旅の日記

タイ・タオ島編その2(2002年3月2〜10日)

2002年3月2〜3日(土、日) アドバンスド・オープンウォーター(Advanced license)

 4日間のオープンウォーター講習につづき、2日間のアドバンスド・オープンウォーター講習のスケジュールもハードだ。実質1日半のうちに5本のダイブと学科を消化しなければならない。
 しかし基礎的なテクニックの習得ばかりを目的としたオープンウォーター講習と比べ、アドバンスドの5本はいずれもテーマの異なった応用ダイビング。スキューバ・ダイビング自体が遊びなのだけど、先の4日間に比べれば気分は遊び半分だ。
 オープンウォーターで一緒だった11人のうち、ほとんどの人がそのままアドバンスドも取るし、インストラクターも引き続きテツさんなので、クラスの雰囲気もそのままだ。

 その5本は、10数種類用意された中から自分で選ぶことができる。しかしショップの環境や設備によっては不可能なダイブもあり、たとえば沈船を見るレック・ダイビングや高所での潜行を体験するアルティテュード・ダイビングはタオ島では無理だし、「ビッグブルー・チャバ」には水中スクーターが無いから、それを体験するダイブも選択できない。
 そして深度30メートルまで潜る「ディープ・ダイビング」や夜の海中を楽しむ「ナイト・ダイビング」、コンパスを用いて決められたコースをたどる「アンダーウォーター・ナビゲーション」の3本が「ビッグブルー・チャバ」における必須科目だそうなので、実質的に自分で選べるのは2本だけだ。
 僕は水中生物を観察する「アンダーウォーター・ナチュラリスト」と水中撮影を体験する「アンダーウォーター・フォト」を選んだ。「〜フォト」は機材レンタルとしてさらに1200バーツがかかるが、水中で撮った写真をぜひともこのホームページに載せたいのだ。

 3月2日の午前中は学科だった。とはいっても、前の晩に眠い目をこすりながらやった宿題の答え合わせである。必須の3本のダイブに関する練習問題を解いたあと、各自選択したもう2本の学科を行った。

 昼食をはさみ、午後に2ダイブ。
 まずは「ホワイト・ロック」という水深15〜17メートルのポイントで「アンダーウォーター・ナチュラリスト」。スレートと呼ばれるプラスチックの板に、鉛筆を用いて水中生物を片っ端からスケッチしていく。それをもとに船に上がってから図鑑で調べると、ワヌケヤッコやソラスズメダイ、ツキチョウチョウウオやモヨウハタなどという魚だった。
 しかし慣れない水中で浮遊しながらスケッチを描くのは大変だ。絵の線はグニャグニャに曲がるし、メモする字はミミズのようになってしまう。

 次にやや浅い「ツインズ」にて「アンダーウォーター・ナビゲーション」。
 はじめに船上でコンパスの使い方を教わり、北に対して何度の方向に何キック進む、というのを何回もイメージトレーニングしてみる。しかし理屈はわかっていても、いざ水中になると勝手は違い、コンパスで方向を調べている間にも体が流されたり向きが変わってしまったりする。
 「直線ナビゲーション」といって、方位と距離を定められたある一点に行って戻ってくるだけならまだできるが、ある地点にいってそこから90度曲がり、同じ距離だけ進むのをくり返して四角を描くのとなるとかなり難しい。最後の方は、うっすらと見えてくるみんなの姿を頼りに進んでごまかしてしまった。

 しかし、その日で特筆すべきなのは夜に行われた「ナイト・ダイビング」だ。
 フツーに考えると、夜に潜って何が面白いのか、という疑問がわく。なぜなら言うまでもなく夜の海は暗いのだ。海水の透明度が抜群によく、そして遮る雲がなければ月光が届くこともあるらしいが、さもなくば自分と仲間たちの持つライトだけが頼りだ。そして言うまでもなく、それらのライトは海中全体を照らすほど強力ではない。
 しかし、これを経験した人は「楽しい」という。そしてなぜ楽しいのかは、潜ってみてすぐに分かった。夜のダイビングというのは、まるで宇宙遊泳のように幻想的なのだ。暗闇の中をフワフワと漂い、ライトの灯りも海水に拡散されて間接照明のように柔らかい。同じポイントでも昼間とは様子がまったく違い、昼間は寝ている夜行性の魚が悠々と泳ぎ、かわりにいつも見る魚たちは岩の隙間なんかで寝ている。ライトで照らすと「あっ、やめろ。まぶしいじゃないか」とモソモソと動き出すのだ。

