旅の日記

タイ・バンコク編その3(2002年2月2〜7日)

2002年2月2日(土) ひげを剃ったらニセ警官(Back to Bangkok)

 バスでバンコクまで帰る。アユタヤに来たときには列車だったが、P.S Guest Houseの近くにバンコク行きのバスの発着所があったのだ。料金は列車の3倍だが、エアコンが効いていて所要時間も短い。出発してしばらくたったころ、大きな街に入った。途中にこんな大きな街があるのかと思ったら、それはもうバンコクの郊外だった。それほど時間が短く感じられた。
 バンコクの北バスターミナルはカオサン・ロードから遠く離れているが、車掌がていねいに市バスでの行き方を教えてくれた。ちょうどそのバスが来たので飛び乗るが、アユタヤからのバスに大枚をはたいて買った「地球の歩き方」タイ編を忘れてきたことに気づく。しまった!しかし、時すでに遅し。

 カオサンに戻り、予約していたNew Joe Houseという全室シャワーつきのやや高い宿にチェックインする。めぼしい数軒の宿に電話したのだが、空いていたのはここだけだったのだ。部屋は少々カビ臭いが、バルコニーつきで風通しが良く、増改築ラッシュの騒音も届かない。高いだけあって、悪くはない宿だ。
 部屋には流しと鏡もあり、自分の顔を見ていたらひげを剃りたくなった。ひげはタイ人に受けないらしく、たしかに生やしている人はほとんどいない。たまにいてもチンピラ風で、どう見てもカタギじゃないのだ。

 そんな訳で顔をツルツルに剃り、自称・ベビーフェイスに戻って出かけたら、裏通りの向こうから口ひげに黒いスーツの怪しいオヤジが歩いてきた。そして彼はすれ違いさまに僕の腕をつかむと、こう言ったのだ。「英語を話せるか?ポリスチェックだ、パスポートを見せろ!」
 自分が情けなくなった。あのなあ、確かに俺は強そうには見えないけど、素直にパスポートを出しそうなバカ面をしているかい?カオサンは今、小奇麗で素直そうな卒業旅行生で溢れているじゃないか。それでも俺をターゲットにしようというのかい?
 ヒゲ面の男を睨み、腕をふりほどいて歩き去ったが、ちょっと後悔した。おちょくってやるか、罵声でも浴びせれば良かった。
 しかし、僕はなぜこうもよくニセ警官に出くわすのだろう?僕はそんなオーラを発しているのだろうか?だいたいカオサンでニセ警官なんて聞いたこともないぞ・・・。

 夜、カオサンの外れにあった眼鏡屋でスペアの眼鏡のレンズを換えてもらうことにした。乱視の矯正がきつすぎて、かけていると頭が痛くなるのだ。左右で1500バーツだったが、はたしてちょうど良い強さのレンズになるだろうか?(あの暗視スコープのような検査用の眼鏡で試しても、実際の眼鏡になるとどうも見え方が違うと思うのは僕だけだろうか?)


出費                  48.5B   バス
     150B 宿代
     1500B 眼鏡のレンズ
     60B 文庫本
     138.5B 飲食費
計     1897B
(約5735円)
宿泊         New Joe House


2002年2月3〜4日(日、月) 藤原さんと再会する(Shopping at WTC)

 3日はまた運河をゆく暴走ボートに乗り、伊勢丹や紀伊国屋が入った世界貿易センターに買物にいった。あのボートに乗り降りするにはフットワークが肝心なので、わざわざライディング・シューズを履いていったのだが、日曜日のために客は少なく、運転も実に穏やかで拍子抜けした。

 しかし世界貿易センターは家族連れで賑わっていた。紀伊国屋の雑誌コーナーでは日本人駐在員とおぼしき男性がゴルフ雑誌を立ち読みし、その足元では幼い娘が漫画をねだっていた。伊勢丹の食品売場では食材で山のようになったショッピングカートを押している日本人が目立った。きっと週に一度の買物デーなのだろう。
 酒売場で「忍」を探すが、やはりない。あれを置いてしまうと日本から輸入した高価な日本酒が売れなくなるからだろう。

