旅の日記

エジプト編その7(2002年3月29日〜4月4日)

2002年3月29〜30日(金、土) それでも潜る(Diving in Dahab)

 ダハブはシャルムに比べると小ぢんまりとしたリゾートである。長さ1キロほどの湾状のビーチに沿ってゲストハウスやレストランが並んでおり、わが宿「セブンヘブン」はそのちょうど中間あたりに位置する。

 ビーチ沿いのレストランは大抵、砂浜の上に直接絨毯をしき、その上でくつろぐベドウィン・スタイルになっている。僕は「セブンヘブン」の目の前のレストランで朝食を取ったが、しつこく群がってくるハエを別にすれば、紅海の波打ちぎわで贅沢なひとときを過ごすことができた。
 料金が安いのも嬉しい。カイロに比べればまだ高いが、宿もレストランも明らかにバックパッカー向けの料金設定になっている。シャルムでは最低でもここの2、3倍はしていた。この二つのリゾートは、まるで銀座の高級クラブと新橋ガード下の赤提灯のように、近いながらも客層をきっちりと分けているのだ。

 貧乏、またはけちんぼうのバックパッカーでもダイビングはするので、ダハブのビーチにもダイビングショップが並んでいる。
 しかしシャルムより料金が安いかわりに中にはいい加減な店もあるらしく、僕は複数人から事故、トラブルの現場に遭遇した、あるいは器材がひどかった、という話を聞いた。ダイビングの事故は命に関わる。エジプト人的いい加減さは陸の上ではまだ可愛いが、水の中では御免被りたい。
 しかし、ダハブはシャルムの北に位置しながらも、実感としては暖かい。同室の人に聞いても水はそれほど冷たくないらしく、いろんな話を聞くうちに僕もやっぱり潜りたくなった。

 さて、ダハブには現在、日本人インストラクターのいるダイビングショップが二軒ある。ひとつは「セブンヘブン」内の店で、宿泊者はほぼ確実にここの男性インストラクターT氏に声をかけられ、申し込むことになる。
 ところが、僕はこのT氏に関してあまりいい評判を聞いていなかった。同室の大学生も彼に教わってオープン・ウォーターのライセンスを取得中だが、なんとわずか3日で取らせるらしい。実技はスパルタ式で、学科では宿題の答え合わせをほとんどやらないという。僕は4日で取ったが、それでもかなりきつかった。あれから一日縮めるとすれば、それは学科を割愛するしかないだろう。
 しかし、このショップにはもう1人、日本人女性のインストラクターがいる。彼女の評判はいいので、同じショップでもどちらに教わるかで大きな差が出そうだ。

 もう一軒は、最近ひそかに人気を呼んでいる「ダイブ・ゾーン」である。サトミさんという女性インストラクターがここで働いている。
 ここには日本人は彼女1人しかいないので、日本人がライセンス取得コースに申し込めば、すべて彼女の担当となる。サトミさんはとても小柄なチャーミングな女性で、話した感じでとても利発だと思ったら、中国に留学した経験があるという。したがって中国方面からのダイバーも彼女の担当となるが、いまだに来たことはないらしい。

 彼女もタイの某島でインストラクターの資格を取ったが、タイにおけるダイバーの「大量生産システム」が性に合わなかったらしく、今では紅海で、ゆっくりとしたペースの日本語コースを開いている。今のところ客足も彼女の理想に近く、コースは基本的にマンツーマンか、多くても2、3人である。
 コースは生徒の希望するペースで行われる。僕が偶然通りかかり、日本語の看板につられて訪れたときも、サトミさんは女子大生に5日間かけてオープン・ウォーターのライセンスを取らせているところだった。人より覚えの遅い人や、不安のある人にはうってつけだと思う。

 ただし、前述のように彼女は女子大生を指導中であり、僕はすでにライセンスを持っていて英語も話せるから、ファンダイブはエジプト人のダイブ・マスターと潜ることになるという。それでもマンツーマンだというし、レンタル器材や対応にも不安はないので、僕は明日、2本潜ることにした。

 ダハブにも多くのダイビング・ポイントがあるが、一番有名なのは「ブルー・ホール」という、岩盤に大きく開いた縦穴のある場所である。しかし深度があるそうなので、僕はシャルムでの反省も活かし、初日は近くて浅いポイントで潜ることにした。それで問題がないようならブルー・ホールで潜ってみよう。

