今日は松井史織の9ヵ月に及ぶ旅行の最後の日だ。しかし、最後の最後まで彼女はトラブルに見舞われる。
空港行きのバスは午前6時に迎えにくるというので、僕たちは5時半には宿を出て40分には「キッキッキッ・トラベル」の前に着いた。細い路地の向かいにある家の人はすでに起きていて、托鉢僧にお米を喜捨していた。夜行バスか早朝のフライトで着いたのだろうか、白人のカップルが「キッキッキッ・トラベル」が店を構えるゲストハウスの宿直の少年を起こし、チェックインした。
僕たちの他にバスを待つ人はいなかった。空はまだ薄暗く、しつこい蚊が僕たちに群がった。空車のタクシーが何台もやってきて、大きな荷物を抱えた僕たちを見ては「空港まで行こうか」と言って停まった。僕はその度にバスを待っているから、と断った。
しかし待てど暮らせどバスは来ない。僕たちは6時20分まで待ってあきらめ、タクシーを捕まえて空港に行くことにした。
時間があまり無かったので、すぐそこに停まっていた交渉制のタクシーに乗った。本当はメーター式の方がいいのだけど、僕たちは200バーツで空港まで行ってもらうことにした。
しかしこの運転手、正式なタクシーの免許がないのか何なのかわからないけど、途中で警察官に停められてしまった。警察官は彼の免許を取り上げ、運転手は「返してくだせえ、お代官様」などと頭を下げている。僕がイライラして「何でもいいから早くやってくれ。時間がないのだ」と2人に言うと、警察官はしぶしぶ免許を返し、我々は解放された。
ところがこの運転手、今度は無理な車線変更をしたおかげで隣の車を怒らせてしまった。
信号を待ちをしていると、隣の車から男が出てきて運転手に何か話しかけてきた。タイ語というのは甲高い発音をするので、それが文句を言っているとははじめ分かわからなかったが、男の手には鉄でできた頑丈なハンドルロックが握られていた。何かあったときの武器だろう。
運転手はヘラヘラと笑って謝ってなんとかその場を切りぬけ、僕たちはようやく空港に着いた。
と思ったら、今度はフライトが2時間も遅れた。がんばって急いできたのに・・・。
遅延の代償として中華航空は食事券をくれた。本当は1人分だと思うのだけど、それを持って階上のバーガーキングに行くと2人分のセットをくれた。そんなわけで僕たちは最後の食事をした。
ゆっくりと食事をしたあと空港内のコンビニや土産物を冷やかしたが、やがて時間がきて、松井史織をパスポートコントロールの前で見送った。
彼女と旅をして3ヵ月が経った。その間けっこう色々と動き回ったから、あっという間のような気がする。僕は(そして村上さんも)、「口を閉じろ」とか「がに股で歩くな」とか「早く食え」などとさんざん彼女に小言を言ったが、これだけガミガミ言われたのだから彼女は精神的に強くなっただろう。
社会に出ても強く生きていくのだぞ!今度は日本で会おう!
帰りは普通のバスに乗り、宿に戻ると、松井史織が置いて行った草履がポツンと下駄箱にあった。それはまるで彼女が立ち去った足跡のようで寂しかったけど、そんな感傷はすぐに吹き飛ぶことになる。
「キッキッキッ・トラベル」に行って、バスが来なかったのでチケット代を払い戻して欲しいというと、「キッキッキッ」は1時間後に戻ってこいと言った。話が通じたのだと思った。
しかし1時間後に行くと、彼女はその間に運転手に電話をしたが、確かにバスは朝6時にここに来たという。なので間違っているのはあなたで、払い戻しはできない、というのだ。
「ちょっと待て。俺は5時40分からここにいて、向かいの家の様子も知っているし、その時間に白人のカップルがチェックインしたのも知っている。なんなら聞いてみてもいい」と説明するが、彼女は全く聞く耳を持たないばかりか、ますます感情的になって怒り出す。
「お前は120バーツのはした金が惜しいのか」
「金が惜しいんで来てるんじゃない」「それなら何でここに来る」「筋が通らないじゃないか。とりあえず話を聞けよ」「聞く必要はない。私は15年この商売をしていて、間違いはない。あの運転手も経験豊富でプロフェッショナルだ」「何年商売をやろうが、客のいうことくらい聞く義務があるだろう」「いい客のいうことは聞く。お前はタチが悪い。自分がこの場所に居なかったことを棚にあげて、小銭をかせごうとしている。お前のいうことを聞く必要はない」
僕は、だからそんな小銭が惜しくて言ってるんじゃない、と言いたくて、「I
told
you,
I
don't
care
about
that
fucking
money」といったら、英語のあまり上手でない彼女は自分が罵られたと勘違いし、「お前はなんて失礼なヤツだ。出て行け!」とキレた。
穏やかな人の多いタイで、ここまで無理やりな人がいるとは思わなかった。彼女は思いっきり華僑の顔立ちなのでタイ人とは言えないのだが・・・。
くやしい僕はツーリストポリスに行って相談した。窓口の若い青年はその場で「キッキッキッ」に電話をしてくれたが、彼もギャーギャー言われただけだった。「金額が金額だし、我々は何もできない」と、生粋タイ人の彼は代りに僕に頭を下げてくれた。
タイで残された時間の少ない僕にできる復讐といえば、ここに書くことぐらいだ。いいですか、カオサン近辺に行くみなさま。「キッキッキッ・トラベル」には気をつけましょう。最初こそニコニコしてフレンドリーですが、何かあると手の平を返したような態度にでます・・・。
その夜、僕と村上さんは男2人になったのをいいことにゴーゴーバーに繰り出した。
くわしく書くのもナンなので、詳細は省くが、今夜のショーはすごかった!バナナとかピンポン玉とかコカコーラ瓶とかが出てきたぞ!ソイ・カウボーイの「ロングガン」という店です。
そんなわけで、今朝5時に起きて、それで午前2時近くまでショーを見ていて、僕のバンコク最後の夜は眠くてフラフラだった。
ちなみに松井史織は帰国できたが、途中で急に体調が悪くなり、台北でのトランジットではフラフラになって次の便に遅れそうになり、名古屋について体温を測ったら38度以上あったという。
三角クッションでぐっすり休むべし・・・。
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