 世界貿易センターの後はやはり大ショッピングモールであるサイアム・スクエアまで足を伸ばしたが、我々の心を一番とらえたのは最後に訪れた庶民向けのデパートだった。
 日本の地方都市の郊外にあるディスカウント・ストアのようなやぼったさがあるのだが、それが逆に落ち着き、品揃えも豊富で安い。5階建てなのにレジは1階にしかなく、客は欲しいものを全て持って1階に降りるのだ。乱暴なシステムだが、アジアっぽい混沌をかもしだして面白い。我々は南の島に向け、日焼け止めクリームを買った。

 買物を終えると外はすっかり暗くなっていた。世界貿易センターの前に出ている屋台で大ナマズの塩焼きを食べ、カオサン・ロードに戻るボートの乗り場に行く。
 しかしボート乗り場の照明は落とされ、待っている客もほとんどいない。それでもいることはいるので、「ボートは来るのか?」とジェスチャーで聞くと「うん、来ると思う。たぶん」とタイ人も自信なさげである。運河の近くは蚊が多く、足をさされながらしばらく待ったが、いっこうにボートは来ない。そのうちに待っていたタイ人たちもあきらめて三々五々散って行ったので、我々もあきらめてバスで帰る事にした。きっと日曜日の夜は早仕舞いなのだろう。

 しかし何番のバスに乗ればいいかよく分からない。バンコクのバスルートは非常に複雑で、たとえば世界貿易センターからカオサン方面に向かうバスでも何種類もある。バス停でしばらく待つが、我々が把握しているカオサン行きのバスはぜんぜん来ない。そのうちに面倒くさくなり、我々は「歩いて帰ってしまえ!」という暴挙にでることになった。

 僕は歩くのはそんなに苦にならない方だし、ヒマな時に山手線一周を歩いたりもしたが、まる一日買物をした後にカオサンまで歩いて帰るというのは予想をはるかに上回って骨が折れた。しかも道を間違えて大幅に遠回りしてしまい、フラフラになりながら宿にたどりつくと、なんと午後11時を回っていた。時間にして2時間半、10キロ弱は歩いていたんだと思う。
 ちなみにこれだけ歩いて浮かしたタクシー代は日本円にしてわずか150円。僕たちは何をやっているんだ!?

 しかし、我々は次の日も懲りずに世界貿易センター方面に向かった。昨夜、歩いて帰る途中に巨大な家電、パソコン用品のショッピングモールを発見したのだ。(もちろん昨夜は閉まっていたけど)
 カオサンでインターネットをしてから暴走ボートに乗る。メールをチェックしたら、おととしのクリスマスにペルーで一緒だった藤原さんからメールが来ていた。「青山さん、なんでタイにいるんですか?俺もバンコクにいますので会いましょう」とのこと。なぬ?藤原さんって昨年の春に就職するって言っていなかったっけ?なんでタイにいるのか、こっちの方が聞きたいくらいだ。
 宿の場所と部屋番号を返信しておく。2、3日中には会えるだろう。

 さて、目指すパンティップ・プラザに到着する。中は撮影禁止だそうなので、外から大人しく写真を撮っておく。
 そして中に入ると度肝を抜かれた。巨大な6階建てのビルの真ん中には吹きぬけがあり、下から上までびっちりと電器店で埋まっているのがよく見える。まるで秋葉原駅前の2ブロック分をそのまま詰め込んだような規模だ。まちがいなく、今まで旅した中で一番の電脳街である。

