旅の日記

ハンガリー編その4(2001年10月6〜11日)

2001年10月6日(土) 世界一美しいマクドナルド(A beautiful McDonald's)

 6日、ごり君がクロアチアに向けて出発してしまった。愛を誓いあった、私を置いて。
 「ごり君!土日は国境が閉まっているぞ!そしていつ何時、アメリカがクロアチアを空爆するかもしれん!」(ウソ八百の、引き止め工作」
 「冗談じゃないッス。俺はもう、ここを出るッス。今度はトルコで会いましょう」
 ごり君は以前、ここで1ヶ月も沈没していたことがあるのだ。いいかげん出発したいと思うのも、無理はない。
 ハーレー・スポーツスター1200につけたスーパートラップ管を轟かせ、彼は走り去っていった。・・・ごり君、また会おう。

 午後は鉄道のターミナル駅、「西駅」に隣接された「シティーセンター」 というショッピングモールに行ってみた。ブダペストでも最大級のモールで、ガラリ張りのモダンなビルには無数のブティックやらレストランやらが詰まっている。土曜日ということもあって、若者で溢れかえっていた。

 そしてその帰り、「世界一美しい」と噂されるマクドナルドを発見した。古いレンガづくりの西駅の一角で、あの黄色い「M」マークが無ければ、その重厚な外観からはとてもマクドナルドとは思えない。
 美しいのは外観ばかりでない。一歩足を踏み入れれば、そこはまるでベルサイユ。天井は高く、大きな窓から射し込む秋のやさしい陽射しが宮殿風の店内を包んでいた。そこらへんの客席で、モーツァルトとマリーアントワネット がビックマックをほおばりながら「オホホ」と笑っていても、なんの違和感もないような空間である。
 そしてマリーアントワネットは言うのだろう。「パンが無いなら、ポテトを食べなさい!」(これ、わかります?)

 しかし、美しさと快適さは必ずしも同居しない。やさしい秋の陽射しは良いが、空調が悪いために店内は蒸し暑い。コーヒーを飲みながら貴族ごっこでもしようと思ったが、そのために汗をかくほどでもないので、写真を撮っただけで退散した。
 結局、宿の近くのごくフツーのマクドナルドに入った。貴族の気分は味わえないが、ホットチョコレートを飲みながら村上春樹の「国境の南 太陽の西」を読んだ。この前は「ノルウェイの森」を読んだし、最近、春樹づいているのだ。


本日の走行距離           0キロ(計66129.3キロ)

出費                  740Ft   インターネット
     390Ft 昼食(ケバブ)
     1340Ft フロッピー、CD-Rディスク
     1800Ft テレホンカード
     830Ft 食材の買い物
     170Ft ホットチョコレート
計     5270Ft
(約2260円) 宿泊         テレザハウス
インターネット    Cyber Bridge Internet cafe


2001年10月7日(日) 戦争が始まった!(The war begun)

 テレザハウス名物「魔のロックアウト」も、日曜日にはない。この一日中部屋に居られるという権利を不良旅行者の私が放棄するはずもなく、今日はずっと部屋で日記を打っていた。
 そしたら、あっという間に夜になった。そして部屋に人が少なくて寂しいので、何気なくテレビをつけたら・・・ジョージが映っていた。ジョージといってもジョージ・ルーカスでもなければ、ハリスンでもない。はたまたジョージ秋山でもなければ、村上ショージでもない。ジョージ・W・ブッシュ、現アメリカ合衆国大統領である。

 ジョージは神妙な顔つきで語っていた。そして画面左下には「LIVE」の文字、ホワイトハウスからの生放送である。もしや・・・
 「これから数ヶ月の忍耐が、正義につながるだろう・・・」
 ひゃー!!!とうとう始まった!アメリカとイギリスの合同部隊によるアフガン攻撃が始まったのだ!

