言われたとおり、午前11時にシリア大使館に行くとビザは発行されていた。しかし125ポンド支払ったにもかかわらず、ビザは一度しか入国できないシングル・エントリーのものだった。もともと行く予定じゃなかったからいいけど、これでシリアから足を伸ばしてレバノンをのぞいてくることが出来なくなった。
手元に情報がないので、125ポンドがシングルエントリーのビザとして妥当な金額かどうかは判断できない。
そんな訳で、僕は予定どおり今日カイロを発って、紅海に面したリゾート地シャルム・イッシェーフに移動することになった。
シャルム〜は現地の発音では「シャモ・シェ」といい、名前をそのままカタカナ読みしてもまず通じない。もとはイスラエル占領下で築かれた軍事拠点だが、今ではダイビングを中心としたマリンスポーツのメッカとして人気を呼び、その発展はとどまるところを知らない。
ただしリゾート客の増加に比例して物価があがり、宿泊施設やレストランなど、とてもエジプトとは思えない料金をとる。そんな街にバックパッカーが気軽に泊まれる宿は、ユースホステルただ一軒といっても過言ではない。それだってカイロの相場からすれば3倍はするのだ。
それでも僕が行くのは、紅海でダイビングをするのならシャルムが一番いいと複数の人から聞いたからだ。バックパッカーはシャルムの北、物価が安いダハブを目指すが、ダイビングの世界ではシャルムの方が格が上なのだ。
午後のバスに乗ると、シャルムに着くのは夜8時ごろになる。向こうまで行ってユースが満室だったらシャレにならないので、わざわざテレホンカードを買って電話で予約をしようと思ったが、地球の歩き方、ロンリープラネット、いずれに載っている電話番号も通じなかった。
しかし若干不安を覚えながらも早く動き出したいという気持ちの方が強く、とにかく行ってみようと僕は午後1時発のバスに乗った。
ところが、このバスがくせ者だった。
午後1時に出発しながらも市内の他のバスターミナルを2ヵ所も経由し、結局カイロを出たのは午後3時ごろだった。
僕は昼食を食べそびれ、どこかのドライブンで休憩を取るのを待っていたが、岩と砂の大地を疾走するバスはいっこうに止まらない。
そのうちに車内の外人にだけ飲み物とスナックが配られた。車掌に「これはタダか?」と聞くが、英語がうまく通じない。見るとまわりの外人たちは手をつけているので、まあ、もともとバスも外人料金で高くとられているようなので、これは一種のサービスなんだろうと思って僕もたいらげてしまった。そういえばブラジルの長距離バスでもスナックが出たなあ。
しかし!これがのちに20ポンドも取られることになったのだ。20といえばカイロで一日を過ごせる金額じゃないか。やられた!
しかもほぼ100キロおきに警察の検問があり、その度に私服警察官がバスに乗り込んで乗客全員の身分証明書を確認するのだ。
おかげで到着は午後9時を回った。ユースの受け付けが10時までと聞いていたので焦ったが、バスターミナルからタクシーを飛ばしていくと電話が通じないにもかかわらずユースは営業中で、僕はベッドにありつくことができた。
ユースホステルというので、僕は白人のバックパッカーなんかもいて国際色豊かなのかと思いきや、巨大な施設に外国人は僕1人だけ。あとは全員、休暇中のエジプト人青少年なのだ。
彼は静かにリゾートするというよりは、もう「友達と一緒に旅行に来られて楽しい楽しい」というのを全身で表現していて、よく酒も飲まないでこんなに騒げるな、と思うほどに騒々しい。エジプト版「海の家」において、修学旅行の団体に出くわしたような感じだ。
フロントは気を回し、僕を使われていない8人部屋に1人で入れてくれた。エジプトの若者と一緒では大変だと思ったのだろう。たしかに彼らと一緒なら「どこから来たのか」「その本を見せてくれ」「日本語で俺の名前を書いてくれ」などと落ち着くひまもないだろう。
しかしほとんどの部屋が改装されてピカピカなのに対し、僕が通された8人部屋は古いままで、窓にガラスはないわ、壁から壊れたエアコンの配線が垂れているわ、床には乞食がまとうような布団が落ちているわ、で散々たるものだった。
はだか電球の下、僕が今まで泊まってきた宿の中でもトップクラスにみじめな部屋だな、と思いながらも、このシャルムにおいて僕が泊まれるとこは他にないので、ぼくは8つあるベッドの中でも一番まともなのを選んで横になるのだった。
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