 そして今のタオ島では夜光虫がたくさん見られる。これはプランクトンの一種で、海水に混じってチリのように漂っているのだが、手で海水を思いっきり掻くと化学反応を起こし、キラッと一瞬光るのだ。海中ライトを腹に押し当てて暗くし、手で海水を掻くとキラッ、また掻くとキラッ。まるで砂金か宝石のカケラをまいたように輝くのだ。
 そんなわけで夜のダイビングも楽しいのだが、やっぱりみんな暗闇の中ではぐれるのが怖いから、いつも以上にお互い接近している。僕は背中のタンクを松井史織の頭に思いっきりぶつけてしまった。
 しばし暗中のダイビングを楽しんだあと海面に浮上すると、今度は満天の星空が美しかった。プカプカと波に揺られながら空を見上げると、オリオン座がさんさんと輝いていた。それはまるで夜光虫のようでもあった。


 3月3日の午前中に残る2本のダイブ。
 まずはオープンウォーター・ダイバーの限界である深度18mを大きく越える、30mの世界に挑む「ディープ・ダイビング」。これを経験していないと、「ディープ」と分類される深いポイントに潜ることができない。
 「チュンポン・ピナクル」というポイントに船で着くと、テツさんは生卵とエビせんの袋を持って潜行した。そして30メートル下の海底で生卵を割ってみせると、黄身は割れずにフワフワと浮いている。対してエビせんの袋は水圧に押しつぶされ、真空パックのようにカチカチになっている。水圧は気体に大きな影響を及ぼすが、液体には影響を及ぼさない。人間の体の大部分は液体だから潰されずに潜ることができるのだ。

 強い水圧のほかに深海の特徴として「窒素酔い」というのがある。深度があがるにつれて体内に溜まる窒素が増え、ある一定のラインを超えるとまるで酒を飲んだように酔っ払ってしまうのだ。どの深度でそれが現れるかは個人差があるが、普通は30メートル前後らしい。ダイバーの中には、この窒素酔いが楽しいからダイビングがやめられないという人もいるのだ。
 窒素酔いはリラックスしていないと症状がでにくいので、初めてのディープ・ダイビングでは出ないことの方が多いらしい。しかし僕は自覚がないものの、「窒素酔いをしていた」と後で言われた。
 卵を割ったあと、テツさんはみんなが酔っているか試すために指を立てて計算問題を出したのだが、卵の殻を渡された僕はそれをどうしていいか分からずに、問題を出されても無視してずっとテツさんに向かって卵の殻を振っていたのだ。有機物なのでそのまま捨ててしまえば良かったのだが、それが分からなかったということはやはり酔っていたのかもしれない。

 「チュンポン・ピナクル」はタオ島を代表するポイントで、大型の魚が多く見られる。全てのダイバーの憧れであるジンベエザメが現れるポイントとして世界的に知られるが、残念ながら僕は見られなかった。
 しかし、銀色に輝くバラクーダが群れを成している姿は雄雄しかった。


 アドバンスドの5本のダイブのうち、最後に行われたのが「グリーン・ロック」と呼ばれるポイントでの「アンダーウォーター・フォト」。一番楽しみにしていたものだ。
 カメラは普通の35ミリとデジカメが選択できるが、慣れていないと水中ではなかなか良い写真は撮れないらしい。普通のフィルムだと36枚が限界だし、その場で写りが確認できないので僕はデジタルカメラを選んだ。完全防水の樹脂ケースに入れられたオリンパスのキャメディア2000ズームだった。

