旅の日記

トルコ編(2002年4月16〜18日)

2002年4月16日(火) バス移動(Turkish Bus)

 トルコは、かつてヨーロッパを震撼させたオスマン・トルコ帝国や、それ以前に盛衰した国家、文明の足跡が日本の約2倍の国土に詰まった、見応えのある国である。ていねいに見て回ったら、あっという間に一ヵ月は経ってしまうだろう。
 ゆっくりしたいのはヤマヤマだが、急げばギリシャで再会できそうな人が何人かいる。早くバイク旅も再開したいし、今回は「お約束」のポイントだけを押さえてダーッと横切ることにした。

 まずは何といってもカッパドキアである。アンタクヤから約300キロ北だが、直通バスがないのでカイセリという都市で乗りかえることになる。
 そんなわけで午前9時発のカイセリ行きに乗る。トルコはバス網が非常に発達していて、便利に、そして快適に国内を移動できるようになっている。シートはゆったりしているし、車内はきれいだし、2時間に一回は車掌さんがお茶やコーヒー、お菓子を配ってくれる。(そしてエジプトの腐れバスのように、後から法外な金額を請求するようなことはないのだ)

 カイセリは位置的にいうとちょうどトルコのヘソにあたり、まわりを山に囲まれている。そこまでの約8時間、車窓から見えるのは白樺が生えた近くの山と、雪を被った遠くの山だ。峠のドライブンで休憩したが、バスから出ると肌寒い。曇天に細かい雨が降っているせいもあるが、北上してきたことを実感した。

 午後5時にカイセリに着く。目指すカッパドキア行きのバスは1時間半後にあるというので、それまでバスターミナルでスープとパンの軽食を食べて過ごした。
 トルコのバスターミナルは「オトガル」という。バス網はトルコ全土をカバーしているから、直通がなくても、乗り換えを繰り返してどこまでも行ける。バスを降りると、大体、バス会社の客引きや親切な人が次の目的地までのバスまで連れていってくれるし、そうでなくても、バス会社のオフィスの前には各方面の行き先や出発時間が大きく書かれている。
 「オトガル」に行けば、お手軽にトルコの旅ができるのである。(つまんねー)

 結局、カッパドキアのギョレメという村に着いたのは午後8時だった。カッパドキアの拠点となる町や村はいくつかあるが、ここは中でも静かな方で、それでいてバックパッカー向けの安い宿がたくさんある。
 スコットランド人が切り盛りし、ヨーロッパ人に人気があるという「ペンション・キョセ」にチェックインする。シーズン中にはなかなか泊まれないそうだが、今日は3人入れる相部屋に僕1人だけだった。


出費                    5ML   交通費
     2.25ML インターネット
     0.2ML 公衆トイレ
     5ML 飲食費
計     12.45ML
(約1245円)
宿泊         Pansion Kose
インターネット    Nese cafe


2002年4月17日(水) 雨カッパ(Kappadokya in rain)

 昨日はすっきりしない天気だったが、今朝は雲ひとつない青空が広がっている。宿で朝食を食べたあと、さっそくスクーターをレンタルして観光に出た。
 さて、トルコの観光においてイスタンブールと双璧をなすカッパドキアとは、アナトリア高原に広がる大奇岩地帯である。その昔、火山噴火によって大地に堆積した火山灰や溶岩が長い年月の間に風雨に侵食され、今では固い部分だけが奇怪な形で残っているのだ。
 しかし、似たような景観なら他にもある。カッパドキアが人々を魅了するのは、自然の美しさだけでなく、この地にかつて住んでいたキリスト教徒が岩を掘って作った壮大な都市の跡が残っているからである。

 見所は広範囲に散らばっている。効率的に回るならツアーがいいのだが、料金が高いし、自分の行きたいところを選んで行けるわけではない。スクーターや自転車のレンタルも盛んなので、僕はスクーターで回ることにしたのだ。
 時間のあるうちに遠いところから攻めようと思った。まず向かったのはカイマクルとデリンクユの地下都市。久しぶりのバイクは気分がいいが、標高1000メートルの空気は冷たく、40キロの道のりを走ったら体はすっかり冷えてしまった。