 そして30日の午前中、メインビーチの北端にある「ライトハウス」というポイントで一本目が行われた。ライトハウス、といっても灯台があるわけではなく、ちょうど灯台があるべき岬の突端にリーフがあるので、それがライトハウスと呼ばれているのだ。
 ダハブのポイントはいずれも岸から近く、シャルムのようにボートを使わない。ビーチエントリーという、浜からジャブジャブ歩いて海に入っていく方法が主流なのだ。船を使わないこともダイビング料金が安い一因だろう。

 砂浜から海に入り、まだ10メートルか20メートルしか沖に出ていないところで潜行を始めるが、そこですでに深度は10メートル近い。透明度はシャルムほどではないが、メインのビーチからわずかな距離なのに、サンゴや小魚の群れが普通に見られるのが驚きだ。
 ここでのダイビングは岬状のリーフをぐるりと回り込み、そして戻ってくるのだが、ここの潮流もかなり激しく、息があがるほどにキックをしないと進まない箇所があった。
 やはり酸素の消費が早く、30分を過ぎたあたりで浮上。しかしレンタルしたウェットスーツがまるでオーダーメードのように体にフィットして寒さを感じないだけでなく、早めに浮上してもエジプト人のダイブ・マスター、イハブとマンツーマンなので、誰に迷惑をかけるわけでもない。久々に楽しいダイビングができた。

 そして午後の2本目。今度は「アイランド」という、名前のとおり島状のリーフで行われた。
 1本目より落ち着くことができ、魚に目を向ける余裕がでてきた。ハナミノカサゴという、白と茶色と黒の縞模様で、まるでドラッグクイーンの衣装のように派手な形状のヒレを持つ魚が何匹も群れているのが印象的だった。この魚は強い毒を持ち、そのケバケバしさから一匹だけでも相当に存在感があるのだ。

 中型の銀魚の群れ(スエズフュージラ?)が激しく泳ぎ回っているのも楽しかった。エサがあったのか、砂地に群れをなして頭をつっこみ、砂を舞い上げている姿が海における命の営みを思わせた。まったく、海中世界というのは食べること、寝ること、産むこと、そんな生命の根底にかかわる行為からして陸上とはいちいち異なっている。
 そんな世界が、地球の7割を占めているのだ。ダイビングに全く興味のなかったころは、残りの3割から地球を推し量ろうとしていた。しかしいくら陸の上を走りつくしても、何ヶ国回っても、海中ほどに違う世界というのは経験できないのではないか?

 海中には人間は住めない。だから文化もなく、そういう意味での面白みや深さはない。街もなければ遺跡もなく、食べたことのない料理や飲んだ事のない酒もない。だけど、陸上では想像もできないような形や大きさの生物が、想像もできない方法で生活している。そしてそれも、わが地球のまぎれもない一側面なのだ。
 ・・・なんてことは実は陸に上がってから考えたことで、「アイランド」においても潮流は強く、僕はイハブに手を引っ張ってもらって潜行点に戻った。

 さて、このイハブ青年、海の中ではまったく問題がないのだが、陸に上がるとちょっといい加減になる。
 ダイバーはすべて「ログブック」という、いわばダイビング手帳を持っており、何月何日、どこで何メートル、何分もぐった、などのデータを記入し、ダイブショップのスタンプをもらうことになっている。これは公式な記録となり、新しい場所、新しい店で潜る場合、このログブックを見せて自分のダイビング経験を証明するのだ。

 しかしこのイハブ、店に戻ると「10分で戻る。ログブックの記入はその後でやろう」と言って、そのまま姿を消してしまった。その後1時間待っても戻らず、僕はイライラしてきたが、「どうした?」と聞いてきた別のスタッフのその後の言葉にさらに頭に来た。
 「君はまだダハブに滞在するんだろう?だったら何の問題があるのだ?明日でもいいだろう」というのだ。
 「いや、問題だろう。器材を片付ける場所を教えたり、ログブックの記入をしないまま、あいつは俺をほったらかしにしてどこかに行ってしまったのだぞ」
 「落ち着け。もしかしたらあいつの車が故障したのかもしれない。大丈夫だ。人生は、君が思うほど複雑じゃない」

