旅の日記

ヨルダン編その2(2002年4月8〜9日)

2002年4月8日(月) 首都アンマン(The capital)

 朝7時過ぎ、けたたましいノックの音で目が覚めた。「ヘイ、ミスター!アンマン行きのバスがでるよ!」
 僕を起こしたのは宿で働く青年だった。昨日確認したところによると、ワディ・ムサからアンマンに向かうバスは朝から昼にかけて数本あるらしい。適当な時間に起きて行こうと思っていたのだが、この青年は親切心からか、とにかく僕を早くアンマンに行かせたいらしい。

 「いそいで!いそいで!」というので、朝食もたべす顔も洗わずウンコもせず、荷物をまとめて彼について行くと、ホテルの近くで待っていたのはバスではなく、セルビスという乗合タクシーだった。
 「なんだ、バスじゃないじゃないか。俺は安いバスで行きたいのだ」
 「ミスター、アンマンまでいくら払う気があるんだ?」
 「バスは2.5か3がせいぜいだ。それ以上は出さない」
 「・・・わかった。3で行こう。だけど、他のヤツには内緒よ」
 というわけで、僕はそのままセルビスに乗ることになった。バスよりは速いが、ステーションワゴンに白人6人と僕を押し込むので、車内は相当きつい。

 ヨルダンの道は思ったより整備されていて、車は朝日の中をひたすら北上した。
 出発したのが早かったので、一度の休憩をはさみ、200キロ弱の道のりを越えてアンマンのワヘダット・バスターミナルに着いたのは午前11時だった。そこから同乗者たちとタクシーをシェアし、安宿の集まるダウンタウンに向かう。バックパッカーに人気の「クリフ・ホテル」にチェックインしたのは、まだ昼前だった。
 小さなバルコニーのある日当たりのいい角部屋のシングルで、僕は見せてもらってすぐに気にいった。宿の人たちも親切でていねいだ。

 部屋に荷物を置いたあと、僕はさっそく街に出てみた。
 人口約100万人の首都アンマンは、丘の多い街だ。急な坂道をオンボロ車がぜいぜいいいながら登り、斜面にへばりつくように建てられた粗末な家々の様子は、どこかに似ている・・・と思ったら、アンデスに抱かれた南米エクアドルの首都キトだった。そうだ、この街はキトに似ている。ただし地形的にという意味で、とても中世の面影が残るあの街のように美しくはない。

 アンマンが都市として栄えたのは近代からで、古いスーク(市場)やモスクといった、イスラム的な歴史を感じさせる見所はあまりない。そのかわり、この地をかつて支配していたローマの遺跡がちょっとだけある。ちょっとだけ。
 とりあえず宿に近いローマ劇場に行き、最上段の席から劇場と街を眺めたら、反対側にもっと高い丘があった。その上にもローマの神殿跡があるというので、キトのパネシージョの丘に登っているような気分で民家に挟まれた階段をゆく。

 丘の上にはけっこう緑があって、小さくて黄色い花が一面に咲いていた。そしてその中に石の柱が数本かろうじて立っている神殿跡があった。近くに古い城砦もあるが、いずれにしても大した事はない。
 しかし丘からはアンマン市街が一望できた。高いところから見ると、ますますキトに似ている感じがする。

 そんな感じで僕のアンマン観光は終わってしまった。本当にこの街は観光的な魅力に乏しいのだ。
 ただし人はいい、というか、まだマシだ。ペトラのあるワディ・ムサの人たちはスレていて、言い寄ってくる奴にはかなり警戒していたが、ここでは純粋な親切心から声をかけてくる人の方が、確立としては高い。僕は今日、何人かのアンマン市民と会話をしたが、彼らはいずれも好奇心から話しかけてきた人たちだった。
 ただ一回だけ、天使のようにかわいい子どもたちがいて、親の姿も見えないので写真を撮ろうとデイバックに手を伸ばしたら、何かくれると思ったのか、彼らは目の色をかえてデイバックにつかみかかってきた。顔だけはかわいいのに、まったく油断できないのだ。

 宿に帰ってちょっと昼寝をして、夜に日記を打とうと思ったら、宿にいた日本人男性と部屋で酒を飲むことになった。僕はてっきりヨルダンやシリアでは酒の入手が難しいと思っていたのだが、意外にも普通に売っている。そうなると、あのスローボートで買った1リットルのジム・ビームを後生大事に持っている理由がなくなるのだ。ペットボトルに入れ替えたのだが、それでも1リットルの液体はとても重い。

 そんなわけで、僕は20代半ばと思われるその日本人バックパッカーに酒を振るまい、夜遅くまで旅行談義に花を咲かせるのだった。
 明日は早起きして死海に行く予定なのに・・・。


出費                  3.7JD   交通費
     1.75JD インターネット
     2.9JD 飲食費
     0.5JD シャワー
計     8.85
JD (約1640円)
宿泊         Cliff Hotel
インターネット Internet Yard


2002年4月9日(火) 死海で浮かぶ(Floating in Dead Sea)

 レッド・シー(紅海)の次は、デッド・シー(死海)である。
 本当はイスラエル側の方がメジャーだそうだが、ヨルダン側にもちょっとしたビーチがあるので、今日は死海で浮いてみることにした。
 アンマンからの直通バスは早朝に出るというので、朝7時に出て乗場に向かうが、途中のサウス・シュナという村まで行くバスしかない。仕方なく、そこで乗り換える事にしてヨルダン市民が出発を待つ車内に乗り込んだ。

