旅の日記

エジプト編その6(2002年3月25〜28日)

2002年3月25日(月) 紅海を目指す(Moving to Red Sea)

 言われたとおり、午前11時にシリア大使館に行くとビザは発行されていた。しかし125ポンド支払ったにもかかわらず、ビザは一度しか入国できないシングル・エントリーのものだった。もともと行く予定じゃなかったからいいけど、これでシリアから足を伸ばしてレバノンをのぞいてくることが出来なくなった。
 手元に情報がないので、125ポンドがシングルエントリーのビザとして妥当な金額かどうかは判断できない。

 そんな訳で、僕は予定どおり今日カイロを発って、紅海に面したリゾート地シャルム・イッシェーフに移動することになった。
 シャルム〜は現地の発音では「シャモ・シェ」といい、名前をそのままカタカナ読みしてもまず通じない。もとはイスラエル占領下で築かれた軍事拠点だが、今ではダイビングを中心としたマリンスポーツのメッカとして人気を呼び、その発展はとどまるところを知らない。
 ただしリゾート客の増加に比例して物価があがり、宿泊施設やレストランなど、とてもエジプトとは思えない料金をとる。そんな街にバックパッカーが気軽に泊まれる宿は、ユースホステルただ一軒といっても過言ではない。それだってカイロの相場からすれば3倍はするのだ。
 それでも僕が行くのは、紅海でダイビングをするのならシャルムが一番いいと複数の人から聞いたからだ。バックパッカーはシャルムの北、物価が安いダハブを目指すが、ダイビングの世界ではシャルムの方が格が上なのだ。

 午後のバスに乗ると、シャルムに着くのは夜8時ごろになる。向こうまで行ってユースが満室だったらシャレにならないので、わざわざテレホンカードを買って電話で予約をしようと思ったが、地球の歩き方、ロンリープラネット、いずれに載っている電話番号も通じなかった。
 しかし若干不安を覚えながらも早く動き出したいという気持ちの方が強く、とにかく行ってみようと僕は午後1時発のバスに乗った。

 ところが、このバスがくせ者だった。
 午後1時に出発しながらも市内の他のバスターミナルを2ヵ所も経由し、結局カイロを出たのは午後3時ごろだった。
 僕は昼食を食べそびれ、どこかのドライブンで休憩を取るのを待っていたが、岩と砂の大地を疾走するバスはいっこうに止まらない。

 そのうちに車内の外人にだけ飲み物とスナックが配られた。車掌に「これはタダか?」と聞くが、英語がうまく通じない。見るとまわりの外人たちは手をつけているので、まあ、もともとバスも外人料金で高くとられているようなので、これは一種のサービスなんだろうと思って僕もたいらげてしまった。そういえばブラジルの長距離バスでもスナックが出たなあ。
 しかし!これがのちに20ポンドも取られることになったのだ。20といえばカイロで一日を過ごせる金額じゃないか。やられた!

 しかもほぼ100キロおきに警察の検問があり、その度に私服警察官がバスに乗り込んで乗客全員の身分証明書を確認するのだ。
 おかげで到着は午後9時を回った。ユースの受け付けが10時までと聞いていたので焦ったが、バスターミナルからタクシーを飛ばしていくと電話が通じないにもかかわらずユースは営業中で、僕はベッドにありつくことができた。

 ユースホステルというので、僕は白人のバックパッカーなんかもいて国際色豊かなのかと思いきや、巨大な施設に外国人は僕1人だけ。あとは全員、休暇中のエジプト人青少年なのだ。
 彼は静かにリゾートするというよりは、もう「友達と一緒に旅行に来られて楽しい楽しい」というのを全身で表現していて、よく酒も飲まないでこんなに騒げるな、と思うほどに騒々しい。エジプト版「海の家」において、修学旅行の団体に出くわしたような感じだ。

