旅の日記

エジプト編その5(2002年3月21〜24日)

2002年3月21日(木) カイロふたたび(Back in Cairo)

 飛行機が朝焼けのカイロ国際空港に着陸したのは、予定を1時間ほどオーバーした午前6時すぎだった。タラップに立つと、涼しい風が僕を包んだ。気温は16度らしい。1月のカイロは部屋の中でも10度を切る勢いだったから、2ヵ月のうちに着実に暖かくなっている。
 入国審査でちょっとモメた。係官がどういうわけか僕のパスポートを怪しんで、虫眼鏡やポケットライトまで持ち出して調べたのだ。結局は入国できたからよかったけど。

 空港からはバスに乗り、懐かしい風景を見ながらホテル「サファリ」に向かった。しかし、というかやはりというか、学生旅行者はエジプトにも押し寄せているようで、「サファリ」は満室。廊下にまで人が寝ている有様だった。
 仕方なく、同じビルの階下にある「スルタン」にチェックインした。

 このビルには他にも「ベニス」という安宿が入っているが、その前を通ると「売りたし、ロンリープラネット中東版、45ポンド、サイモン」という英語の張り紙が目に入った。僕はヨルダンやシリア、トルコのガイドブックを持っていないので、その本を譲り受けることにした。アラブ諸国をほぼ全域カバーした分厚いガイドで、最新版の上に約10ドルと安い。これはラッキーだ。
 サイモンという男はダイバーでもあり、雑談をしているうちに紅海のダイビングスポットの話になった。僕はダハブで潜るつもりだったが、彼にいわせればその手前のシャルム・イッシェーフの方がいいという。シャルム〜は高級リゾートで、物価がエジプトとは思えないほど高いためにバックパッカーはダハブを好むが、海の面白さ、ショップの信頼度ではシャルムが勝るらしい。彼はゴールドコースト出身。海にうるさいし、ダハブとシャルムの両方で潜っているから、信頼に値する話だと思う。
 ダハブの手前にシャルムがあるので、まずはそっちから行ってみようと決めた。

 しかし紅海に向かう前に、僕にはカイロでしなければならないことがある。ヨルダンとシリアのビザ取得だ。
 ヨルダンは大使館に行けば即日発行してくれるが、シリアはちょっと厳しい。日本大使館の発行するレター(身元保証書のようなもの)が必要なのだ。
 まずは日本大使館に行き、そのレターを申請する。しかし領事部のオフィスはがらんとしていて、人の動きもどこかのんびりとしている。申請用紙を出すと、若い大使館員はレターができるのは日曜日の朝だといった。今日は3月21日、春分の日で大使館の実務は休業。つづく金曜と土曜もイスラムでいう週末だから休みなのだ。
 これは思ったより時間がかかりそうだぞ・・・。「地球の歩き方」によると、レターができたからシリア大使館にビザを申請しても3営業日は必要だというし。

 とりあえずレターを申請し、次にヨルダン大使館に行ってビザをもらった。日本人はタダらしいが、前にいたボリビア人は88ポンドも取られていた。ちょっと可愛そうだと思う。

 帰りにマクドナルドで食事をした。
 エジプトのファストフードの定番コシャリでも良かったのだが、初日から僕はスピーカーから流れるねちっこいアザーンの声や、アラビア語の映画の看板やら、ムチャクチャな運転をするカイロの車に囲まれて、はやくもイスラム世界の荒波に疲れてしまったのだ。
 ここでマクドナルドでも食べて一息つきたい。アジアでリラックスしきった体をここに慣らすには、少しずつにしないと消化不良を起こしてしまう。

 そんなわけでフィレオ・フィッシュのセットを注文すると、キャンペーンのスクラッチカードがついてきて、例の銀色の部分をこするとプラスチック製のマグカップが当たった。このマグカップ、「M」のマークにアラビア文字でマクドナルド(だと思う)と書かれている。子供だましのような景品だけど、僕は妙に嬉しくなってしまった。
 マクドナルドといえばコカ・コーラと並ぶアメリカ文化の象徴ではないか。それが今、世界をアメリカと二分するイスラム世界の文字で書かれている。世界平和を描いているようで、ちょっと素晴らしいのだ。そんなこというとエジプト中にあるマクドナルドの看板も全部アラビア文字で書かれているのだけど、何か、今さらながら僕の心に訴えるものがあったのだ。

