旅の日記

チェコ編(2001年8月30日〜9月1日)

2001年8月30日(木) 一年ものの保険をゲット(Buying a year valid green card)

 根の生えかけたクラクフのキャンプ場を後にする日だが、昨夜洗濯した下着が朝になっても乾いていない。日に干していたりしたら、出発は午前11時ごろになってしまった。

 アウシュビッツを見たオシフィエンチムを通りすぎ、チェコとの国境に到着。国境越えに問題は無いはずだが、このポーランド側Cieszyn〜チェコ側Tesinの国境で、私はある重要なことをしなければならない。それは、9月頭に切れる欧州共通自動車保険(グリーンカード)の新しいのを買うという事だ。

 欧州共通の保険なんだから、どこで買っても一緒では?と思ったら、とんでもない!旅行者が買える国、買えない国がまずあり、買える国でも値段、期間、そしてこれが最も重要なのだが、有効である国が違うのだ。
 たとえば、私がはじめてグリーンカードを買ったスペインのマドリッドでは、一番長いもので2ヵ月、保険料約11000円で、ユーゴとイラクを除く全ヨーロッパ(東欧、イラン、トルコ、モロッコまでも含む)で有効だった。しかし、次に買ったイタリアでは一番長いもので45日、保険料は約9300円と割高で、しかも有効なのはいわゆる「西側」といわれた西欧、北欧のみ。これはショックだった。

 そこで、約一年前にこのポーランド〜チェコ国境でポーランドとユーゴを除くほとんどの国で有効、しかも長期間で安い!というグリーンカードを買ったわるいださんに情報を詳しく教えてもらい、買いに来たのだ。両国間のどこの国境でも買えるというわけではなく、今のところ判明しているのはこのCieszyn〜Tesinのみ、ポーランド側の最後のガソリンスタンドに併設の売店だ。

 約1ヵ月前にハーレーで世界一周中の「はーれーごり」もここで買ったというので、その間にシステムが変わっていないように ・・・と祈りながら売店のお姉ちゃんに聞くと、「はい、買えます」というあっさりな答え。お姉ちゃん、その言葉、どれほど救いになるか分かるまい・・・。

 値段を聞くと、ごり君の情報どおり、なぜか半年より一年の方が安い(半年154ズウォッティ、一年148ズウォッティ)。ごり君の141ズウォッティより7高いけど、それでも約4300円とバカ安。 これでほとんどの国で有効なんだから、いうことなし!これでもうグリーンカードで悩むことは無いだろう・・・。
 保証金額とかは西欧のものに比べれば低いんだろうけど・・・まあ、そんなこと気にしていては世界は走れない。(現にラテンアメリカ諸国はまったくの無保険だったし)

 これで少なくても私、ごり君、そして小梅さん&得政さんのカップルがわるいださんの情報に従い、ここでグリーンカードを買ったことになる。はいみんな、わるいださんのいる日本に向かって、礼!
 わるいださん、貴重な情報をありがとうございました・・・。

 無事グリーンカードをゲットした後、国境を越えチェコに入国。
 チェコの高速道路はスイスやオーストリアと同じく、有効期限の決まったステッカーをあらかじめ買い、それを車体に貼るシステム。そんなに大きい国ではないので、ケチって下の道でプラハまで行こうとしたら、国境のステッカー売りが「バイクは要らない。タダで高速に乗れるよ」と教えてくれた。

 それならとうことで、高速道路で一路、首都プラハに向かう。今日中には着けると思っていたが、出発が遅くなったのと久々の移動で疲れたので、今夜はBrnoという街の郊外のキャンプ場(といっても農家の庭だけど)に泊まることにした。
 高速の出口に「グランプリ」と書いてあるので何かと思ったら、この街にはサーキットがあり、4輪や2輪のチェコグランプリが行われる所だった・・・。


本日の走行距離       395.3キロ(計61919.3キロ)