 フロントは気を回し、僕を使われていない8人部屋に1人で入れてくれた。エジプトの若者と一緒では大変だと思ったのだろう。たしかに彼らと一緒なら「どこから来たのか」「その本を見せてくれ」「日本語で俺の名前を書いてくれ」などと落ち着くひまもないだろう。
 しかしほとんどの部屋が改装されてピカピカなのに対し、僕が通された8人部屋は古いままで、窓にガラスはないわ、壁から壊れたエアコンの配線が垂れているわ、床には乞食がまとうような布団が落ちているわ、で散々たるものだった。
 はだか電球の下、僕が今まで泊まってきた宿の中でもトップクラスにみじめな部屋だな、と思いながらも、このシャルムにおいて僕が泊まれるとこは他にないので、ぼくは8つあるベッドの中でも一番まともなのを選んで横になるのだった。


出費                   10LE   テレホンカード
     1LE 地下鉄
     55LE バス代
     22LE 飲食費
     18.6LE 宿代
      10LE タクシー
計     116.6LE
(約3300円)
宿泊         Youth Hostel


2002年3月26〜27日(火、水) 紅海の潮にのまれる(A strong tide)

 26日の朝、さっそく僕はカイロで会ったオーストラリア人サイモンに教えてもらったダイビングショップに行ってみた。「マリーナ・ダイバーズ」というその店は、日本人インストラクターこそいないものの、サイモンのいうとおり対応やレンタル器材がしっかりとしている。シャルムでも老舗のショップで、ヨーロッパからのリピーターが多いみたいだ。ここなら信頼できるだろう。

 今日のボートは早朝に出たというので、僕は明日の1日ツアーに参加することにした。ボートに乗り込み、午前に一本、午後に一本潜るのだ。
 レンタル器材のフィッティングや書類の手続きを済ませ、明日はいよいよ紅海だ!と僕は意気揚揚とショップを後にした。その厳しさをまだ知らぬまま・・・。

 その後、高級ホテルが立ち並ぶナアマ・ベイのビーチを歩いてみたが、まだ風は冷たく、日光浴する人の姿もまばらだった。
 海こそ透明で美しいが、岩っぽい浜にはパラソルやデッキチェアがごちゃごちゃと並べられ、お世辞にも美しいとは言えない。タオ島の、あのヤシの木に縁取られた遠浅の白いビーチの方が、よっぽど正しいリゾートのあり方をしていた。

 しかし、美しいビーチとダイビングに適した海は必ずしも一致しない。僕はメキシコのバハ半島の海は面白くない、とビーチ派の視点から思ったことがあるが、アメリカのダイバーにとっては、あそこは西の横綱らしい。(当然、東の横綱はカリブ海である)
 シャルムは、ビーチリゾートというよりもダイビングの一大センターだ。ダイビングをしなければ、ここに来る意味はあまりないだろう。

 ダイビングでなくてもここは何をするにも高いので、僕は早々とユースの部屋に戻り、あとはずっと本を読んで過ごした。コンセントがあればパソコンができるのだが、窓にガラスもないというのに、そんなものを望めるわけがない。裸電球のソケットから電気を取ろうとしたが、その形状がちょっと変わっていて、それもかなわなかったのだ。
 汚い部屋で司馬遼太郎の「モンゴル紀行」を読み、はるかアジアの大草原を駆ける騎馬民族に思いを馳せた。ロシアのマルチエントリービザが取れれば、あの国にも行くことができるんだなあ。


 そして27日の朝、僕はユースで出される不味い朝食を食べたあと、ダイビングショップの車に迎えられた。いよいよ紅海で潜るのである。

 今日「マリナ・ダイバース」のボートが向かうのは、ナアマ・ベイの東北に位置するティラン海峡のリーフ(岩礁)群。乗り込んだのは全部で15人ほどのダイバーで、インストラクター以下、スタッフは全員エジプト人。客はオランダ人、ドイツ人、フランス人、ロシア人(ちょっと驚いたけど、エジプトのリゾートにはロシア人がけっこう来るらしい)など、ヨーロッパ中から集まった白人たち。みんなけっこういい歳で、自分で持ってきた器材のチェックに余念がない。レンタルで器材を揃えたのも、白人じゃないのも、僕ただ1人だ。

 そこで僕はハタと気付いた。まわりのダイバーたちは、みんな潜るために休暇をとって毎年のように紅海に来ている連中で、旅行のついでに潜っている僕とはダイビングに対する姿勢そのものも、経験もまるで違うのだ。これはちょっと困ったぞ!