 さて、この二つの地下都市、「都市」というのは名ばかりではない。なんと最盛期にはカイマクルで2万人、デリンクユで5万人が生活していたというのだ。
 キリスト教徒たちはイスラム勢力を恐れ、目立たぬよう、そして守りやすいように大地を掘って街を作った。カイマクルは地下5階、デリンクユは地下8階まで見学が可能だが、本当はもっと奥まであるのだろう。

 両方とも通路や階段は狭く、頭をかがめてようやく通れるくらいである。そして、それらの両脇には3畳から6畳くらいの部屋が並んでいる。まるで巨大なアリの巣なのだ。
 しかし、ただやみくもに掘り進んだのではなく、ちゃんと考えられていて、換気用のダクトや井戸があり、教会や学校まである。通路の脇に「はじめ人間ギャートルズ」に出てきたお金のような、巨大な石の円盤があると思ったら、これは敵が侵入してきたときに通路を塞ぐためのものだったという。
 穴ぐらに住んでいたからといって野蛮だったわけではなく、高度な知恵と文明をもった人たちだったのだ。

 地下都市を見終わって村の方に戻ろうと思ったら、雲が少しずつ空を覆い始めた。あれ?なんか怪しいな・・・。
 次に巨大な一枚岩をくりぬいて造られたウチヒサルという街や、その近くで白い奇岩が見られるギョレメ・パノラマを見て、ひとまず宿に戻ってサンドイッチの昼食を取った。

 午後の観光はパジャバー地区という、キノコ状の岩が並ぶ場所からはじめた。
 キリスト教徒は地面だけでなく、塔のように突き立った岩も掘って住居や教会にした。中でもこの地区にある岩はキノコのようで生物的な形をしているが、グロテスクというよりはむしろメルヘンチックでかわいい。僕はスペインのガウディの建築物や、「ムーミン」に出てくるムーミン谷を思い出した。岩に彫られた小さな部屋から、臆病な小人が頭を出してこっちを伺っているようなイメージがわく。
 このキノコ型住居は僕の感性をくすぐった。これはけっこうカッコいいぞ・・・。
 
 次にセルヴェ屋外博物館という、峡谷を掘ってつくられた町を見に行った。
 ここはかなり大規模なところで、教会なんかもきれいに内装が施されている。キリストの壁画まで残っていたりするのだ。
 興味深く見学していたが、とうとう雨が降りだした。穴に入っては雨宿りを繰り返し、一通り見終わる。雨足が弱くなるのを見計らってスクーターで走りだしたが・・・思いっきりフェイントで、1キロも走らないうちに本降りになってきた。
 奇岩地帯の一本道。雨宿りする場所もないし、ヘルメットをしていないから雨粒が顔に当たって痛い。まるで顔の前に小人が何人もいて、小さな手でビンタをされているような感じだ。

 本当はスクーターを12時間借りて、奇岩が夕陽で真っ赤に染まるサンセット・ポイントまで行こうと思っていたのだが、こんな天気ではそれどころじゃない。逃げるようにしてギョレメ村に帰り、8時間の使用でスクーターを返却した。

 その後、夜まで雨が止むことはなかった。バイクに乗ったとたん雨が降るんだから、俺はやっぱり雨男ならぬ、雨ライダーなのかなあ。
 結局、午後5時で今日の観光が終わってしまったので、その後はインターネットをしたり、日記を打ったり、絵葉書を書いたりして過ごした。
 明日の午前中に残ったところを見るつもりだけど、晴れてくれますように・・・。


出費                 22.5ML   スクーターレンタル
     1.5ML インターネット
     12ML 地下都市、屋外博物館入場料
     6ML 飲食費
     0.1ML 絵葉書
計     42.1ML
(約4210円)
宿泊         Pansion Kose
インターネット    Sedef Restaurant


2002年4月18日(木) カッパトレッキング(Trecking around)

 願い空しく、今朝も雨。
 今夜も泊まって明日に賭けようとも思ったが、明日が晴れるという保証はどこにもない。予定どおり部屋をチェックアウトしてフロントに荷物を預け、近くの土産物屋で折りたたみの傘を買って出かける。

