旅の日記

ハンガリー編(2001年9月21〜25日)

2001年9月21日(金) テレザハウスに到着(A Japanese hostel in Budapest)

 ウィーンのキャンプ場を後にし、隣国ハンガリーの首都ブダペストを目指した。チェックアウトタイムの12時ギリギリに出たものの、距離にして200キロちょっと、陽の高いうちに着けると思っていた。

 しかし、まずウィーンを出るところでつまづいた。ブダペストに向かう高速道路は簡単にみつかるのだが、私は乗るのに必要なステッカーを買っていない。何とか一般道でブダペスト方面にウィーンを出ようと思うのだが、どうしても高速道路にぶつかってしまう。途中にあったインフォメーションセンターで道を聞いてみるが、お兄さんも高速道路を使った行き方しか知らない。
 さんざん迷った末に面倒くさくなった。警察に捕まらなければ、ステッカーがあったってなくったって一緒だ。ハンガリーまで50キロもないので、高速道路に乗ってしまった。

 ちょっと冷や冷やしたが、無事、ハンガリーとの国境に到着。
 さて、ハンガリーに入る前に余ったオーストリア通貨を処分しよう。オーストリア最後のガソリンスタンドに入り、余った硬貨分、金額にして100円ほどもなかったが、ガソリンを入れた。これはさすがに嫌がられるかな・・・と思ってレジに行ったが、事態はさらに重大だった。

 レジのオバさんはキレていた。「うちは、5リットル以上で無いと受けつけません!」・・・なるほど、給油機にも小さく、それらしき事がドイツ語で書いてある。だけど読めるわけないじゃん。
 「じゃ、どうすればいいのよ。もうシリングが無いのに」といったら、「国境にマネーチェンジがあるので、そこで換えて来なさい」とオバさんはいう。
 「えー、勘弁してよ。今からハンガリーに行くんだぜ」(大体、少量でも買っていることは確かなんだから、客だろう。5リットルって、スクーターだったらどうすんのよ。俺の持っていた「キャロット」、2、3リットルしか入らんぞ)
 ・・・粘った結果、オバさんは「じゃ、今回だけは大目に見ます。その硬貨を受け取ります!」と言った。しかしホッとしたのもつかの間、彼女は私の手から硬貨をもぎとり、なんと!そのままゴミ箱に投げ捨てた。まるで「こんな金額、クソの役にもたたない」と言うように。

 あったまきた!!てめえ、お金を大切に扱わないとバチあたるぞ!オープリーズ神様、彼女にバチを与えたまえ・・・。金額が金額なのでこっちもそれ以上なにも言えず、ムカムカしながらガソリンスタンドを後にしたが、あー、今考えてもムカつく。
 しかもシェルのスタンドじゃん!俺はなあ、シェルのスタンドでバイトしてたことあるんだぞ!それはそれは客にペコペコしながら・・・。

 国境は混んでいたが、手続きはスムーズだった。ヘルメットを取ることも荷物を調べられることもなし。そして久々に新しい国、46カ国目ハンガリーに入国。
 ハンガリーの高速道路もステッカーが必要だが、料金をみると1ヶ月で5ドル程度。お、それなら買おう、と国境で買い、バイクに貼って高速道路を走るが・・・途中のチェックゲートで私の買ったステッカーは1ヵ月ではなく、1週間の有効であることが判明した。しまった!どおりで安いと思った。1週間はブダペストに滞在する予定なので、高速道路を使うのはこのオーストリアとの国境〜ブダペスト間、わずか200キロだ。かえって高くついてしまった。

 しかし、おかげでアッという間にブダペスト到着。さー、ブダペストに数軒ある日本人宿の一つ、「テレザハウス」に行くべし。ここだけがバイクを安心して置けるという情報を得たのだ。
 ドナウ川の両側にあった「ブダ」と「ペスト」という二つの街が合体したブダペストは、いまやウィーンを凌ぐ大都会(厳密にいうとブダも新ブダと旧ブダにわかれていたらしい)。しかし、はーれーごり君にもらっていた市内地図のおかげで、テレザハウスがあるという地点はすぐに見つかった。

 しかし、肝心のテレザハウスがみつからない。もともと南米チリで「カワシマ艦長」に地図に印をつけてもらい、はーれーごり君にも確認してもらった地点なのだが・・・何しろ、住所も電話番号も知らないので自力で見つけない事にはどうしようもない。
 さんざん歩きまわり、近くの商店に入って聞いたりしたが、それでも見付からないし、誰も知らない。これはインターネットで調べよう、検索したら誰かのHPに住所だけでも載っているかもしれない、と思って一軒のインターネットカフェに入ったら、そこの店員の中東風のお兄さんが「テレザハウス?俺、そこに住んでたぜ」と言うではないか!
 彼に正確な場所を教えてもらったが・・・おおい!カワシマ艦長!そしてごり君!思いっきり大通りの反対側じゃないの。どおりで見付からないはずだわ。