 言ったのは20歳そこそこの、いうなればガキである。お前なんかに人生語られたくはないし、それはお前みたいに生きてれば人生簡単だろうなあ!
 ・・・とは声を大にして言いたかったが、あと2本ほどこの店で潜る予定なので、ちょっと自重した。店のオーナーとサトミさんは、よくできた人なのだ。ただ、一部のスタッフはやはりエジプト人気質をそのままダイビングの世界に持ち込んでいる。

 結局ログブックの記入は明日以降に回し、店を出たが、イハブとは夜に偶然会った。そしたら彼曰く、「ごめん、車が壊れたんだ」・・・人生について僕を諭そうとしたあの若いスタッフのいう通りであり、そしてそれはおそらく、エジプト人に共通する便利な言い訳の一つなんだろう。
 実はイハブが何をしていたか、別の筋から聞いていたのだ。「イハブ?彼なら友達と一緒にメシを食いに行ったよ」・・・まあ、ダイビングは楽しかったからいいや。


出費                36.75LE   飲食費
     462LE ダイビング費用(4本分)
計     498.75LE
(約14100円)
宿泊         Seaven Heaven


2002年3月31日〜4月2日(日〜火) ダウンする(Being sick)

 メインビーチに近い2ヵ所のポイントで潜ったが、特に問題もなさそうなので、僕は「キャニオン」と「ブルー・ホール」という、ダハブを代表するポイントに挑むことにした。
 ただし立て続けに潜ると疲れるので、3月31日は一日置いて、ゆっくりと日記を打ったり本を読んだりして過ごした。

 さて、季節はずれのシャルムではまったく日本人を見かけなかったが、いるところにはいるもので、ここ「セブンヘブン」のドミトリーは若い日本人でいっぱいである。卒業旅行生たちは就職のために日本に引き上げたが、現役の学生たちは春休みの最後の日々をまだ楽しんでいる。

 僕の学生時代といえば、ざっと10年前である。あのころもバックパッカーという言葉があったけど、今ほど市民権を得ていなかった。学生が紅海でダイビングのライセンスを取るなど、僕のころは想像もできなかったと思う。
 世界中、たとえば秘境といわれるようなところでも日本人の学生はいるもので、彼らの行動力に頭が下がることがあるが、今の時代では特に驚くに値しないのだろうか?それとも、彼らはまだ特殊な部類なのだろうか?

 「セブンヘブン」にはそんな学生も、それよりもやや年輩の若者もいるが、夜はみんなで誘い合い、「シャーク」というレストランに食べに行くのが最近の流行りだ。ダハブのレストランには珍しく白人女性が料理の腕をふるっており、量・質・値段ともに納得の洋食を出す。
 31日の夜も「シャーク」で食べたが、実は前日も前々日もここだった。ただしこの夜は1月にルクソールで会った旅行者とも再会し、メンバーは10人くらいに膨れた。中にはシリア、レバノン方面から下ってきた人もいるので、僕は自分の持っていた「地球の歩き方・エジプト編」を「ヨルダン、シリア、レバノン編」と交換してもらった。

 2階のバルコニーでチキングラタンと名物のフルーツ・シェークを味わい、紅海から吹く風にあたっていた。月明かりに海が照らされ、その向こうに黒い山々が浮かび上がる。灯りのまったく見えない対岸は、準鎖国状態のサウジアラビアである。20キロも離れていないが、両者を隔てるアカバ湾の存在は大きい。エジプト側のちゃちなネオンや照明の明るさに比べると、サウジ側の黒い峰は無言の迫力がある。
 いつかあの国も自由に旅することができ、イスラム教の聖地メッカを訪れることが可能になるのだろうか?

 「シャーク」でゆっくりしていたら、急に寒気がしてきた。頭もボーッとするので部屋に帰って熱を測ると、案の定38度もある。明日は2本潜る予定なのに、これは困った。紅海の風で冷えたのだろうか?
 とりあえず早めに寝ようとするが、熱にうなされてなかなか寝つけない。いよいよダイビングが怪しくなってきたぞ・・・。

 そして翌日、ダイビングに間に合うように起きるが、熱は下がっていない。喉が痛いとか鼻水がでるとかの症状はなく、ただ熱があって間接がちょっと痛むのだ。
 こんな体調ではとてもダイビングはできないので、約束の時間にショップに行き、延期を申し入れた。本当は明日にしたいところだけど、この調子だと1日では治りそうにない。

