旅の日記

スイス編その3(2001年9月10〜15日)

2001年9月10〜11日(月、火) ふるさとが燃えている!(My birth place is burning!)

 土曜日に仕事をしたトニーは月曜日に休みをとり、いろいろと私につきあってくれた。
 まず私の愛車を、以前フロントタイヤを交換した大きなバイク屋に持って行った。前回トニーの家にお世話になったとき、彼の友達のアマチュアメカニックがオイル交換をしてくれたのだが、ドレンボルトとオイルフィルターキャップのボルトを強く締めすぎて破損してしまったのだ。
 口ヒゲのしぶい店長曰く、ネジ山など簡単に再生できるのでノープロブレムだという。他に何かないかというので、ついでにブレーキ液も換えてもらうことにした。考えてみればメキシコ以来、約50000キロ無交換(!)なのだ。

 夕方になってバイクを受け取りにいくが、店長が「フロントフォークにガタが来ている」という。なるほどセンタースタンドに立ててフォークを揺さぶってみると、前後に若干動く。「フィッティング(スライドメタルのことか?)」を換えないと、この先、遠くないうちにオイルシールがまた破れる恐れがあるらしい。部品は今日注文すれば明後日には届き、作業ができるというので、この際、本格的に東に向かう前にお願いすることにした。
 明後日にまた走ってくるのが面倒なので、バイクはそのまま彼のところに預けた。

 翌火曜日、トニーが仕事をしている間、私もリトアニアの雑誌に送る英語の原稿書きを本格的に始めた。どうせニュースキャスターのアグレさんがリトアニア語に訳すので、気の効いた表現を使う必要はないが、「4000字でリトアニアまでの道のり、印象的なだった国のことを述べよ」・・・なかなか難しい。いざ書き始めると、英語で4000字なんてアッという間だ。とりあえずダーッと書いて、あとで削ろう。

 午後になってトニーが帰ってきて、私を行きつけの歯医者に連れて行ってくれた。ドイツで取れた前歯を治すためである。
 簡単な作業なのでタダでやってくれたが、歯医者によると、さし歯を固定する金属の根元がダメになってきていて、そのうちまた取れるだろうという。根元、さし歯とも作りなおす必要があるらしい・・・保険に入ってから日本で治すか、やっぱりハンガリーのブダペストで治そうかなあ。
 そう、ブダペストの歯医者は腕が良く、治療費も安いと旅行者の間で評判なのだ。中には日本に帰る前、わざわざブダペストに寄って歯を治す人もいるらしい。トニーもその事をよく知っていて、「俺も大がかりな歯の治療が必要なら、ブダペストに行くね」と言っていた。

 そして家に帰ってきてテレビをつけたら、腰を抜かした。何じゃこりゃー!わが生まれ故郷、NYが燃えているではないか!

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 イスラム過激派が4機の旅客機をハイジャックして、うち2機が世界貿易センタービル、うち1機がペンタゴンに突っ込んだって・・・こんなに「効果的」なテロが、歴史上あっただろうか?
 他ならぬペンタゴンだぜ、米国国防省!これが戦争だったら、絶対に手の届かない相手だ。テロという奇襲攻撃が100パーセントの効果を発揮したわけだ。
 ブッシュ大統領はTV演説で、「彼らはアメリカ国民を恐怖に陥れる事に失敗した。我々の威厳は揺るがない」と語ったが・・・CNNの世論調査によると、真珠湾攻撃を知っている世代を含め、半数以上の人が「人生で最大のニュースだ」と語っているという。

 「自分の問題も解決できないくせに、他人のことばかりに口を出す」アメリカが嫌いなトニーは、「これでやつらもヒロシマ、ナガサキの人々の痛みが少しは分かっただろう」と言ったが・・・あのー、犠牲者の中に日本人もかなり含まれると思うんだけど・・・。

