旅の日記

ドイツ編その3(2001年9月2〜6日)

2001年9月2日(日) 「ナマステライダーズ」の夜(Making a motorcyclist club)

 プラハを出発する段になって、ようやく晴れた。心情的には悔しいが、雨の中を出発するよりははるかに良い。

 バイクのエンジンをかけてみるが、恐れていた通りバッテリーがアガり気味だ。何せ3年10ヵ月、7万キロ無交換、完全にアゲてしまったこと過去2回・・・。最近、朝一発目のセルモーターの回りがいやに弱々しいのだ。しかもプラハでは丸2日間エンジンをかけず、雨の中に放置しておいたから・・・。
 キュル・・・キュル・・・グルグル・・・セルの断絶魔が尽きようとしたとき、最後の最後でようやくエンジンが目を覚ました。はー、良かった。
 いいかげん交換時期なのだが、近々再会する予定のニュルンベルグのステファンに新しいバッテリーを用意してもらっているのだ。そこまで頑張って持たせなければならない。

 エンジンも無事かかったし、いざ出発!とアクセルを開けたら、雨でぬかるんだ土で思いっきりリアタイヤが滑り、DRは90度回転してドテッ・・・。近くのキャンピングガーのおじさんがバイクを起こすのを手伝ってくれた。
 この完全にオンロード寄りのリアタイヤも、使用6000キロでもう交換時期が来ているのだ。ノルウェーで150ドルもしたのに・・・今までのタイヤの中で一番コストパフォーマンスが悪いかもしれない。

 ようやくキャンプ場を出発。インターネットカフェに寄ってHPを更新してから、ドイツとの国境を目指して北に向かった。次の目的地は「はーれーごり」君の待つドイツの首都ベルリンだ。

 プラハからドイツまでは100キロほどだが、国境の手前で面白いものを見た。チェコ最後の町Tepliceから峠の国境までの間、道沿いにハデな格好をした女性たちがゾロゾロと並んでいて、声援を送ってくれるのだ。そう、彼女たちは売春婦のオネー様、オバ様たちである。
 チェコは売春が合法で、首都プラハにもその類の店は多い。相場が西欧より安いので、主に隣国ドイツからのお客様が多いとか。従ってドイツとの国境付近にも店や女性が集まるのだ。
 有名なオランダ、アムステルダムの「飾り窓」通りを見たことがないので比較できないが、この街道沿いの花町の規模も相当にすごいぞ。このルートは・・・「お姉ちゃん街道」と名づけよう。

 国境を越え、3度目のドイツ入国。国境からベルリンまで距離があるが、そこはドイツ、アウトバーンを飛ばしたらあっという間にベルリンに到着した。

 ごり君はフランクという友達の家にいるはずで、着いたら彼の携帯電話に電話することになっていたのだが、なかなか捕まらない。仕方ないので、ベルリンの市内観光をしながら何度も電話をかけることになった。

 ベルリン・・・さすがに大都会。そしてただ大きいだけではなく、古い建物の迫力が違う。戦勝記念塔、ベルリン大聖堂・・・まさに「第3帝国の夢の跡」といった感じ。質実剛健なゴツい街、プラハとは大違いだ。

 ベルリンといえば東西ドイツを分けていた「ベルリンの壁」が有名だが、その中心となっていた「ブランデンブルグ門」にも行って見た。
 分裂時代には近づく事すらできなかった門だが、壁が崩壊した瞬間、ここに多くの市民が集まった。テレビでよくみる歴史的シーンの映像、その舞台となったところだ。
 しかし現在、門は修復中でビニールシートで覆われていた。とても残念。

 門の前の公衆電話からようやくごり君が捕まった。私がフランクの家に泊まるのは難しいが、代わりに昨日出会ったばかりのハーレー乗りを紹介してくれるという。やれやれ、これで一安心。すでに夕方の6時、小雨も降ってきて、今から宿を探すとすれば大変だ。