 宿のみんなとテレビにくぎ付けになる。ハンガリー時間ですでに夜だから、当地は深夜だろう。暗視カメラで捕らえた、緑っぽいカブールからの生映像が映った。湾岸戦争のときのような「劇的」な映像ではない。しかし、アメリカのミサイルは確実にアフガニスタンの首都で炸裂していた。

 軍事行動に出るなら(まあ、出ることは間違いないと思っていたが)、来月中旬に始まるラマダン(イスラムの断食月)の前か後か、どっちになるかが問題だったが、やはり前に持ってきたか。ラマダンの間に攻撃をはじめたり、続けたりしているとイスラム世界全体のヒンシュクをかうことは明らかなので、ブッシュは「数ヶ月の忍耐」と言ったが、その実この一ヶ月でケリをつけるつもりなのかもしれない。
 さて、私もそろそろ出発かと思っていたが、もう数日様子を見た方が賢明だろう。その間に戦局のゆくえが占えるかもしれない。


本日の走行距離           0キロ(計66129.3キロ)

出費                  680Ft   食材の買い物
     380Ft 昼食(ピザ)
計     1060Ft
(約450円) 宿泊         テレザハウス
インターネット    Cyber Bridge Internet cafe


2001年10月8〜9日(月、火) 中華市場と子供鉄道(Children's railway)

 8日は市川君と中華市場に行ってみた。中国人が露店を連ねているところで、中華食材でも仕入れようと思ったのだ。
 路面電車に揺られて市場に着くと、入り口にはデカデカと「四虎市場」という門が。チャイナな雰囲気ムーチョである。

 メキシコシティの泥棒市場「テピート」を彷彿とさせる規模の大きさで、狭い路地の両脇に並ぶ露店はどこまでも続くかのように思われた。どんな物が売られているか楽しみだったが、店主が中国人でも、必ずしも売っているものまで中華風ではなかった。安っぽい服や靴が中心で、あとはたまに偽ブランド家電や偽アーミーナイフ、インチキ腕時計などを並べた「どうでもいい屋さん」があるくらい。行けども行けども、我らが目的とした食材屋はない。

 食材屋はなくても、メシを食わせる店ならあった。ハンガリーに詳しい上藤さんから教わった店に行き、手打ちのラーメンを頼んだ。その名も「手工技面」、不ぞろいのうどん風の麺だったが、コシが強くてかめばかむほど美味かった。
 結局、市場で食材屋は見つからなかった。市場の入り口の前に豆腐や「出前一丁」を売る小さな露店があったくらいで、出発を明日に控えた市川君がちょっと買い物をしていた。

 そう、翌9日、市川君がテレザハウスを出発してしまった。彼はルーマニア、ブルガリアと南下してトルコに行くという。
 「市川君!ルーマニアとの国境は封鎖されたぞ!そしていつ何時、戦火がルーマニアまで広がるかもしれん」(うそ八百の、引き止め工作)
 「冗談じゃないッス。僕はもう、ここを出るッス。今度はトルコで会いましょう」
 と、土曜日にごり君と交わされた会話が繰り返され、市川君はDF200Eのエンジンをパタパタと響かせて一方通行の道を逆走していった。

 これでテレザハウスに残ったライダーは私一人。寂しくなったもんだ。
 私もいいかげん出た方が良いのだが、ひょっとしてバイクを置いてルーマニアに小旅行に行くかもしれないのだ。私一人の企画ではないので不確実だが、行くとしたら今週末なのだ。あと2、3日、その結果待ちをしなければならない。

 9日の午後はピオニール鉄道を乗りにいった。山がちな地形のブダ側を走る全長約12キロのミニ鉄道で、運転手を除けば10〜12歳の子供たちで運営されているのだ。
 メトロとトロリーを乗り継いで、ブダ郊外にある乗り場に到着した。一時間に一本の割合でしか鉄道は走らないが、運よく5分後に出る便があるという。140フォリント(60円)の切符を買い、2両編成のディーゼル列車に乗り込んだ。

 駅にいた少年たちは初々しく、カメラを向けたら緊張の趣きでポーズを取っていたが、発車前に検札に来た少女はずっと上級生なのだろう、すでに「オネーちゃん」としての貫禄十分、とても10代前半には見えなかった。
 「切符を見せてください・・・ハァ(ため息)」
 彼女の表情には、すでに毎日の繰り返しに疲労した影がある。まるで、お局OLが気だるそうに上司にお茶を入れるような感じだ。そこには初々しさも緊張もない。

 しかし、それはそれで面白かった。疲れた少女に改札してもらい、いざ、子供列車は出発。平日なので客は少なく、同じ車両には他に一組のカップルがいるだけだった。
 駅を出るとき、ホームの端で幼い少年と少女が敬礼をして我々を見送ってくれた。背筋をシャンと立て、緊張した顔で手袋をはめた右手をおでこにくっつけている。彼らもそのうち、日常に磨耗してくのだろうか・・・?
 念のため言っておくが、この鉄道、子供の虐待が目的ではない。教育の一環のようで、ここで働くことは子供として大変栄誉なことらしい。そんじゃそこらのクソガキでは、ピオニール鉄道の一員にはなれないのだ。