 ダイビングは1人で行うスポーツではない。安全確保のため、バディ(パートナー)との2人一組が最低単位となり、たとえば今日、僕の入った8人のグループなら4組のペアが内在することになる。基本的にはこの8人で行動をともにし、何かあったときにはバディ同士で助け合う。僕には「自前」のバディがいないので、エジプト人のインストラクター、モハメッドとバディを組むことになったが、彼は全体の統制も取らねばならない。
 僕がモハメッドの足を引っ張れば、グループ全体の足を引っ張ることになる。他人に気を使う性格の僕は大いに緊張するのであった。

 そして白いボートは蒼海を1時間ほど走り(ぜんぜん「紅く」ないぞ)、ゴードン・リーフというダイビング・ポイントのブイに横付けされた。この付近には大きなリーフ(岩礁)が4つあり、リーフの上こそ深さ数十センチしかないが、その横はストンと落ちていて深度は一気に数十メートル、数百メートルに達する。ダイビングはその海中断崖に沿って行われるのだ。

 モハメッドによる簡単な説明のあと、いざ1人ずつ海に飛びこむ。
 海面に浮かびながら水中をのぞいたら、ガラスのような透明度に息を呑んだ。はるか遠くのサンゴや小魚たち、十数メートル下をいくダイバーの表情までも手に取るように見えるのだ。そして透明ということは、ものの色がそのままに、色鮮やかに見えるということでもある。
 紅海で潜った経験のある村上さんもマシューも、「タオ島の海には色がない」と言っていたが、それが今よくわかる。ここに比べれば、確かにタオ島の海はさびれた土産物屋の軒先にあるような色あせた絵葉書のように思えてしまう。

 そんな美しい海に潜行!と、はりきって胸のBCD(浮遊器具)から空気を抜くが、ありゃりゃ?体はいっこうに沈まない。海面でジタバタする僕をよそに、みんなは気持ち良さそうに沈んでいく。
 ・・・これはあきらかにウェイト(重り)不足だ。人間の体もダイビングの器材も水に浮く。潜るためには腰に鉛の塊をつけるのだが、僕はタイでつけていたのと同じ量、約4キロのウエイトをつけていたのだ。しかしタオ島では半袖のウェットスーツだったのに対し、今日のは長袖。ウエットスーツはウレタン地で出来ていて浮力が強く、半袖と長袖の差が予想以上に大きかったのだ。

 しかし今さら気付いて遅く、みんなは眼下に遠い。ボートに戻ってウエイトを追加し、また潜り直しても間に合わない。僕は遠くなったモハメッドに「もう先に行ってて。俺はボートに戻る」と合図し、こんなときにも水が透明だと便利だな、とヘンなことを考えつつ、ボートにさみしく戻るのだった。

 かくして僕の記念すべき紅海初ダイブは、ダイブにならないまま終わってしまった。そのかわり、僕はみんなが上がってくるまで1人で船のまわりでシュノーケリングをしていた。かなり下まで見えるので、水面からでもけっこう楽しめるのだ。
 ただし、3月の紅海はまだ冷たかった。水温は20度ちょっと、これは真冬の水温とあまり変わらないそうだ(夏であれば25度を大きく超えるという)。二ヵ月前に比べれば陽射しは確実に強くなっているが、気温はまだ涼しく、今日のように風が強いと水から上がったあとが辛い。僕はボートの上でガタガタと震えながら、みんなが上がってくるのを待った。