 同時に潜った松井史織と青葉ちゃんとの3人のうち、僕のカメラだけ内臓されたメモリーが大きかったから、電池さえ持てば100枚以上撮影することができる。大きな岩がゴロゴロして地形的に楽しい「グリーン・ロック」だが、この日は透明度が良くなく、だいぶ被写体に接近しないとうまく写らない。それでも同じ料金を払っているから撮らねばソンソンと、ケチ根性を丸出しにして僕はシャッターを切りつづけた。岩にぶつかりそうになっても、ウニの針が迫っても、僕はアイドルのスカートの中を狙うカメラ小僧のように撮りつづけた。
 おかげで我ながら「いいじゃん」と思える写真が何枚か撮れた。ここにその一部を紹介します。

        

 どうです?海の中の世界、やっぱり全然違うでしょう。ちょっと大袈裟だけど「Ride Tandem」の新境地!ってところです。あ、今でもバイク旅のHPですけどね、一応・・・。

 みんなが呆れるほど、33分間で100枚以上の写真を撮り、アドバンスド・オープンウォーター講習最後のダイブを終了した。
 昼食を挟んで、午後に認定式。例のごとく拍手のなか、テツさんからアドバンスドの仮ライセンスを手渡される。これで30メートルまで潜ることができ、世界中ほとんどのダイブ・ポイントに繰り出すことができる。インストラクターとかを目指さず、趣味の範囲でダイビングを楽しむだけならこのライセンスで事は足りるのだ。
 以前、「オープンウォーター・ライセンスは車でいう普通免許のようなものだ」と書いたが、むしろアドバンスドがそれにあたると思う。オープン〜だけでは潜れる範囲がかなり狭まってしまうので、車でいえば仮免許か、オートマ限定免許といったところだろう。
 何はともあれ、この旅に出るまでほとんど泳げなかった僕は、これで立派な(?)海の男になったのだ!えっへん。

 しかし新米の海の男はひ弱である。実質4日間のうちに慣れないダイブを9本もこなし、体はボロボロになってしまった。筋肉という筋肉は痛いし、足はフィンとすれて傷だらけだし、右手にはウニの針が刺さったままだ。そして両耳がうまく聞こえない。診療所で見てもらうと、ダイビングではよくあることだそうで、耳の管の内側が軽い炎症を起こして狭まっているのだ。
 その炎症を抑える錠剤を処方してもらい、僕は足をひきずって宿に帰った。とにかく体調を整えてから今後のダイビングを楽しもう。


出費                    10B   インターネット
     360B 飲食費
     200B 薬代
計     570B
(約1720円)
宿泊         Planny Complex
インターネット Spice Net


2002年3月4〜7日(月〜木) 島の生活(Life in the island)

 ライセンス取得の間は宿が用意されるのだが、それが終わると自分で探さなくてはならない。4日の朝、僕たちは村上さんとマシューの泊まっているGolden Capeというバンガローに引っ越した。
 サイリー・ビーチの北の外れで町まで遠く、部屋にはトカゲやクモやゴキブリもどきのコオロギなんかが出るが、安くてとても静かだ。これはゆっくりできる、と思ったら、このバンガローにはもう一つ欠点があった。電気が自家発電で、午後6時から11時までの間しか使えないのだ。最近日記が遅れ気味だが、これでますますリアルタイムと遠のいてしまう。

 電気が安定していないというのは町のインターネットカフェも同じで、延々とメールを打って「さあ、送ろう」という瞬間にブレーカーが落ちるというのが僕には2回あった。そして電気と同じぐらい電話回線も頼りなく、一度ダウンすると丸1日は町中のカフェが閉まってしまう。
 つまり、この島ではインターネットやコンピューターなどは忘れてゆっくりせよ、ということらしい。