 とにかく、旅客機が世界貿易センタービルに突っ込む瞬間の映像は、本当にぶったまげた。こりゃ、戦争だよ。今後、この事件がどう私の旅に影響するだろうか・・・?原油価格は高騰するだろうし、私はイランを抜ける予定なのだ。イスラム世界vsアメリカの本格的戦争、勃発か?
 今後、アメリカがどう対応していくかによるな・・・。

  ポーランドでトレブリンカやアウシュビッツの強制収容所跡を見たばかりの私は、ちょうど「あの戦争はまだ終わっていない」と考えていたところだ。ナチスのユダヤ人に対する憎悪は、そのままパレスチナ人に受け継がれ、問題は何一つ解決されていないように見える。
 イスラム原理主義は、中東戦争でユダヤ国家(イスラエル)に敗北したことから生まれた。「偉大なるアラーのご加護があるはずなのに、なぜ負けたのだろう?」・・・考えた彼らは、一つの結論に達した。「アラーは御怒りなのだ。我々が古い教えに従わず、堕落したから試練を与えたもうたのだ。我々は西洋化、近代化してはならぬ。古き良き時代のように、ジハード(聖戦)に身を捧げるべきなのだ・・・」

 彼らの行為は断じて許すべきではないし、どうやっても正当化できるものではない。しかし、「彼らは狂ったテロリストだ」と片付ける前に、なぜ彼らは狂ったのか、何がそうさせたのか、我々は考える必要がある。さもなくば、感情に身を任せたこの民族間の争いは、何世紀たっても解決しないだろう。
 などとエラソーなことを考えながら、トニーとテレビに釘づけになる私であった。


2日間の走行距離       19.5キロ(計64426.6キロ)

出費                     0SF   
計    
0SF 宿泊         トニーの家
インターネット    トニーの家


2001年9月12〜14日(水〜金) トニー家で居候(Life in lake Bodensee with Tony)

 バイクの事とか原稿の事とかがあるので、今週いっぱいはトニーの家に厄介になることにした。トニーも「中東なんかに行かずに、ここでずっと家の面倒を見てくれ」と言ってくれたし・・・。
 ちなみにトニー、食事のあとはすぐソファーに横になり、腹を出してテレビを見始める。「日本では、食べてすぐ横になると牛になるっていうんだよ」と言ったら、「そうかそうか、じゃ俺は雄牛だ。モーモー」と言って、寝始めた。あいかわらず面白いオヤジだ・・・。

 12日は英語の原稿を書いて過ごし、夕方にバイクを取りに言った。フロントフォークのオーバーホール、前後ブレーキ液交換、破損したネジ山の再生、部品代込みで388スイスフラン(約27000円)。ひい〜!痛い臨時出費だが、こんなもんか。やっぱり工賃が高いけど、細かいところまで見てくれたあとがある。たとえばクラッチワイヤーや動きの渋かったサイドスタンドにも、油がさしてあるのだ。
 本当は自分でやった方がいいんだけど、フォークをバラすには特殊な工具が必要で、たいへん面倒なのである。

 13日は調子の戻ったバイクでドイツのフュッセンに行って見た。あのジグソーパズルやポスターで有名な「ノイシュヴァンシュタイン城」(新白鳥城)がある所で、トニーの家からは片道150キロほどの日帰りツーリング。

 天候はまずまず、雨に降られないだけいいか。ニュルンベルグのステファンの家に向かった時みたいにBodensee湖を迂回し、オーストリアを抜けてドイツに入国。そこからは田舎のアウトバーンを東へ。荷物がないので気持ち良く飛ばせる。

 午後1時ごろに到着したが、天気がよくないのと、あまりにも観光地!って感じで正直言ってあまりパッとしない。城に入るのにはチケットが必要だが、その料金よりも「30分おきのガイド付きツアーでしか見学できません。内部での写真撮影は禁止」というのが私の好奇心をそいだ。綺麗は綺麗なんだけどね・・・。
 外から見るだけで十分、と城を見下ろす高台にバスで上ってから、昼食を食べて帰ることにした。