 とりあえずごり君に会うため、門の東側にあるフランクの家を目指すが・・・旧東ドイツのエリアに入ったとたん、街並みの変化に目を見張った。古い建物は西側と一緒に見えるが、共産圏だった時代に建てられたビルが、いかにも「社会主義!」といった感じでそびえているのだ。何の飾り気もない、直線のみで構成されたデザイン。壁には配管がむき出しで這っており、「32」とか「33」とか大きな番号が書かれている。
 統一してからすでに10年がたち、ベルリンの壁はすでに過去のものだが、それでも東西の違いはまだ体感することができる。

 無事、通りまで迎えに来てくれたごり君と再会、そのままフランクの家に行ったが、彼の家に私が泊まれない理由がすぐに分かった。
 フランクはまだ21歳の大学生、ごり君とは旅行先のグアテマラ、アンティグアの安宿「レフヒオ」で出会った。大学で日本語を学んでいるので、カタコトなら日本語が話せ、そして今回、一時帰国するごり君と一緒に初めて日本を訪れる予定だった。
 しかし最近、自転車で事故に遭い、ヒザの靭帯を損傷。日本行きが中止になったばかりでなく、そんなこととは露とも思わぬごり君が「ベルリンに来たら俺の友達のところに泊まれるよ」とブタペストで会った友達に言ってしまったので、杖なしでは歩けないケガ人の家に、すでにごり君を含めて3人の居候が・・・。
 フランクのアパートは一人暮しには十分すぎる大きさだが、すでに満員の日本人宿の様相を呈していた。

 そんなわけで、ごり君は昨日出会ったばかりのハーレー乗り、マリオ(33歳)に私を泊めてくれるよう話をつけてくれたのだ。しかし、フランクの家まで私を迎えに来てくれたジャン・レノ似のマリオによると、彼の家も小さい子どもがいたりして無理なので、私は独身である彼のお兄さん・インゴの家に泊まる事になったそうだ。
 ・・・すごい話になってきたぞ。友達の、昨日会ったばかりの友達の、そのまたお兄さんの家に居候・・・。さすがにワイルドなハーレー乗りのごり君。自分の気づかない間にベルリンに旋風を巻き起こしているぞ。

 とりあえずインゴの家に移動する前に食事でも、ということになり、マリオ、インゴ、フランク、彼の友達たまよさん、ごり君、彼の友達でフランクの家にお世話になっている「みよみよ」、野中さん、そして私という全く訳のわからん組み合わせでカフェに行き、 ビールを飲んで盛りあがった。
 ううーん、これ全て、ごり君が中心なのだ。さすが「ナマステライダーズ」会長、よく言えば「超フレンドリー」、悪く言えば「まったく考えなし」。でも、素晴らしい!

 カフェでたらふく食って飲んだあと、マリオとインゴ、私とごり君の4人がインゴのアパートに行った。帰りにまたビールを買ったので、アパートでもビール飲みっぱなし。マリオは英語がカタコト、インゴに至っては全く話せないが、そんなことは気にしてはいけない。ガンガン飲んで、結局ごり君もそのままインゴの所に泊まることになった。

 マリオが自分の家に帰り、インゴが寝たあと、私とごり君は「ナマステライダーズ」結団式を行った。この「ナマステライダーズ」はごり君がかつてインドに行ったときに一人で作ったモーターサイクリストクラブだが、その後メンバーが増える事はなかった。(別に本気でメンバー増やす気は無く、冗談で一人でやっていた)
 しかし、私はごり君のツーリング哲学がたいへんよろしいと思うので、その「ナマステライダーズ」のメンバーに「なってあげる」ことにしたのだ。ここにメンバーわずか2人、だけどバイクと旅をこよなく愛するクラブ「ナマステライダーズ」結成!

