旅の日記

カンボジア編(2002年2月8〜10日)

2002年2月8日(金) カンボジア入国(Entering Cambodia)

 気合を入れて午前5時に起きる。昨夜はひょっとして寝ない方がいいんじゃないか、とも思ったが、やはり4時間ぐらいでも寝ていると違う。
 まだ暗い中、ホテルを出てカンボジア行きのバスの集合場所に向かった。昨夜のうちに要らない荷物を宿の倉庫に預けたので、かなり身軽である。

 集合場所には6時前に着いたが、待てど暮らせど出迎えも他の客も来ない。夜は少しずつ明けていくが、集まってくるのはしつこい蚊だけ。アンコールワットの観光基地となるシェムリアップはバンコクからだと12時間はかかる。我々は80バーツという格安の料金で申し込んだので、ひょっとして忘れ去られたのではないか、という不安を抱きはじめたとき、気だるそうなお姉ちゃんが「カンボジア〜」と言いながら歩いてきた。
 時刻は6時半。30分オーバーだが、来てくれただけでも嬉しかった。

 お姉ちゃんは我々を引き連れ、他の旅行代理店の前で待っている旅行者たちをピックアップしながら、一台の2階建て観光バスに向かった。カオサン近辺には小さな旅行代理店が無数にあるが、どこで申し込んでも大体は同じバスに詰めこまれるようだ。料金は代理店によって本当にまちまちで、前の席に座ったフランス人のヒッピーオヤジは100バーツを払ったといい、何と、後になって往復で1800バーツも払ったという日本人大学生も現れた。それはボラれすぎだろうって・・・。

 乗車率120パーセントのバスが出発したのは結局7時半ごろだった。
 車内では何時間かかるとか、ビザはどうなるとか、説明は一切無い。誰かが質問しても、乗務員(といってもタイ人の少年なのだが)からは的を得た答えは返ってこない。不安なバックパッカーたちの詰め合わせバスは、ただひたすらカンボジアとの国境を目指して東に進むのだ。

 昼食を挟み、国境に着いたのは午後1時。
 まずはタイ側で出国の手続きを行い、橋を渡ってカンボジア側に歩いて渡るが、そこはかなり様子が違った。ガリガリに痩せた人夫が重そうなリアカーを引く道路は舗装が剥がれて埃が舞っている。路肩にいるのは乞食の親子で、石像のように動かない親に代って子どもたちが必死に旅行者に乞うている。唯一立派なのはアンコールワットをかたどった入国ゲートだった。
 国境付近というのは大体においてアヤシイ雰囲気が漂うが、それにしても長すぎた内戦の影を感じずにはいられない。何しろ一説によるとポル・ポト政権下では全国民の4分の1が虐殺され、しかもその多くが知識階級だったというから、その後の国力の衰退は想像に優しい。タイも決して富める国とは言えないが、国境の手前と向こうでは世界がだいぶ違うのだ。

 ここで我々のようにカンボジアのビザが無い人は、バス会社が提携したガイドを通じて取得しなければならない。これが格安バスのカラクリの一つで、本来は1000バーツであるビザ代に100バーツの手数料を上乗せするのだ。昼食に寄った観光客向けのレストランからもマージンを得ているだろうし、目的地シェムリアップでは提携している宿の前で降ろされるらしい。そうでもなければ、12時間の距離を移動して80バーツではとても利益は出ない。
 しかしビザ代の100バーツを含めてもまだ安いと思うし、コージ君によると国境で個人がビザを取得しようとするとワイロを要求され、逆に高くつく場合もあるという。異存は全くないので、ガイドにビザをお願いする。その間、すでに旅行代理店を通じてビザを取得していたグループはずっと待っていた。彼らも手数料を取られただろうし、きっと「先に取得しておいても意味ないじゃん」と思ったことだろう。

 全員がカンボジア入国の手続きを終えたのは午後2時。ちなみに我々が申し込んだ旅行代理店では、シェムリアップ到着は午後2〜4時と言っていた。しかしこの国境は全行程のまだ半分、インターネットで調べた通り到着は夜になりそうだ。
 カンボジア側の道は未舗装で険しく、とても大型のバスは走れない。そこで何台かのマイクロバスに分乗することになるのだが、それも一斉には来ないので、陽射しを遮るものがない広場で自分の番を待たなければならない。汗まみれの腕にはまっている時計を見たら、気温は36度を示していた。