 Bodensee湖まで戻り、トニーが住むスイス側のゴルダーの対岸に位置するリンダウ(Lindau)に寄って見た。
 湖に張り出した小島にある、石畳のかわいい町。私は雨の中を荷物満載のバイクで走るのでなければ、石畳の町は好きだ。すでに夕方になっていたのであまりゆっくりできなかったが、中世の狭い路地を歩きまわった。
 うん、フュッセンよりずっといいぞ。生活のニオイもあるし。

 翌14日は、朝から何か疲れていた。昨日バイクで走ったからだろうか?
 朝食を食べたら疲れたので、昼まで昼寝(なんじゃそりゃ!)、そして午後も近くの町まで散歩したら疲れたので、夕方まで昼寝してしまった。
 夜になってトニーが帰ってきて、娘のガブリエラの家に行ってはビールを飲み、帰りにバーに寄ってはビールを飲み、帰ってきてもワインも飲んだ。
 最後はリビングのソファーでいびきをかき始めたので、起こしてベッドに行くよう促したら、「まだ眠たくないもん」とイヤイヤをした。お前は子どもか・・・!?


3日間の走行距離      301.4キロ(計64728キロ)

出費                  13.5SF  ビール1ケース
     6.2SF  バーでのビール代
     387.6SF  バイク整備代
     23.8SF  食材の買物
     3.5DM  バス代
     16DM  スパゲティ
計     431.1
SF(約30430円)
    
19.5DM(1ドル=約2.2マルク、約1060円) 宿泊         トニーの家
インターネット    トニーの家


2001年9月15日(土) アジア横断できるの!?(CAN I cross Asia?)

 本当は今朝、週末をドイツで過ごす予定のトニーと一緒に出発して、村田さんの待つドイツのシュトゥットガルトに向かう予定だったが、昨日飲み過ぎて頭が痛いので、もう一泊させてもらうことにした。(村田さんという人が何者なのかは、明日の日記を待つべし)
 なんてずうすうしい居候だろう。

 午前11時ごろ、トニーが愛車GSX‐1100F(あのフロントスクリーンが電動で動くやつ)で出発する時間になったが、荷物をゴムひもで固定しようとしてバランスを崩し、バイクを倒してしまった。トニーは逆ギレ、「なんで倒れんだ、シット!ファック!」(トニーは汚い言葉が大好き)と大騒ぎ。バイクは私の上に倒れ、足首がリッターバイクの下敷きになったが・・・大丈夫だった。
 電動スクリーンが割れてしまい、ガムテープで固定したが、ドイツに入ればアウトバーンで時速200キロ以上出す彼だから、たぶん飛んで行ってしまうだろう。

 そんな訳で、午後は家主のいないトニーのマンションでヌクヌク過ごす私。はーれーごり君から借りた「アルケミスト」(ナマステライダーズのバイブルらしい)を読みながらテレビをつけていたら・・・あ〜あ、恐れていた事が。
 アメリカがパキスタンに協力を要請、パキスタンを拠点にしてアフガニスタンを空爆するつもりらしい。それを受けて、アフガニスタン側も「やられたら、たとえ近隣諸国だとしてもやり返す」とやる気マンマンを表明。アフガニスタン、パキスタンが戦場になる可能性が高くなった。アフガニスタンに残っていたわずかな邦人はもちろん、在パキスタンの邦人も国外脱出をはじめたらしい。
 このままじゃ、パキスタンを通ってネパールまで行けないよ・・・どうしよう?

 「アルケミスト」風にいえば今回の事件、そしてこのタイミングで明日、村田さんに会う事は、アジア横断をあきらめ、別の道を進むよう運命が導いているのだろう。そしてその「別の道」とは・・・まだナイショ。だって、まだ決まったわけじゃないから。

 そして今日、この前治してもらったばかりの前歯がまた取れた。こりゃ、いよいよ作りなおさなきゃならないみたいだ。ブダペストでそんなに時間があるかな?(アジア横断が果たせないのなら、もう時間は関係ないけど)


本日の走行距離            0キロ(計64728キロ)

出費                     0SF
計     0
SF 宿泊         トニーの家
インターネット    トニーの家