次の日曜日も気持ち良く晴れていた。
 午前中はヨットハーバーのまわりを散歩して過ごした。スーパーがあったので入ってみると、物価の高さに驚いた。洗濯洗剤の大きなパックが1000円したり、ハムのパックが200円したり、チョコレートが100円したり、これって日本とあまり変わらないじゃん。とくに旅行者向けのスーパーというわけでもなく、まわりはみんなトルコ人。何食わぬ顔で買物をしているのだ。

 今度は不動産屋があったので、店先に貼られた物件をみてみると・・・ゲゲッ!ちょっと大きめの別荘は、みんな1億円とかするのである。
 レストランの料金が高いなあ、と思っていたが、これなら仕方がない。トルコの物価は西高東低と聞いていたが、こんなに差があるとは・・・。トルコをナメていた僕は意外な逆襲にあい、密かな敗北感を味わったのだった。

 そのあとでピザを食べ、ビールを飲んだが、そこで瞼が重くなり、宿に帰って昼寝をしたら3時間も眠ってしまった。おかげで午後に見るつもりだった要塞の入館時間に間に合わなくなってしまった。
 結局、今夜も長々とインターネットをして、食堂で夕食を食べ、部屋で日記を打って寝るだけとなった。まあ、あくせく観光するつもりはもう無いのだから、いいんだけど。


出費                    8ML   バス代
     20ML コス島行きフェリー代
     20ML 宿代
     19.2ML 飲食費
     4.25ML インターネット
計     71.45ML
(約7145円)
宿泊         Emiko Pansion
インターネット    Hakkim Net