旅の日記

シリア編(2002年4月10〜12日)

2002年4月10日(水) イスラムの古都ダマスカス(Damascus)

 とりあえずペトラも観たし、死海でも浮かんだし、ヨルダンはもういいや、という気分になった。クリフホテルは快適だが、街ですべきことがもう無いのだ。
 この時期にイスラエルに挑戦するという足立君と一緒にタクシーに乗り、バスターミナルに行く。車を降りた早々、彼はイスラエル、僕はシリアとそれぞれの方面の客引きに出迎えられ、僕たちは別れた。

 僕が乗ったのはバスではなく、またセルビスという乗合タクシーだった。シリアの首都ダマスカスに向かう直通で、運転手を含めたあとの4人は全てヨルダン人だった。おそらくイスラエル問題のことだろう、運転手は自分の仕事よりダミ声でガアガアと話すことに夢中で、3人のヨルダン人は適当に相槌を打っている感じだった。
 三菱製の車は1時間後に国境に着いた。シリアのビザはエジプトで取得しておいたので、スムーズにヨルダン出国/シリア入国の手続きは終わった。ただしシリア側では係官がパスポートのページを丁寧に繰っていた。イスラエル入国のスタンプがないか、調べているのである。

 さて、55カ国目のシリアはヨルダンよりはるかにイスラエルとの関係が悪く、国は常に警戒体勢にある。税収の半分は軍事費に消え、秘密警察が暗躍し、子どもたちの学校制服もまるで軍服のようなデザインだ。
 湾岸戦争では多国籍軍に参加して国際的な評価回復に努めたが、それ以前にあった「テロ支援国家」のレッテルはなかなか剥がれず、今でもこの国をネガティブな目で見る人は多い。
 しかし実際にこの国を訪れた人は、ヨルダンやエジプトなどよりはるかに人が優しく、伝統的なイスラムの秩序が保たれた良い国だという。中東を南下する場合、下に行くほど人が腐ってゆく、というのは旅行者の間でよく言われることだ。

 昼ごろにダマスカスに着く。タクシーを捕まえ、ホテル「エル・ハラメイン」に向かうと、ちょうどチェックアウトの時間に重なってシングルルームに入ることができた。この宿は人気が高く、午後遅くに行くと満室の場合が多いのだ。

 部屋に荷物を置き、すぐに街に出てみた。 まず向かったのは城壁に囲まれた旧市街のスーク(市場)である。
 ダマスカスは4000年の歴史を持つ世界的な古都である。7世紀からはイスラム教の発展ともに歩み、アンマンとは比べ物にならないほど重要な史跡や古い街並みが多い。中でもスークは中東で最大といわれ、400メートル四方のエリアに無数の路地が入り組み、「そろわない物はない」といわれるほど多くの商店が立ち並ぶ。
 メインの通りは2本あり、上はアーケードで覆われているから内部はうす暗い。迷路のように複雑で狭い路地はモロッコのメディナを思わせるが、あそこのようにしつこく言い寄ってくる客引きがいないから、安心して歩きまわることができる。

 日本を出てから一度も換えていないボロボロのライディングシューズで歩いていたら、靴修理屋に呼びとめられた。本当はこのまま履き潰し、ギリシャで新しいトレッキングシューズでも買うつもりだったが、アラブ職人の手際が見たくなって修理をお願いした。

 すると、若い修理屋は擦り減った踵の表面を整えることもなく、いきなり新しいのをガンガンと釘で打ちつけはじめた。うわあ、乱暴だなあ、と思ったが、剥がれかけたソールはていねいに接着剤で貼ってくれて、ほつれた部分はミシンで縫い直してくれた。
 結局5ドルほど取られることになったが、これで旅の最後まで使えるような気がしてきた。新しい踵が厚いので、若干前傾姿勢なのが気になるが・・・。

 次に、僕はスークの奥にあるウマイヤド・モスクを訪れた。
 西暦715年に建てられた世界最古のモスクで、その後に建てられたものはすべてここの模倣であると言われるほど、イスラム建築の基準となっている。イスラム第4の聖地で、アラブ各国からここを巡礼するツアーが組まれているそうだ。
 そしてモスクとしては珍しく、非ムスリムも立ち入ることができる。

