旅の日記

タイ・バンコク編その5(2002年3月11〜14日)

2002年3月11日(月) 走るAVルーム(Back to Bangkok)

 僕たちは午前11時のスピードボートでタオ島を後にした。
 2週間前、はじめてこの島に来たときと同じ光景だった。船から降り立ったばかりの、まだ色の白い旅行者たちがダイビングショップのピックアップ・トラックに乗せられて消えて行く。そのかわりに島でひとときの楽園を味わい、日焼けした肌と心地よい疲労をまとった新米ダイバーたちが、名残惜しむように振りかえりながら船に乗り込んで行く。
 エアコンの効いた船のキャビンに入る前、僕ももういちど島の方を見てみた。青い空、白い雲、エメラルドの海に浮かぶ亀の形の島、コ・タオ。またいつか、この港に降り立ちたいと思う。今度はジンベエザメに会いに・・・。

 などとセンチメンタルに島を去りながらも、このスピードボートと僕の相性はとてもいいようで、船が滑り出してすぐに僕はグーグーと寝息を立てていた。
 気がつくと3時間はあっという間に経ち、船はマレー半島、チュンポンの港にゆっくりと近づいているところだった。

 そこからバスに乗り換えてバンコクに向かうわけだが、今日の「VIPバス」もすごかった。大型バスが満席になってしまったので、僕たちは他の7人の乗客とともに一台のワンボックスに押し込まれたのだ。
 一瞬「これはハズレか」と思ったが、運転手はこのワンボックスを相当愛しているようで、内装は青と白のツートンできれいにまとめられていた。運転席のうしろには14型のテレビが鎮座し、天井にはいたるところにスピーカーが埋めこまれている。これで車体に工藤静香のペインティングが施されていたら完璧なトラッカーなのだけど。
 しかし、この完璧なカーAVシステムに運転手がオモムロに突っ込んだのは、タイ演歌のテープだった・・・。チャカチャカチャカチャカ・・・安っぽいリズムが流れ、やがて男性歌手がねちっこく歌い出した。そして車内で唯一ゴキゲンになった運転手は鼻歌まじりにアクセルを踏みしめる。
 そんなこんなで、バックパッカーを詰めこんだ高速移動タイ演歌鑑賞AVルームはバンコクへの道をバク進するのであった。

 それにしても田舎のオヤジが好む音楽というのは、なんでこうも世界中で似ているのだろう?ボリビアの夜行バスでかかっていた音楽も、エジプトのバスも、タイのバスもおんなじだ。日本の場末のスナックでかかる演歌も似ている。これはもう目に見えないところ、きっと聴覚を担う染色体とかのレベルで世界のオヤジは共通しているのだと思う。世界中のオバさんの行動が似ているのと一緒だ。
 世界中のオヤジが演歌同盟を結んで立ち上がったら、西洋音楽などかなわないのかもしれない。オヤジの結束をナメてはいけないのだ。

 しかし、今日の運転手は根っからのオヤジではなかった。
 やがて太陽が沈み、車窓が暗くなると、運転手は一枚のVCDをプレーヤーに突っ込んだ。これでタイ映画でも始まったら大変だ、と車内のみんなに緊張が走ったが、スピーカーから流れてきたのはお馴染みのテーマ!
 始まったのは「007/World is not Enough」。3代目のジェームス・ボンド様(4代目?僕が知っているのはショーン・コネリーとロジャー・ムーアだけだ)を見るのは初めてだったが、落ち着いて007シリーズを見ると、よくもまあこれだけ詰めこんだなあ、と思うほどB級以上、A級以下のアクションのオンパレードだった。たまに笑ってしまうのだが、夜の高速道路の退屈しのぎには持ってこいだった。

