旅の日記

シリア編その2(2002年4月13〜15日)

2002年4月13日(土) ハマの水車(A town of waterwheels)

 僕のホームタウンは横浜である。横浜を「ハマ」と呼ぶのはもう死語に近いが、そんなこととは全く関係なく、シリア北部のハマという街にコマを進めることにした。
 パルミラの次の大きな見所は、あの宮崎駿の「天空の城ラピュタ」のモデルになったといわれる「クラック・デ・シェバリエ」城だ。この城はホムスという街のそばにあり、今日向かうハマはこの街を経由していくのだが、僕は城見物は明日にまわし、先にハマの街に行ってゆっくりすることにしたのだ。(最近日記も溜まっているので・・・)
 桂君はこのまま城に行くというので、パルミラから一緒にバスに揺られ、ホムスの街で別れた。彼はホムスで宿をとり、城を見に行く。僕はバスを乗り換え、50キロ北のハマを目指した。

 昼頃にハマに着き、評判の良い「リアド・ホテル」にチェックインする。この辺まで来ると親切な人ばかりで、地図を見ていたらおじさんが僕をホテルまで連れていってくれたし、大人も子どもも下心なしに「ハローハロー!」と声をかけてくる。ハマは思ったより都会だったが、シリアでも特に保守的なところで、イスラムの古き良き慣習が今も守られている。ということは客人を歓迎し、老人を敬い、犯罪なんてとんでもない、ということである。
 「保守的なイスラム地域」というと日本人から見れば怖いような気がするが、実は旅がしやすかったりするのである。

 さっそく宿に出て、この街のウリになっている水車を見にいった。
 この街には古い木造の水車がいくつかあって、中には世界最大のものもあるのだが、今は川の水位が低く、回っていない。それどころか底に淀んだ水やヘドロが異臭を放ち、臭いったらないのだ。僕は東京・目黒川のそばに住んでいたことがあるが、かつて日本最悪と呼ばれたあの川より、はるかにハマの水は汚い。
 それでも一応は名所なので、そばにはレストランが立ち並び、テラスで観光しながら食事ができるようになっているのだが、どうやったらこの臭いの中で食欲がわくのだろうか?

 観光案内所に寄って「シリアを出るとき出国税はかかるのか」と聞いたが、数人いた係員はみんなカタコトの英語しか話せず、ジェスチャーを交えて数分粘ったが分かってもらえなかった。
 「私、トルコ、行きます。国境、シリア出る、トルコ入る。パスポート、スタンプ、いくら?」と説明しても、親切で一本気なおじさんたちは「トルコ、バス、アレッポから直通、ある。アレッポまで、ここからバス、乗る」とばかり繰り返すのだ。
 宿に帰り、フロントのお兄ちゃんに聞いたら、流暢な英語で「departure tax? いらないよ!」と一発で答えが帰ってきた。残されたシリアポンドが今日明日とやっていくのにギリギリの金額なので、これで安心した。

 その後は夜まで溜まった日記を打った。明日、クラック・デ・シェバリエを見た後、この街でアップロードしたのだが・・・。


出費                   55SP   交通費
     25SP おやつの買物
     77SP 飲食費
計     157
SP (約400円)
宿泊         Riad Hotel


2002年4月14日(日) 天空の城でモテる(Crac de Chevaliers)

 世界には、宮崎駿が自分の作品のモデルにしたといわれる場所がいくつかある。
 「風の谷のナウシカ」はパキスタンのフンザ、「魔女の宅急便」はクロアチアのドブロウニク、そして「天空の城ラピュタ」はシリアのクラック・デ・シェバリエ城である。(「ラピュタ」に関しては、カンボジアのタ・プロームからもヒントを得たという噂を聞いたことがある)
 僕は、彼の作品の中でも特に「天空の城ラピュタ」が好きだ。あれを観たときに僕はまだ中学生だったが、映画の中の世界と現実を比べて、「なんてこの世はつまんないんだ」と思ってしまったほどだ。(その後、バイクに乗るようになって自分も冒険活劇の主人公になり得ることが分かったが)
 そんな僕がクラック・デ・シェバリエ城に行かない訳がないのだ。というわけでレッツ・ゴー!