 中庭には鳩が多く舞っていた。装飾はたしかに美しいが、大理石の床には鳩の糞が目立つ。入口で靴を脱ぐので、気をつけないと新鮮なのを直に踏んでしまうのだ。
 本堂の中は薄暗く、椅子や祭壇などはない。ただ一面に絨毯が敷かれているだけで、その上で信者たちは祈ったり、輪になって座ったり、寝そべったりして思い思いの時間を過ごしている。
 本堂の中にさらに小さなお堂があり、窓から中を覗くと、巨大な棺みたいなものがある。刺繍の施された布が被せられ、まわりをロウソクが取り囲み、いかにも大変なモノだぞ、というオーラを発している。

 なんと、この中には聖ヨハネの首が収められているというのだ。聖ヨハネといえば、あのキリストの師匠である。
 実は、イスラム教はキリスト教、ひいてはユダヤ教の流れを組む宗教であり、彼らのいう「アラー」とは、キリスト教やユダヤ教の神と同じなのである。だから、イスラム教でもキリストは偉大な聖者として認めているのだ。

 つまり方法論が違うだけで、崇める神は一緒なのである。ただ、イスラム教のウリは創始者ムハンマドが最後の預言者(神の言葉を預かる者)であるということで、彼の言葉こそが神の教えの最終/最新バージョンである、ということなのだ。
 はたから見ていると、同じ神を信じるならもっと仲良くすればいいと思うのだが・・・。

 その後でアゼム宮殿というのに寄り(ただの屋敷に見えた)、宿に帰り、日記を打とうと思ったが、部屋にコンセントが無い。仕方ないのでロビーに行くが、そこには日本人が何人もいて、エジプトのルクソールとダハブで会った桂君もいた。みんなで話しながら日記など打てるわけもなく、今日も出会いと会話を優先することにした。
 ここで宇都宮夫妻という、2人乗り自転車で世界を回っている夫婦に出会った。噂には聞いていたけど、こんなところで会えるとは・・・。
 中東はヨーロッパ方面とアフリカ方面を結ぶルートであり、イラクやサウジアラビアを通過するのが非常に難しいから、どうしても旅行者はシリア、ヨルダンを通ることになる。定番の宿も決まっているから、日本人旅行者の数のわりに出会う確立が高いのだ。


出費                  7.2JD   交通費
     5JD ヨルダン出国税
     225SP 飲食費
     65SP モスク、宮殿
計     7.7
JD (約1430円)
     290SP (1ドル=約51.5シリアポンド、約730円)
宿泊         Hotel Al Haramain


2002年4月11日(木) ダマスカスの一日(A day in Islamic old town)

 ホテル「エル・ハラメイン」のロビーは、気持ちが良い。中庭に屋根を被せて吹きぬけ風にしており、中央には金魚の泳ぐちょっとした池がある。建物自体も古く、西暦1200年に作られたとホテルの名刺にはある。その後にどんどん改築されて行ったんだろうけど、こんなに古いホテルというのもちょっと無いんではないか。

 午前中にロビーで日記を打ち(あんまり進まなかったけど)、午後にインターネットカフェに行って(シリアにもある!)、また旧市街を歩いてみた。ほんの気分転換のつもりだったのに、迷路のようなスークを歩くうちにどんどん奥に行ってしまい、帰ってきたのは夕方だった。

 すると、またロビーに日本人が集まりだして旅行談義になった。
 しばらくして、宿の向かいの仕立て屋の親父がやってきて、「今夜、イスラエルの軍事行動に抗議して外国人留学生たちが座り込みをやっているから、見に行かないか」と言った。

 興味があったし、特に危険な匂いもしないので何人かで行ってみると、座り込みが行われているのはEC(ヨーロッパ共同体)の事務所の前だった。白人の学生が中心で、彼らが抗議している相手は自分たちの母国、つまりヨーロッパ。今回、イスラエルがパレスチナ住民に対して虐殺ともいえる強硬な軍事行動に出ているが、なぜヨーロッパ諸国は傍観しているのか、ということらしい。
 しかし、座り込みは可愛いものだった。交代で座って4日目らしいが、みんなでパレスチナ解放運動家のビデオを見たり、プラカードを書いたり、署名を集めたり・・・。なんか、楽しそうだ。