 これを機に、僕は宿を換えた。「セブンヘブン」で若い連中といるのも楽しいのだが、約6畳の部屋にベッドを4つ押し込む過密ぶりで、とてもくつろげる雰囲気ではないのだ。そのくせに安いわけでもなく、体を壊したとあってはなおさら辛い。
 僕はビーチの南のはずれにある「ムーン・オブ・シナイ」という宿に移動し、「セブンヘブン」と同じ料金で4畳半ほどのシングルルームを得た。

 新しい部屋で、僕はひたすら寝た。午後には熱が上がり、一時は39度に届きそうな勢いで食事にも出られないほどだった。しかし解熱剤と抗生物質を飲み、同じ宿にいるサトミさんの生徒アツコちゃんにもらった「デコデコクールS」を額に貼り、夜にはなんとか歩けるくらいに回復した。夕食は野菜のたくさん載ったピザを食べ、栄養を補給した。
 それにしたって、何で熱が出るのだ?風邪じゃないみたいだし・・・。
 4月1日はエイプリルフールなのに、気の利いたウソもつけないままに終わってしまった。あ、体がウソのつもりで発熱したのかも。

 4月2日、朝起きたら熱はすっかり下がっていた。それでも潜れるほど万全ではないので、汗でよごれた衣服を洗濯し、本腰を入れて日記を打った。「セブンヘブン」でも日記は打っていたのだが、やはりあの環境だと集中することができなく、すっかり滞っていたのだ。
 夜、サトミさんとアツコちゃんとビーチに並ぶレストランに食事に出たが、そこですごい話を聞いた。ベドウィン・スタイルの砂の上のレストランはダハブ名物ともなっているが、政府が今日、営業禁止を急に通達したのだ。しかも与えられた猶予期間はわずか3日。その間に店をたたみ、ビーチから出ていけというのだ。

 政府はビーチの環境浄化を図り、どうもシャルムのような高級リゾートにしたいらしい。しかしダハブに来ている連中は安い物価、くつろげる雰囲気が好きで来ているのだ。ここがシャルムのようになったら、誰も来なくなるだろう。
 レストランの関係者は明日デモを決行するらしく、旅行者にも訴えようとビラを配っている者もいたが、警官に止められていた。
 イカフライを運んできたわがレストランの店主は、「この国は建前では民主主義だけど、本当は違うのさ」と言っていたが、その表情はどうも楽しそうで、とても切羽詰った表情はなかった。見ればほかの店員もいつも通りに鼻歌を歌いながら料理を運んだり、能天気な笑顔で客引きをしているのだ。
 政府といい国民といい、この国はまだ謎が多すぎる・・・。


出費                   75LE   飲食費
     14LE インターネット
     20LE 宿代
計     109LE
(約3080円)
宿泊         Seven Heaven(3月31日)
Moon of Sinai(4月1〜2日)
インターネット    Seven Heaven


2002年4月3日(水) 紅海ラストダイブ(Last dive in Red Sea)

 丸2日かけて治したので、体調は万全に戻った。さあ潜ろう。
 3日の朝、僕はまず「キャニオン」というポイントで潜ることになった。ダイブ・マスターのイハブ青年と私のほかに、今日はアメリカ人のマイケルという30代半ばの男が一緒だった。
 このマイケル、僕が熱を出してダイビングをキャンセルしに行ったときに、きれいなブロンドの彼女とショップに来ていた男である。そのときに一言二言交わしたのだが、彼はそのことをよく覚えていて、「実は昨夜、あの彼女と別れてしまったのさ」と、唐突に涙の告白をはじめた。

 「キャニオン」はショップから車で20分ほど走ったところにある。僕とマイケルは器材とともにピックアップトラックの荷台に乗せられていたが、そこで悪路に揺られながら、彼は僕に聞くのだ。
 「なあ。ある女と知り合って、恋仲になったとするだろう。4、5日一緒に旅して、いきなり彼女が他の男と寝るんだ。そして、やっぱりあんたの方が好きだわ、って戻ってくるんだ。それは、日本の女性だったら常識的な行動といえるかい?」
 「俺もそんなに若くはない。もしかしたら世代で違うのかもしれないけれど、俺は自分の彼女がそんなことをしたらやっぱり嫌だな。日本人女性としては・・・常識とはいえないと思うよ」
 「安心した。彼女はイギリス人だったんだけど、イギリスじゃ常識だっていうんだよ。ただのセックスじゃないの、私が好きなのはアナタなのよ、っていうんだ。彼女のことは好きだったんだけどね。俺は別れることにしたのさ」
 そしてマイケルは両手を大きく広げ、ストレッチをしてみせた。
 「さあて、潜るぞ潜るぞ!」