 運転手はかなり飛ばしたのだが、僕たちがカオサンに着いたのは夜10時ごろだった。こんな時間から部屋を探しても見つかるはずがないので、僕たちは村上さんが前に泊まっていた「Twins」にチェックインした。島から電話をかけて予約を入れておいたのだ。
 昨日のダイビングの疲れも残っているし、もちろん今日の移動の分の疲れもあるし、部屋にはコンセントが無くてパソコンも使えないので、僕たちは魚介を出す食堂で青葉ちゃんと最後の晩餐を食べたあと、すぐに寝た。
 青葉ちゃんは明日の便で日本に帰るのだ。僕のタイの日々も残り少ない。


出費                  1050B   島での宿代
     240B 飲食費
     100B 宿代
     100B 電話代
計     1490B
(約4500円)
宿泊         Twins


2002年3月12〜13日(火、水) ダイビングのツケ(Going to a hospital)

 「Twins」の部屋は新しいが、カプセルホテルのように狭いうえにコンセントがないので、僕は前に泊まっていた「Blue House」に引っ越した。木造のアバラ屋を無理やり青く塗ってポップにした民宿だが、部屋は広くてコンセントもあり、夜はとても静かなのだ。

 体の疲れが取れないので、引っ越した部屋でもずっと寝ていたが、ますます体はだるくなる。預けていた荷物を取りに行っても、インターネットに行っても、昼食や夕食を食べに出ても、なんかフラフラとして足元がおぼつかない。暑いはずなのに暑さを感じず、まわりのもの全てにリアリティを感じないのだ。
 これはまるで熱があるようだ、と思って体温を測ったら、なんと38度5分もあった。鼻水も出ないし、喉も痛くないが、言われてみれば耳がヘンな気がする。ダイビングのしすぎで耳がヘンになって、それで高熱が出ているのだろうか?これは楽しすぎた日々のツケなのか?
 とにかく12日はアスピリン2錠を栄養ドリンクで流し込んで眠った。明日もおかしいようなら病院にいってみよう。


 そして翌朝。やっぱり何かおかしいので、病院にいくことにした。
 しかし旅行者の強い味方バムルンラード病院は、あの安くてうまい寿司ランチの「築地」の方面でもあるので、診察を受ける前に腹ごしらえをしていくことにした。当然、村上さんと松井史織も一緒である。

 船とスカイトレインを乗り継いでタニア通りの「築地」に行くが、宿を出るのが遅くなってランチの時間に間に合わなかった。前にも書いたけど、この店はけっこう高級な構えをしている。中に入ろうと店の戸を引いたとたん、タイ人の仲居さんに「ランチは終わりましたよ!」とニベもなく言われたのだ。それはまるで「あなたたちはランチ以外は食べられないでしょう!」と言われているようで、そしてそれは誠にその通りなので、くやしくもあって仕方もなく、僕たちはスゴスゴと出て行くしかなかった。

 「築地」の向かいに「小僧寿司」もあるので、かわりにそこの食べ放題コースにした。いわゆる回転すしなのだけど、回ってくるネタのバリエーションが少なくてすぐに飽きてしまう。もともとそんなに食べられる方じゃないし、今日は体調が悪くて味覚まで衰え、もう何を食べても同じ味しかしないので、9皿しか食べられなかった。
 やっぱり「築地」のランチの方がいいので、バンコクを発つ前にもう一度行こう。ちゃんとランチに間に合うように・・・。

 病院に行く前にもう一ヵ所寄った。エジプト航空のオフィス、ギリシャに戻る便を予約するためである。
 僕に与えられた30日間のタイ滞在期間は3月18日に切れる。できればその前に飛びたかったのだけど、バンコク〜カイロ間は週2便しかないらしく、17日の便はすでに満席。ぼくはその次、21日のフライトでタイを後にすることになった。21日といっても午前0時過ぎなので、実質は20日の夜。2日間のオーバーステイは空港で罰金を払えば済むはずだ。