 だから僕は3月4、5日の2日間を本当にゆっくりと過ごし、本を読んだり、ビールを飲んで過ごした。青葉ちゃんが日本から村上龍の文庫を大量に持ってきてくれたので、読む本には事欠かないのだ。
 本当は5日にファン・ダイブ(純粋に海を楽しむだけのダイブ)を2本申し込んだのだけど、耳の調子が回復しないので翌6日に延期したのだ。

 その6日の朝、マシューがマレーシアに向けて旅出っていった。マシューはそれほどダイビングにハマらなかったらしく、アドバンスドのライセンスは取らなかった。フィリピンにも行くので、機会があればそこで取りたいとは言っていたけど。
 そしてマシューが居なくなったことで、正直僕はホッとしたような、解放されたような気分になった。マシューと僕たちはバンコク以来ずっと一緒に行動していたけれど、彼は難しい話をするのが好きで、いつも僕が捕まっていたのだ。
 たとえば町を歩いていて、講習で一緒だった日本人の女の子たちとばったり会ったりする。じゃあ食事でもしようかと店に入ると、当然ながらマシューは日本語が話せないから僕の前に座る。僕は本当は女の子と昨今の芸能事情などたわいない話をしたいのだが、「なぜ日本は戦争に負けたか知っているか?それは真珠湾において第三波攻撃をしなかったからで・・・」などという会話をマシューと交わさなければいけないのだ。
 そしてマシューの相手を誰もしなくなると、彼は仲間外れにされた子どものように本当に寂しそうな顔をする。やれやれ、なのだ。
 しかし、そんなマシューもいなくなると思うとちょっと寂しい。6月ごろ日本にも来るというが、案内できないのが残念だ。

 そしてその午後に2本のファンダイブ。
 いつもは穏やかなタオ島の海だが、この日は波が高く、しかも定員10人ほどの小さなボートなので揺れが激しい。一緒に行った松井史織は船酔いで辛そうだった。
 しかし海中は穏やかで透明度もよく、「シャークアイランド」と呼ばれるポイントで行われた一本目では、銀色に輝くタイワンカマスの大群が僕たちのまわりを洗濯機のようにグルグルと回っていた。深度は20メートル強、一応「ディープ」と分類されるポイントだけあって、いつも見る魚のサイズも一回り大きいような気がした。

 2本目は講習で何回も潜った「ホワイトロック」。正直いって今さら、と思うけど、ファンダイブで潜ると様子が違う。ファンダイブはグループが小さく、たとえば今日は僕と松井史織とダイブ・ガイドのエリさんだけだから、自由が効く。今まで目の行かなかった魚や海底の地形をゆっくりと自分のペースで楽しみながら、ゆらゆらと海中散歩をしているのはとても気持ちがよい。たまに講習中のグループがいて、マスクに水が入ったときの対処法なんかを一生懸命練習していると、見ているこっちは優越感に浸れてなおいいのだ。

 ファンダイブが予想以上に面白かったので、僕は勢い余って7日も2本潜ることにした。「ビッグブルー」に置いてあったダイビング雑誌によれば、日本でファンダイブをしようとするとボート代や器材代やなんやで1本5〜7千円はかかるらしい。それがここ、タオ島では講習卒業生の割引なんかもあって1本540バーツ(約1600円)で潜れるのだ。これは潜らないほうが損だろう。
 しかし松井史織はいい加減疲れた、といってこの日は潜らなかった。だから一本目の「グリーン・ロック」では僕とガイドのエリさんの2人だけだった。

 アドバンスドの「アンダーウォーター・フォト」で潜ったときより透明度は格段に良く、今日カメラが欲しかった、と思った。「グリーン・ロック」は大きな岩が海底にゴロゴロしている「地形派ダイバー」にはたまらないポイントで、スイムスルーと言われる岩くぐりの箇所がいくつもある。そのひとつ、人1人がようやく通りぬけられる大きさのスイムスルーに挑戦したら、背中のボンベが岩にひっかかってジタバタしてしまった。
 このダイブではブチウミウシという、透き通るほど白い表面に黒い斑点のういたウミウシを見た。ウミウシというのは分類的に言うと貝殻をすてた貝らしく、「ウシ」という名前に反して体長数センチと小さい。このブチウミウシはエリさんのいう通り豆大福のようだった。