 今日の1番目、ギョレメ屋外博物館は村から1キロしかない。傘をさしてトボトボと歩くうちにすぐに着いた。
 ここも昨日のセルヴェ屋外博物館と同様、奇岩をくりぬいて大規模な町がつくられたところだ。看板の説明によると、はやくも2世紀ごろからキリスト教徒たちが住み始め、彼らはかなり初期の信者だったから、ここで行われた儀式や習慣がのちのキリスト教に影響を及ぼしたという。
 ここには大小さまざまな教会があるが、保存状態はかなりよく、天井や壁に描かれた宗教画がくっきり残っている。祭壇や柱、丸天井など手の込んだ彫りようで、まるで普通に建てられた教会のようだ。洞窟のような外観からは、まったく中の想像がつかない。
 最も保存状態のよい教会は別途1000円かかるというのであきらめたが、その他の教会でも十分に当時の人たちの信仰の厚さが伺い知れた。
 しかしどういうわけかここは日本人が多く、団体のバスが4台も来ていた。客観的にみると、日本人がぞろぞろバス4台分もいるというのは、かなり異様である。

 雨が降り続くようなら村に引き返そうと思ったが、少しだけ晴れてきたのでサンセット・ポイントまで足を伸ばしてみることにした。その名のとおり本当は夕方に行くところなのだが、こんな天気ではどうせ夕陽は拝めないだろう。
 ギョレメ屋外博物館から3キロくらい歩くのだが、途中でまた雨が降ってきて、そして止み、また降った。今日はその後、15分おきに天気がコロコロ変わる忙しさとなった。

 幸いにもサンセット・ポイントでは雨は止み、雲間にのぞく太陽が岩たちを照らしていた。絵葉書のような真っ赤ではないが、黒々とした雲の下に浮かび上がる奇岩というのも一興があった。

 この時点ですでに疲れていたが、村に戻る交通機関はないし、来た道を引き返すのもつまらない。宿でもらった周辺の詳しい地図をみると、ここから谷へ降りて村の方まで戻るトレッキングルートがある。行程は長そうだが、面白そうなので行ってみることにした。

 そしたらこれが大正解だった。谷へ降りて行くと、上から見下ろすだけでは見えなかったもの、たとえば地層ごとにはっきりと色が分かれているのや、名もなき集落の跡などがよく見えた。たっぷり5キロ、2時間は歩き、途中かなり険しい箇所もあったが、他に誰もいないので、まるで何百年も前に未開の地を探検した中世の冒険者のような気分になった。

 しかしルートは複雑にからみあっていて、僕はいつのまにかチャウシンという村に出てしまった。ここからギョレメは4キロなのだが、足は泥だらけの棒になっており、アスファルトの上といえどももう歩きたくはない。
 バスを来るのを待つが、この村の住民は素朴な顔をして実はスレていた。はじめにおじいちゃんがやってきて、「バスはもう終わったから車で送っていってあげよう」という。しかし確認すると、やっぱり「5百万リラ(500円)でいいよ」という。やっぱ金かよ。
 次は馬車に乗った青年がやってきて、「バスはもう終わった。5百万リラで送っていってあげよう」といった。
 ええい、どいつもこいつも平気で嘘をつくんだから。もう少ししたら、バスはやはり来るようで、1人の青年がやってきてバスを待ちはじめた。
 結局やさしい紳士が運転する車が通りかかり、僕もその青年もタダで乗せてもらったのだが。

 村に帰ると雨が強くなってきた。次のパムッカレまでは夜行バスで行くのだが、出発は午後8時。それまでインターネットをしたり食事をして過ごした。
 そしてバスに乗り、カッパドキアを後にするときには土砂降りになり、道は川のようになっていた。バス会社の社員によると、実は4月というのは雨が多いらしい。


出費                   20ML   バスチケット
     2.75ML インターネット
     5ML 屋外博物館入場料
     7ML 飲食費
     5ML 折りたたみ傘
     5ML クリーニング代
     0.6ML 切手
     18.6ML 宿代2泊、その間の食事
計     63.95ML
(約6395円)
宿泊         夜行バスの中
インターネット    Nese cafe