10日間の急ぎ足だったが、カンボジアの光と陰を一通り見ることができた。そろそろタイに戻る頃合である。
さて、バンコクに戻るのには三つの方法がある。まず飛行機。これが一番楽で早いが、圧倒的に高い。なのでダメ、はい消えた、と愛川欽也が机をたたく勢いで選択肢から外れるのである。次にシェムリアップ経由でバスで帰る方法、つまり来た道を帰るという方法だが、あの悪路をまたシェムリアップまで12時間、さらに国境まで6時間揺られるというのはかなり辛い。きっと痔と胃下垂とパンチドランカー症になってしまうだろうし、第一、面白くない。
そこで我々はプノンペンの南西、南シナ海に面したリゾート地シアヌーク・ビルまでバスで行き、そこから高速艇で国境まで北上するという第3の方法をとることにした。このルートはここ1、2年で確立されたらしく、「地球の歩き方」2001〜2002年版ではまだこの国境は開いていない、となっている。
シアヌーク・ビル行きのバスは午前7時すぎに「Capital」の前を出発した。シアヌーク・ビルの中心地と港は若干離れているので、普通に町を訪れる人用と我々のように船に乗る人用と2台に分かれるのだが、後者は40乗りのバスに7人とガラガラ。さすがに首都と随一のリゾート地を結ぶ路面は舗装されていて、中国人ドライバーの運転は乱暴なのだが、いたって快適である。シェムリアップとプノンペンを結んだあのガタピシ・バスと比べると、黒塗りのロング・リムジンにお姉ちゃんとドン・ペリニオンつきぐらい快適なのである。
約300キロ、4時間の道のりはあっという間に過ぎ、午前11時にシアヌーク・ビルに到着する。そこで流線型の白い高速艇に乗り換え、今度は150キロほど北のコ・コンを目指す。船が出るのは午後12時、けっこう慌しい。
船はあまり大きくないが、中に入ってびっくりする。細い通路を挟んで両脇に4つずつ小さいシートがあり、全部で200人くらい詰め込む設計になっている。高速で飛ばすから窓は開かない仕組みになっており、出入り口は2ヵ所だけ。飛行機のエコノミークラスを上回る人口密度、まるで潜水艦のような閉塞感だ。頭上に救命胴衣があるが、いざ沈没したらあの出入口から全員が脱出するのに小1時間はかかるだろう。まず絶望的だ。
しかし我々の心配をよそに、ほぼ満員の高速艇はシアヌーク・ビルの港を出発すると、穏やかな海面をまるで滑るように飛ばした。あまりに揺れないので出航したときに気づかなかったくらいである。15ドルとカンボジアにしてはえらい高い金額を取るだけあって船は速く、時速にすると60キロや70キロは出ていると思う。ほんと、びっくりするほど速い。「スピード・ボート」と呼ばれるのはダテじゃないのだ。
高速艇は途中1ヵ所の寄港をはさみ、4時間ほどかけてある港に到着した。説明も何にもないので果たして終着地コ・コンなのかどうかよく分からないが、どうやらタイへ越境する人はここで降りるらしい。なにしろカンボジアの「地球の歩き方」は1年古いし、タイの最新版はなくしてしまったばかりなので、他の旅行者の動向をうかがうしかないのだ。
他のパッカーたちは高速艇を降りると、待ち構えていたモーターボートに乗りこんで行った。聞き耳を立てると、みんな3ドルを払っている。それが相場のようだ。
小さなボートには乗客が3人しか乗らないが、我々と一緒になったイタリア人のお姉ちゃんは「去年は1ドルだったのに」と怒っていた。きっとツーリストがたくさん来るようになって、みんなでケッタクして値を上げたのだろう。それでも払わなければならないというのは、他に選択肢がないということだ。
ボートはざっぱんざっぱんと水飛沫を上げながら海面を進んだ。こんなんで国境に向かっていると思うと、ちょっと密入国みたいでスリルがある。