 少し見て回ると、写真撮影がなぜ禁止なのかよくわかった。店はハードを扱うところとソフトを扱うところに分かれているが、後者はほぼ全店が違法コピーものを扱う店なのである。世界規模の電脳街は情け無用の電脳無法地帯でもあったのだ。
 ソフトと一口にいっても映画を収めたDVDやVCD、パソコン用のCD-ROM、プレステのソフトなどさまざまな種類が売っているが、音楽CDだけはカオサン周辺の方が充実している。タイで最も普及しているのはVCDで、ロードショウ中のハリウッド映画も80〜100バーツ(約300円)で買えてしまうのだ。たしか「ハリーポッター」はアメリカで公開されるよりも先に海賊版が出まわり、大きな問題になっていたと思う。こうなるとみんな映画館に行かなくなるし、ビデオレンタルもしなくなる。
 VCDが売れるのだから当然プレーヤーも売れるわけで、ハード専門店の軒先には聞いたこともないブランドのVCDプレーヤーが山積みになっていた。CDラジカセもVCDを再生できるものが主流らしい。

 入口からすぐのホールには日本電器メーカー直営のブースもあり、イベントコンパニオンが新商品を紹介していたりもするが、2階、3階と上がるにつれて店のアヤシサ度、マニア度が上昇する。しかし一番日の目を見ないのは各階の一番奥にあるトイレ前で、ここにはアダルトもののVCDを扱う屋台が並ぶが、客引きがしつこいので頭に来る。女性と一緒に歩いていても「セクシームービー!セクシームービー!」と腕をつかんで引っ張るのだ。
 1階から6階までを一通り見ただけで、もう外は暗くなりはじめていた。平日なので帰りのボートには困らなかったが、ラッシュアワーと重なって混雑もしていたし、暴走もしていた。忙しいと飛ばすのだろう。

 帰りに眼鏡屋に寄ってレンズの新しくなった眼鏡を受け取り、それをかけながら屋台で飯を食べる。まだ度はちょっときついが、慣れる範囲だろう・・・と、通りをいく人々を見ていたら、一人の日本人男性と目が合い、そして彼は足を止めた。そしてその1秒後・・・
 「いたいたいたいた!青山さん、俺ですよ、俺、藤原です。いやー会えた会えた、よかったよかったよかった。なんかメンチ切ってる人がいるなー、と思っていたら青山さんじゃないですか!」
 今日の朝、メールをくれた藤原さんである。僕の送った返信メールを見る前に偶然出会ってしまったのだ。それにしても相変わらずテンション高いなあ!

 藤原さんはカンボジアで会ったという斉藤さんという女性と一緒だった。そんなわけでその夜は再会を祝し、4人で飲み会に突入した。屋台の料理とビールで腹を膨らませた後は「レックさんラーメン」に場所を移し、「忍」で2回目の乾杯。アユタヤで買える金額の2倍以上するが、今夜は祝いの席なので構わない。
 藤原さんは2001年春に確かに就職したが、半年働いてお金ができたので辞めてしまったらしい。そして古巣のタイに戻ってきたんだそうな・・・。うーん、パッカー人生まっしぐらだ。
 結局、閉店間際まで「レックさんラーメン」の座敷に居座り、宿に帰ったのは夜12時ごろだった。藤原さんたちとは明日も会う約束をした。


出費                   300B   宿代(2泊分)
     289.5B 飲食費
     30B インターネット
     90B CD-Rディスク
     49B 南京錠
     100B 文庫本
     165B 日焼け止め
     9B ゴムひも
     7.5B 綿棒
     100B CD
     15B 暴走ボート
計     1155B
(約3490円)
宿泊         New Joe House
インターネット    Hello Internet


2002年2月5〜7日(火〜木) そしてあのコンビが帰ってきた(Chinese Market)

 5日はカオサンの周辺でゆっくりと過ごし、夜、また藤原さんたちと屋台で夕食を食べていた。
 Changビールを飲んで良い気分で夜風に吹かれていると、誰かが突然、背後から僕の肩をつかんだ。「イッヒッヒッヒ・・・」意地悪そうな笑い声が聞こえるのだが、ふり返っても見えるのは真っ白な歯だけ。おんや?目の錯覚かい?と思って良く見ると、なんと漆黒の闇と同じぐらい日焼けした村上さんが立っている!そして彼の横にうごめくものあり、と思ったら、コージ君が闇にまみれて立っていた。