 イスラム世界といえば酒がない。僕は免税で酒が買えるうちに買っておこうと思い(エジプトでは入国日とその次の日に免税で買物をできる権利がある)、ホテル・シェラトンの免税店でバランタインの720mlボトルを一本買った。
 そんなわけで夜は水割りをチビリチビリとやりながら椎名誠の対談集を読んでいた。そのうちに酒と本も尽きてしまうのだろう。


出費                   70LE   エジプトビザ代
     4LE 交通費
     8LE 宿代
     45LE ロンリープラネット
     13LE 飲食費
     8LE インターネット
     8$ ウイスキー
計     148LE
(1ドル=4.6ポンド、約4180円)
     8$ (約1040円) 宿泊         Sultan Hotel
インターネット Hany Internet


2002年3月22〜24日(金〜日) ビザを待つ(Waiting for the visa)

 22日と23日は溜まった日記を打ったり本を読んだりして、主に宿で過ごした。カイロは広く、まだまだ見ていないところはあるのだけど、今さら観光する気にもなれないのだ。
 アテネに持って行くつもりで買った日本食材だが、そのまま中東縦断の旅に持っていくわけにはいかない。こんなことを書くとアテネで僕を待っていたタダ君やクロさんやごり君が発狂するかもしれないが、「処分」しなければならないので、僕はどら焼きを宿の日本人に分け与え、味噌はホテル「サファリ」の面々に差し入れ、そばは自分で茹でて食べた。
 「だしの素」はアテネに置いてきてあるのだが、醤油と粉ワサビだけでもそばは何とか食べられた。

 24日の朝、日本大使館に行くと無事にシリア大使館宛のレターが発行されていた。それを持ってシリア大使館に行き、ビザを申請する。僕は何も考えず、言われるままに125ポンドのビザ代を支払ったが、同室の日本人はその金額ではレバノンに行って帰ってこられるマルチエントリーのビザではないか、という。レバノンに行く予定はないんだけど・・・まあ、今さらいいや。これをきっかけに行ってもいいし。
 いずれにせよ、ビザは明朝11時には用意できているという。「地球の歩き方」では3営業日かかるとなっているので、これは予想以上に早い。しかも午後にシャルム・イッシェーフ行きのバスがあるので、午前中にビザを受けとってそのまま紅海に行くことができる。
 心の準備ができていなかったのでにわかに焦ったが、よく考えてみればカイロでやり残したことも特にないので、明日、移動することにした。

 シリア大使館の帰り、僕はイスラーム地区というカイロでも古き良き町並みが広がる場所を散策してみた。
 狭い路地にロバの引く荷車が通り、両脇には小さな商店が並ぶ。どういうわけかダンボールのかぶさった街頭テレビがあり、子どもたちがサッカーの試合を食い入るように見ていた。なにもこんな炎天下でテレビを見ないでも・・・。

 猥雑な土産物のスーク(市場)を冷やかした後、タクシーに乗って宿に帰る。相場通りか、むしろちょっと多い3ポンドを運転手に差し出したが、彼は「足りない!4ポンドだぜ、ミスター」とか騒いでいた。当然のごとく僕は無視して降り、タクシーもすぐにあきらめて走り去った。カイロのタクシーはあいかわらずなのだ。

 シャルム・イッシェーフではインターネットも高いだろうから、カイロで最後のメール送受信をやっておいた。そして最近、円安ドル高が進んでいるので、インターネットバンキングで持っているドルをいくらか日本円に換えた。このまま行くと、旅の最後にはドルが余って円がなくなってしまう公算なのだ。


出費                  125LE   シリアビザ代
     4LE 交通費
     24LE 宿代
     46.6LE 飲食費
     4.35LE 蚊取り線香
      18LE インターネット
計     221.95LE
(約6270円)
宿泊         Sultan Hotel
インターネット Hany Internet