 そして船上でのビュッフェ形式のランチのあと(これがなかなか豪華で、これだけでも僕とは世界が違うと思ってしまう)、ジャクソン・リーフというポイントで2本目が行われた。
 この細長い岩礁は海への落ち込みが激しく、頂上部は立って歩けるほどの深さしかないのに、一歩足を踏み外すとあとはもう800メートル下までなにもない。南米ギアナ高地のテーブルマウンテンがそのまま海中にあるようなものなのだ。ダイビングはその断崖に沿って行われる。眼下に暗闇を見ながら、深度20〜30メートルを保ちながら進むのだ。
 また、このリーフは潮流に囲まれており、今回はドリフト・ダイブという、その流れに身を任せるダイビングをすることになった。ある地点(水点?)で潜行し、しばらく流されたあと、先回りしたボートに拾ってもらうのだ。つまり潜行地点と浮上地点が異なることになる。

 最初にモハメッドが海に飛び込み、潮流の強さをチェックした。そして大きな「OK」サインを出したので、僕たちも続々と水に入る。今度はウエイトを2キロ追加したので問題なく潜行できた。
 これでさっきのように冴えないことにはならないぞ、と思ったが、結果から先にいうと、さらに冴えないことになってしまうのだった。

 水はさっきのゴードン・リーフ同様、数十メートルの透明度を誇った。サンゴや小魚たちが群れる岩の壁を左手に見ながら、ゆったりとした流れに身を預ける。下を見れば光の届かぬ深海である。タオ島では海底に沿ったダイビングばかりしていたので、若干不安を覚えた。
 しかし、ここでは見える景色のスケールがまるで違う。これは水の透明度のおかげだと思うのだけど、はるか先、はるか下まで見えてしまうので、大海原の真っ只中にいることを実感できるのだ。タオ島の海を箱庭だとすると、ここの海はイエローストーン国立公園のような壮大さだ。

 魚影も濃い。色とりどりの小魚や中型のカマスのような魚が群れているのをはじめ、潜り始めてから20分ほどたったころ、紅海名物の巨大魚ナポレオン・フィッシュがオモムロに現れた。
 ナポレオン・フィッシュはおでこと下唇が大きく突き出た不恰好な魚で、ナポレオンというよりは松本清張か田中真紀子といった感じがする。色は鮮やかな緑で、僕たちが見たのは体長1メートルを優に超え、まるで冷蔵庫が泳いできたかのように迫力があった。わき腹にはコバンザメのような魚を従えており、その姿は実に威風堂々としている。
 紅海では特に珍しくないそうだが、それでも一本目でお目にかかれるというのは、かなり幸運だと思う。

 しかしナポレオン・フィッシュの感動も束の間、僕は大海の恐ろしさを知ることになる。
 長袖のウエットスーツを着ても、水はやはり冷たい。まわりの連中は寒さに強い白人だから、まるでぬるま湯に浸かるようにゆったりとしている。僕だけ寒さに震え、また緊張もしているから酸素の消費が激しく、しばらくたったころ浮上する必要がでてきた。しかし全員で浮上するにはあまりに早過ぎるので、モハメッドはもう1人、酸素の残りが少なくなったおじさんと一緒に2人で浮上することを指示した。

 浮上するとき、通常は5メートルの深度でいったん停止をする。急浮上すると血液中に溜まった窒素が泡となって危険なので、3分ほどその深度に留まって窒素が分解されるのを待つのだ。
 しかし、水面に近い方が潮流は強い。深度5メートルまで浮上した瞬間、僕はあっという間に岩礁へ向かう流れにさらわれ、深さ数十センチの頂上部まで持っていかれた。

