日の出を見ることはアンコールワット観光の「お約束」のひとつであり、午前5時半ともなれば宿の前にバイクタクシーが客引きに集まってくる。
しかし、我々にバイクを貸すと約束した運転手の弟分は現れない。そうこうしているうちに運転手本人が客引きに現れ、「あれ?僕の弟分はまだ来ていないの?じゃ、僕が代りに1人12ドルで連れて行ってあげるヨ!」とのたまった。キレた僕は、「ざけんな!お前が5時半に来させるといったんだろう!弟分が来ないのなら、お前のバイクを貸せ!」と、彼の新しいバイクを分捕った。確かに弟分のバイクよりは新しいので、10ドル払うことを約束する。アンコールワット周辺をチャーターして一日6ドルなのだから、働かずにバイクを貸すだけで10ドルというのは悪くはないはずだ。
借りたバイクはホンダの110cc、スーパーカブの大型版だ。自動遠心クラッチの車に乗るのは初めてで、シフトアップするときに思わずシフトペダルをつま先で上げてしまうのだが、それもじきに慣れた。運転手は心配そうに見ていたが、俺も誰だと思ってんのじゃ!普段はDR800Sに乗ってんのだぞ!(1人じゃ起こせないけどネ)
松井史織を後ろにのせ、まだ暗い中を時速40キロでぶっ飛ばす。ヘルメットもないし、暗いし、久しぶりだし、バイクも小さいから、40キロでもぶっ飛ばしている感覚なのだ。
料金ゲートでチケットのチェックがあるが、心配していた日本人のレンタルバイクでの入場禁止、というのは言われなかった。本当のところ、ルールはどうなっているのだろう?
午前6時過ぎにアンコールワットに到着した。すでに空は明るく、気持ちが焦る。松井史織は「そんな早く歩かないでよ」と言うが、ここで急がないでいつ急ぐんじゃ!
広い敷地内には何ヶ所かサンライズ・ポイントがあるそうだが、我々が向かったのは参道の北側にある池。このあいだ写真を撮ったところだ。
池の前ではすでに多くの人がカメラを手に朝日を待ち構えており、その多くが日本人ツアー客だった。福井県の地方自治体のグループらしく、朝日を前に今さらデジタルカメラの使い方が分からないと大笑いしていた。なかなか楽しそうだった。
空が少しガスで覆われていたので心配だったが、人々の歓声のなか、中央塔と右の塔との間に火の玉があがると、ぼやっとしていたアンコールワットはシャープで真っ黒な影となった。光量は少しずつ増し、やがて中央塔のラインが光にかすんだころ、池の中のアンコールワットにも日が昇った。ふたつのアンコールワット、ふたつの太陽。ため息の出る瞬間である。
おそらくアンコールワットが一番美しく見える瞬間だろう。これは見逃すべきではないと思う。
これまでの旅で最も美しい日の出を拝んだあとは、バイヨン近くの屋台で朝食を食べ、いよいよバンテアイ・スレイを目指す。バイヨンからだと片道30キロの距離だ。
数年前まではゲリラの残党が出て、2年前まではひどい道だったというが、今では完全舗装である。それでもたまにボロボロの木の橋が現れたりするので、油断はできない。途中、素朴な村をいくつか通過するが、今日から旧正月なので賑わっていた。
遺跡のほんの手前で道を間違えてしまい、ダートを数キロ走るハメになったが、バイクも体も砂ぼこりで汚れてしまった。あの運転手は怒るだろうか?
軽いツーリングの末、バンテアイ・スレイに到着した。10世紀に建てられた小規模なヒンズー教の寺院は観光客で溢れている。ここだけ遺跡群から遠く孤立しているのだが、わざわざ時間をかけて来てもおつりがくるほどの価値があるのだ。
ここの売りものは精密で美しいレリーフ。バイヨンにもライ王のテラスにも美しいレリーフはあったけど、ここのレリーフは一味も二味も違う。今までのレリーフが400字詰めの原稿用紙に400文字書いたのだとすると、バンテアイ・スレイのレリーフは1マスに4字ずつ、1600文字を並べたような細かさなのだ。まるで製図用のペンで描かれた精密画が、そのまま石に彫られて立体になったような印象を受ける。寺院自体も小さく、装飾も細かいから、まるで大きな寺院の精巧なミニチュアのようでもある。
まあ、とにかく見ていただければ僕の言いたいことがちょっとは分かると思います。
どうどう?いいでしょ?キャー、シビれるなあ、きれいだなあ。あるフランス人の作家はこのレリーフに魅せられて、盗み出そうとしたところを捕まったらしいが、その気持ちが分からないでもない。僕は将来、まかり間違って億万長者になったらアントニオ・ガウディ調の家を建て、周囲をインカの石組みを囲むつもりだけど、こんなレリーフも施したいなあ。え、成金趣味で悪趣味だって?大丈夫、今のところ億万長者になる予定はないから・・・。
しばしウットリしたあと、来た道を赤いバイクで引き返す。途中、路肩に止まったら下校途中の小学生が「ハローハロー!」と話しかけてきた。学校で習っているといい、けっこう英語が話せる。ポル・ポトは自分に都合の悪い学校教育をすべて廃止したというが、今の人たちは教育の尊さを身にしみて知っているのだろう。
カンボジアの子どもたちは底抜けに明るいが、彼らの将来も同じであって欲しい。
帰りに東メボンというピラミッド型の寺院に寄るが、4隅にある石の象のおしりが丸くて可愛かった。
特に遺跡マニアでもない僕は、東メボンなんかを見ると、象のお尻以外には「やっぱりマヤ文明のピラミッドに似ているな」ぐらいの印象しか残らない。昨日のバンテアイ・クディもプリア・カンもそうだったけど、それはアンコールワットやバイヨン、タ・プロームやバンテアイ・スレイと比較してのことで、冷静に考えてみるとこれらの遺跡だってすごいのだ。
アンコールワット周辺には寺院がいくつも残っているが、そのどれもが独立して世界のどこかにあっても、それだけで観光名所になるくらいのものである。そう考えると、ここほど質、量ともに遺跡が揃っているエリアは世界でもないのではないか?エジプトのルクソールでさえも2日もあれば一通りを見ることができる。しかしアンコールワットは一通りで3日、ゆっくり見ようとしたら一週間券でも足りないくらいだ。
もちろん、個々の遺跡の話はまた別で、ラムセス3世葬祭殿とタ・プロームを比較したり、マチュ・ピチュとアンコールワットの優劣を決めるのは難しいのだけど。
ま、テーマパークに例えるなら「アンコール・ランド」ほど色んなアトラクションが一箇所に揃っていて、長く遊べるところは無いんじゃないか、ということです。
帰りにシェムリアップのインドカレー屋「リトル・インディア」に寄り、お腹の中をすっかりインドにして宿に帰ると、もう午後3時だった。朝5時半から活動しているので、今日もかなり精力的に回ったことになる。
シャワーを浴びて、とりあえず夕方まで泥のように眠った。マリワナ海溝に落ち込み、地球の反対側まで抜けてしまうような深い眠りだった。
運転手にバイクを返し(砂まみれでも10ドル払ったら何にも言わなかった)、夕食を食べたあと、さっそく日記に取りかかった。明日、もう一日シェムリアップで過ごしてHPをアップロードしたあと、明後日の朝のバスで首都プノンペンに向かうつもりだ。
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