 宿を7時半に出て、セルビスというマイクロバスに乗ってまずホムスに行く。ヨルダンでは都市間を結ぶ乗合タクシーをセルビスと言ったが、シリアでは都市内部や近郊を走るマイクロバスをセルビスというのだ。
 どちらも、満員にならないと出発しないというのは一緒だ。ホムスから城に向かうセルビスはなかなか人が集まらないので、かなり待つ覚悟が必要らしい。

 ホムスに着き、セルビスに乗りかえると、日本人女性が2人乗っていた。話してみると1人はダマスカス、もう1人はカイロに住んでいて、2人とも若く、アラビア語が話せる。ピーンときて、「海外青年協力隊でしょ!」と聞いたら、やはりそうだった。僕はルーマニアで何人か女性の隊員に会っているので、言葉では言い表せないような独特の雰囲気が分かるのだ。
 彼女たちに炊き込みご飯のおにぎりをもらい、しばらく待つと、意外に早く人が集まってセルビスは出発した。

 運転手は妙にハイな親父で、ダミ声で歌い上げ、手拍子を取りながら運転し(ハンドルから手を離すなっちゅーの!)、約30分後に城のふもとに着いた。

 学生料金15ポンドを払い、さっそく見学を始める。
 ここでちょっと脱線。シリアを訪れるときは、必ずどこかで国際学生証を作っておくように。ここもそうだけど、シリアの博物館や観光名所は大概入場料金が300ポンドだが、学生証を見せると一気に20分の1に下がるのだ!)

 さて、青空のもと、小高い山の頂上にそびえるクラック・デ・シェバリエ。この城は十字軍によって造られた要害で、1271年に陥落するまでイスラムの手からこの地を守っていた。その後はイスラム教徒の要塞兼住居として使われ、ほんの50年前まで人が住んでいたらしいのだ。
 城からは360度のパノラマが楽しめる。眼下に広がるのは緑に覆われた丘陵地帯。レバノンの方角を見ると雪を被った山岳まで見える。シリアというと砂漠のイメージがあるが、この辺は実に牧歌的だ。

 城の一番高い所まで登り、「ラピュタ」の世界に想いを馳せようと思ったら、レバノンから日帰りでやってきた女性のグループに囲まれた。
 「きゃー、どこからやってきたの?」
 「何歳、何歳?名前は?」
 「メールアドレス教えてあげる」
 「お菓子あげる」
 そして一緒に写真撮影が始まった。レバノンはアラブ諸国の中でもかなり開放的だと聞くが、なるほど、西洋人のような格好をした人が多い。
 彼女たちの中には僕の写真を撮って、城の上からの眺めを撮らなかった人もいた。おい、いいのか!素晴らしい景色のかわりに俺なんか撮って!

 こんなにモテたのは、ペルーのナスカの地上絵以来だ。あのときも、ペルー人のグループは地上絵よりも僕に夢中だった。
 正確にいうとモテているのではなく、「珍獣」扱いに近いのだけど・・・。

 さて、城の感想だけど、「なかなかいいではないか。パルミラよりずっといいぞ」って感じだ。特に最近、イスラムやローマの遺跡ばかり見てきたから、中世のお城というのが新鮮に見えたのかも。
 ただし「ラピュタ」のモデルというのは、言われてみないとわからない。それはクロアチアのドブロウニクも一緒だった。宮崎駿は確かに来たのだろうが、それ以外にも見た城や風景なんかを組み合わせて、独自の舞台を作ったのだと思う。ここを舞台にしたというよりは、一つのヒントにした、という感じだろう。

 あまり遅くなるとホムスに戻るセルビスがボッてくるというので、2時間ほど見たあと、午後1時ごろには城を後にした。帰りもあの日本人女性一緒で、今度はナッツをいっぱいもらった。レバノン娘からはチョコレートをもらったし、今日は女性運がいいのだ。

 ハマに戻り、昨日打った日記をフロッピーに落としてインターネットカフェに行くが、プロキシサーバーの設定があってFTPソフトがつかえない。ホテルのフロントにも割高のインターネットがあるのだが、そこで試しても駄目だった。明日、トルコに入国する予定なので、そっちでアップロードをしよう。
 ちなみに、僕はシリアでインターネットがあることにとても驚いた(シリアは独裁体勢で、マスコミも政府にコントロールされ、人々は言論の自由がない)。しかし何らかの規制は働いているようで、例えばホットメールも、普通にwww.hotmail.comにアクセスしようと思っても無理で、ある特定のホームページからリンクで飛ばないと駄目なのだ。どんな仕組みになっているんだろう?