 そこの流れはまるで川のように速かった。僕はどんどん引き離され、やがてはおじさんも他の人たちも岩礁の陰となって見えなくなってしまった。
 しかしモハメッドは異変に気付き、すぐに浮上してきてくれた。二人で一生懸命ボートに向かって泳ぐが、潮流が激しすぎてまったく進まない。そのうちに僕のタンクをつかんでいたモハメッドの手が滑り、僕のマスクを外してしまった。僕は口のレギュレーターも外してしまい、足のつく深さでパニックに陥ってしまった。
 結局、岩礁の上に立たせてもらい、やっと我に帰ることができた。ボートに戻ろうとしても流れが強すぎ、かといってボートも岩礁に近づけないので、 ロープを投げてもらい、それで引っ張ってもらうことになった。
 しかし今度はボートがスピードを上げすぎて、岩礁から離れたあたりで僕もモハメッドもそれ以上ロープにつかまっていることができなくなり、ふたたび海流に放り出された。

 そこから一生懸命ボートまで泳いで戻ったが、モハメッドは声を荒げてボートの運転手と喧嘩をしていた。彼の指はロープにからまってちぎれそうになったらしい。
 もとをたどれば僕が原因なので責任を感じてしまったが、モハメッドは今日の潮流は強いので仕方がないよ、と言ってくれた。考えてみれば今夜は満月、一月のサイクルで潮流が最も強いのだ。体力も経験もある白人ダイバーには朝飯前かもしれないが、穏やかなタイの海でアドバンスドを取ったばかりの日本人ダイバーにはちょっと手ごわすぎる。
 (あとでダイビングショップにあったガイドブックで調べたところ、このジャクソン・リーフはシャルム近辺のスポットでも、潮流の強さによってはかなり難易度の高い部類に入るというのだ)

 そんなわけで紅海は評判どおり美しかったが、予想以上に厳しかった。
 帰りの船上、僕は自信をなくしてシュンとしていた。しかしモハメッドが明日、ボートはシャルムにおける一番有名なダイビングスポット、ラス・ムハンマド国立(海洋)公園に向かうというので、明日も潜ってみることにした。
 もしこれでダメなら、紅海でのダイビングはあきらめよう。もっと経験を積んでからじゃないと、せっかくの美しい海が嫌な思い出となってしまう。

 ダメな日は悪いことが続くもので、疲れてユースに戻ると、部屋にかけておいた南京錠が外されていた。それを見た瞬間、僕の顔からは血の気が失せ、部屋に飛び込んで調べると、やはりバックパックにかけておいたカギも外されている。
 やられた!!と思って荷物をチェックするが、パソコンある、カメラある、ドルキャッシュなどの貴重品もある、すべての物がまったくの手付かずで残っているのだ。
 ・・・なんだこりゃ?何を狙って荷物を開けたのだろうか?まさか下着を狙った変態の泥棒で、カギを開けたのはいいが、でてきたのが男物の薄汚れたトランクスだったのでそのままにして逃げた、ということでもあるまい。

 一応フロントに報告するが、答えは予想通り「何もとられていないのならノープロブレムじゃないか」。実際、何の被害もないのでそれ以上何も言えず、僕は部屋に戻るしかなかった。
 明日潜って、それ以上シャルムにいるかどうかを判断するつもりだが、いずれにしてもこのユースにこれ以上泊まるのは危険だ。明日、荷物を全て持ってショップに行こう。


出費                   56LE   飲食費
     9LE トイレットペーパー
     37LE 宿代
       2LE 交通費
計     104LE
(約2940円)
宿泊         Youth Hostel


2002年3月28日(木) ラス・ムハンマド国立公園(Ras Mohammad NP)

 昨日と同様、僕は朝8時にダイビングショップの車に迎えられた。ただし今日は荷物をまとめ、ユースをチェックアウトしてからである。実被害はないというものの、部屋や荷物が開けられるのは気持ちのいいものではない。
 さて、今日ボートが向かったのは、シャルムの西、シナイ半島の突端に位置するラス・ムハンマド国立公園。フランス人の海洋学者によって見出され、今ではエジプト最初にして唯一の国立公園に指定されている。ここで潜るには5ドルの追加料金がかかるが、こここそがシャルムにおけるダイビングの目玉なのだ。

