旅の日記

ハンガリー編その5(2001年10月22〜31日)

2001年10月22〜24日(月〜水) アルコール消毒で静養(Rest at Budapest)

 ルーマニア紀行は予想以上に私の体力を消費した。ブダペストに帰ってからというもの、どこかに出かける気力もなく、午後1時〜4時の清掃タイムを除いてずっと部屋にこもっていた。そしてダラダラとメシを食ったり、酒を飲んだり・・・日記もたまりにたまっているのだが、夜は酒盛りに突入してしまうので、ゆっくりとパソコンに向かう時間がないのだ。
 みんなが出かけている昼間が一番集中できるのだが、清掃のためのロックアウトが居残ることを許してくれない。

 22日の夜は「効きワイン大会」なる企画を催した。偶然500フォリント(約220円)前後の赤ワインが3本揃ったので、同じデザインのワイングラス三つに同じ量だけ注ぎ、それぞれがどの銘柄か当てようということになった。
 「違いのわからない男」を自覚し、自信のなかった私が3種類とも正解、そして「ソムリエを目指している」という(冗談だけど)、小林稔侍似の平野君は2種類の見分けがつかず、「くやしい」とビニールつきのソーセージをムシャムシャ食べていた。「それ、ビニールついているよ」と教えてあげたら、「何いってんスか。こりゃ豚の腸ですよ・・・あ、ビニールだ・・・」

 酒が入ると人は時にムチャをするもので、ハンガリー名物の立派なパプリカを見た我らは、その中でラーメンを作るという暴挙に出たくなった。
 ナイフで横に切り、その中にインスタントラーメンを半ヶ入れ、とき卵を注いでネギを散らし、5分ほどレンジでチン。「水分はパプリカ自体から十分に出るだろう」との農学部休学中・平野君の予想通り、ラーメンは適度に固さを残したまま茹で上がった。「パプリカン・ヌードル」と我らが名づけたその料理は、意外なほど普通に食べることができた。パプリカの甘味が卵とよく合うのだ。
 うまいなあ、とパプリカ本体をムシャムシャ食べていた私は気づいた。こりゃ、パプリカだけで食べたほうが美味かったろう・・・。

 24日には、やはり移動、移動でフラフラになった村上さんがルーマニアから帰ってきた。私と別れたあと、彼は上藤さんらと引き続きルーマニアのモルドバ地方をまわり、ハンガリー系の住民と出会って祭りに招かれたりして、とてもいい旅をしたらしい。やはり純粋なルーマニア人はハンガリー系住民の存在を認めず、行く先々で聞いてもなかなか彼らは見つからなかったが、ようやく出会えた時の感動はひとしおだったという。

 その夜は「美味いフォアグラが食べたい」と料理人の登場を待っていたみんなのために、お疲れの村上さんが腕を振るってくれた。しかし、この間と同じ最高級、1キロ4800フォリントのフォアグラを買ったのに、まったり感だけで味に甘味が足りなかった。こんなに高い食材なのに当たり外れがあるとは・・・。ちなみに村上さんの名誉のために言うが、彼の調理方にこの前と差は無かった。

 しかし今夜はフォアグラだけでないのだ。「贅沢するなら、とことんまで」と、ロシア産のキャビアとハンガリー名物の貴腐ワイン、トカイまで用意したのだ。
 トカイはかのルイ14世が「これぞ王のためのワイン」と絶賛した、世界3大貴腐ワインのひとつ(あとの二つがどこの何ワインかは知らないが)。質や年数によって商品に6つのランクがあるが、今夜用意したのは泣く子も黙る最高級の6番。そして比較ができるようにと、一番安い1番まで買ってきたのだ。
 貴腐ワインはある病原菌に感染し、特殊な腐り方をしたブドウからでしか作ることのできないワインで、普通のワインとはまったく違った、甘い、濃厚な果実酒である。まずは最低ランクの1番(といっても普段みんなが飲む赤ワインの2倍はするんだけど)を味わってみるが、単に甘いだけで深みがなく、水で薄めた杏子酒のようだった。これなら普段の安ワインの方がうまい。
 次に金額にして1番の5倍、1988年ものの6番を試してみるが、まず色からしてまったく違う。濃い、琥珀色で、酒自体の濃度も高く、シロップのようなとろみさえ感じさせる。「年季が違うぜ!」と、飲む前から誇示しているのだ。そして口に含んでみると、最初は「甘〜っ」と海のような深さの甘味が押し寄せてくるが、後味にしつこくからむことはない。こりゃ1番とはまったく違う飲み物、例えるなら青二才とハンフリー・ボガードぐらい深みが違う。