 2人は南部のタオ島から今夜戻ったばかりだという。それにしても2人とも痛々しいほどに焼けてしまって・・・村上さんなんて、誰が日本人だと思うだろうか?
 だいたい、村上さんは日焼けをしなくてもよくタイ人に間違えられる。この前も映画館で英語で料金を聞いたら、窓口のお姉さんは「なんでコイツ、タイ人のくせに英語を使うんだろう?カッコつけてんのか?」と、怪訝そうな表情を浮かべていた。そのうえに日焼けをしたら、もうタイ人どころかタイ人マフィアにしか見えないじゃないか。

 村上さん、コージ君ともその夜は疲れていたので、翌6日の昼に待ち合わせをして中華街に一緒に行った。コージ君が7日の深夜に日本に帰るので、土産物を買いたいらしい。

 53番のバスに乗って向かうが、渋滞がひどくて一向に進まない。渋滞は中華街に近づくにつれてひどくなり、騒音と排気ガスに満ちたバンコクでもここは一際ひどい!と思ったところが中華街だった。
 当然、タイにも多くの華僑が進出しており、他の東南アジア諸国同様、経済の大きな部分を握っている。大きく張り出した漢字の看板、漢方薬や旧正月の飾りを売る店、親近感のある顔立ち、麺の屋台から登る湯気・・・通りをゆくトゥクトゥクを見なければ、香港を歩いているような気分になる。街は旧正月を前にした買物客でごった返していた。日本でいえば年末のアメ横だ。お坊さんたちも買物に忙しい様子だった。

 口のまわりをネトネトにして油そばを食べたあと、コージ君について中華街の露店を冷やかして回った。
 予想通り、コージ君はヘンなものばかりをお土産に選んでいた。謎の化粧パウダー、怪しい漢方薬の詰め合わせセット、そして原付用のヘルメット。タイ製のヘルメットかあ、と思って手にとると、意外にしっかりしていてしかも安い。フルフェイスのタイプで1200バーツ、日本の十分の一だ。しかしデザインが今一歩だし、日本の規格をクリアーしていないので、厳密にいうとこれでバイクを運転するのは違法なのだろう。でも、ちょっと欲しいなあ・・・。

 おやつに燕の巣を屋台で食べ、その後も中華街をしばらく徘徊し、また53番のバスに乗って帰った。
 そして夜、藤原さんと待ち合わせた屋台通りに行ってみると、メンバーが膨れ上がって大変な人数になっていた。藤原さんがアジア各地でテンション高く作った友達たちがみんなカオサンに戻ってきていて、再会続きなのだという。
 でもとりあえず暑くてビールがあればなんでもいいので、注文した料理がなぜか2時間もかかって遅々と出てくる間、みんなで盛り上がった。みんなユーラシア各地を放浪した旅行者ばかりで、話題には共通の知り合いやアジア各地の見所、宿のことがあがった。

 7日はコージ君の最後の日だった。村上さんも明日からアユタヤに移動するし、我々もそろそろ動かないと。
 本当はタオ島に行こうとしていたのだが、我々は早くも2月17日にタイの滞在許可が切れてしまう。どうせ島に行くのならゆっくりしたいので、先にカンボジアに行くことにして明日の朝のバスを予約した。午前6時発、ちゃんと起きれるだろうか?

 タイを離れる前にHPをアップロードしたいので、午後はひたすらパソコンに向かい、夕方から村上さんとコージ君と4人での最後の晩餐をした。日本行きの飛行機は午前1時発なので、コージ君は午後9時にはカオサンを出なければならないのだ。
 4人でトムヤムクンを食べ、ビールを飲み、バカ話をしているうちにあっという間に時間は過ぎた。そして空港行きのミニバスが迎えに来て、コージ君は窓から乗り出して「ワー、ヤー」などと言葉にならない別れの叫びを上げ、カオサンロードから消えて行った。最後の最後まで面白い子だったなあ・・・。


出費                   450B   宿代(3泊分)
     630.5B 飲食費
     60B インターネット
     900B 音楽CD
     80B カンボジア行きバス代
     7B 市バス
     35B 文庫本
計     2162.5B
(約6540円)
宿泊         New Joe House
インターネット    Hello Internet