眼鏡のレンズが水滴で見えなくなったころ、ボートは小さな船着場に到着した。すると今度はタクシーが待ち構えている。ボートから降りる僕を助けるフリをして荷物を奪った運転手は、そのまま車のトランクに荷物を放り込んでしまった。「いくらだ?」と聞くと「ボートと同じですゼ、ミスター。1人3ドル」という。高い!そりゃ高い!僕はトランクから荷物を取り出した。
するとタクシーの運転手は今度はバイクタクシーの運転手に豹変し、「よっしゃ、バイクに3人乗りなら2000でいいよ」という。なぬ?2000リアルといえば50セント、いきなり12分の1ではないか!彼は車もバイクも持っているらしい。
そんなわけで、可愛そうな110ccのホンダに3人乗りし(しかも荷物つき)、我々はタイ国境までの最後の一区間を走った。すぐに着くかと思ったが、意外に距離がある。10キロ以上は走った。プノンペン市内でちょっと乗っても1500から2000はかかるから、これで2000リアルなわけがない。何かオチがあるはずだ。
バス、高速艇、モーターボート、バイクタクシーと乗り継ぎ、ようやく国境に到着する。
リアル紙幣は1800ぶんしかないので、「これで負けてくれ」と差し出すが、運転手はつまらない冗談を聞いたような表情で「200バーツ(タイの通貨)と言ったでしょう」という。200バーツといえば5ドル弱。車と変わらないじゃないか、このやろう!
口から泡を飛ばしてわめいていると、まわりの運転手や闇両替商も集まってきた。みんな「2000リアルじゃ可愛そうですゼ」と彼を味方する。そりゃそうだ、2000であの距離は安すぎる。かといって200バーツはボリすぎだ。僕は「これでどうだ」と、1ドル札を1800リアルに上乗せして彼に差し出す。彼は「もう1ドル」と粘る。しかし、ここで払ってしまうと後からくる旅行者のためにならない。1ドルと1800リアルを彼のシャツの胸ポケットにねじ込み、立ち去った。彼は泣きそうな表情をしていたが、追ってこなかったからしぶしぶ納得したのだろう。それでも十分に利益はあるはずだ。
めまぐるしく乗り物を換えて国境まで来たが、みんなが急いでいた理由がわかった。国境は午後5時で閉まるらしく、時刻は4時50分だった。プノンペンからこのルートで同日中にタイに越境するには、この乗り換えリレーしかないのだ。
カンボジアを出国し、タイ側であらたに30日の滞在許可をもらって入国する。この日数が切れる前に僕はギリシャに帰る事になるだろう。
さて、タイに戻ってきたのはいいが、ここはどこだ?一番近い町は?
すると今度はみんな、やはり待ち構えていたピックアップトラックの荷台に乗りこんで行く。運転手のおばさんは行き先も言わず、「100バーツ」と手を差し出す。どこに行くか知らないが、とにかくみんな乗っているし、みんな100バーツを払っている。他に選択肢はないらしい。
荷台がいっぱいになるとトラックは出発した。モーターボートで一緒だったイタリア人のお姉ちゃんがいたので聞いてみると、みんなはバンコク行きのバスが出るトラートという町に行くらしい。夜7時発のそのバスに乗ると、11時にバンコクに着くのだそうだ。つまり早朝にプノンペンを出て、その夜にバンコクまで行くことが可能なのだ。
しかし、我々はもう疲れていっぱいいっぱいだった。そんな時間に激戦地カオサンに戻っても宿は簡単に見つからない。落ち着くのは早くて深夜1時になるだろう。別に急いでいるわけでもないので、我々はトラートの町に泊まることにした。
トラートは意外に遠く、国境から100キロほど北上したところにあった。到着は夜7時、プノンペンを出てから12時間がたっていた。
宿がなかなか見つからず、ようやく客引きにひっかかって連れて行ってもらうと、できたばかりの新しいゲストハウスだった。とてもきれいで1人75バーツ。町は静かだし、これはカオサンなんかよりもはるかに落ち着ける。
我々はカンボジアの疲れを癒すため、明日もこの町にとどまることに決めた。
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