朝8時、フェリーは予定通りイタリアのバーリに着いた。
夏のハイシーズンであれば、ドブロウニクからバーリを経由してギリシャまで行くフェリーがあるそうだが、今ではここで別の船に乗らなくてはならない。
村上さんはこのまま列車で南下して、マルタ島を目指す。彼に別れを告げ、私はマルセルとフラービアと一緒にギリシャ行きのフェリーのチケットを買いに行った。
港の中、彼らの後ろについていったのだが・・・太陽のもと、走る彼らの後姿は異様だった。まるでアルミの箱が勝手に動いているようで、南米の田舎でよく見る、小さなロバに山ほどの薪や干草を運ばせている光景を想像してしまった。
小さな段差のたびにボックスはユッサユッサと揺れ、鉄のフレームはしなっていた。これじゃ、舗装路で折れるのも無理はない。
幸い、ギリシャ行きのフェリーはその夜にあった。夜8時に出て、翌朝ギリシャ北西部のイグメニッツアに寄港したあと、午後12時半にペロポネソス半島のパトラに着く。長旅であるうえ、たいしてリクライニングもしない椅子の料金とドミトリー(大部屋)の寝台の料金がさほど変わらなかったので、後者のチケットを買った。イグメニッツアで降りて自走するという手もあるが、なぜか途中で降りても終点まで行っても料金が同じなので、パトラまで行くことにした。
買ってから気づいたのだが、ギリシャ航路は数社がフェリーを出しており、選択肢は他にもあった。我々がチケットを買った「FastFerry」という会社の船は一番大きくて近代的であり、そしておそらく一番高かったのだろう。今さら言っても仕方がないのだが・・・。
カフェで朝食を一緒に食べたあと、マルセルとフラービアといったん別れてバーリの町を歩いてみた。
旧市街も一応あるが、何の変哲もない港町で、特に興味のそそられるものはない。しかしアドリア海を渡ってきて、明らかにイタリアに来た、という実感がある。人間がまるで違うのだ。
車の運転がまず違う。「歩行者なんてどけどけ!」という勢いで街中を暴走し、車の長さ+30センチのスペースがあれば、バンパーで前後の車を押しのけて駐車する。ラテン民族の国では、バンパーはぶつけるためにある部品だ。
そして感情表現が違う。駐車スペースを横取りされたお姉さんは、車を道路の真ん中に停めて出てきて、駐車した車の運転手に罵詈雑言を浴びせていた。道ですれ違った母娘は、何かの拍子で母親がいきなりキレ、感情をむき出しにして娘をバシバシたたいていた。
・・・ラテンだなあ。それに比べて、クロアチア人ははるかに穏やかだった。
ただひたすらに町を歩き、食事をし、また歩き、そして船に乗りこむ時間になったので、バイクを置いてきた港に戻った。
「SuperFastU」号は全長174メートル、全幅24メートルで、車850台が収容できるカーデッキは5層に分かれている。おそらく私が乗ったフェリーの中でも一番大きいだろう。(あ、「さんふらわあ」号とどっちが大きいだろう?)
船には二つのレストラン、三つのバー、カジノ、免税店、今は営業していないプールなどあって、ISO9000規格をクリアーしたという最新鋭艦だった。結果からいうと船はまったく揺れなかったし、寝台は簡素だが十分だったし、シャワーもたくさんお湯が出たし、快適な船旅ではあったのだが、船員のサービスや態度がサイアクだった。
まず、イタリアからギリシャに行くフェリーなのに、イタリアの通貨が使えないのだ。余ったリラでメシでも食おうとしたのに、ギリシャのドラクマに両替しないと使えない。クレジットカードも受け付けない。あきらかに手数料を稼ぐため、両替をせざるをえないシステムにしている。
そして、その両替デスクがサイアクだった。レートは悪いし、小銭は扱わないし、30000リラ(約1600円)以上でないと交換しない。責任者のような中年の男はパリっとした制服に身を包んでいるものの、文句を言われれば客に向かって舌打ちするし、キレるし、無視するし、10000リラ札を細かくしてくれとフランス語で頼んだ黒人のお兄さんを、まるでゴミを見るような目で見下ろした。
両替なんてしてやるかボケッ、と思っていたが、マルセルとフラービアが「バーでビールを飲もう。ドラクマがないなら、おごるよ」といった。そうなると、ケチって両替をせずにご馳走になるわけにはいかない。10ドルをドラクマに換え(レートは1ドル約370ドラクマなのに、3500ドラクマにしかならなかった)、3人でビールを飲んだ。
マルセルはサンタクロースのような立派な口ひげをたくわえているので、一見オッサンに見えるが、よく見ると若く、30過ぎといったところだろう。彼はパン職人、フラービアは看護婦として働いて旅の資金を貯めたらしい。
パン職人はいかに重労働かとか(夜中の1時に起きて仕事を始めるらしい)、スイスの医療保険制度の不公平さとかを、色々と聞かされた。マルセルは英語があまり話せないが、オランダ人のモトグッチ・ライダー、オノみたいに話し出すと止まらないのだ。
しばらくするとバーはディスコタイムになったらしく、照明が落ち、ビート系の音楽が大音量で鳴り始めた。しかし誰一人としてその変化を歓迎するものはいなく、客は一人、また一人と静かな船室に消えて行った。我々も例外ではなく、席を立った。
誰もいないダンスフロアーに空しく音楽が響いていた。過ちに気づかないバーテンダーは客が突然居なくなったことを気にもせず、せっせとグラスを磨いていた。
ピカピカの船なのだが、すべてが空回りしているように思えた。
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