出費                   84SP   交通費
     15SP 城入場料
     90SP インターネット
     40SP 飲食費
計     229
SP (約580円)
宿泊         Riad Hotel
インターネット    Riad Hotel


2002年4月15日(月) 洞窟市場(Market of Aleppo)

 トルコに行くためにはハマから約150キロ北にある、シリア第2の都市アレッポでバスを乗り換えなければならない。午前10時すぎのバスでハマを後にし、アレッポには正午に到着した。
 トルコ行きの国際バスの時間を聞くと、午後1時半が最終だという。僕は切符を買って荷物を預け、バスターミナルを後にした。

 さて、アレッポで与えられた時間は1時間とちょっと。この街もかなりの歴史があり、世界遺産にも登録されていて観光に値するのだが、はやくギリシャに戻りたいのもあって、僕は今回パスすることにしたのだ。
 とはいうものの、石の屋根に覆われたスークというのがとても気になったので、タクシーを飛ばし、少ない時間の中で見てみることにした。

 そしたら・・・いきなり僕の感性はビンビン刺激された。歴史を感じさせる猥雑なスークというのはダマスカスでも見たが、屋根が違うのだ、屋根が。ここでは通りがすべて石で覆われており、等間隔に開いた天窓からやさしい陽光が差し込んでいる。まるで中世のお城の中か、洞窟の中に市場があるようなものなのだ。メインストリートの長さも1キロもあるから、規模も相当のものだ。

 はっきりいってこのスーク、シリアで一番感動したと思う。
 アレッポには他にも見所があるから、今夜一泊してゆっくり見ようかな、でもバスのチケット買っちゃったし、シリアポンドの残りも無いんだよな、などと心の葛藤を覚えながら通りを歩く。

 しかし結局、初志貫徹。僕はスークだけをちらっと見て、アレッポを後にすることにした。
 アレッポは月桂樹の油からつくった石鹸でも有名なので、余ったシリアポンドで一個買った。そして昼食用のファラフェル(中東版コロッケ)を4個買ったが、やけに高いと思ったらファラフェル入りの巨大なサンドイッチが4個出てきた。おかげで僕は昼も夜もそれを食べることになる。

 トルコ行きのバスはやけに空いていて、大型バスに乗客は数人だけだった。アレッポからトルコ側の街アンタクヤまでは100キロほどの距離だが、国境通過に時間がかかる。乗客が少ないぶん楽だったが、それでもシリア出国/トルコ入国の手続きで1時間半はかかっていた。トルコ入国の方が厳しく、バスもあらゆる部分(エンジンのカバーまで)を開けられて調べられていた。
 午後5時ごろにアンタクヤ着。バスターミナルのすぐ横に安宿街があり、「地球の歩き方」に載っていた宿にチェックインした。親父は部屋を案内したあと、「バクシーシ(チップ)をくれ」とか言っていたが、なんで荷物を持ってもいないのに払わねばならないのだ!と怒っておいた。

 さて、純朴な人の多いシリアだったが、トルコに入ったら心の入れ替えが必要だ。観光地の人がスレているというのはどこでも一緒だが、トルコではその上に睡眠薬強盗が多発している。友達になったフリをして飲物や食物に睡眠薬を入れ、こっちが眠ったスキに荷物や貴重品を奪うのだ。薬の量も多めに入れるから、飲まされた人は30時間は寝続け、さらにはちゃんと寝ているかどうか試すために殴られたりするそうだ。
 また、イスタンブールではトルコ人と結婚した日本人女性が言葉巧みに旅行者に近づき、日本人同士、安心したところで高額な絨毯を買わせたり、法外な料金のツアーを組ませたりするらしい。
 もちろん、すべての人がそんなであるはずがない。しかし、被害が出てからでは遅いのだ。最初は必要以上に警戒し、慣れながら徐々にガードを下げて行くのが正解だ。(実は「慣れてきた」と思う頃が一番危ないのだけど・・・)

 また、トルコといえば通貨単位がメチャクチャなことでも有名である。インフレが留まるところを知らないから、今では1ドル=1,300,000リラという訳のわからん数字になっている。僕は明朝のカイセリ行きのバスを予約したのだが、その料金が16,000,000リラ、せんろっぴゃくまんリラである。日本円にする場合は丸を4つとって、わずか1600円なのだが。
 昔、おばあちゃんが店番をする駄菓子屋で買物をすると、100円のものを「百万円」とかいうので、こっちも「ひええ!」と必要以上に驚くのが礼儀だったが、トルコでは普通の会話でそんなケタがやりとりされているのだ。
 ちなみに、今日僕がATMから引き落とした額は1億リラ。これが円だったらどんなにいいだろうか・・・。


出費                  328SP   交通費
     35SP 石鹸
     60SP 飲食費
     16ML カイセリ行きバス
     3ML 宿代
     1.25ML ビール、水
計     423
SP (約1070円)
     20.25ML (1ドル=1.3ミリオンリラ、約2025円)
宿泊         Oteli Ercon