 そしてダイバーのはしくれを自認する僕はぜひ紅海でも潜ってみたいので、再度カイロでのストップオーバーを申し入れた。追加料金がかかろうが、このチャンスを逃したくはない。後からわざわざダイビングのためにエジプトに行くのは大変だ。
 しかしオフィスのお姉ちゃんによると、チケットの性格上、いくら追加料金をしてもカイロでのストップオーバーはできないらしい。じゃあカイロ〜アテネの便を捨てることにしてカイロで降りることはできないか、と聞いてみたところ、お姉ちゃんはちょっと考えてから「もしかしたら出来るかもしれませんね」と言った。
 つまりお姉ちゃんでもわからないのである。僕はカイロで降り、紅海でダイビングをしてから陸路でヨルダン、シリア、トルコと抜けてアテネに帰るか、それともそのままひとっ飛びで3月21日の午後にアテネに帰ることになるか、その時にならないとわからないのだ。
 どっちになるかでその後の行動が大きく変わってくるから、心の準備が大変だ。僕は一体どうなるのだろう?

 そしてエジプト航空の前からタクシーに乗り、バムルンラード病院に向かう。この病院は車で行くのが正解であって、セコセコとバスや徒歩で行ってはならないのだ。
 それというのもこの病院、なんで5つ星ホテルのリストに名を連ねないだろう、と思うほどゴージャスなのである。タクシーを正面入口につけると、ドアマンがサッと来てドアを開けてくれる。中に入ると1、2階が吹く抜けになった豪華絢爛なロビーが広がり、マクドナルド、スターバックスコーヒーまである。ここだけを見て、誰が病院だと思うだろうか?

 エスカレーターで2階にあがり、日本人専用受付で診察券を作ってもらう。ここでは海外旅行保険証書とパスポートさえあればキャッシュレスで医療が受けられるのだ。入口の横にも「Asia's first International credit hospital」と書かれた垂れ幕が下がっている。
 賢明な方はこれでお気づきかもしれないが、この病院、タイ人の庶民は相手にしていない。高額の保険に加入している外国人旅行者、駐在員、そして一部の金持ちのための病院なのだ。

 たとえば日本人旅行者の場合、医療費の請求は海を越え、直接日本の保険会社に請求される。一時的にも自分の財布を痛めないから、1000円で済むところが5000円になろうが、通院ですむところが入院になろうが、本人は気にしない。請求された保険会社もタイで行われた医療のことを細かくチェックできないし、海を越えてゴタゴタするのも非常に面倒なので、書類が回ってくればめくら判のように支払いをOKしてしまう。
 かくして病院は必要以上の治療や投薬を施し、入院をすすめるらしい。そしてタイにおける平均よりはるかに高額な治療費を保険会社からゲットするのだ。

 実は、僕も入院をすすめられたらどうしようと期待、じゃなかった心配していたのだ。入院すればタダで高級病室におけるバラ色の入院生活が味わえるのだ。じゃなかった、治療に専念しなければならないのだ。
 期待と不安を胸に3階の耳鼻科に向かった。清潔な待合室には無料のミネラルウォーターとお茶がコップに入れられて並んでいる。それもひとつひとつ、ていねいにラップでふたまでしてあるのだ。実に苦しゅうない。

 そして自分の番が回ってきた。耳、鼻、のど、心音などを調べたあと、初老の先生は訛りのきつい英語でオモムロに言った。「異常ナシ!」
 期待を裏切られた僕は先生に言う。「でも昨夜は熱もあったし、耳が痛かった気がします。そして今日なんか味覚もないんですよ」
 すると先生は鼻で笑った。「寝てれば治ります!薬もあげません!・・・お疲れ様でした」

 実にあっけなく医者に「サジを投げられた」僕は、診察室を後にした。この病院で健康と言われるのだから、僕はとても健康なのだろう・・・。残念、じゃなかった、よかったよかった。
 何ともなかったので、帰りはスゴスゴと徒歩で病院を後にした。帰りに伊勢丹に寄って紀伊国屋で立ち読みをし、カオサンに戻ってビールを飲んでいるうちに、なんか元気が出てきた。気がつけばビールがうまい。味覚も戻っているじゃないか!
 のせられやすい体質の僕は、「異常ナシ!」といわれると本当に元気になるみたいだ。やっぱり病は気から、なのだ。