 「キャニオン」はその名の通り、海底に峡谷のような割れ目があるポイントである。その割れ目に入っていくのだが、底の部分で水深は30mに達する。久しぶりのディープ・ダイブだ。
 マイケルはアメリカ人にしては華奢な体つきだが、職業はなんと軍のスカイダイバーで、空挺部隊というよりは森林火災のときに燃えさかる森の中に飛び降り、消火活動をするのだという。スキューバ・ダイビングのライセンスもダイブマスターまで持っているのだが、今日は1年ぶりのダイビングで耳ぬきに問題があり、もちろん僕よりは上手いけど水中での姿勢もぎこちなくて、特に僕が足をひっぱるという形にはならないで済んだ。

 気持ちよく潜行して幅2〜5メートル、深さ10メートルほどの海底の裂け目に入っていくが、その底に着いたとたん、急に貧血のように意識がぼんやりとなり、「もうどうでもいいや」みたいな気分になってきた。あぶないあぶない、これが窒素酔いというやつだろうか?
 「キャニオン」の奥は急に幅が狭くなり、煙突状の穴を登って裂け目から出ることになる。「キャニオン」は「ブルー・ホール」と並ぶ人気のポイントで、この日も多くのダイバーがいた。せまい岩盤の裂け目から、彼らの吐く気泡が登ってくるのが美しかった。

 昼食を取りながら2時間ほど休憩し、午後に「ブルー・ホール」。ダイビングをしない人でもダハブに来た人は訪れる、一種の観光名所だ。
 「ブルー・ホール」は、岸のすぐ近くの岩盤に開いた直径50メートルほどの大穴である。穴のふちは水深1〜8メートルだが、穴の底は光の届かぬ深海である。しかし50メートルほど下に、実は外海と繋がっている出口があり、向こう見ずなダイバーたちはそこをくぐって帰ってくることに命をかけるのだ。
 これは比喩ではなく、岸には実際に命を落としたダイバーたちの慰霊碑が並ぶ。しかしそれだけの難しさであることが成功者の名を高め、チャレンジする者は後を断たない。ダイバーにとっての「ブルー・ホール」は登山家にとっての「アイガーの北壁」であり、海外ライダーにとっては「キャニング・ストックルート」であり、格闘家にとっては「グレーシー道場殴り込み」なのだ。(?)

 しかし、ダイビングをはじめてわずか一ヵ月の僕がそんなことにチャレンジするわけがない。
 僕たちは200メートルほど離れた「ベルズ」という、「ブルー・ホール」のように岩盤に開いた煙突状の穴から海に入った。「ベルズ」の縦穴は狭く、1人がようやく通れるほどの大きさだ。イハブ、僕、マイケルと1人ずつ、頭を下にしてまっ逆さまに潜っていく。
 やがて水深20メートルちょっとのところで外海と繋がるが、そこは海中の断崖絶壁で足元は暗い。イハブによると1000メートル下まで何もないという。こんなところで溺れたら永遠にサヨウナラだ。紅海は落ち込みが激しいところが多く、遠浅のタイとは大違いだ。

 次にその絶壁に沿って「ブルー・ホール」を目指す。そして、これが遠い。潮流はあまり感じないが、まるでマラソンを走っているように足がだるくなってくる。僕は基礎的な体力が圧倒的にないから、すぐに息があがり、従って酸素の減りも早い。
 「ブルー・ホール」はその絶壁の上に開いているのだが、そこまで行くと、すでに浮上しなければならないほどに酸素が減っていた。本来は穴の内壁に沿ってしばらく泳ぐのだが、僕の酸素がないために、僕たちは穴を横切ってまっすぐ浮上ポイントに向かった。
 今日は透明度が悪くて反対側まで見えないから、穴にいるという実感は無かった。「キャニオン」もそうだったけど、魚も少なく、この二ヵ所におけるダイビングはむしろ地形を楽しむ性格のものだ。

