旅の日記

タイ・タオ島編(2002年2月25日〜3月1日)

2002年2月25日〜3月1日(月〜金) スキューバに挑戦!(Scuba diving in Tao Island)

 はじめに5日分の日記をまとめて打つ体たらくの言い訳をさせてほしい。
 この5日間、そしてそれに続く2日のあいだ、僕にはパソコンを開ける余裕すら無かったのだ。ネタをばらすと、この日記はすべてが終わった3月4日に打っている。今、僕の体は疲労に包まれており、まるで鉛のウェイトを腰につけなくても水に沈んでしまうほど重い。だけど、それは何かをやり遂げたあとの心地よい疲労だ。これほど何かに集中した一週間というのはいつぶりだろう?
 それほど僕はスキューバ・ダイビングというヤツにハマってしまったのだ。

 2月25日、昼間をワールド・トレード・センター周辺でつぶした僕たちは、夜行バスに乗って南の楽園コ・タオ(タオ島)に向かった。
 切符には「VIPバス」と書いてあったが、その実は最後の自由を貪る日本人の卒業旅行生やフルムーン・パーティで騒ごうとする白人バックパッカー、その他家族連れやら何やらをぎゅうぎゅう詰めにした満員バスだった。席が狭いので、となりの白人の長い足が邪魔である。
 バス一杯のVIPたちは午前5時ごろにチュンポンという港町につき、そこからスピード・ボートで島に向かうことになった。その船上が一番眠かったので、その間の記憶はほとんどない。

 午前10時ごろ、寝不足でボーゼンジシツとなった僕たちはタオ島に降り立った。海は澄み、空は青く、太陽は限りなく眩しい。非常に正しいリゾートのあり方なのだ。ただ、疲れた僕たちだけがその場にそぐわない。
 港でダイビングショップ「ビッグブルー・チャバ」のスタッフに迎えられる。意識モーローのままピックアップ・トラックの荷台に乗せられ、あれよあれよという間にショップに連れていかれ、無料の宿を紹介され、そして午後から4日間のオープンウォーター・ライセンス講習がはじまった。ハードなスケジュールなのである。
 スキューバ・ダイビングの第一歩がこのオープンウォーター・ライセンスである。このライセンスがあれば深度18メートルまでなら自由に潜ることができる。車でいう普通免許のようなものだ。とにかく、このライセンスを取らないと話にならない。

 なぜいきなりスキューバのライセンスを取る気になったかというと、もちろんタイにいて料金も安いし、海もきれいというのもあるが、この地球をいろんな角度から見たくなった、というのが本当のところだ。今までもメキシコやホンジュラス、エジプトなどダイビングの世界では有名な国々を通ってきたが、その時には全く興味が沸かなかった。第一、僕はまともに泳げないし、水を怖がる方で、ダイビングに興味をもつ方が不自然なのである。
 それが旅に出てから2年半が経過したところで、あることに気がついた。僕はアンコール・ワットもマチュ・ピチュも、クラクフもドブロウニクも、エンジェル・フォールもイグアスの滝も、ペリトモレノ氷河の崩落もサハラ砂漠に沈む夕陽も見てきたけれど、すべて陸の上のことだ。僕は世界の多くを見ようと旅に出たのに、その7割を占める海の中のことを全く知らない。そこは一体、どうなっているのだ?
 幸い、タイの島々もスキューバ・ダイビングのメッカだ。この機会に見てやろうじゃないか、と思ったのだ。


 僕たちがライセンス取得コースを申し込んだのは、スウェーデン人が経営するタオ島のダイビング・ショップ「ビッグブルー」の日本人部門「チャバ」。インストラクター以下、すべてのスタッフが日本人だ。だからマシューは同じバンコクの事務所で申し込んだにもかかわらず、英語で行われる別コースに参加することになった。