 2本目は「ツインズ」。ここも講習でざんざん潜ったが、ファンダイブだとやはり違う。海底が砂なのでハゼを探しながら底に沿って進んでいたら、タツノオトシゴの一種、ヨウジウオという黒いヒモのような生物をみつけた。泳ぎがヘタな生物で、行く手を防ぐと「やめろやめろ。じゃまじゃないか」とヨロヨロと迂回してかわいいのだ。
 潜るのに余裕が生まれると、色んなことができて楽しい。「ファンダイブをするためにライセンスを取ってるんだぞ」というテツさんの言葉がよくわかった。どんな資格も、本来は行使するためにあるのだから。


出費                   143B   インターネット
     820B 飲食費
     90B レンタルバイク
     2160B ファンダイブ4本
     120B 文庫本
計     3333B
(約10080円)
宿泊         Golden Cape
インターネット Spice Net


2002年3月8〜10日(金〜日) 村上さんと潜る(Last dive in Koh Tao)

 ずっと晴天が続いていたタオ島だったが、8日から天候が一変した。
 まず、明け方に強い雨が降った。寝ている子を起こすほどの、風呂桶をひっくり返したような土砂振りだった。朝には上がっていたが、いつものサイリー・ビーチに行ってさらに驚いた。あれほど遠浅で、どこまで行っても膝の深さほどしかなかった浜が満ちているのだ。おかげで砂浜の面積は半分以下に縮小し、いつもの通り道のそばまで波が寄せていた。
 結局、その後島を去るまで日中に雨が降ることは無かったが、毎朝のように強い雨が降り、潮の満ち引きは激しかった。潜ってなきゃいられないようなあの陽射しを、雲が隠すこともあった。乾季の終わりを告げる変化だが、一日を境にしてこれほど劇的に変わるとはちょっと驚いてしまった。

 8日と9日はダイビングを控え、ゆっくりと過ごした。
 毎日釣りばかりしている村上さんだが、8日は僕たちのために魚を何匹か持ってきてくれた。コテージにはドイツ人の料理人が住みついていて、僕ら以外ほとんど客が来ない小さなレストランをやっているのだが、村上さんはそこの流し(といっても野外なのだけど)で魚を刺身にしてくれた。

 その様子を傍らで見ていた僕だったが、両足に刺すような痛みを感じ、「ギャツ!」と叫んで地上20センチほど飛びあがってしまった。みると小さいながらも赤く、毒々しいアリが両足にたかって捨て身の攻撃をしている。ちょっと待て!俺が何かしたか?巣でも踏んだのかな・・・。
 村上さんは「あっ、出ましたか。自分も何回か噛まれましたけどね、大丈夫、免疫できますよ」と平然というが、痛いったらない。村上さんは顔だけでなく体質までタイ人化してしまったが、ひ弱な日本人がこのアリに噛まれた場合、その跡は赤い斑点となって残り、しばらく激しいかゆみが続く。そしてそのうちの一つはのちに膿んでしまい、厄介なことになった。赤いアリンコの怒りは怖いのだ。
 で、話を戻すと、村上さんのさばいてくれた石鯛が小さくなったような魚は、身がコリコリとして美味しかった。バンコクから後生大事に持っていった醤油と粉ワサビが初めて役に立ったのだ。

 9日は砂浜でゴロゴロした。誠に正しいリゾートの過ごし方であるが、実は僕はこの島に来て初めてなのである。今まで陽射しが強すぎて、肩にシミができ始めている僕なんかとても砂浜に寝転ぶ気がしなかったのだ。
 それがこの日はうっすらとした雲が空を覆い、穏やかな風が吹いていた。僕はひと泳ぎしたあと(村上さんと松井史織によれば、それは溺れているようにしか見えなかったそうだが)、マレーシア航空から失敬してきた毛布を敷き、その上で浅田次郎の「きんぴか」を読んだ。リゾートにふさわしくない本だが、どういう経緯か、この本は島の古本屋で売られていたのだ。まったく異国の砂浜の上で、不条理な社会に鉄槌を下す物語を読むのも悪くはなかった。