 午前中の一本目。昨日のジャクソン・リーフほどではないものの、かなり傾斜のきついリーフで行われた。
 透明度は昨日ほどではないが、それでも20、30mはあるだろう。サンゴがきれいである。小〜中型の魚が群れていてきれいである。潮流もなく、安心して潜れるのである。
 しかし、寒い!今日は落ち着いているぶん、余計に水の冷たさが身にしみるのだ。僕は3、40分ほど水中にいたが、やはり他のダイバーたちより酸素の消費が激しく、フランス人のおじさんと途中脱落することになった。彼の酸素も比較的少なくなったとはいえ、あと10分は水中にいられるだろう。1人で行動しない、というのがダイビングの大原則だが、付き合って浮上してもらうのはやはり気がひける。
 ボートにあがると、まるでフグのようにでっぷりとしたフランス人おじさんは、「もっと太らないとダメだよ。ガハハ」といって太鼓腹を叩いてみせた。水中では暖かそうだが、それはそれで別の問題があるような気がする・・・。

 昼食を挟んでの2本目。国立公園から引き返し、シャルムのすぐ近くのポイントで行われたが、僕は料金を前払いしているにもかかわらず潜らなかった。
 僕には水が冷たすぎる、というのもあるし、まわりのダイバーたちと技術の差がありすぎる、というのもある。
 後で分かったことだが、8人のうち、オランダ人2人はインストラクターの一歩手前の資格ダイブ・マスターを持ち、1人のロシア人にいたっては職業ダイバーとして石油基地の海中作業に携わっていたという。
 僕は、車でいえば普通免許を取ったばかりだ。彼らと潜るということは、若葉マークのドライバーがポルシェやフェラーリを駆って、プロのレーサーと一緒にサーキットを走るようなものだ。それは足を引っ張ることになるだろう!

 やはり日本人は、言葉の問題だけでなく、慣れないうちは日本人と潜っているのがいいみたいだ。後にダハブの日本人インストラクターと話しをしたが、彼女もヨーロッパ人たちと潜ると置いていかれるという。基本的な体力からして違いすぎるのだ。
 そんな訳で、僕はみんなが海中にいる間、ボートのキャビンでずっと本を読んでいた。デッキで日光浴をしながら読もうと思っても、今日も風が強くて寒いのだ。

 紅海・・・今度はもっと経験を積んでから、やっぱり夏に来よう。美しいが・・・手ごわかった!
 と、僕は紅海でのダイビングを頭の中で締めくくったのであった。(しかしその2日後、僕はダハブで潜ることになる)

 ボートが港に戻ると、僕は預けてあった荷物を引き取り、そのまま夜のバスでダハブに向かった。
 ダハブはバスで1時間ほど北に走ったところにあるバックパッカーの溜まり場的リゾート地。シャルムの物価が上がりすぎたので若い連中、長期滞在の連中はここに集まるのだ。ダイビングの相場もシャルムより安いと聞くが、僕はもう潜るつもりはない。ただしダハブはヨルダンに入国する前の実質的に最後の街なので、しばらくのんびりしてヨルダン以降の計画を練りたい。

 バスがダハブのターミナルに着くと、僕はタクシーを捕まえて海沿いにあるゲストハウス「セブン・ヘブン」に向かった。村上さんに教えてもらった日本人の集まる宿である。
 シングルの部屋が欲しかったが、ドミトリーしかないというので、僕は6畳ほどの大きさに4つベッドを押し込んだ過密空間に身を預けることになった。他のみんなは若くて、やはりダイビングのライセンスを取りに来ている人が多い。
 さて、僕はのんびりとするぞ・・・。


出費                   43LE   飲食費
     690LE ダイビング総費用
     5LE 宿代
      16LE 交通費
計     754LE
(約21310円)
宿泊         Seven Heaven