 夜行で着いてそのまま開始というのは辛かったが、初日は学科のみで、それもビデオを見るだけだった。僕、松井史織、青葉ちゃんを含めてクラスは11人。みんな島に着いたばかりなので半分眠りながらビデオを見ていた。PADIという世界的なダイビング・インストラクター協会が作成した英語ビデオをそのまま直訳しただけなので、「さらなるダイビングの直接的体験は、有意義な時間をあなたに提供するでしょう」などと、言っている事がイマイチよくわからないのだ。

 ビデオ鑑賞は夕方に終わったので、僕たちは宿から近いサイリー・ビーチに行ってみた。タオ島のメインビーチ、大きな湾になっているから水面は鏡のように穏やかで、西に面しているからまん丸な夕陽が沈んでいくのが見える。

 そんな美しい景色のなか、僕は必死に水に浮かぶ練習をしていた。村上さんによると、オープンウォーター・ライセンス取得には200メートルの水泳と10分間海に浮かぶテストがあるらしい。水泳の方はシュノーケル着用でもいいらしいが、水に浮かぶ方は何も着けてはならない。ずっと立ち泳ぎする技術も体力もないので、僕はひたすら大の字になってプカプカ浮かぶ練習をしたのだ。10分間!ちょっとした音楽の2、3曲ぶんだ。そんなに浮かんでいられるか?
 夜は夜で、大量に出た宿題をしなければならない。明日は5章に分かれている教科書のうち1〜3章をやるので、各章末についている練習問題を解いて提出しなければならないのだ。「宿題」なんて10年ぶりだが、いくら久しぶりでも嫌なものは嫌だ。


 翌27日から担当のインストラクターがついてコースは本格的に始まった。我々のインストラクターは関西人のテツさん。一見頼りなさそうに見えるが、この人はダイビングに関してかなりシリアスで(もっとも、シリアスじゃないと大変困るけど)、結果からいうとデキのよくない僕を最後まで面倒みてくれて、とても良い先生だった。
 この日からクラスのみんなはファーストネームで呼び合うことになったが、女子大生の「カズちゃん」がいたので、僕は「ヒゲ」と呼ばれることになった。

 午前中にダイビングショップの教室で学科の1〜3章をこなし、午後からいよいよ実技に入る。はじめに器材の組み方や使い方を教わり、一式をまとって砂浜から歩いて海に入る。器材は全部で20キロもあり、かなり重い。慣れていないみんなはフラフラしていた。
 腰の深さで顔をつけ、背中のタンクから圧縮空気を供給するレギュレーターを口にくわえて初めての水中呼吸。口で息を吸うのはシュノーケルと同じ感覚だが、息をはくとレギュレーターの横から泡がゴボゴボゴボ!と出て、慣れていないと自分のあぶくがうっとうしい。
 この日は3メートルの深さまで潜り、水底でマスクのつけ外しや、BCDと呼ばれる救命胴衣のような形の浮き袋の操作を学んだ。専門用語でいうと「限定水域ダイビング」というらしい。初めてのことばかりで、楽しむ余裕はまだない。
 夜、僕は疲れすぎて、気がついたら蚊にさされた箇所に歯磨き粉を塗っていた。「ムヒ」と「コルゲート」のチューブが似ているとはいえ、こんな間違いをしてしまうとは・・・。まあ、歯磨き粉もスースーするから効くんだけどね。


 次の28日は長い一日だった。午前中に学科の4、5章をやり、そして50問のペーパーテスト。38問を正解しないと合格できないが、僕はあいかわらずペーパーテストだけは得意で、48問を正解して見事にパスした。しかし僕は気が気でない。午後のスイミング・テストの方が心配なのだ。
 あわただしく昼食を食べたあと、「ビッグ・ブルー」の所有する全長25メートルほどの「バンザイ号」に乗り込み、海底に双子岩が並ぶ「ツインズ」というダイビング・ポイントに向かう。まずは初めてのオープンウォーター・ダイビングである。