 僕の正直な感想は、自分の良心が何もしないのを許さないから、それを満足させるためにとりあえず座り込んでいるんじゃないか、というものだった。みんなで楽しく話しているのを見ていると、どうもクラブ活動のように見えてしまう。
 これは冷めた意見かもしれないけど、留学生が十数人事務所の前で座り込んだって、ECの動きは全く変わらないと思う。しかもダマスカスという、ヨーロッパにとっては僻地の小さな事務所だ。

 本気でヨーロッパの国々を動かそうと思ったら、シリアに留学しているという特異な立場を活かして、アラブ世界から見たイスラエルの現状を共同の論文、レポートにまとめて母国のメディアに送るなり、ネットで公開するなりした方がはるかに効果があると思うのだが・・・。

 自分は何もしないくせに偉そうに、と思うかもしれない。だけど僕ははっきり言って、綺麗事が嫌いなだけなのだ。
 たとえば、自称・「自然に優しい」菜食主義者である(白人に多い)。宗教上の理由や、単に肉が嫌い、というのは分かる。だけど動物が可愛そうだから、というのは筋が違うと思う。あなたが食べなくたって、どうせその動物は殺されて肉になっているわけだし、そんな事言ったら動物実験を経て作られた薬だって飲めないし、皮のベルトも靴も買えない。
 結局、「私は自然に優しい」「私は動物を守っている」と、自分を満足させているに過ぎないのだ。自己満足だと認識していればいいんだけど、自分の目の前に出された肉を残して無駄にして、それでいい顔をしているのを見ると、やはり違うと思う。

 どんどん脱線してきたけど、脱線ついでに・・・
 1年前、南米チリで4日間のフェリー旅をしたけど、その時に羊や牛を満載したトラックが船に載っていた。当然、それらの動物は荷台に詰め込まれたままで、「狭いなあメー」「出してくれモー」などと鳴いていて、まあ、普通に考えても可愛そうだ。だけど僕たちが知らないだけで、家畜の輸送なんてそんなものだと思う。
 そこで、その様子を見た白人女性が2人、怒って言ったのだ。「彼らは可愛そうだわ。殺される瞬間まで動物らしく生きる権利があるはずよ。飛行機で送ってあげればいいのに」「そうよそうよ、飛行機で輸送すればいいんだわ」
 僕はズッコケて船から落ちそうになった。飛行機で送る?いったい、いくらかかると思うんだ?
 彼女たちはベジタリアンではなかった。船で出された肉を食べていた。だけど、飛行機で動物を送ることによって船の食事代が何倍になったり、マクドナルドのハンバーガーセットが20ドルになったら、彼女たちは払うのだろうか?

 パレスチナ問題から、ものすごく話がそれてしまった。
 話を戻すと、しかし確かに、イスラエル軍がパレスチナ住民にしていることはメチャクチャである。今回は大きく報道されたけど、今まではイスラム過激派がテロを起こして10人死んだ、20人死んだ、というニュースばかりで、その影でパレスチナ人の子どもたちが最新兵器で殺されている、という事実に目を向ける人は少なかった。

 昨年のNYの事件で、アメリカは民主主義VSテロリスト、という図式をつくり上げた。テロは世界を脅かす驚異で、テロリストは人類の敵だ、と。平均的なアメリカ人はこれをすっかり信じ込んでいるような気がするが、僕には綺麗事にしか聞こえない。
 小林よしのりも「戦争論2」で書いていたけど、じゃあテロって何だ?ということになる。
 テロというのは、「正当」な軍事行動が取れない人たちに残された、最後の抵抗手段である。国も財産も軍隊も奪われた人々が、大国と最新兵器に力で立ち向かう唯一の方法だ。
 無実の市民が乗ったバスを、いきなり爆破するのは卑怯だ。決して許されるべきではない。しかし、石を投げるくらいしかできないパレスチナ人群衆に戦車で突っ込んだり、イスラム信者が立て篭もった古い教会にミサイルをぶちこんだりするのは卑怯ではないのか?