出費                    68zl  ガソリン
     148zl グリーンカード
     9zl  昼食(チキン)
     240Kc  キャンプ場
     120Kc  夕食(ピザ、ビール)
     46Kc  食材の買物
     10Kc  コーヒー
計     225zl(約6590円      416Kc(1ドル=約38コルナ、約1310円
宿泊         Camping Oaza


2001年8月31日(金) 雨のプラハで・・・(Prague in rain)

 昨日はよく晴れていたのに、今日はプラハに近づくにつれて暗くなってきた。
 プラハに着くと同時に降り始め、郊外のキャンプ場にテントを張るころには本降りになっていた。雨の朝、テントを撤収して出発というのも相当に憂鬱だが、雨の中でテントをたてるというのも憂鬱だ。
 しかし嘆いても始まらない。一息入れたあと、トラム(路面電車)に乗ってプラハの中心地に出かけた。

 チェコの首都プラハは大都会である。中央にヴルタヴァ川が流れ、街は東岸と西岸とに大きく分かれるが、見所はそんなに散らばってはいない。今日向かったのは東岸の旧市街、歴史的な建物の多い地区だ。

 しとしとと雨の降る中、折りたたみ傘をさして歩く。さすがにみんなが「イイ」と言う古都プラハ、相当きれいな街並みである。晴れていればもっと良いんだろうなあ・・・。
 旧市街の中心となる「旧市街広場」の手前にインターネットカフェがあったので、雨の中をあくせく観光しても・・・と思い、メールの送受信を先にした。

 その後は広場に出て、旧市庁舎やヤン・フス像などを見た。旧市庁舎には有名な「天文時計」があり、毎正時にカラクリが見られるという。ちょうど5分前だったので待ってみると・・・ガイコツ人形がチーン、チーンを鐘を鳴らし、時計の上にある二つの窓に次々と12使徒が現れた。
 15世紀にこれを作った努力は認めるが、どこか滑稽で情けない。まるで閑古鳥が鳴く、どこかの地方遊園地のようなノリ・・・。

 次は地下鉄に乗って、新市街の中心ヴァーツラフ広場に行って見た。国立博物館の前から始まるこの長細い広場は、チェコの歴史における数々のドラマの舞台となったところだ。

 プラハといえば、「プラハの春」という言葉が思いだされる。戦後、チェコスロバキア(当時はまだスロバキアとの連邦だった)は選挙によって共産党が第一党となり、ソ連寄りの道を歩むことになったが、60年代に入ると一党独裁の政治に批判が集まるようになった。そして1968年、改革派の第1書記が就任し、一気に国はリベラル路線を歩もうとした。これが「プラハの春」である。

 しかし、ソ連や他の東欧諸国はこの動きを激しく非難。そして同年8月、ソ連軍の戦車がこの広場に乗り入れ、改革派を制圧(チェコ事件)。これによって「プラハの春」は終わってしまった。
 このソ連の介入に抗議し、ヤン・パラフという学生が広場の騎士像の前で焼身自殺を遂げた。今ではその場所に彼の慰霊碑があり、白い十字架の前には献花が絶えない。

 そんなこんなでソ連に押さえこまれてしまったチェコスロバキアだったが、その20年後、民主化を求める学生たちのデモはくすぶっていた市民を再び動かした。100万人もの人々が広場に集結し、共産党は政権を放棄。ここに「ビロード革命」という無血革命が終了したのだ。
 実話に弱い私、こういう場所に来てそのシーンを思い浮かべると・・・ジーンと来るなあ。