 30分ほど待ち、ようやく来た20人乗りのマイクロバスに乗りこむ。窓が少ししか開かない仕組みになっているため、動き出しても暑い。しかしその理由は走り出してすぐに明らかになった。砂埃がひどくて窓など開けていられないのだ。

 カンボジアの道は噂通りのひどさだった。ダートと、無いほうがマシのガタガタの舗装の繰り返しで、時おり沼地や川を越える橋があるのだが、段差が激しいのでバスは通過するたびに尻を跳ね上げる。
 しかしこれでもれっきとした国道で、交通量はけっこうある。先行する車の砂煙で前もよく見えないはずなのに、ドライバーはクラクションを鳴らし続けながら追い越しを繰り返す。急ブレーキをかけたり、他の車や歩行者に罵声を浴びせるのも一度や二度では無かった。

 2時間ほど走って、やはりバス会社が提携していると思われるレストランで休憩する。カンボジアの物価を考えるとかなり高いのだが、それでも腹は減っているし、他に行くところもないので、仕方なくラーメンをすする。
 レストランの周りには子どもたちがたくさんいて、外国人とみると「ハロー!ハロー!」と手を振りながらやってきた。しかし国境の子どもたちとは違い、何かをねだることはしない。村上さんの言っていたとおり、カンボジアの普通の子どもたちはとても純粋だ。

 子どもたちに見送られたバスは、その後さらに3時間ほど悪路との格闘をつづけ、午後8時ちょうどに目的地シェムリアップに到着した。バンコクからは12時間半の道のりだった。
 降ろされたのはバス会社の提携する「Moon Rise Guesthouse」の前。気に入らなければ他をあたっても構わないというが、その自信の通り部屋は清潔で広かった。料金も安いし、日本人も多く泊まっているので特に問題があるとは思えない。街の中心から遠いのが難点だが、どうせ遺跡に行くのにバイクを借りるかバイクタクシーをチャーターするつもりなので、さほど困らないだろう。一刻も早くシャワーで汗と埃を流したいので、迷わずにチェックインした。
 夕食は宿で食べ、少しだけ日記を打って早めに寝ようとしたが、疲れすぎていてなかなか寝つけなかった。これで明日、アンコールワット観光ができるのだろうか?


出費                  1100B   カンボジアビザ代
     100B 飲食費
計     1200B
(約3630円)
宿泊         Moon Rise Guesthouse


2002年2月9日(土) シェムリアップの街(Town of Siem Reap)

 午前7時半に目覚ましが鳴るが、体中に溜まった疲労物質が僕に「寝つづけろ」と訴える。しかも窓の外を目を向けると、なんと一面の曇り空。これでは今日、遺跡観光を始めるのはもったいない。アンコールワットと周辺の遺跡を回るチケットには1日券、3日券、7日券の3種類があるが、とても1日では見切れないので3日券を買おうと考えていた。それを今日買ってしまったら、貴重な有効期限の3分の1を悪天候下で過ごすことになる。
 観光は明日からにして、今日は休憩日にした。もうしばらく寝て、朝食と両替を兼ねて街に出ると・・・なんと!雲一つ無い青空!
 あれ?と思って部屋に戻ってみるが、やはり窓から見る空は鉛色・・・ってこれ、ガラスに色が入ってんじゃん!!どおりで部屋が涼しいと思った。
 しかし今さら観光する気にはなれず、そのまま街の中心に向かって歩いて行った。

 カンボジアには自国の通貨リアルがあるが、アメリカドルも同じぐらい流通している。街にATMはないが、銀行でクレジットカードからドルが引き出せるというので行ってみる。しかし手数料が思ったより高いので、ドル建てのトラベラーズチェックを現金化した。タイに戻る前にもう少しドルを作っていこう。ユーラシアを横断するのに必要なはずだ。

 素朴な市場をぶらつき、ココナッツミルクの効いた魚のスープを飲んで帰る。宿は思ったより中心部から遠くない。ツーリスティックではあるが、インターネットカフェも多くて便利そうな街だ。
 午後は宿にあった落合信彦の「アメリカの狂気と悲劇」を読み、夕方に近くの食堂でラーメンを食べた。明日こそはアンコールワットに突入だ! 


