カメラマンの上藤さんは35歳で、老人というにはあまりに若すぎるが、まるで老人のように朝からテンションが高い。
上藤さんを団長に、以下グラフィックデザイナーの内田さん、そして私という3人の即席メーラ村訪問団は朝8時からルーマニア行きのマイクロバスに揺られることとなったが、「眠りながらいく」という内田さんと私の計画は見事に粉砕された。ウトウトしはじめると、上藤さんがどんどん次の話題をふってくるのだ。
そんなわけで「大体、女ってものは」的オヤジ会話を繰り返しながら、昼過ぎに国境に到着。上藤さんによると過去、この国境で赤軍派の国際手配犯が捕まったことがあるそうで、なるほど、パスポートの写真と我々を見比べる目も険しい。
しかし我々は社会不適応者かもしれないけど赤軍派でもタリバーンでもないので、無事にルーマニアに入国。ルーマニアは最近ビザが要らなくなったが、それでも国境では10日間の滞在期間しかくれない。上藤さんは村に残ってじっくりと撮影をするつもりなので、2ヶ月間の滞在期間がほしいと申し出たが、移民局に行って延長するしか方法はないらしい。
ルーマニアに入ると、いかにも「共産主義!」といった感じの、崩れかけの巨大な工場群が見えてきた。何の工場だかわからないがまだ稼動しているらしく、大煙突からは遠慮なしに有毒ガスそのものといった黒煙がもうもうと上がっていた。そしてそんな工場と工場の谷間に、飾り気も何もない無機質な団地が並んでいた。きっと工場労働者の住居だろう。住宅地と工業用地の区分けもクソもない。これじゃ体に悪くないはずがないだろう。
そんな光景を見ていたら、この国の首都が見たくなってきた。「怖いものみたさ」的な感覚だけど。
マイクロバスはそのままメーラ村の近くの都市クルジ・ナポカまで行くが、我々はその手前のペケテ・トー(黒い沼)という場所で降ろしてもらった。ここでは今週、年に一回という規模のバザーが行われているのだ。上藤さんも行ったことはないが、ハンガリー人の知り合いに「ぜひ行った方がいい」と言われたそうだ。
そこは小川のほとりの広場で、洋服や靴、帽子や古道具などを売る露店が並んでいた。しかしどこを見ても「黒い沼」はなく、バザーの規模も「これで年に一回か?」と疑うほど、たいしたことは無かった。
ハンガリーから来ると、ロマたちの姿が目立った。この近くに大きな集落があるらしい。
ここでもう一度ロマについて説明すると、彼らは通称「ジプシー」と呼ばれている人々だ。彼らのルーツがどこなのか、彼ら自身も多くを語らないので特定はできないが、インドあたりではないかという説が有力だそうだ。薄褐色の肌、黒くて濃い体毛、はっきりとした顔立ち、なるほどインド人によく似ている。
ロマの人々はヨーロッパ全土にいるが、ルーマニアは特にその比率が高い。「手グセが悪い」など、彼らにまつわる噂はネガティブなものが多いが、彼らは長年差別を受けてきた貧しい人たちであり、それゆえか、極めて閉鎖的な社会を形成している。(最近では大金持ちのロマもいるらしいが)
そしてこれはあまり知られていない話だが、ルーマニアは第2次世界大戦でドイツ側につき、多くのロマがナチスの強制収容所に送られ、ユダヤ人たちとともにヒトラーの狂気の犠牲となった。
しかし「可愛そう」などどいう安っぽい同情で理解しあえるほど一筋縄でいく人たちではないので、彼らと接触するときは注意が必要だ。上藤さんはメーラ村のあるロマの家族を撮り続けているが、その許可を得るだけで3年間通い続けたそうだ。
そして、我々はそのロマの洗礼をいきなり受けることとなる。
バザーを回る前に、まずは腹ごしらえをしようということになった。屋台がいくつか出ていたので、3人でビールやソーセージ、骨つきの焼き肉などを食べていたら、さっそくロマの少年少女が「お金をおくれよ」とやってきた。我々は無視を決め込んでいたが、一人の靴下売りの少女がスキを見て内田さんのミネラルウォーターを奪い、ゴクゴクと飲み始めた。その動作はあまりにも速く、まるで正拳を突き出す大山倍達、ギターを弾くクラプトン、あるいはしゃべり続ける柳沢慎吾のようであった。
しかし感心している場合ではない。内田さんがキッと睨んで立ち上がると、少女は「冗談だよ」という笑いをニタリと浮かべ、ボトルをテーブルに置いて去っていった。まだ12、3歳くらいの少女だが、半分眠ったようなトロンとした眼が、まるでこの世の汚いものを全て見てきたかのような、そして悪魔に魂を売ってしまったかのような、そんな邪悪な光を放っていた。あれが少女の眼か?あの歳であんなにいやらしい笑顔をつくれるものなのか?
しかし、ここでも感心している場合ではなかった。「そろそろ行こうか」と席を立った瞬間、背後から5、6歳の少年がダーッと走ってきて、我々の食べ残し(といっても骨ぐらいだけど)をガーッとわしづかみにして行ったのだ。危うく私のミネラルウォーターまで奪われるところだったが、上藤さんが守ってくれた。本当に油断もすきもないのだ。
バザーの露店を一通り冷やかしたあと、列車でメーラ村まで行くことにした。ローカルな鈍行列車なので数十キロを走るのに3時間くらいかかってしまったが、久しぶりの列車旅も悪くなかった。「世界の車窓から」のテーマを口ずさみながら、斜陽に照らされたルーマニアの丘陵風景を見ていた。
列車の中にもロマの子供たちがいたが、10歳以下の小さい子たちが好奇心たっぷりに我々の顔をジーッと見つめているのに対し、それ以上の歳だと、もう我々の腕時計(私は腰につけて服で隠しているけど)や荷物の方に感心があるらしい。
夜7時半、メーラ村に到着。駅から村の中心まで2キロほど歩かなくてはならなかったが、途中で村の学校の先生が車で拾ってくれたので助かった。
そして、いつも上藤さんが村に来るとお世話になるというハンガリー系の家族、ツツェギさんの家に我々3人とも泊まることになった。小さいお孫さんがいる家族だが、あいかわらず私は子供にだけは良くモテる。
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