 そして10日、島で最後の日に、初めて村上さんと潜ることができた。
 村上さんはアドバンスドまでライセンスを持っているが、「閉所恐怖症のために」ダイビングはやらなくなったという。話を聞くと、それは閉所恐怖症というより自分の全てをスキューバ器材に委ねていることに対するイライラのようなものだった。そのためにタオ島に来てもダイビングをやろうとしなかったのだが、僕たちが毎日のように海中の話を彼に聞かせているうちに、彼も「もう一回やってみようかな」という気になってきたのだ。
 そして最終日の午後、ファンダイブのポイントが2本とも「マンゴー・ベイ」と呼ばれるほとんど深さのないところだったので、松井史織と3人で(青葉ちゃんは最後の最後まで浜でボーッとする方を選んだ)、潜ってみることにしたのだ。

 村上さんは最後のダイブから半年以上経っていたので、午前中、復習のコースを受けることになった。マンツーマンになるのでその料金は割高、しかも基礎的なことのやり直しになるから、短気な村上さんが「こんなことやってられるか!」と投げ出してしまうのでは、と内心心配していたが、彼の潜りたい意志は予想以上に固かった。
 彼は最後まで我慢して復習してくれたのだ、というより、久しぶりのダイビングを楽しんでいる様子だった。「閉所恐怖症」も出なかったらしい。

 よかったよかった、というわけで午後、「マンゴー・ベイ」においてラスト2本のダイビング。
 透明度はイマイチだったが、深度が5メートルにも満たないので底まで明るい。砂場とサンゴのエリアがくっきりと分かれているのだが、前者では小さなウミヘビが砂から顔だけ出して口をパクパクさせているのが見え、後者では巨大な岩を完全に覆っている星型の模様のサンゴが素晴らしかった。頭上を見上げると、銀色の小魚の群れが陽光に輝いて一面を覆っている。
 村上さんも完全にリラックスして、ゆらりゆらりと漂っていた。泳ぎがうまいだけあって海中の動きもとても自然だ。僕のキックはどうしても自転車こぎのようになってしまうし、体勢を保つために手も使ってジタバタしてしまうのだ。(上手なダイバーは手の動きをまったく必要としない)

 しかし、僕には意外な才能があることが判明した。空気の輪を作るのがうまいのだ。
 水中で吐いた息は泡となり、浮上するにつれてだんだん大きくなっていく。海面を見上げ、レギュレーターを外した口からポッ、ポッと泡を吐き、それが上昇していくのを見るのはとても幻想的なのである。
 しかも、それがタバコを吸う人が煙でやるように、空気の輪になれば最高だ。輪はだんだん大きくなりながら、日光にキラキラと輝いて上昇していく。僕は僕なりのコツをつかみ、かなりの確立で完全な輪を吐けるようになった。あんまり熱中しすぎると息が苦しいけど・・・。

 村上さんと一緒のはじめてのダイブ、そしてタオ島で最後のダイブは終わった。あっという間に、と書きたいところだけど、水温が低くて最後の方はちょっとしんどかったのだ。
 こうしてライセンス講習を含めて15本のダイブをこなした僕は明日、島を去ることになる。といっても他の3人も一緒に帰るから、別段悲しくも寂しくもないのだけど。
 最後の夜はちょっと贅沢して、みんなで「ハナコ」という島の焼肉屋でカルビなんぞを食べた。島の物価(とくに食費)は高いのだが、それを許してしまうのもリゾートの魔力なのだ。


出費                   110B   インターネット
     745B 飲食費
     400B バンコクまでの船とバスのチケット
     1080B ファンダイブ2本
計     2335B
(約7060円)
宿泊         Golden Cape
インターネット Spice Net