 「寝る前には歯を磨こう」「可愛い子には優しくしよう」など、ナマステライダーズの掟を作ろうとしたが、そんなもん作ること自体がバカらしいので、やっぱりやめにした。ごり君によると、メンバーになるためにはガンジス川で沐浴しないとダメだそうだが(彼はやった)、私は体が弱いのでかんべんしてもらうことにした。
 そんなこんなですっかり酔っ払い、前後不覚になって見た夢は・・・別にはるかガンジス川の夢というわけでもなかった。


本日の走行距離       369.4キロ(計62483キロ)

出費                   690Kc   プラハのキャンプ場2泊
     309Kc  ガソリン
     55Kc  インターネット
     120Kc  昼食(カツレツ)
     100DM  夕食、ビール代など
計     1174Kc(約3710円      100DM(1ドル=約2.2マルク、約5450円
宿泊         インゴの家


2001年9月3日(月) ハーレードクター(Visiting a Harley shop)

 マリオとインゴの兄弟は近くに住んでおり、朝食はマリオの家でごちそうになった。マリオには2人の息子と美人の奥さんがおり、とても私の3歳年上には見えない。・・・しっかりしているなあ。
 マリオは鉄鋼関係、インゴは建築関係の仕事をしているらしいが、兄弟を並べて見ると2人ともマジで強そう。「兄弟対抗・世界ケンカ大会」があったら、アメリカのファンク兄弟、ブラジルのグレーシー兄弟などともに、かなり上位に食い込むだろう。

 インゴはそのまま仕事に向かったが、マリオは今日は休みで、昼頃に彼の行きつけのハーレーショップ、「ハーレードクター」に行こうということになった。ごり君が明日、日本に一時帰国するので、その間に彼の愛車を預かってもらうためだ。
 その時間になるまで、私とごり君は近くのバイク用品店「ポロ」で買いものをした。7年愛用したグローブがさすがにボロくなったので、新しいグローブと特価のズボンを購入した。

 午後になって、「ハーレードクター」に向かう時間になった。
 久々に見るごり君の青いスポーツスター1200は、あいかわらずシブかった。まさに「鉄の馬」という感じ、ガンダムのような私のDRとは対極にあるデザインだ。だけど、DRもかなりシブいと思う。
 昨夜ごり君とも話したのだが、ハーレーやDR800Sのようなコアなファンが多いバイクで旅すると、各地で友達ができやすい。売れセンのバイクの方がパーツの供給などで便利なのだが、マイナーなバイクで旅すると、各地で同じバイクを持っている人に声をかけられる。私も何度、「俺もDR800Sに乗っているんだ!」と言われたことか・・・。

 ごり君が「ハーレードクター」を訪れるのはこれで2回目だが、もうすっかり仲間という感じだった。ハーレー乗りのおじさまたちは強面が多いが、みんなやさしい。ごり君のハーレーを二つ返事で預かってくれただけでなく、ショップオリジナルのTシャツまでくれた。
 スズキのディーラーもここまでフレンドリーだと助かるんだけど・・・今までスズキのディーラーで手厚い歓迎を受けたことなど記憶にない。「DRで旅してるんです」「それで?」・・・

 ハーレードクターからインゴの家に帰ったら、私もごり君もなんだか疲れていた。昨夜は遅くまで飲んでいたから・・・ごり君は今日、お土産を買う予定だったが、2人してそのまま昼寝に突入した。
 起きたらすっかり夕方。ごり君が一時帰国の支度をしなければいけないので、2人でトラムに乗ってフランクの家へ向かった。結局、今夜もごり君はインゴの家に泊まる事にしたので、日本に持っていく荷物とフランクの家に置いていく荷物とを分け、ザックを担いでインゴの家へ戻る。
 けっこう時間がかかってしまったので、帰るころにはインゴはすでに寝ていた。ごり君は明朝、6時に出て空港に向かう。私もプラハに戻る予定なので、近くのマクドナルドで遅い夕食を食べて我々も早めに寝た。  


本日の走行距離          39キロ(計62522キロ)

出費                    70DM   グローブ、ズボン
     5DM  昼食(ケバブ)
     4.2DM  トロリー
     3.5DM  おやつのハンバーガー
     9DM  夕食(またマクドナルド)
計     91.7DM(約5000円
宿泊         インゴの家