 レギュレーターを口にくわえ、胸のBCDから空気を抜いて潜行する。ブイから下がったロープをつたって少しずつ降りていくが、ここで心配していたもうひとつのことが起こった。圧平衡(耳ぬき)がうまくいかないのだ。
 水は空気の800倍の密度がある。だから水中における1メートルの上下は、地上でいえば800メートルの上下に相当する。陸上では飛行機に乗ったり山に登ると耳に不快感を覚えるが、水中ではほんのわずかな深度の差、たとえば数十センチでも耳に与える圧力はまったく違ってくるのだ。ダイバーは鼓膜を守るため、かなり頻繁に耳抜きをしなくてはならないが、僕はあの鼻をつまんで耳から空気を出すやり方がどうしてもできないのだ。圧力を感じたところでつばを飲み込み、耳から空気が少しずつ抜けて行くのを何回もくり返さなくてはならない。
 問題のない人はポンポン耳からあぶくを出しながら潜行していく。僕はあせりながらゴックン(プシュ)ゴックン(プシュ)を繰り返し、耳の痛みと闘いながら潜行していく。

 これは浮上するときも同じで、耳抜きをする必要はないものの、耳の内部に溜まった高圧の空気が自然に抜けるのを待ちながら上がらないと、やはり耳が痛い。はじめのうちは同じ深度で浮かんでいることができないから(これを専門用語で「中性浮力を保つ」という)、ちょっと沈んでは耳が痛い!ちょっと浮かんでは耳が痛い!の繰り返しで、僕にはとても辛いのだ。
 それでも何とかみんなについていき、「ツインズ」名物のトウアカクマノミという魚を見ることができた。頭の赤い小さい魚で、砂の水底に丸く並べられた石を棲み家にしている。

 初ダイブのあとは、そのまま緊張のスイミング・テスト。
 バンザイ号の左右に小さめの船が一艘ずつ並んで停泊しているが、この三つの船のまわりをぐるりと一周泳がねばならない。下はダイビング・スポットだから、もちろん足は着かない。それでも僕は特別にシュノーケルとマスクの着用を許されたから、軽いものである。シュノーケル着用のハンデとして僕は一周半したが、まったく問題はなかった。
 問題なのは10分間浮くことである。このときは何も着けてはならない。僕はなるべく心を落ち着かせて体を大の字にし、大きく息を吸い込んでプカーッと浮いた。波が顔にかかってもあせらずに、「落ち着け」と自分に言い聞かせる。まわりに気を配る余裕が無いから、他の人や船にぶつかりそうになるとテツさんがそっと手を指し伸ばして位置を直してくれた。
 おかげで何とか10分間、海に浮いていることができた。僕はこの旅にでるまで10メートルもまともに泳げなかったから、ものすごい進歩である。自分でもちょっと感動し、「ヒゲ、よくやった」のテツさんの一言にもジーンときてしまうほど純粋なカズヒロくんに戻ってしまうのだった。

 スイミング・テストの後も「ツインズ」で2本目のダイブ。やっぱり耳ぬきがうまくいかなくてみんなに遅れを取る。テストに受かっても、やはり僕はダイビングに向いていないのではないか、と不安になる。

 その不安は翌日、3月1日の朝に「ホワイトロック」とよばれるポイントで行われた3本目のダイブでも拭えなかった。
 耳ぬきのコツをつかんで何とか潜行できたが、一度胸のBCDを膨らませたら浮上が止まらず、そのままどんどんみんなが小さくなっていく。あせって空気を抜くボタンを何回も押すが、スムーズに抜くためには放出ホースを左手で伸ばさなければならないのを忘れ、胸の空気は溜まったまま。みんなが水底でいろんな事をしているのを上から見ながら必死に潜行しようとするが、どうあがいても沈んでいかないのだ。
 その様子を下から見ていた松井史織は「後光が差していて、神々しかったよ」と後でのんきに表現していたが、本人は必死である。そのうちにみんなからはぐれ、ルール通り1人で海面に浮上してみんなが上がってくるのを待った。
 ラッコのようにあお向けになってプカプカと波に揺られながら、「僕にはやっぱりダイビングは無理なのかもしれない」と考えていた。

 4本目、そしてオープン・ウォーター講習で最後のダイブ。ポイントはふたたび「ツインズ」。これでダメなら、僕はもうダイビングはあきらめよう。
 みんなに遅れを取りながらも、しっかりと確実に耳抜きをし、水底にたどり着く。あせらずにBCDから空気を放出すると、たしかにさっきみたいに体が浮かんでしまうこともない。なんだ、やればできるじゃないか!

