今朝は比較的涼しく、松井史織の体調も万全に戻ったので自転車を借りてワットを巡ることにした。アユタヤはレンタサイクルで観光するのがポピュラーなのである。
まずは14世紀後半に建てられたワット・プラ・ラームを見て、次にワット・プラ・シー・サンペットに移動した。プラ・シー・サンペットはアユタヤ王朝の守護寺院で、バンコクでいうワット・プラケオに相当するが、ビルマ人に破壊されてしまった今では王たちの遺骨が眠る3本のチェディ(尖塔)くらいしか残っていない。
タイのワットは煉瓦の上にしっくいを塗って作るので、廃墟の色合いはどことなくヨーロッパ調だ。赤い煉瓦が崩れ、その上に草なんかが生えているのを見るとポーランドのアウシュビッツ強制収容所跡を思い出す。
仏像もことごとく破壊されてしまっている。その頃のビルマ人は何を信仰していたのだろうか?仏教だったとしたら、宗派の違いでここまでやるのだろうか?
その後はヴィハーン・プラ・モンコン・ボピットの金箔に覆われた高さ17メートルの仏像を拝み、ワット・ロカヤスタに向かった。ワット・ロカヤスタ、というよりロカヤスタ寺院跡にはもはや何も残っていないが、約50年前に全長28メートルの寝釈迦像が復元されたのだ。
ロカヤスタのお釈迦様は青空のもと、黄色の布をまとって悠々と横たわっておられた。もとは白いしっくいの上に金箔がはられていたみたいだが、50年の間にほとんどが剥がれてしまい、地肌が見えるお顔が痛々しい。まわりの砂には剥がれた金箔が混じり、砂金のようになっていた。記念にちょっと持って帰りたかったが、バチがあたりそうなのでやめる。
午後の暑さはいつも通りだった。寝釈迦の前の屋台でアイスティーを飲んで休憩する。松井史織がバテ気味なので「君は体育会系だろう!」といったら、「水泳部はずっと水の中にいるから暑いのは苦手なの!」と言い訳していた。
ワット・ロカヤスタの後は一番遠いワット・チャイワッタナラームへ。宿からは直線距離で約5キロだが、このワットが一番格好良かった。先日のボートツアーで夕陽に浮かぶシルエットを川から見て、ぜひとも訪れたいと思っていたのだ。
17世紀前半の王は、カンボジアとの戦勝を記念して中央の仏塔をクメール様式にしたという。その姿はアンコール・ワットを彷彿とさせ、正面の芝生に寝転んで見上げているうちに早くカンボジアに行きたくなった。しかし松井史織が感動したのはスプリンクラーの水の冷たさで、彼女はずぶ濡れになって体を冷やしていた。
ここは数あるアユタヤのワットの中でもマスト・プレイスらしく、観光バスに乗った団体客も次々と訪れていた。日本人の姿も多い。
そこから宿の方に引き返したが、松井史織の自転車の後輪がパンクしてしまった。押して歩くには遠すぎるので、仕方なく自転車を交換してゆっくり漕ぐ。親切なタイ人の子どもは「後輪がパンクしているよ」とわざわざ教えてくれた。
パンクした自転車のペダルは重い。宿のほんの目と鼻の先、最後のワット・プラ・マハタートに着いたときには僕も疲れていた。
このワット、建物自体は損傷がひどく特筆することはないが、木の根に取りこまれた仏頭が悠久の時の流れを感じさせ、見物となっている。仏像が崩れた上にちょうど木が生え、包み込むように根を伸ばしていったのだという。
仏頭は写真で見るよりも小さく、立った人間の膝ぐらいの高さに位置している。その前には「Do
not stand over Buddha's head」と書かれた看板があるが、ちょっと解釈が難しい。Over?
仏頭の上に立つな、またぐな、ということかい?
その時、アメリカ人の夫婦が青年ガイドに連れられてやってきた。旦那の方が仏頭の横に立ってポーズを取り、奥さんがカメラを向けたのだが、青年ガイドは旦那にしゃがむよう促した。なるほど、「Do
not stand over Buddha's head」というのは仏頭に敬意を表し、それより高く立つな、つまり「Do
not stand higher than Buddha's head」ということだったのだ。
しかしこのアメリカ人奥さん、青年ガイドに食ってかかる。「何で?何で横に立ってはダメなの?この看板の英語では意味が通じないじゃない!」
聞いていた僕がイライラしてきた。うるせえババア、ちょっと英語の表示がヘンだからって、いちいち揚げ足とるんじゃねえよ。世界中のみんなが正確な英語を話すと思ったら大間違いだ。意味を汲み取れ、意味を!お前みたいな奴がいるからアメリカ人団体客はヨーロッパでも嫌われ、可愛そうなアメリカ人バックパッカーは「僕はカナダ出身さ!」とかウソついてんだぞ!
・・・口に出しては言わなかったが、僕はかなり疲れていたようだ。
ワットの出口でビールを飲んだら、身も心もトロけてしまった。バンコクで大酔っ払いしてからどうも酒に弱い。350mlの缶一本でかなりいい気分になってしまうのだ。
宿に戻り、一眠りしてから夕食に出たが、なんとナイト・マーケットの位置がもとの船着場の方に戻っていた。歩くと遠いので、昨晩までマーケットがあった場所にポツンと一軒だけ営業していたタイスキ屋で食事を済ませた。
ナイト・マーケットが遠くなるのはかなり痛く、これは忌々しき事態なのである。
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