 そんなこんなで暗くなる直前、ようやく「テレザハウス」に到着。テレザという名物おばちゃんがやっていた宿だが、今は亡き人となってしまったので、その息子さんがやっている。
 宿というよりはアパートの一角、二部屋の民家にベッドを10床ほど詰めこんだだけのつくりなので、「友達の家で飲み会をやって、そのままみんなでザコ寝」の人口密度に近い。トイレ/シャワーは一つだけ、キッチンもオーナー不在時しか使えなく、午後1時から5時までは掃除のためロックアウトされるという欠点があるが、情報ノートも日本語の本もあるし、何より日本人の旅行者と会えて中庭にバイクも置ける。

 久々の日本人宿、みなさんは温かく私を迎えてくれた。ちなみに正確にいうと日本人宿ではなく、他の国の旅行者もけっこう泊まるみたいで、今回もスペイン人のお兄さんが一人いた。調子こいてスペイン語で話かけたら、えらい早口で返されたので、結局英語に切り替えてしまった。情けなや。
 夕食は近くの中華で食べたが、さすがにハンガリー、物価が安い。うーん、歯を治す予定もあるし、大沈没の予感がするぞ・・・。


本日の走行距離       314.2キロ(計66129.3キロ)

出費                  216S   キャンプ場2泊分
     203S  ガソリン
     48S  パン
     8S   問題のガソリン代
     1400Ft  高速道路1週間券
     710Ft  夕食(中華)
計     475S
(約3800円)      2110Ft(1ドル=約280フォリント、約900円) 宿泊         テレザハウス


2001年9月22〜23日(土、日) ブダペストを歩く(Seeing Budapest)

 気付いたら週末。
 週末でも24時間やっているという「ノンストップ歯医者」もあるらしいが、若干あやしいので歯医者探しは月曜日からにしよう。土曜日は天気もよく、汗ばむほどの陽気だったのでブダペストを観光した。

 まずはドナウ川を渡り、見所の集まるブダ側の「王宮の丘」へ。ブダとペストを最初に結んだという「くさり橋」は、それ自体が観光の対象となる歴史的な建築物だった。
 丘のふもとにつき、上まで登るケーブルカーに乗ろうかと思ったが、映画撮影のために運休中らしい。仕方ないので汗をかきながら歩いて登ったが、歩いて汗をかくなど、いつぶりだろう。

 王宮の丘には、今や博物館となっている王宮、白い塔がまぶしいマーチャーシュ教会、そして「漁夫の砦」などがあり、ブダペスト一の観光スポットとなっている。車道には所狭しと観光バスが並び、歩道には年配の団体旅行者が並んでいた。けっこうな混雑ぶりである。

 一軒のカフェに入ってビールとホットサンドを注文したが、ホットサンドが待てど暮らせど来ない。文句を言ったら、ウェイトレスがていねいに謝って持ってきた。悪い気はしなかった。

 王宮の丘を一通り回り、そのまま歩いてペスト側に戻った。宮殿のように豪華な国会議事堂やヨーロッパ最大のジナゴーグ(ユダヤ教会)などと回り、夕方5時にテレザハウスに戻るころにはすっかり疲れていた。距離にして5、6キロだと思うが、久しぶりに歩いたら予想以上に疲労した。
 観光名所も素晴らしいが、ブダペストはそこらへんのビルも威厳にあふれ、街全体が歴史を感じさせる。そしてウィーンなどより雑然としており、それがまた活気を感じさせるのだ。結構この街が好きになった。

 翌日は日曜日、さすがに商店も閉めているところが多く、天気も悪かった。ふだんは午後1時から5時まで掃除のために部屋を出なければならないのだが、日曜日はその限りではないそうで、午後までテレザハウスでゆっくりとしていた。

 午後2時ごろ、昨日王宮の丘のふもとでみつけたショッピングモールに映画を見に行った。「新・猿の惑星」や「ジュラシックパーク3」など人気のある作品はハンガリー語(マジャル語)への吹き替えになっているが、若者向けのアーティスティックな作品は英語のままらしい。
 ジョニー・ディップの「ブロウ」が英語のままなので、それを見たが、一緒に見に行った若い旅行者と二人して気に入った。70〜80年代に「活躍」したアメリカの麻薬ブローカーの実話だが、やっぱりジョニー・デップは格好良かった。
 看板を良く見たら、「パール・ハーバー」も英語でやっていた。日本版では日本兵の残虐なシーンなどがカットされているそうなので、せっかくだから今度、ノーカット版を見てみよう。