 ロシア産の本物のキャビアも、いつもスーパーで買ってくる偽物のキャビアとはまったく違った。いくらのように粒が大きく、塩味の効きが深かった。
 フォアグラにトカイワイン、そしてキャビアと、とんでもない贅沢をしながら我々は深夜まで盛り上がった。隣で何が起きているか、知る由もなく・・・。


3日間の走行距離          0キロ(計66129.3キロ)

出費                  460Ft   インターネット
     6670Ft 飲食費
計     7130Ft
(約3060円) 宿泊         テレザハウス
インターネット    Cyber Bridge Internet cafe


2001年10月25日(木) ある老人の死(The neighbor's death)

 我らがテレザハウスは大きなアパートの一画に入っているが、今日の午後、ロックアウト時の外出から戻ってみると、隣の部屋に警察官が数人来ていた。一人暮しのおばあちゃんが住んでいる部屋である。ドアの前には彼女の家族だろうか、中年の男女が暗い顔をしてウロウロしていた。挨拶をしても反応が無い。
 テレザ亡き後、テレザハウスのオーナーとなった若き息子ナジム(別名・テレ夫)が警察官に呼ばれ、あ、これは彼が毎晩吸っているマリファナの件だろうか?と心配したものつかの間、すぐに彼は戻ってきて事情を説明した。
 昨夜から今朝の間に、おばあちゃんが両手首を切って自殺したのだ。

 私は個人的に彼女と話したことはないが、テレザハウスの宿泊者の中には歯医者を教えてもらったり、カギをなくしてドア開けてもらったりとお世話になった人もいる。彼らによると、話した感じではとても自殺するような雰囲気ではなかったという。
 それが、ちょうど我らが贅沢三昧をし、まるで人生のピークのように楽しいひとときを過ごしている隣で、彼女はひとりぼっちで、自らの人生に幕を閉じたのだ。
 我々にその理由を知る由はない。しかし、どっちみち遠くないうちに終わる人生に、あえて自分で終止符を打つ理由が彼女にはあったのだ。

 そんなことがあったので、今夜はいつになく人生について考えてしまうのだった。もちろん、酒を飲みながらだけど。


本日の走行距離           0キロ(計66129.3キロ)

出費                  400Ft   CD−Rディスク
     1350Ft 飲食費
計     1750Ft
(約750円) 宿泊         テレザハウス


2001年10月26日(金) 潜入!ホモ温泉(Gay people's bath)

 私は、ブダペストの3大名物は安くて腕のいい歯医者、格安航空券、そしてホモ温泉、と勝手に認識している。
  ここからどこへも飛ぶ予定がないので格安航空券の恩恵に預かれないとしても、あとの二つは見て(経験して)おきたい。すでにピカピカのさし歯は作ったので、残るはホモ温泉だ。
 一人で行く気はとてもしないのだが、今日、平野君ともう一人の宿泊者が行くというので、ご一緒させてもらうことにした。