 陸に上がると、僕は相当にへばっていた。
 シャルムもそうだったけど、紅海のダイビングはスポーツ色が強い。潜行点と浮上点が異なる場合が多く、その間、けっこうな距離を移動する。コースは白人向けに考えられたものだから、僕なんかにはちょっと辛い。タオ島では潜行した場所からあまり動かず、そのまわりでゆっくりとしていたが、僕はその方が好きだ。砂の海底に沿って、魚を見ながらのんびり浮遊しているのがいい。

 傷心ダイバーのマイケルは、「明日はシッスルゴーム(Thislegorm、カナカナ表記は不可能に近い)に行くぞ!」と盛り上がっていた。これは第二次世界大戦中に沈められたイギリスの軍艦で、船だけでなく、積んでいた戦車や軍用オートバイまでが海底で見られるのだという。
 僕の心も動いたが、その楽しみは今後にとっておくことにした。うかうかしていると、そのうちにダハブから永遠に出られなくなってしまうぞ!

 サトミさんによると昨夜、ダイビングショップのスタッフミィーティングがあり、そこでイハブ青年は僕を置いてきぼりにした件でオーナーから怒られたらしい。なので今日はしっかりとログブックに記入するデータももらった。
 残念だが紅海でのダイビングを切り上げるので、借りた器材をすべてショップに返した。次に、僕はどこで潜るのだろうか?


出費                   30LE   飲食費
計     30LE
(約850円)
宿泊         Moon of Sinai


2002年4月4日(木) ダハブ最後の日(Last day in Dahab)

 今日一日を最後として、ダハブ、そしてエジプトを後にしよう。
 まず、いつもの通り砂浜の上のレストランに行き、5ポンドの朝食セットを食べる。「そういえば、例の営業停止とデモはどうなった?」と店員に聞くが、彼は肩をすくめ、「警察の妨害でデモは中止さ」と言った。しかし全く残念そうでなく、いつも通りヘラヘラしていて、会計のときも「5ポンドじゃないよ、5ユーロだよ」などと悪い冗談を言う。まったく、こいつらはどうなってんだ?本当に営業停止になるのか?

 午後早くにはインターネットをしに行った。エジプトのネット事情はイマイチで、インターネットカフェもいまだに電話回線で繋げているところが多い。不安定な上に回線速度が遅いので、僕は客が少なくてちょっとはマシな時間に行ったのだが、それでも1時間半のうち数回は回線が落ちて、のべ15分は繋がっていない状態だった。
 ヨルダンに行ってもネットはできると思うけど、できるうちにと思い、何人かにメールを送る。

 その後、これから移動が続くにあたって荷物を少しでも減らそうと思い、読みかけの本を終わらせ、いらない紅茶や砂糖やなんかと一緒にサトミさんにあげていくことにした。
 その中に、バンコクで買った醤油の小瓶もあった。最後にちょっと使おうと思い、近くの食堂で魚を焼いてもらい、たっぷりとかけて食べたらダハブにおいて最高の夕食になった。やっぱり日本人は焼魚に醤油なのだ。
 だったら醤油を持ってけばいいじゃん、と思うかもしれないが、これから内陸に入るので魚が食えないのだ!それに、トルコやギリシャにいけば醤油はまた売っているのだ。

 全然関係ないけど、昔ある雑誌で読んだキッコーマンのアメリカ法人初代社長の記事を思い出した。この人はその昔、醤油を売り込むためにアメリカに乗り込んだ人で、当時は「アメリカで醤油なんか売れるわけないだろう」というのが常識的な見方だった。しかしこの人は地道に醤油の素晴らしさを説き、今ではアジア系レストランをはじめ、そのほかのアメリカ系、ヨーロッパ系のレストランにも常備させるまでに至ったのだ。
 うーん、素晴らしき高度成長期のショーユ根性。僕が外国人に伝えられる日本文化といえば、八方美人の事勿れ主義・・・くらいかな?


出費                 18.5LE   飲食費
     2.5LE 絵葉書、切手
     10LE インターネット
     20LE ヌエバア行きミニバス申し込み
計     51LE
(約1440円)
宿泊         Moon of Sinai
インターネット    Seven Heaven