 マスク脱着、口から外れたレギュレーターのくわえ直しなど、僕だけできていなかった課題をテツさんの前で一つ一つこなし、その後は初めて水中世界を楽しむ余裕さえあった。
  「ツインズ」の深度は10メートルちょっと。小型ながら魚影は濃く、ソラスズメダイが群れをなし、ツキチョウチョウウオはペアで揺れている。日光は海水をゆらゆらと抜け、トゲの長いウニや石のようなナマコ、真っ黒なヒトデや脳みそのようなサンゴなど、水底の生物たちを照らし出す。単体で見ればグロテスクな彼らも愛くるしい小魚とハーモニーを成し、当たり前だけど、陸上とはまったく異なった世界を形成している。

 しかし、これもまぎれもない地球の一面なのだ。むしろ海は地球の7割を占めているのだから、地球の大半はこんな感じだ、と考えるほうが自然なのかもしれない。
 昔、水族館で同じような光景を目にしたことがあった。しかし、今の僕はガラスのこっち側にいる。僕は魚となって巨大な水槽、母なる海に包まれている。この感覚、この光景は陸上を何年バイクで走りまわっても体験できるものではない。
 テツさんはスキューバ・ダイビングのことを「空を飛ぶ夢を見ているようやで」と表現したが、まさにその通りだ。上下左右、自由に異空間を漂うことができる。

 やがて背中にのせた圧縮空気が残り少なくなり、僕は揺れる日光に向かって浮上した。波間に顔を出してマスクを取り、鼻で息をすると「僕たちの世界に戻ってきた」と実感した。
 そして僕は決心した。明日から始まるアドバンスド・オープンウォーター(オープンウォーター・ダイビングの上級)の講習に参加することを。本当は時間をあけた方がいいのだろうけど、このままの勢いで行きたい。
 僕はスキューバ・ダイビングを経験して確実に視野が広がった。もっとハマってみようではないか!

 1日の午後は認定手続き。遅れをとっていた僕も4本目のダイブで課題をクリアーしたから、無事にライセンスが取得できた。晴れてスキューバ・ダイバーの仲間入りだ。
 写真入りの本ライセンスは日本の住所に郵送されるが、それまでの仮免許がテツさんから1人ずつ手渡される。その瞬間がひとつの儀式らしく、スタッフみんなが集まって「おめでとう!」と拍手を送ってくれた。たかがダイビングの免許と思うかもしれないけれど、久しぶりに資格が増えるのは嬉しい。

 その夜は生徒みんなで集まり、島の焼肉屋で祝宴をあげた。大学生が中心の若いグループだが、まとまりがよく、みんなでお世話になったテツさんに寄せ書きをしたTシャツを贈ることになった。
 みんなでビールを飲みながら「いやー、無事にライセンスが取れてよかったよかった」と肩を叩きあうが、ほとんどの人がそのままアドバンスドのコースを取るので、夜11時ごろからは宿題大会となった。アドバンスド・オープンウォーターでは目的の異なったダイビングを5種類選択するが、自分の選択した5つの学科の宿題を明日の朝までに終わらせなければならないのだ。

 午前1時ごろに終えて宿に帰るが、あまりに疲れていて今度は歯ブラシにムヒを塗ってしまった。だけど、こんな自分を今夜は許してしまおう。なにしろめでたいのだから。


出費                    30B   インターネット
     900B 飲食費
     19B 薬代
     62.5B 交通費
     80B 顔写真代
     7140B アドバンスド・オープンウォーター講習
計     8231.5B
(約24890円)
宿泊         Planny Complex
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