出費                    75B   インターネット
     379B 飲食費
     80B 荷物保管料
     200B 宿代
     77B 交通費
計     811B
(約2450円)
宿泊         Blue House
インターネット 101 Internet Service


2002年3月14日(木) 60万円の命(Meeting a Japanese businessman)

 朝、村上さんが部屋に駆けこんできた。「マ、マシューが戻ってきました!」
 宿の一階に降りると、薄汚れたマシューがニカッと笑っていた。2晩夜行列車を乗り継いでシンガポールから帰ってきたという。島で別れてからまだ1週間しか経っていないが、彼はマレーシアとシンガポールが性にあわず、早々とバンコクに戻ってきたのだ。
 マシューとの激論の日々ふたたび!と思ったが、幸か不幸か、彼はすぐにカンボジアに向かうので2、3日しかバンコクにいないという。その間に次の準備をするらしい。

 旅には関係ないが、その準備の一つにピアスを開ける、というのがあった。彼はシャワーを浴びたあと、さっそくカオサンロードのボディ・ピアシング屋に向かった。
 マシューが体に穴を開けるのは今回が初めてだが、彼が選んだ場所は右の眉の上。耳より痛そうだが、白人にはけっこうポピュラーなところだ。
 両耳にピアス、両腕に刺青を入れて、全面的に「ピアスと刺青はまかせてねん!」なおじさんは、慣れている手つきでマシューの眉に低温スプレーをかけ、はさみのようなものでその箇所をつまんだ。そしてオモムロに注射器のような針を出すと、つまんだところにブスッ!
 時間も痛みも感じないうちにマシューの右眉に穴があき、両端に小さな玉のついた金属のピンが入れられた。しばらくこのピンを入れ続けて穴を固定したあと、もっと目立つピアスを入れるつもりらしい。
 マシューは自分の顔、とくに眼鏡をかけたときの顔がガリ勉風に見えるのが嫌で、もっとアカぬけた雰囲気を出すのが目的らしい。それなら会話の内容を変えた方がいいような・・・。

 そして夜、僕はO氏に会った。
 O氏は僕の大学時代のサークルの大先輩。今では日本の大手損保に勤めているが、僕の知らないうちにバンコク支店の駐在となり、1年前から家族とバンコクで暮らしているのだった。
 仕事が終わる時間を見計らって、メールで教えられた携帯電話にかけてみる。そして待ち合わせ場所を決めたあと、O氏は言った。「それで今日、お前は何を着ているんだ?」。 会うのが実に5年ぶりなので、もしかしたら分からないかもしれない。そのときのための事だが、僕は妙にウケてしまった。テレクラで待ちあわせをしているんじゃないんだから・・・何を着ているって・・・ブハハ。
 しかしO氏も僕の一言にウケた。「それでお前、カミさんどこにいるんだよ」「えっ、あの、その・・・離婚してます」「・・・ブヒャヒャ!」
 
 そして日本人ビジネスマンのホームグラウンド、タニアプラザの前で待っていると、スーツ姿のO氏が颯爽と現れた。5年ぶりだが、僕は見間違えるわけがない。身長180センチ以上の日本人離れした体をスーツにカチッと包み、イタリアン・マフィアもかなわない甘い目元で僕を探している。これがかつて阿部寛とクリソツと言われ、「アカオニ」の異名をとったO氏である。

 2人がまだ学生で、サークルのみんなと東京各地でバカ飲み会を繰り広げていたころから10年が経った。正直なところ、汚い服を着てバイクでフラフラしているという点では僕の生活はあまり変わっていないが、O氏は大手損保の駐在員となり、運転手つきの社用車に乗って守衛つきの高級マンションに住んでいる。上のお子さんは5歳になり、インターナショナルの幼稚園で日本語と英語を同時に覚えている。