2001年9月4日(火) プラハは今日も雨だった(Prague again, rain again)

 朝6時、ごり君は一年ぶりの日本に向けて旅立っていった。私はもう一眠りしたあと、マリオの家で朝食をごちそうになり、インゴの家を後にした。

 向かったのはプラハである。
 今週末にスイスでDR800Sのオーナーズミーティングが行われるのだが、7日、金曜日の朝にドイツ・ニュルンベルグのステファンと一緒に出発し、ドイツとの国境近くに住むスイスのトニーの所に寄り、彼を拾って3人で参加する予定なのだ。
 ステファンも日々働いているので、あまり早く行って迷惑をかけたくない。明日の夜に家に行く約束をしているので、今日一泊をどこかでしなくてはならないが、それならプラハに戻ろうと決めたのだ。そんなに遠回りにならないし、チェコの通貨も余っている。そしてごり君にはプラハで安く泊まれる場所を教えてもらったのだ。

 ベルリンからプラハは5、6時間で行けるが、ベルリンでリアタイヤを探しながら行ったので(結局見つからなかったが)、チェコとの国境ですでに夕方5時になっていた。
 ここでハンブルグで購入したデジカメの消費税分を返してもらった。「Tax Free」というシールの貼られた店で旅行者が大きな買物をすると、しかるべき書類を整えたのち、国境などで消費税分を返してもらえるのだ。戻ってきた金額は65マルク(約3500円)、バカにならない。

 「お姉ちゃん街道」をふたたび抜けてプラハに向かうが、また雨が降ってきた・・・。まったく、私はこんなにプラハが好きなのに、プラハは私が嫌いらしい。ことごとく、雨だ。
 市内に入ったのは午後8時近く、すでに暗く、雨でビショビショ。ごり君に教えてもらった宿を探すが、昼間なら簡単にみつかるはずなのに、夜で標識がよく見えず苦戦する。しかし、このまま濡れてあのキャンプ場に行きたくはないので、がんばって探しつづける。

 雨のプラハ。バイクは恐怖である。
 まず、石畳が多い。濡れたツルツルの石畳、バイクのタイヤがどれほど滑るか、乗らない人は分かるまい。そしてトラム(路面電車)の線路。これも縦横に道路を横切っているが、これもメチャクチャ滑る。
 しかし、4つタイヤのある車の人たちは全く気にしない。いつもの通り走るし、いつものように停まる。そして、私は思いっきりコケてしまった。
 大きな交差点、青信号。進入しようとしたそのとき、目の前の車が遠くのサイレンの音を聞きつけて急ブレーキをかけた。私は停まれるわけなく、そのままズデーン!その車にカマを掘らなかったのは幸いだったが、私は路肩の水溜りの中にボチャンと落ちた・・・お風呂じゃないんだから・・・。
 だけどプラハの人たちはやさしい。雨の中、まわりの車の人たちが降りてきてバイクを起こすのを手伝ってくれた。幸い、バイクも体もダメージは無し。

 しかし、その後はもう恐くてまともに走れない。どうしようか・・・路肩にバイクを停めて途方に暮れていると、地元のCBRライダーが話しかけてきて、彼がその宿まで案内してくれた。いやー、本当に助かった!

 ごり君に教えてもらったその宿は、学生寮を夏季の間解放しているところで、安くて人気があるのだが、9月の今なら予約なしでも泊まれる。この前のキャンプ場よりも安く、シングルの部屋に入れた。
 宿で落ち着いたら、もう何もやる気なし。夕食を食べに中心街に出る気力もないので、近くのスーパーでラーメンを買ってきて宿のキッチンで作って食べた。
 ・・・なんか、苦労しにプラハに戻ったみたい。明日はもうドイツに戻るし。


本日の走行距離       409.2キロ(計62931.2キロ)

出費                    20DM   ガソリン
     3.5DM  昼食(ケバブ)
     ▲65DM  消費税分キャッシュバック
     330Kc  宿代
     500Kc  ガソリン
     51Kc  夕食の買物
計    
41.5DM(約2260円
     881Kc(1ドル=約38コルナ、約2780円
宿泊         Estec Hostel


