いよいよ村田さんに会う日になった。ちょうど1週間お世話になったトニーの家を出発するが、本人はいないのでお礼の置手紙をした。
ドイツのシュトゥットガルトまでは200キロちょっと。余裕で着けると思いきや、今日も土砂降り。濡れて走るのはもう慣れたが、最近はそれに寒さが加わる。アウトバーンのサービスエリアでガタガタ震えていたら、車に乗った若いカップルがやってきて「寒いのだったら、これから友達の家に行って朝食を食べるので、一緒に来ないか」と言ってくれた。約束があるので丁重に断ったが、その言葉だけで温かくなった。
昼過ぎにシュトゥットガルト到着。事前に場所を調べていたユースホステルにチェックインし、さっそく村田さんに電話。中央駅前のインフォメーションセンターで待ち合わせをした。
そして約30分後、初対面した村田さんは人懐っこい笑顔の関西人だった。ニカっと笑うときにのぞく白い歯がまぶしい・・・というか、その前歯、一本ください。
冗談はさておき、村田さんはすんごい旅人である。
愛車SR400で日本を出て6年目。北南米を縦断後、ヨーロッパへ渡り、そこからアフリカへ南下。西アフリカ、南〜中央アフリカ(国境が開いたばかりのコンゴも走破!)と走り、そしてエジプトまで大陸を縦断。今はドイツに戻って来年のユーラシア横断に向け、日本食レストランで働いている。
もはやメーターが無いので正確な走行距離はわからないが、15万キロには達しているはずだという。見てのとおりSRというのはオンロードバイク、しかもアフリカの前半は彼女を乗せての二人乗りだったのだ。これがすごくなくて、何がすごいの?
そして村田さんは私より若い。学校を卒業後、1年しか資金準備をしなかったので世界各地でアルバイトをする必要があったが、それもかけがえのない旅の一部なのだ。
私は日本で5年以上もみっちりと蓄えたので資金に困る事が無いが、悲しいかなジャパニーズサラリーマン根性も身についてしまった。(おかげで外面だけはいいです)
また、特筆すべきなのは、彼は世界一周する気など全く無かったということ。
「エクアドルが好きなので行ってみよう。そしてどうせ行くなら、好きなバイクで行ってみよう」が全てのはじまりだったのだ。そして南米エクアドルに着くと、「日本に帰るのなら、ヨーロッパを通って帰った方が安いのかも」とヨーロッパ行きを決意。その後もどんどんエスカレートし、「暗黒大陸」を縦横無尽に走るまでに至った。
旅の局面ごとに大きな決断をし、そして実行する険しい道を自ら切り開いてきたのだ。心配性で、すべてのことをキチッと準備しないと恐くて前に進めないドコゾのDRライダーとは違うのだ。
しかし、私との共通点もある。彼も細いのだ。
体重を聞くと、私とほぼ一緒。私は将来、体の細い華奢なライダーばかりのクラブ「キャシャーンズ」を結成し、ガタイのいいライダーたちに対抗するつもりだが、ぜひ村田さんも迎え入れたい。ちなみに今のところ、東海地方の某花屋で働いているY氏、某海外ライダーご用達のホームページを作ったN氏を勝手にメンバーと認識している。イトケンやはーれーごり君は、どう逆立ちしたって入れてあげません!
話を戻そう。
村田さんの休日が日曜日なので、今までメールや電話で連絡をとり、今日の日に会う事を約束していたのだ。(ちなみに上記N氏のホームページで彼がシュトゥットガルトにいることは知った)
午後は彼の部屋で、アフリカの写真や地図を見せてもらって過ごした。
例のテロ事件のおかげでアジア横断が無理そうだと言うと、「青山さん、アフリカ帰りの俺が言います。一刻も早く、アフリカに行って下さい!」・・・太字にしてしまうほど、重みのある言葉。
うーん・・・実は私も最近、アフリカ行きを意識しはじめてしまったのである。他のどの大陸よりもはるかに難易度が高く、しかしその分、忘れ得ぬ旅となるアフリカンツーリング。いけないいけない、と思いながらも経験者の話や写真、そして地図を見たりすると・・・淡い夢が具体化してしまうなあ。
村田さんが休みでも彼の働く店は今日もやっているので、夜はすっかり日本食をごちそうになってしまった。おでんにお寿司、焼魚・・・約半年ぶりのジャパニーズゴチソウは舌と五臓六腑と心に染みわたった。
貯蓄中の村田さんのために自分の分だけでも勘定を持ちたかったが、快男児の彼が申し入れを受け入れるはずも無かった。(ちなみに私は彼が酒を飲めないと知らず、一緒に飲もうと一方的にウイスキーを買って行ってしまった。結果、一人で飲む私←いいところまるでナシ)
村田さん、本当にごちそうさまでした・・・。
さて、村田さんに会って、いよいよ考える事となった。暗黒大陸、行くべきか、行かざるべきか・・・。(この前行ったモロッコは、アフリカに入らないでしょ!?)
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