 時の流れは確実の両者の隔たりを広げた。しかしどちらがどう、というわけではない。僕たちが居酒屋に入るとO氏はすぐに「お前は男の鏡だ。お前がうらやましい」と言った。たしかに僕は人のうらやむ生活をしていると思う。しかし、こんな僕も定められた住居と仕事、約束された将来をうらやむことがある。何のことはない、人は自分に無いものを求めるのだ。

 僕たちはビールを飲んでお互いの近況を話した。O氏はこの1年でタイ語がペラペラになっていた。バンコク駐在というのは確かにオイシイ立場だが、そうでなくてもこの国が気に入ったらしい。タニア通りには日本人経営の飲み屋が多いが、かつての駐在員が退職後、大好きなタイでまた生活をするために店を開くケースが多いらしいのだ。
 仕事の話になったとき、O氏はオモムロに言った。「なあ、タイ人が交通事故で死んだときの慰謝料の相場って、いったいいくらだと思う?」
 日本に比べるとはるかに安いだろうが、まったく想像がつかない。するとO氏は寂しそうに続けた。「たったの20万バーツ、60万円なんだよ」

 タイ人のGNPが1人あたり2000ドルちょっとだというから、年収約2年分ということになる。これは他の物価に比べても安すぎではないか?しかも多くの場合、加害者はその金額を即座に用意することができず、かといって何年にも渡って支払う法的義務もないに等しいから、遺族はありあわせの慰謝料で泣き寝入りしなければならないという。
 もちろん、これは保険制度の整備が遅れているためだが、それにしても60万円という金額に僕はウーンとうなってしまうのだった。タイ人のことを思えば寂しくなるし、自分のことを思えば道を渡るときにもっと慎重になろうという数字だ。

 次にO氏はこんな事例も教えてくれた。
 あるタイ人の夫婦が日本に嫁いだ自分の娘を訪ねに行き、そして不幸にもそこで交通事故にあい、亡くなってしまった。加害者は任意保険に加入しておらず、遺族に支払われたのは自賠責保険による3000万円のみ。日本だったら任意保険に加入していないとエライことになるが、この3000万円だけでもタイでいえば途方もない金額だ。O氏のオフィスのもとには「実はあの2人の家族なんです」という自称・遺族からの電話が絶えなかったという。

 あとでマシューにこの話をしたら、だからどうした、保険制度や物価や生活環境が違うんだからしょうがないじゃないか、と一掃された。その通りなんだけど、それでも寂しいじゃないか。

 O氏はタニア通りの居酒屋のあと、さる高級ホテルのバーに僕を連れていってくれた。車がエントランスに滑り込むと、ドアマンがサササとやってきてドアを開け、O氏は大股でホテルに入っていく。その後をチョコチョコとジーンズ姿でついていったら、何か金で買われた少年の男娼のような気分になった。久しぶりにスーツを着てみたくなってしまった。
 内装がマホガニーで統一されたシックなバーで、僕たちはウイスキーのグラスを傾けた。こんな雰囲気は少なくても1年ぶりだ。まるでエスカイヤークラブのCMのような気分になった。(古い?)

 O氏はそのあと車で僕を送ってくれた。O氏は仕事がら自分が事故を起こすわけにはいかないので、こうして運転手つきの車に乗っているが、それに揺られていたらさっきの話を思い出した。タイは車にかかる税金が高いから、きっとこの車は新車で600万円はするだろう。そしてそれはタイ人10人分の命に相当する金額なのだ。
 それを思うとまた寂しくなり、それでもシックでエレガントで、O氏に会えて懐かしくて嬉しくて、複雑な夜だったのだ。


出費                    36B   飲食費
     100B 宿代
     28B 交通費
計     164B
(約500円)
宿泊         Blue House