 さて、ホモ温泉とは何であろうか?
 「ホモ」とは差別用語であり、正確には「ゲイ」なのであるが、ブダペストに集う旅行者はみんな「ホモ温泉」と、まるで何世紀も前からある熟語のように呼んでいる。
 ハンガリーは温泉天国。ブダペストだけでもいくつもあり、「ルダシュ」や「セーチェニ」など私も過去に訪れているが、それらはノーマルな温泉。ホモ温泉とはその名のとおりゲイの社交場と化してる温泉で、曜日によって「盛り上がり度」が違うが、ときによってはコトに及んでいるカップルが無数に見られるという、恐ろしいところなのだ。
 そして、それらの温泉は外見だけではわからない。看板にホモ印があるわけでもないし、ひどいことに「地球の歩き方」にも普通の温泉として紹介されている。具体名とあげると「キラーイ」と「ラーツ」がホモ温泉のツー・トップなのだが、キラーイなんて「本格的トルコ風呂。ここを見ずして、ブダペストの温泉を語るなかれ」と書いてある。まあ、ある意味そうなんだけど・・・それで読者が操の危機にあったら、どうすんのよ。
 宿の情報ノートにも潜入記がたびたび載っている。「トラウマになった」「迫られた」「じじいの×××を別のじじいが××えていた」・・・ウムム、期待と不安を胸に、いざ、一番盛り上がるという「金曜日のキラーイ」へ潜入!

 入口で700フォリントの入浴料を払うのだが、この時点でもうフツーじゃなかった。視線を感じて振るかえると、若い3人組がこっちを見ながらコソコソと相談している。まるで「おまえ、どれがタイプ?」「うーん、右から2番目」と言っているように・・・。
 眼がトロンとした華奢な体つきの、「いかにも女役」という若い男に流し目で「ハーイ」と迎えられ、更衣室に入った。普通は素っ裸で入るものなのだが、我々は水着着用。一応、「我々はそうじゃありません」という自己主張のつもりなんだけど。

 そして浴場に向かうが、一見では思ったより平穏であった。
 コトに及んでいるカップルもいないし、何より、ぬるめではあるが湯に入れた。さる情報によると「金曜日のキラーイなんて、プカプカいろんなモノが浮かんでいてとても入れない」とのことだったので、場合によっては湯に入らない覚悟でいたのだ。
 しかし、湯に浸かってまわりの様子を観察していたら、徐々に、微妙な駆け引きの様子がわかるようになった。それとなく物色をしながら浴槽内を歩きまわるオヤジや静かにイチャついているカップルもいるし、ディープキスに及んでいる若者二人組も湯煙のむこうに発見した。我々も相当の視線を感じる。

 しばらくしてサウナに行ってみたが、これがすごかった。
 満員電車並みの人口密度で、とても全員座れないのだが、みんな立ってムンムンとしながら眼をギラギラさせ、お互いをチラチラと見たり、去り際に気に入った男の尻をなでていったりしている。サウナの熱気と高まる欲情でムンムン度120パーセント、文句なくホモ密度が世界一高い、一触即発の恐るべき空間なのだ。
 そして水着を着ていることがノーマルな証と思っていたのだが、必ずしもそうではなかった。サウナの中に水着の白人がいたのだが、この熱気にインスパイアされたのか、オモムロにそれを脱ぎ出した。すると、めざとい輩がそれをメッセージと受け止めて接近、イチャイチャしだしてしまった。ムムム・・・水着の君は仲間だと思っていたのに・・・ブルータス、お前もか。

 すると、必ずしも水着が拒絶の印とならないようで、今度は私が一人のオヤジに席を譲ったことから勘違いされ、つけ回されるハメになった。浴槽に戻っても、別のサウナに行っても、赤ら顔に眼をギラギラと光らせ、ハアハアと荒い息をしながら接近してくるのだ。
 そしてよく見ると、巨大なタイコ腹の下で何かをイジっている。おい!おまえ、何を想像しているんだ?やめろ、俺を視姦するのは!!
 「早く出よう」と私が言っても、平野君は「いや、もう少しゆっくりしましょうよ」と面白がる余裕を見せていたが、オヤジは私が相手にしないとわかると、次のターゲットを平野君にロック・オン。2度目のサウナの中で急接近、平野君の股間に手が伸びたところで彼の脳にも危険信号が発せられた。
 「緊急脱出!」 ・・・オヤジを押しのけ、我々はホモ温泉を後にした。