出費                  9000R   飲食費
計     9000R
(1ドル=約3900リアル、約300円)
宿泊         Moon Rise Guesthouse


2002年2月10日(日) アンコールワット初日(The first day of Angkor Vat)

 宿にたむろしていたバイクタクシーを2台チャーターして、いよいよアンコールワットに向かう。本当はバイクをレンタルして行きたかったのだけど、レンタルバイクは遺跡の集まるエリアには入れなくなったという噂を聞いたのだ。
 途中の料金ゲートで3日券を買う。写真が一枚必要だが、持っていなければ無料で撮影してくれる。
 ゲートのお姉ちゃんにレンタルバイクの事をきいてみると、たどたどしい日本語で彼女は言った。「チョット前、日本人1人事故デ死ニマシタ。ダカラ日本人、レンタルバイクダメ。他ノ外国人、OK。ダッテ白人、強イ。死ナナイ」
 ええ?そんな不公平な!白人だって死ぬときゃ死ぬぞ!

 料金ゲートを抜けてしばらく進むと、豊かな水をたたえた堀が見えてくる。アンコールワットを囲む一辺1.5キロの正方形の堀を西側に回りこむと、そこが正面入口。ガイドブックの写真でよく見るクメール様式の石塔が城壁のかなたに見えるが、我々はそこを素通りする。正面が西に向いているため、アンコールワットの観光は午後が良いのだ。
 我々がまず向かったのはアンコール・トム。やはり一辺3キロほどの堀に囲まれた都城だ。

 アンコールワットは9世紀から15世紀にかけて栄えたクメール王朝の守護寺院。建設されたのは12世紀前半、当時信仰されていたのはヒンズー教だから、ヴィシュヌ神やシヴァ神を奉るためのものだった。しかしその後、タイを経て仏教がこの地にも伝わり、クメール人はヒンズー教と仏教をちゃんぽんにして信仰したらしい。そして王朝の後半にはすっかりヒンズーの影響は失せ、今では仏教の聖地となっているのだ。
 アンコール・トムは王朝の最盛期に君臨し、インドシア半島の大半を支配したジャヤヴァルマン7世が12世紀末〜13世初頭に建設した都城。アンコールワットのすぐ北に位置し、その中央に位置するのはバイヨン寺院。バイクタクシーはその前で止まった。

 バイヨン寺院は神々が降臨する山をイメージして造られたそうだが、積み上げた巨石は崩れ、うっそうと茂る森の中にうかぶその姿は岩山そのものだ。しかし寺院を囲む壁には見事なレリーフが残り、当時ベトナムにあったチャンパという国との戦争や、人々の生活の様子が描かれている。
 僕はこの前も古代エジプトのレリーフに感動したばかりだけど、このバイヨンのレリーフも文句なしにカッコいい。彫りが深くてくっきり残っているというのもあるけど、何しろ兵士が象に乗って戦争しているシーンが力いっぱいアジアしていて、シビれてしまうのだ。

 レリーフをぐるりと見た後、壁に囲まれた中央部分に登る。階段は急で段は狭く、サンダルで登るのに気を使う。
 中央部には四角い石塔が並ぶが、その各面には微笑を浮かべた観音菩薩像が彫られている。デカイ顔が塔の4面にあるというのはアンコール・トムを囲む城壁でも見られたが、これも非常に格好がよろしい。イースター島のモアイやメキシコのマヤ文明の像のように、石で彫られた巨大な顔が一つあるだけでも「遺跡!」という感じがするのに、それが塔の各面にあって何本も並ぶんだから、もう「遺跡いせきイセキISEKI!」と大騒ぎなのだ。

 バイヨン寺院の後は歩ける範囲にあるバプーオンという寺院や王宮跡を見てまわり、近くに並んでいた屋台で昼食を食べた。今日も陽射しは刺すようで、汗で汚れた顔を拭いては日焼け止めを塗りなおす。僕も30歳になって、紫外線対策に本腰を入れるようになった。