 バスはアンマンを出発すると、山道を転がり落ちるようにして下っていった。
 アンマンの標高は海抜700メートルである。対して死海は地上で最も低い地点、マイナス400メートルに位置する。約50キロの道のりで1100メートルの標高差を下るのだ。
 2ヵ所ほど検問を経て、サウス・シュナの村に着く。死海行きのバスを待つが、なかなか来なく、誰に聞いてもいつ来るか分からない。結局、タクシーに乗って国営の「死海レストハウス」に行った。

 午前9時すぎ、僕は静寂に包まれた死海のほとりに立った。対岸はイスラエルだが、むこうで現在行われているドンパチが嘘のように水面は穏やかである。僕は死海の水というのは濁っているものと勝手に想像していたが、実際はかなり澄んでいた。試しに指をつけて舐めてみるが、しょっぱいのを通り越して非常に苦い。思わず吐き出してしまうほどに不味いのだ。
 それもそのはず、死海の水には海水の4倍の塩分が含まれているという。そのために、どんなに泳げない人でも嘘のように浮いてしまうのだ。ただしあまりの塩分に生物の生息が不可能で、魚はおろか、水草も藻も生えていない。死の海、という名前の所以だ。

 ちなみに地球を西半球と東半球に分けると(その場合ヨーロッパが地図の中心にくる)、西半球で最も低い地点はアメリカ、デスバレー(死の谷)国立公園だ。あそこは海抜マイナス100メートルぐらいだったと思うが、岩と砂と塩に覆われた月面のような世界だった。死海、死の谷とも灼熱の太陽が照りつける地の底で、生物にとってあまりに過酷な環境なだけに、人々に「死」を連想させるのだろう。

 さて、とりあえず浮かんでみないと話にならない。僕は水着になり、さっそく水に入ってみた。
 僕は両足にダイビングのときにできた傷があるのだが、思ったよりしみなくて助かった。陽射しは強いが朝の風はまだ涼しく、水もちょっと冷たい。気合を入れて胸まで一気に浸かり、体をちょっと後ろに倒してみると・・・
 おお!まるで誰かに足首を掴まれ、持ち上げられたかのようにスーッと両足が底を離れる。そしてプカーっと、腰から胸の部分だけでラッコのように浮けてしまうのだ。頭、手足は水面から出たままである。恐るべし浮力、まるで極厚のウエットスーツを着ているみたいだ。

 これは泳ぎの練習になるのではないか、と今度はうつ伏せになってみた。しかしそれでも手足は沈んでくれないので、水面でエビ反りの形になってしまう。まともに泳ぐことができないのだ。
 エビ反りの姿勢でバタバタしていたら、顔が水につきそうになった。これはかなり危険なことである。うっかり目に水が入ったら、刺すような痛みに目を閉じたまま、シャワー室まで手探りで行かなければならない。

 本や新聞も読めるというので、今度は試しに「地球の歩き方」を持って浮かんでみたが、首が疲れるのを別にすればたしかに読書もできる。僕は死海に浮かびながら、次に向かうシリアの章に目を通した。

 この死海の浮遊体験は非常に面白い。最初に浮かび上がる瞬間、おそらく誰もが「ワッハッハ!」と笑ってしまうだろう。
 しかし、僕にはこの面白さを共有できる人がいない。午前9時半の死海には誰もいなく、僕がはしゃいだり、笑ったりする声は空しく水面に響くだけだった。あとでフランス人のおじさんが2人来て、僕の写真は彼らに撮ってもらったのだが、彼らはちょっとだけ浮かんですぐに退散してしまった。あまり気に召さなかったのだろうか?

 水は穏やかなときは澄んでいるのだが、例えば手で掻いたりすると、塩分が反応を起こして油のようにギラギラと輝く。そして水から上がると、体に残った水分はまるでサンオイルのようにベタベタする。僕の体は鉄じゃないけど、そのままにしておくと錆びてしまうような感じがするので、僕はシャワーに直行し、塩分をきれいに洗い流した。
 僕が死海を後にしようとするとき、続々とタクシーに乗った観光客がやってきた。なんだ、これから盛り上がるのか。きっと何人かいれば、水面に浮かびながらゲームとかできて面白いのだろうな・・・。(素人水球なんて、いいと思う)

 本当はもっと奥に温泉もあるのだが、僕は死海に浮かんだだけで満足してしまって、そのまま帰ることにした。帰路はバスの接続がうまい具合にいき、午後2時には宿に着いた。ちょっと昼寝をして、インターネットカフェに行って、夕食を食べて、さて日記を打とうと思ったら・・・

 今夜も日本人と酒を飲むことになった。足立君という金髪にたくましい体躯の青年で、まだ21歳だが、札幌でコンサートなどの大道具の仕事をもう3年もやっている。僕も新聞社で演劇関係の仕事をしていたから、ステージ関係の話題で熱く語ったが、彼も日本でバイクに乗っていて、しかも彼がトルコにいたとき、あのはーれーごり君に会ったということも判明した。おお!世界は狭いなあ!
 そんなわけで2人で夜遅くまで盛り上がり、ペットボトルに入れていたジム・ビームはかなり減ったのだった。


出費                  4.4JD   交通費
     0.75JD インターネット
     1.25JD 飲食費
     3JD 死海レストハウス
計     7.15
JD (約1330円)
宿泊         Cliff Hotel
インターネット Internet Yard