 旧市街まで歩いて帰り、夕食でも食べて帰ろうかと思ったら、マクドナルドがあった。またマックか、さえないなあ・・・と思いながらも、疲れていたので入ってしまう。しかし、これが正解だった。
 窓際の席でハンバーガーをバク ついていると、私の頭をポンを叩く人がいる。顔を上げるまでの一瞬で、これは小梅さんと得政さんだな、と思った。彼らもプラハにいるはずなのだ。
 しかし対面したのは・・・おお!はーれーごり君(武田圭介)! 彼はチリで初めて会い、一緒にスペインまでバイクを送ったハーレー乗り。9月の頭にベルリンで会う約束だったが、その前にプラハで会ってしまうとは。確かにプラハは今まで彼がいたハンガリーからベルリンに走る途上にあるが、それにしてもすごい偶然だ。

 スペイン以来の再会を喜ぶが、彼はこれから芝居を見に行くという。せっかく会ってこのまま別れるのも悲しいので、私はその間、またインターネットをして時間をつぶした。
 夜9時になって芝居が終わったので、ごり君とビールを飲みに行き、別れてからのことを色々と話し合った。彼は明日、ベルリンの友達の家に行くというが、私は今日着いたばかりなので、もう1日プラハにいることにした。そして明後日、ベルリンの彼の友達の家で会うことを約束・・・楽しみだ。


本日の走行距離       194.3キロ(計62113.6キロ)

出費                   550Kc   ガソリン 
     9Kc  コーヒー
     829Kc  ロンプラ(トルコ〜ネパール編)
     32Kc  トラム
     350Kc  インターネット
     50Kc  ビール
     120Kc  昼食(インド料理)
     99Kc  夕食(マクドナルド)
計     2039Kc(約6440円
宿泊         Caravan Camping
インターネット Internet cafe Prague


2001年9月1日(土) 今日も雨(Rain in Prague again)

 昨日からの雨はまったくあがる気配を見せず、今朝もテントはポタポタと雨で揺れていた。まったく憂鬱になる。ごり君はこの雨の中、ベルリンに向けて出発したのだろうか?

 キャンプ場近くのガソリンスタンドでパンを食べてから、トロリーに乗ってプラハの中心街へ。そこから古いカレル橋を渡り、ヴァルタヴァ川の西岸に出た。
 見所は東岸の方が多いが、西岸にはプラハのシンボルともいうべき歴代国王の居城・プラハ城がある。高台の上の城まで、土産物屋やレストランの建ち並ぶ石畳の道を歩いて登った。

 門に着いたら、すごい人の数である。これ全部入場待ちか!?と心配したが、時計を見たら12時5分前。毎日正午に行われる衛兵交代式を見るために集まった人たちだ。
 ギリギリに着いたのであまり良い位置では無かったが、ブラスバンドの演奏に合わせて行進する衛兵たちの姿を見る事ができた。偶然にしては上出来だ。

 さて、プラハ城の敷地内部に入ったが、有名な聖堂や王宮を見るためにはチケットを購入しなくてはならない。しかし、チケット売り場を探してウロウロしているうちにどうでも良くなってしまった。衛兵交代式の直後で混んでいるし、何よりもこういう城とか聖堂とかに飽き飽きしている自分に気がついたのだ。ゴシックだろうがバロックだろうが、ヨーロッパをずっと回っていると、もうコロッケと一緒である。

 中心街をウロついている方が面白いので、歩いて高台を下り、川の反対側へ。それから夕方まで、延々と旧市街を歩いて回った。たぶん10キロは歩いただろう、かなり疲れた・・・。

 キャンプ場に戻るとき、近くに巨大なスーパーを発見した。私は大きなスーパーがある街は大好きである。プラハは雨ばっかりだったが、街並みはキレイで物価は安いし、治安もわりと良いので、ヨーロッパの中でもトップランクに気に入ってしまった。本当はここでゆっくりしたいなあ。


本日の走行距離           0キロ(計62113.6キロ)

出費                    48Kc   パン、トロリーの切符 
     120Kc  昼食(スペアリブ)
     110Kc  夕食(魚フライ)
     114Kc  食材の買物
計     392Kc(約1240円
宿泊         Caravan Camping