ホテル「エル・ハラメイン」のロビーは、気持ちが良い。中庭に屋根を被せて吹きぬけ風にしており、中央には金魚の泳ぐちょっとした池がある。建物自体も古く、西暦1200年に作られたとホテルの名刺にはある。その後にどんどん改築されて行ったんだろうけど、こんなに古いホテルというのもちょっと無いんではないか。
午前中にロビーで日記を打ち(あんまり進まなかったけど)、午後にインターネットカフェに行って(シリアにもある!)、また旧市街を歩いてみた。ほんの気分転換のつもりだったのに、迷路のようなスークを歩くうちにどんどん奥に行ってしまい、帰ってきたのは夕方だった。
すると、またロビーに日本人が集まりだして旅行談義になった。
しばらくして、宿の向かいの仕立て屋の親父がやってきて、「今夜、イスラエルの軍事行動に抗議して外国人留学生たちが座り込みをやっているから、見に行かないか」と言った。
興味があったし、特に危険な匂いもしないので何人かで行ってみると、座り込みが行われているのはEC(ヨーロッパ共同体)の事務所の前だった。白人の学生が中心で、彼らが抗議している相手は自分たちの母国、つまりヨーロッパ。今回、イスラエルがパレスチナ住民に対して虐殺ともいえる強硬な軍事行動に出ているが、なぜヨーロッパ諸国は傍観しているのか、ということらしい。
しかし、座り込みは可愛いものだった。交代で座って4日目らしいが、みんなでパレスチナ解放運動家のビデオを見たり、プラカードを書いたり、署名を集めたり・・・。なんか、楽しそうだ。
僕の正直な感想は、自分の良心が何もしないのを許さないから、それを満足させるためにとりあえず座り込んでいるんじゃないか、というものだった。みんなで楽しく話しているのを見ていると、どうもクラブ活動のように見えてしまう。
これは冷めた意見かもしれないけど、留学生が十数人事務所の前で座り込んだって、ECの動きは全く変わらないと思う。しかもダマスカスという、ヨーロッパにとっては僻地の小さな事務所だ。
本気でヨーロッパの国々を動かそうと思ったら、シリアに留学しているという特異な立場を活かして、アラブ世界から見たイスラエルの現状を共同の論文、レポートにまとめて母国のメディアに送るなり、ネットで公開するなりした方がはるかに効果があると思うのだが・・・。
自分は何もしないくせに偉そうに、と思うかもしれない。だけど僕ははっきり言って、綺麗事が嫌いなだけなのだ。
たとえば、自称・「自然に優しい」菜食主義者である(白人に多い)。宗教上の理由や、単に肉が嫌い、というのは分かる。だけど動物が可愛そうだから、というのは筋が違うと思う。あなたが食べなくたって、どうせその動物は殺されて肉になっているわけだし、そんな事言ったら動物実験を経て作られた薬だって飲めないし、皮のベルトも靴も買えない。
結局、「私は自然に優しい」「私は動物を守っている」と、自分を満足させているに過ぎないのだ。自己満足だと認識していればいいんだけど、自分の目の前に出された肉を残して無駄にして、それでいい顔をしているのを見ると、やはり違うと思う。
どんどん脱線してきたけど、脱線ついでに・・・
1年前、南米チリで4日間のフェリー旅をしたけど、その時に羊や牛を満載したトラックが船に載っていた。当然、それらの動物は荷台に詰め込まれたままで、「狭いなあメー」「出してくれモー」などと鳴いていて、まあ、普通に考えても可愛そうだ。だけど僕たちが知らないだけで、家畜の輸送なんてそんなものだと思う。
そこで、その様子を見た白人女性が2人、怒って言ったのだ。「彼らは可愛そうだわ。殺される瞬間まで動物らしく生きる権利があるはずよ。飛行機で送ってあげればいいのに」「そうよそうよ、飛行機で輸送すればいいんだわ」
僕はズッコケて船から落ちそうになった。飛行機で送る?いったい、いくらかかると思うんだ?
彼女たちはベジタリアンではなかった。船で出された肉を食べていた。だけど、飛行機で動物を送ることによって船の食事代が何倍になったり、マクドナルドのハンバーガーセットが20ドルになったら、彼女たちは払うのだろうか?
パレスチナ問題から、ものすごく話がそれてしまった。
話を戻すと、しかし確かに、イスラエル軍がパレスチナ住民にしていることはメチャクチャである。今回は大きく報道されたけど、今まではイスラム過激派がテロを起こして10人死んだ、20人死んだ、というニュースばかりで、その影でパレスチナ人の子どもたちが最新兵器で殺されている、という事実に目を向ける人は少なかった。
昨年のNYの事件で、アメリカは民主主義VSテロリスト、という図式をつくり上げた。テロは世界を脅かす驚異で、テロリストは人類の敵だ、と。平均的なアメリカ人はこれをすっかり信じ込んでいるような気がするが、僕には綺麗事にしか聞こえない。
小林よしのりも「戦争論2」で書いていたけど、じゃあテロって何だ?ということになる。
テロというのは、「正当」な軍事行動が取れない人たちに残された、最後の抵抗手段である。国も財産も軍隊も奪われた人々が、大国と最新兵器に力で立ち向かう唯一の方法だ。
無実の市民が乗ったバスを、いきなり爆破するのは卑怯だ。決して許されるべきではない。しかし、石を投げるくらいしかできないパレスチナ人群衆に戦車で突っ込んだり、イスラム信者が立て篭もった古い教会にミサイルをぶちこんだりするのは卑怯ではないのか?
窮鼠猫をかむ。テロに打って出る人たちは、それだけ追い詰められているのだ。なんで追い詰められたのか、誰が追い詰めているのかを考えないと、「テロリストを抹殺せよ!」だけでは、雪だるま式に憎悪がつのるだけだ。
それで結局何が言いたいかというと、やっぱり僕は綺麗事が嫌いだということだ。あ、こんなこと書いている自体が綺麗事かもしれないけど・・・。
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