 ブダペストの夜風に吹かれて地下鉄の駅まで歩きながら、我々はあの異様な空間を振り返った。「怖かった・・・しかし、面白かった!」
 ハンガリーにお越しになる男性諸君、ぜひ一度は行ってみよう!実は、最近では「キラーイ」より「ラーツ」の方がアツいらしい・・・。


本日の走行距離           0キロ(計66129.3キロ)

出費                  900Ft   CD−Rディスク
     140Ft インターネット
     700Ft キラーイ温泉
     2365Ft 飲食費
計     4105Ft
(約1760円) 宿泊         テレザハウス
インターネット    Cyber Bridge Internet cafe


2001年10月27〜30日(土〜火) 旅立ちの準備(Getting ready for the next ride)

 すでに旅に出ているのに「旅立ちの準備」ってのもおかしいが、これだけ長く一ヵ所に「沈没」していると、重い腰をあげて動き出すというのは大変な決心とエネルギーが必要なのだ。メキシコの「アミーゴ」やエクアドルの「スークレ」、チリの「汐見荘」でもそうだったように・・・。
 しかし、ルーマニアに行っている間にブダペストもすっかり涼しくなった。このままダラダラとここにいたら、冬に追いつかれてしまう。早く地中海に下らなければ・・・。
 そんなわけで、ぼちぼちと準備を始める私なのであった。

 27日は、ウィーンで一泊だけして帰ってきた旅行者が、かの有名な「ザッハーホテルのザッハートルテ」を買ってきてくれたので、みんなで食べた。濃厚な甘味のさすがの味だが、八等分の一個を食べるだけで心身ともにおなかが一杯になってしまった。
 午後は日本食材やビデオ、本が置いてある「うさぎや」に行き、喫茶コーナーで劇画の名作「クライング・フリーマン」を全巻、夜までかかって読んでしまった。(どこか旅の準備やねん)

 自称「ロシア人の血が8分の1入った男」の平野君はブダペストの後、ルーマニア、ブルガリアと走ってギリシャまで南下するが、彼も出発に向けて荷物の整理を開始した。すると出てくるわ、出てくるわ・・・いらないモンが。
 ライダーは、載せようと思うといくらでもバイクに荷物が載るので、荷物の多い人と、バイクへの負担や操縦性を考えて荷物を極力減らす人と、差が激しい。かの賀曽利隆さんは後者の代表で、テントさえも持たず、したがって彼を崇拝する「カソリスト」と呼ばれるライダーたちも、やはり余計な荷物を全く持たない。スペインで一緒だったDR650Rの山本さんも「カソリスト」を自認し、よく私は荷物が多すぎると怒られた。
 私の場合はバイクがバイクだし、パソコンもあるし、一時はフリースが2枚もあったし、荷物は他のライダーに比べて多い方だと自分でも思っていたが・・・平野君は私の上を行っていた。しかも、彼のバイクは250ccである。

 まずは「記念に持ってきた」という、1リッターのペットボトルに入ったサハラ砂漠の砂。そして「全く使く機会の無かった」という5リッター入りのガソリンタンク(しかも鉄製)。「旅立つ俺を勇気づけてくれた」という音楽CDを持っているのはわかるが、聴くためのCDプレーヤーは無し。そしてあげくの果ては、折りたたみ式のスコップ・・・何を掘るのよ、何を??
 結局、サハラの砂は私が半分もらい(後日、日本に送った)、ガソリンタンクはテレザハウスに置いていくことになった。スコップはもらい物なので、捨てるわけにはいかないという。

 そんな平野君もみんなの引きとめ工作に応じることもなく、29日に颯爽と出発した。彼はギリシャからバイクを日本に送り、年末までには日本に帰るという。そして来年から復学、就職活動。
 自分のやりたいことが見つかって、その方面で仕事がみつかるといいね。その歳で世界を走った君だから、きっとうまくいくでしょう。
 あ、無洗濯記録、更新し続けてね。(彼はヨーロッパに渡ってから、一度も洗濯をしていないのだ!)

