朝7時過ぎ、けたたましいノックの音で目が覚めた。「ヘイ、ミスター!アンマン行きのバスがでるよ!」
僕を起こしたのは宿で働く青年だった。昨日確認したところによると、ワディ・ムサからアンマンに向かうバスは朝から昼にかけて数本あるらしい。適当な時間に起きて行こうと思っていたのだが、この青年は親切心からか、とにかく僕を早くアンマンに行かせたいらしい。
「いそいで!いそいで!」というので、朝食もたべす顔も洗わずウンコもせず、荷物をまとめて彼について行くと、ホテルの近くで待っていたのはバスではなく、セルビスという乗合タクシーだった。
「なんだ、バスじゃないじゃないか。俺は安いバスで行きたいのだ」
「ミスター、アンマンまでいくら払う気があるんだ?」
「バスは2.5か3がせいぜいだ。それ以上は出さない」
「・・・わかった。3で行こう。だけど、他のヤツには内緒よ」
というわけで、僕はそのままセルビスに乗ることになった。バスよりは速いが、ステーションワゴンに白人6人と僕を押し込むので、車内は相当きつい。
ヨルダンの道は思ったより整備されていて、車は朝日の中をひたすら北上した。
出発したのが早かったので、一度の休憩をはさみ、200キロ弱の道のりを越えてアンマンのワヘダット・バスターミナルに着いたのは午前11時だった。そこから同乗者たちとタクシーをシェアし、安宿の集まるダウンタウンに向かう。バックパッカーに人気の「クリフ・ホテル」にチェックインしたのは、まだ昼前だった。
小さなバルコニーのある日当たりのいい角部屋のシングルで、僕は見せてもらってすぐに気にいった。宿の人たちも親切でていねいだ。
部屋に荷物を置いたあと、僕はさっそく街に出てみた。
人口約100万人の首都アンマンは、丘の多い街だ。急な坂道をオンボロ車がぜいぜいいいながら登り、斜面にへばりつくように建てられた粗末な家々の様子は、どこかに似ている・・・と思ったら、アンデスに抱かれた南米エクアドルの首都キトだった。そうだ、この街はキトに似ている。ただし地形的にという意味で、とても中世の面影が残るあの街のように美しくはない。
アンマンが都市として栄えたのは近代からで、古いスーク(市場)やモスクといった、イスラム的な歴史を感じさせる見所はあまりない。そのかわり、この地をかつて支配していたローマの遺跡がちょっとだけある。ちょっとだけ。
とりあえず宿に近いローマ劇場に行き、最上段の席から劇場と街を眺めたら、反対側にもっと高い丘があった。その上にもローマの神殿跡があるというので、キトのパネシージョの丘に登っているような気分で民家に挟まれた階段をゆく。
丘の上にはけっこう緑があって、小さくて黄色い花が一面に咲いていた。そしてその中に石の柱が数本かろうじて立っている神殿跡があった。近くに古い城砦もあるが、いずれにしても大した事はない。
しかし丘からはアンマン市街が一望できた。高いところから見ると、ますますキトに似ている感じがする。
そんな感じで僕のアンマン観光は終わってしまった。本当にこの街は観光的な魅力に乏しいのだ。
ただし人はいい、というか、まだマシだ。ペトラのあるワディ・ムサの人たちはスレていて、言い寄ってくる奴にはかなり警戒していたが、ここでは純粋な親切心から声をかけてくる人の方が、確立としては高い。僕は今日、何人かのアンマン市民と会話をしたが、彼らはいずれも好奇心から話しかけてきた人たちだった。
ただ一回だけ、天使のようにかわいい子どもたちがいて、親の姿も見えないので写真を撮ろうとデイバックに手を伸ばしたら、何かくれると思ったのか、彼らは目の色をかえてデイバックにつかみかかってきた。顔だけはかわいいのに、まったく油断できないのだ。
宿に帰ってちょっと昼寝をして、夜に日記を打とうと思ったら、宿にいた日本人男性と部屋で酒を飲むことになった。僕はてっきりヨルダンやシリアでは酒の入手が難しいと思っていたのだが、意外にも普通に売っている。そうなると、あのスローボートで買った1リットルのジム・ビームを後生大事に持っている理由がなくなるのだ。ペットボトルに入れ替えたのだが、それでも1リットルの液体はとても重い。
そんなわけで、僕は20代半ばと思われるその日本人バックパッカーに酒を振るまい、夜遅くまで旅行談義に花を咲かせるのだった。
明日は早起きして死海に行く予定なのに・・・。
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