ペトラの遺跡群はホテルから1キロほど離れている。無料送迎があるので朝7時にフロントに降りて来い、と昨夜いわれたのでそうすると、フロントはまだ暗く、床の上で毛布にくるまった男が寝ていた。彼を起こして「無料送迎はどうなった」ときくと、彼は通りに出て適当なタクシーを捕まえ、普段のよしみで無料にしてくれるよう交渉したあと、僕を乗せた。なんだ、無料送迎ってそういうことかい。それなら、わざわざこんなに早起きしなくても良かった。
おかげで、僕は午前7時過ぎからペトラ観光をはじめることになった。
まずは入口で入場券を買うが、昨日も書いたとおり1〜3日券がある。しかし過去に訪れた人の話を聞くと普通で1日、ゆっくり回っても2日あれば十分だそうで、チケットも決して安くないから、僕は一日券にした。学割が効くというので国際学生証を見せると、料金は6JDになった。「地球の歩き方」によると通常は20だというから、これは大幅な割引だ。しかしチケットを手にすると、元が10.5となっていて、その上に「学割6」というスタンプが押してあった。本当はいくらなんだろう?
入場ゲートをくぐり、砂利道をトレッキングにでかけるような心構えで歩き出す。ペトラ遺跡の範囲は広く、険しい道を何キロも歩かなければならない。実際、ちょっとしたトレッキングのようなものなのだ。
場内にはラクダや馬、ロバを引いた男たちがいて、それらの動物に乗せてもらって移動することもできるのだが、ナイル川のフルーカやピラミッド周辺のラクダのように料金でもめることがあるらしい。とりあえず、疲れ果てるまでは歩くつもりだ。
しばらく歩くと幅数メートル、左右に切り立った崖の高さ60〜100メートルの、岩の裂け目のような細い通路の入口に着く。この通路は最初の遺跡まで約1キロ続いており、ペトラを最初に築いたナバタイ人が自然の峡谷に手を加えて作ったものである。両側の高さ1メートルのところには雨水が流れるための樋まで掘られている。
早朝の太陽はまだ傾いていて、細い通路の中まで届かない。断崖に圧倒されながら薄暗い道を歩いて行くと、しばらくして突然視界が開け、ペトラ遺跡群の中でも最初にして最も有名な「エル・ハズネ」が現れた。
→→
「エル・ハズネ」は砂岩から掘り出された、高さ30メートルほどの霊廟である。今でこそヨルダンは思いっきりイスラム国だが、ペトラが栄えたころはイスラム教はまだなく、これらの建造物はナバタイ人が築いたか、その後に彼らを征服したローマ人が築くか改装したものだから、雰囲気はローマ風に近い。
だから、これら遺跡の前にターバンを巻いたアラブ親父たちがいたりすると、ちょっと違和感がある。
砂岩は加工しやすいが損なわれるのも早く、「エル・ハズネ」における細かい装飾も失われてしまっている。しかし細い通路の奥に突然現れる迫力は、やはりヨルダンを代表する名所だ。
ペトラを訪れた人の多くは、この細い通路から「エル・ハズネ」に至るまでが一番良かった、と言っている。だとすると、ここから奥に広がる遺跡群にわざわざ足を運ぶことも無くなるのだが、さすがにそういう訳にもいかないので、「エル・ハズネ」の前を右に折れて奥に進む。
そこからは左右の視界は開けたまま。まるでトンネルを抜けて別空間に来たみたいに広い谷になっている。
砂利道の左右に古墳やローマ劇場があり、劇場の手前に岩山を登って行く階段があった。みんな登って行くのでさぞかし景色がいいのだろうと思い、30分かけて息も絶え絶えに頂上の「犠牲祭壇」にたどり着くが、そこからの眺めは大したことが無かった。しまった、体力を無駄に消費した。
階段を降り、左右に古い建造物を見ながら奥に進む。次に目指したのはペトラの一番奥にあり、最大の遺跡でもある「エド・ディル」。一気にペトラ観光にトドメを刺してしまおうという戦法だ。
さて、この「エド・ディル」も山の上にあり、そこまで約1000段の階段を登らないといけない。さきほど無駄に岩山に登り、すでに入場してから数キロは歩いている。ここで動物の力を借りるという軟弱路線に変更、僕は白いロバの小さな背中に揺られることになった。
ロバは小さいが、さすがに脚力がある。僕を乗せながら険しい階段をカッパカッパ登り、約20分ほどで頂上に着いた。ロバ飼いの青年は歩いてついてきたが、地元民の彼も相当に息が上がっていた。4JDと交渉したのに、お釣りがなくて結局5JDになってしまったが、その価値はあったと思う。
「エド・ディル」は修道院の跡で、高さ45メートル、幅50メートルのペトラの中でも最大の遺跡だ。やはり細かい装飾は失われているが、巨大な岩山から荒々しく掘り出された感じは迫力に満ちている。
「エド・ディル」に対峙した丘に登り、日に当たりながら菓子パンの昼食をとった。ペトラ内部の店はどこも高いのである。
ペトラはローマ帝国に支配されたあと、地震の被害によって次第に衰退し、7世紀には廃墟になって歴史の表舞台から消えた。
次の世の光を浴びたのはその1200年後、スイス人の探検家によってその存在が確認され、世界に伝えられたのだ。彼ははじめ、地元民の噂からペトラのことを聞きつけたが、アラブ人ではないということでこの地を踏むことを許されなかった。その後、彼はいったんスイスに戻ってアラビア語を習得、ヒゲをたくわえてターバンを巻き、今度はアラブ人のふりをして潜入。ついに自分の目で砂岩の古代都市を確認したのだ。
そしてその170年後、ここで「インディジョーンズ・最後の聖戦」のロケーションが行われ、さらにその姿が世界に広まることになる。
「エド・ディル」の眺めを満喫したあと、僕は延々と階段を下ってふもとまで降り、レストランに併設した博物館を見て、古墳もちょっと見て、そしてまた延々と砂利道を歩いて「エル・ハズネ」まで戻り、そしてあの細い通路を抜けて入口まで戻り、ホテルまでも歩いて帰ってしまった。
おそらく全部で10キロは歩いただろう。宿に戻ったのは午後3時ごろ、僕はそのまま深い深い眠りに落ちた。
さて、ペトラの感想だが、こんなもんかな、って程度だ。正直いって。
エジプトの遺跡群やカンボジアのアンコールワットを見たばかりなので、大きく感動することもないし、賛否両論とも聞いていたので、期待しなかったぶん、大きくがっがりすることもない。
あの通路から「エル・ハズネ」が見えたときの感動や、全貌を目にした時の迫力はたしかにあるのだが、それでも世界的にみればパンチがあるとはいえないし、かといって繊細な装飾が残っているわけでもない。
もちろん、これは個人的な意見だが、僕は古代エジプトやアンコールワット、マヤやインカの遺跡の方が好きだ。もちろんペトラを訪れて損したとは思わないし、悪くないとは思うのだけど。
|