 翌30日は村上さんとセーチェニ温泉に行った。前回行ったのは3週間前、あの時は午後でも青空が広がり、屋外の温水プールが気持ち良かった。それが、今はプールから一歩出ただけで寒くて仕方がない。サマータイムが終わり、午後5時ですでに真っ暗だし・・・。
 ううむ。やはり明日、出るしかないか!


4日間の走行距離          0キロ(計66129.3キロ)

出費                  250Ft   CD−Rディスク
     765Ft インターネット
     900Ft セーチェニ温泉
     860Ft テレホンカード
     800Ft 地下鉄
     22600Ft 寝袋
     4841Ft 小包代
     9300Ft 飲食費
計     40316Ft
(約17280円) 宿泊         テレザハウス
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2001年10月31日(水) とうとう出発(New start)

 朝一番で最後のインターネットをしてから、とうとうブダペストを出発した。もう一泊してもいいかな・・・と思い始めていたが、そういう考えが危険なことを私はよく知っている。
 定期的にエンジンをかけていたおかげで、DRは「待ってましたぜ、旦那!」とばかりに一発で目を覚ました。
 一ヵ月も一緒にいるとやはり別れがセンチメンタルになり、村上さんに見送られて走り出すとき、なぜか宇多田ヒカルの「FirstLove」が頭の中で流れた。といっても、それはたまたま昨日MP3で聴いていたからであり、同性愛は温泉では感染しない。私と村上さんの「肉体関係」といえば、昨日一緒にセーチェニ温泉に行ったのと、たいして背の変わらない村上さんが私のズボンをはき、あまりの裾の短さに驚いたくらいだ。(何のこっちゃ)

 ハーレーごり君からハンガリーのいい地図をもらっていたので、ブタペストを脱出するのは簡単だった。いつものペースで考えれば今日のうちにクロアチアに入国し、首都のザグレブあたりに宿をとるのが適当なのだが、今日の目的はあくまでもブダペストを出ること。国境手前にあるハンガリー最大の湖・バラトンを今日の目的地と設定し、国道を西に向かった。
 今までもそうだったけど、久しぶりにバイクに乗ると、「こんなんだったっけ?」と思うほど振動と風圧が激しい。「よくこんなんで今まで走ってきたなあ」と我ながら関心するが、体はよく覚えているようで、100キロも走れば気にならなくなってくる。要は慣れの問題なのだ。

 200キロあまりを走り、バラトン湖畔のケストヘイという町に到着。
 東京23区がすっぽり入る大きさのこの湖は、海を持たないハンガリーにとって最大のリゾート地でもある。夏となれば湖沿いのレストランやホテルは観光客であふれ、さぞかし賑やかなのだろう。
 しかし10月も末となると季節外れもいいとこだ。営業している店を探す方が大変だし、湖には徹底的に人がいない。見渡す限りの水面で、はるかかなたに小型ヨットの帆が一つ見えたくらいだった。

 宿探しも難航した。キャンプ場は軒並み閉まっており、東欧でよく見かける民家の一室を開放した「プライベートルーム」も、夏の間だけだと断られた。町をグルグル回った末、一軒のバーの裏手にある小さなキャンプ場に、水もトイレも使えないのを承知の上でなら、ということでテントを張らせてもらった。ブッシュキャンプと同じ条件だが、場所代として500フォリントを払った。

 その夜は嵐になった。私はいつも、テントの壁面に片側10キロ以上はあるサイドケースをくっつけて置いているが、あまりの風にテントが押され、寝ている私の上にケースが倒れてくるくらいだった。テントはゆがみ、固定しているペグが抜けたフライシートはバタバタと鳥の翼のように羽ばたいた。
 とても眠れる状況ではなかったが、眠るしかなかった。再出発一日目からとんだ試練だ。


本日の走行距離       214.8キロ(計66344.1キロ)

出費                 7200Ft   テレザハウス10泊分
     105Ft インターネット
     3500Ft ガソリン
     500Ft キャンプ場
     300Ft コーヒー
     915Ft 買物
     760Ft 夕食(マクドナルド)
計     13280Ft
(約5690円) 宿泊         とあるバーの裏の、名も無きキャンプ場
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