 午後からアンコールワットを見る。
 周囲はアンコール・トムの方が長いが、広い敷地内に遺跡が点在している形なので、一つの建造物としてアンコール・ワットの方が各段に大きい。なにしろ中央部分だけで一辺が200メートルはあるのだ。
 蓮の葉の浮いた、幅200メートルはある堀を渡ってアンコールワットの敷地内に入る。寺院を大きく囲む城壁の門をくぐると、まっすぐ伸びた参道の先に天にそびえる3本の塔が見えた。本当は中央塔を4本の塔が囲んでいるのだが、正面からみると重なって3本にしか見えない。参道の両脇には沐浴のための池があるが、ここからだと5本の塔が見え、しかも風がなければ穏やかな水面に逆さまになって写る。日の出を見るスポットをしても人気があるそうなので、今度来てみよう。

 参道の終わりまで歩き、寺院部分に入ってみる。
 バイヨン寺院のように中央の塔を幾重もの壁と回廊が囲むが、ここにもレリーフが残されている。何百メートルにも渡る回廊に古代インドの「ラーマーヤナ」や「マハーバーラタ」の物語などが描かれているが、彫りが浅くて消えかけている部分もあり、個人的にはバイヨンのレリーフの方が好きだ。

 回廊を歩くお坊さんの姿が多いので、いまだに寺として機能しているのかと思ったら、手にカメラを持っていたりガイドと一緒だったりと、彼らも観光をしている様子だった。カンボジア国内のみならず、きっとタイあたりからも研修、修行の一環としてアンコールワットを参拝に訪れているのだろう。

 彼らの写真を撮っていたら、逆に松井史織と一緒に写真を撮らせて欲しいと言って来た。彼女は妙なところでモテるという特技を持っており、アテネの中華食材屋にたむろしていた中国人オヤジからも熱いまなざしを送られたことがある。
 オレンジ色の袈裟を着た少年たちは、かわりばんこに松井史織とツーショットで写って喜んでいた。きっと彼らにとってアンコールワット参拝は修学旅行であり、女性と2人で写真に写るというのも精一杯ハメをはずしているのだろう。
 それとも彼らは意外にスレており、実は超美形の彼女なんかがいて、松井史織を見て「わっ、ヘンな顔の女がおるわ!口、ぽかんと開いとるで!」「記念に写真とっとくわ」「あ、俺も俺も!」とか言って喜んでいたのかもしれない・・・。

 中央の塔に行き着くには、目がくらむような急な階段を登らなければならない。アンコールワットの中央部分も神が降臨する山をイメージして造られたそうだが、本当に山登りをしているようだ。この急な階段、マヤ文明のピラミッドを思い出させる。

 やっとのことで中央塔のふもとに来た。広大なアンコールワットの中心には祭壇があるが、今では仏像が置かれて線香がたかれている。傾きはじめた陽に照らされた塔はまるで有機物のようなデザインで、まさに神話の世界の山のようだった。鳥のさえずりが聞こえてくるが、人はこれ以上登ることができない。
 このあたりにもお坊さんがたくさんいたが、国際交流をしたいらしく、白人を見ては話かけていた。みんなけっこう器用に英語を話すのだ。

 アンコールワットを見終わると、陽が沈む時間が近づいてきた。最後に夕陽が美しいことで知られるプノン・バケン山に登ることにしたが、頂上にある遺跡はすでに人で埋まっていた。
 サンセット・ポイントとして一番の人気を誇るというので、僕はてっきり遺跡に沈む夕陽とかが見られるのかと思っていたが、実はただの夕陽だった。キレイはキレイなんだけどね・・・。

 そんな訳で、初日は朝から日の入りまでみっちりと観光してとても疲れてしまった。しかし明日、明後日もこの調子で観光を続ける予定なのだ。


出費                   40$   アンコールワット3日券
     1.5$ 昼食
     5S 偽物のレリーフ
     6$ バイクタクシー
     2.5$ インターネット
     6500R 夕食
計     55$
(約7150円)
      6500R (約220円) 宿泊         Moon Rise Guesthouse
インターネット    Angkor Cvber Cafe