 窮鼠猫をかむ。テロに打って出る人たちは、それだけ追い詰められているのだ。なんで追い詰められたのか、誰が追い詰めているのかを考えないと、「テロリストを抹殺せよ!」だけでは、雪だるま式に憎悪がつのるだけだ。
 それで結局何が言いたいかというと、やっぱり僕は綺麗事が嫌いだということだ。あ、こんなこと書いている自体が綺麗事かもしれないけど・・・。


出費                   75SP   インターネット
     470SP 宿代(2泊分)
     65SP 飲食費
計     610
SP (約1540円)
宿泊         Hotel Al Haramain
インターネット Alpha Computer Center


2002年4月12日(金) 古えの隊商都市(Seeing Palmyra)

 朝一番に宿を出てシリア観光の目玉、パルミラ遺跡に向かうことにした。
 金曜日はイスラム暦の休日、しかも早朝だからバスターミナルは空いていて、パルミラ遺跡のあるタドモール行きのバスはすぐに見つかった。
 砂漠の中を200キロ走り、午前11時には街に着いた。評判の良い「サン・ホテル」に行き、部屋を見せてもらってロビーに戻ると、ダマスカスでも一緒だった桂君にまた会った。彼も着いたばかりだというので、ツインの部屋をシェアすることにした。
 シュワルマというアラブ風サンドイッチを食べたあと(ヨルダン、シリアの外食というとこればかりなのでかなり飽きてきた)、桂君と観光を開始する。

 パルミラは、2世紀に最盛期を迎えたシルクロードの隊商都市である。そのころからローマの影響を受けていたし、3世紀にはローマの手に落ちたから、残された遺跡はやはりローマ風である。
 シリアを代表する観光地であり、パルミラのPとヨルダンのペトラのP、そしてイランのペルセポリスのPをとって中東の3Pなどと言われたりもするのだ。

 しかし、そんな観光名所にもかかわらず、一部の神殿を除けば入場料は無料なのである。なんて良心的なんだろう!
 まずは「記念門」から遺跡に入ると、全長1キロに渡って柱がまっすぐに並んでいる。それがいわばメインストリートで、その左右に円形劇場や神殿が残っているのだが、規模が大きいかわりに、やはり細かい装飾は失われてしまっている。

 桂君と初めて会ったのがルクソールなので、2人で遺跡を回っていると、どうしてもエジプトの遺跡と比較してしまう。
 「2世紀といったって、つい最近じゃん」「そのわりに保存状態はイマイチじゃん」・・・客観的にみれば古代ロマンあふれるいい遺跡なのだが、どうも2人にはピンとこないのである。

 本当は有料の「ベル神殿」もなぜか無料で見られ、3時間ほどで一通りを回ってしまった。パルミラは半日あれば十分、という情報を聞いていたが、なるほどその通りだ。
 夕陽に染まる遺跡を見ればもっとグッと来るのではないか、と思った二人はいったん宿に帰り、夕方まで待った。しかし太陽が大きく傾く中で「四面門」を見ても、僕たちの心が動かされることはなかった。
 2人の個人的結論。エジプトの遺跡、特に「ネフェルタリの墓」や「アブ・シンベル神殿」なんかを見てしまうと、それ以降の中東の遺跡がどれも平凡に見えてしまう!
 パルミラはペトラよりは保存状態がいいが、迫力は劣る。しかしアブ・シンベルなどは、一つでその両方を完全に満たしていたのだ。これらの遺跡よりさらに2千年も古いのに・・・。

 むしろ感動したのは、「サン・ホテル」の夕食だった。あまり期待していなかったのだが、白米と豆ごはんの2種類のごはんにビーフ・シチューを中心としたおかず数品。最近シュルワルマばかり食べていた2人は、「うまいうまい」ときれいにたいらげてしまった。
 食事が美味いと食後のお茶も美味しく、僕たちは絨毯の上に座るアラブ式のダイニング・ルームで、いつまでも色んな話をしていたのであった。


出費                  105SP   交通費
     200SP 宿代
     45SP 飲食費
計     350
SP (約880円)
宿泊         Sun Hotel