2001年9月5〜6日(水、木) ステファンに再会(Meeting Stefan again)

 宿は快適だったが、チェックアウトタイムが朝9半というのがちょっと辛い。おかげで早い時間にプラハを出発した。
 プラハから西に走り、ニュルンベルグに一番近い国境へ。ベルリンに向かう「お姉ちゃん街道」ほどでは無かったが、ここにもやはりお姉ちゃんたちはいた。

 国境を越えたあたりでまた雨が降ってきた。しかも時折、土砂降りになる・・・まったく、俺が何をした?ここ1ヵ月で雨に降られなかった日は4、5日しかない。おかげで工具箱の中の工具はいくらビニールを被せてもビショビショ、スペアのチェーンまで錆びてしまった。もう、一生分の雨に降られた気がする。

 午後3時ごろ、ほぼ40日ぶりのニュルンベルグに到着。ステファンはまだ働いているだろうから、雨の中を走りまわってリアタイヤを探す。しかし、予想に反してうまい具合にバイク屋がみつからない。
 車とバイクの両方を扱うオートバックスのような大型タイヤセンターで、ミシュランのT63という、かなりオフロード寄りのタイヤをみつけた。迷ったが、値段がバカに安いので交換を依頼。
 しかし、店は「あなたの前輪はAVON(英国のメーカー)を履いてるでしょ。後輪だけミシュランはいけません」とマニュアル通りにしか答えない。おいおい、旅をしながら同じブランドで前後揃えられる訳ないじゃん!しかしいくら説得しても聞く耳を持たず、あげくに無視しはじめた。
 頭に来て店を後にした。こんな事を言われたのは過去7回のタイヤ交換で初めてだぞ。

 夕方になってもタイヤが見つからないので、あきらめてステファンの家に。再会したステファンはあいかわらず静かだったが、どうやら私に会えて嬉しいらしい。
 すると、ステファンが中古で良ければタイヤがあるという。彼はスペア用にDRのリアホイールを中古で買ったのだが、それにメッツラーのエンデューロ2がついてきたのだ。古くてゴムが劣化しはじめているが、山は残っているし、何しろタダでいいという。やった!さっき交換しなくて良かった。明日にでも交換しよう。

 6日、ステファンは朝早く仕事にでかけた。
 私は午前中に日記を打ち、午後に近くのバイク用品店「ポロ」(本当に、この店はドイツ中どこにでもある)にバッテリーを買いにいった。
 本当はステファンが用意してくれるはずだったが、型番が確かではなかったのでやめたらしい。しかし、それ以外のエアクリーナーエレメントやガスケットなどはちゃんと用意してくれていて、しかもいくら言っても代金を受け取らない。この借りは大きい・・・返せるかな?

 バッテリーは前のと全く同じ日本製で、約8400円・・・。チェーンの時と一緒、日本製なのにドイツで買うほうが安い。日本のみなさん、騙されてますよ!本当はもっと安く買えますよ!

 ステファンが帰ってきてからタイヤ屋に行ってリアタイヤを交換してもらう予定だったが、遅くなってしまったので明日の朝に交換してからミーティングに向かうことにした。夜、自力で交換を試みたが・・・2人で格闘してもやはりビードは落ちなかった。やっぱり明朝、プロにまかせよう。

 寝る前に天気予報を見たら・・・明日からドイツ南部、スイスはまた雨。週末もそのまま雨・・・って、スイスの山の中、ヘタしたら雪になるぞ!
 もうイヤ!乾いた砂漠に行きたい・・・。


2日間の走行距離      411.8キロ(計63343キロ)

出費                   103Kc   昼食(マクドナルド)
     43DM  ガソリン
     13DM  食材の買物
     166.85DM  バッテリー
計    
103Kc(約330円)
     222.85DM(1ドル=約2.2マルク、約12150円
宿泊         ステファンの家
インターネット    ステファンの家