2日間の走行距離          0キロ(計66129.3キロ)

出費                 1250Ft   インターネット
     4530Ft 暴飲暴食費
     650Ft 映画
計     6430Ft
(約2760円) 宿泊         テレザハウス
インターネット    Cyber Bridge Internet cafe


2001年9月24〜25日(月、火) 前歯の治療を開始(Going to a dentist)

 月曜日の朝、テレザハウスにイタリア人のおじさんがチェックインした。彼も歯の治療のためにやってきたという。なるほど、そう話す口には前歯がまったく無い。ハンガリーの歯医者のウワサはイタリアまで届いていたのだ。

 私も悠長にしてはいられないので、早速その午後、宿の情報ノートに載っていた歯医者に行って見た。しかし予約で一杯で、診てもらえるのは一番早くて木曜日だという。一応予約は入れたが・・・それじゃ遅いなあ。
 帰りに宿のオーナーが教えてくれた歯医者に寄って見たが、これが正解。さっきの歯医者より大型で設備も充実、歯医者さんも複数人いて、「歯医者」というよりは「歯科医院」。一時間ほど待たされたが、無事、キレイな女医さんに診てもらえた。
 今度の水曜日に歯科技工士に型をとってもらって、その1週間後には新しい前歯ができるらしい。保険も何もなしだが、全部で25000フォリント程度(約1万円ちょっと)だという。ウワサ通りの安さだ。今日の診察料も、レントゲン撮影込みでたったの1300フォリント(約550円)だった。

 ハンガリーは世界3大珍味のひとつフォアグラが安いそうなので、月曜日の夕食に宿のみんなで食べてみることになった。
 近所のスーパーにはフォアグラが無かったので、観光がてら中央市場まで買いに行く事に。最近改装されたという整然とした大きい市場の中を歩いていくと・・・ガチョウのマークの肉屋があった。間違いない、フォアグラ屋さんだ。

 フォアグラなど今まで見たことも食べたこともないので、はたして店頭に並ぶ白いチーズのような、豆腐のようなカタマリが本当にそうなのか分からないが、値札には確かに「リバマイ」(マジャル語でフォアグラ)とある。
 しかし、高い。キロ4800フォリント(2000円強)は、さすがに貧乏旅行者には手が出ない。一緒に買いにいった村上さんとウーンとうなっていると・・・裏の店にキロ800のフォアグラを発見。4800のとは色もカタチも全くの別物で、見た感じはフツーのレバーだが、これはロースト用のフォアグラらしい。フォアグラには違いがないので、値段に負けて6人分1キロを購入。

 そして夜、宿のオーナー不在の間にフォアグラパーティ開催。
 料理が得意な坊主頭の村上さんに腕を振るってもらい、できあがったフォアグラのソテーはどうみてもレバーだが・・・食べてもレバーだった。
 しかしメチャクチャうまい。安っぽいレバーのようなパサパサ、モソモソ感が全くなく、とってもジューシー。それでいて表面はカリっと香ばしく、絞ったレモン汁によく合う。これは鉄人の絶妙なフライパン加減によるところが大きい。
 果たしてこれがみんなの言うフォアグラなのかどうか分からないが、とりあえずとってもおいしいレバーではあった。(ま、どちらも肝臓だけど)

 翌火曜日は、散髪にいった。モロッコ以来、3ヵ月以上も切っていなかったので、エリ足あたりが大分うっとおしくなってきたのだ。床屋のおばちゃんとは言葉らしい言葉のやりとりは一度もなかったが、適当にジェスチャーでお願いして、適当な髪型になった。これで1500フォリント(約650円)なら、十分に安い。
 その後は今年末に期限の切れる国際学生証を更新に行ったが、10月以降でないと来年末までのものはくれないらしい。来週に出直しだ。

 そろそろ日本に一時帰国しているはーれーごり君がドイツに帰ってくるころだ。彼もネパールまでアジアを横断する予定だったが、今後どうするのだろう。いずれにしても、近々ここで再会する予定だ。


2日間の走行距離          0キロ(計66129.3キロ)

出費                 1250Ft   インターネット
     4530Ft 暴飲暴食費
     650Ft 映画
計     6430Ft
(約2760円) 宿泊         テレザハウス
インターネット    Cyber Bridge Internet cafe