 走りだした列車は、運転も子供にまかせていいんじゃない?と思うほど遅かった。山の中の単線をエッチラオッチラ、ガッタンピッタンと進み、途中の無人駅を通りぬけ、ヤーノシュ山の展望台の駅に着いた。
 終点まで乗る予定だったが、顔にあたる心地よい風を除けば景色にも走り具合にも飽きてしまい、やっぱりここで降りることにした。半分弱の道のり、約6キロを走るのに要した時間は20分だった。

 駅を降りて、標高530メートルのヤーノシュ山山頂の展望台に上った。そこからはブダペスト市が一望でき、やや霞んではいたものの、国会議事堂やくさり橋が確認できた。
 ここに来て今週ではや3週間になろうとしている。アフガニスタン問題は長期化の構えで、何日待っても大きな動きはなさそうだ。ルーマニア行きがどうなるかにもよるが、今週中には出発し、次のクロアチアに下りたい。まだ暖かいものの、だんだん日が短くなってきているのがわかる。まっ昼間の太陽も傾いていて、午後3時ですでに黄昏モード。「はやく南に下れ」と、太陽まで言っているみたいだ。

 山頂から市内まで下るリフトがあるので、帰りはそれに乗った。そしてバス、メトロと乗り継いでテレザハウスに戻る。
 夜は、最近来た大学生が実は京大医学部ということが判明、「素朴な体の疑問・質問コーナー」が急遽、開催された。「糖分だけでは絶対太らない」「繊維を売り物にした健康飲料はビタミンまで洗い流してしまう」など、色んな話を聞いた。
 しかし彼、質問攻めになることが目に見えているので、普段は身分を明かさないらしい。そういえば、南米でも京大の医学生に会ったな・・・。


2日間の走行距離          0キロ(計66129.3キロ)

出費                  380Ft   インターネット
     2410Ft 飲食費
     1040Ft 交通費
     250Ft 新しいパンツ
計     4080Ft
(約1750円) 宿泊         テレザハウス
インターネット    Cyber Bridge Internet cafe


2001年10月10〜11日(水、木) ルーマニア行きを決める(Deciding do go to Romania)

 やっぱりルーマニアに行ってみることにした。
 もう8年もルーマニアに通い、ロマ(ジプシー)の人々の写真を取っている上藤さんというカメラマンがテレザハウスに来たのだが、彼によると今週末にメーラというハンガリーとの国境近くの村で祭りが行われるそうなのだ。ルーマニアといってもそこはハンガリー系の村なので、人種も言葉も一部のロマ人を除けば全てハンガリアン。したがって祭りもハンガリーの民族音楽や舞踊を中心としたものなのだが、本国でも見られないような「本場のハンガリー祭」なのだそうだ。

 上藤さんはもう何回もその祭りを経験しているが、今年はいつもと違うらしい。ハンガリーでも屈指の民族音楽バンドがコンサートを行うばかりか、特別ゲストとして、あのディープ・フォレストのボーカル、セバスチャン・マルタまで来るというのだ。(「あの」とか書いたが、実は私も名前くらいしか知らない。しかし民族音楽系では世界的なバンドで、全米チャートでトップになることもあるという)
 「今年は凄いですよ!こんな組み合わせ、ちょっと無いですよ!」上藤さんは、ただでさえ大きいどんぐり眼を見開いて、鼻の穴まで開いて興奮気味に言った。
 オーストリアに行って帰ってきた、グラフィックデザイナーの内田さんも行きたい言った。フォアグラを焼いてくれた料理人・村上さんは現在ルーマニアの首都ブカレストにいるのだが、彼も祭りに行くというメールが届いた。
  ルーマニアに行く予定は無かったので、こんな機会でもなければ今後も行くことはないだろう。よっしゃ、俺も行ってみよう!・・・と、ブダペストの夜景を見ながら決めた私だった。


2日間の走行距離          0キロ(計66129.3キロ)

出費                  830Ft   インターネット
     3700Ft 飲食費
     240Ft 封筒
     25000Ft テレザハウス21泊分
計     29770Ft
(約12760円) 宿泊         テレザハウス
インターネット    Cyber Bridge Internet cafe