旅の日記

ドイツ編その2(2001年7月31日〜8月6日)

2001年7月31日(火) 今度はブライト夫妻だ!(Visiting Bright couple)

 昨夜は午前3時半までパソコンに向かってしまった。おかげで夜勤明けに帰ってくるオノと朝食を一緒に食べて出発する予定だったが、7時半にいったん彼を迎えた後、正午頃まで再び眠ってしまった。
 午後1時ごろ、まだ眠たそうなオノに別れを告げてクルンボーグを出発する。

 次の目的地は再びドイツ、デュッセルドルフ近くのカイエンベルグという村。ここには南米で2度会ったイギリス人ライダー、クリス・ブライトの両親が住んでおり、ご招待を受けたのである。
 天候がすぐれず、200キロの道のりの途中で激しい雨に降られたりしたが、午後5時ごろブライト家に到着、元軍人のガッシリとしたご主人が迎えてくれた。
 ご主人はすでに引退されているが、奥さんは某日系の企業にお勤めである。彼女の帰りを待ってから、近くのレストランに夕食に連れていってもらった。

 クリスは自分の事をイギリス人と表現したので、なんで両親がドイツに住んでいるの?と思いきや、いろいろと訳がある。クリスのお父さんはスコットランド人だが、英国兵としてドイツに駐屯したとき、そのままドイツが気に入って移住した。そしてフランス人の奥さんと出会い、クリスが生まれたのである。さすがヨーロッパ、いろんな国の事情が絡んでいるのだ。

 楽しい食事の後、家に戻ってクリスの部屋でのんびりとくつろいだ。そんなクリスは、今ごろアンデスの山中のはず・・・。僕の分まで頑張って!


本日の走行距離        192.6キロ(計53170.6キロ)

出費                    70G  ガソリン
  3.55G  ジュース、チョコレート
計      73.55G(約3395円
宿泊         ブライト家


2001年8月1〜2日(水〜木) ブライト家の日々(Plesant time at Bright's)

 ドイツの、そしてヨーロッパの一大ビジネスセンターであるデュッセルドルフには、多くの日本人ビジネスマンが住んでいる。従って日本書の本屋や、日本食材屋があったりする。8月1日はブライトさん(夫)にデュッセルドルフまで連れていってもらい、ショッピングを楽しんだ。

 本屋は日本の本屋そのもの。あの特有のニオイ(インクの臭い?)までそのままだ。大沢存昌の新宿鮫V「炎蛹」の文庫が出ていたので、衝動買い。あとから思えば日本に帰ってからでも良かった。ま、北欧のキャンプ場で読もう。

 また、物価の高い北欧では自炊生活が待っているだろう。日本食材屋でカレーやそば、ラーメン、お茶漬け海苔などを買った。これでこの先、食生活はしばらくバラ色だ。

 1日の夜、購入したカレールーの一部を使って、さっそくカレーを作った。奥さんは医師に管理されたダイエット・プログラムの真っ最中なので、残念ながら食べていただくことができなかったが、旦那さんには好評だった。
 もともと旦那さんはマレーやボルネオ諸島に駐屯していたこともあるので、アジア系の食事はけっこうイケるのだ。

 ブライトさん(夫)は、ヨット乗りでもある。レーザークラスという一人乗りのヨットのレースが好きで、レース(レガッタ)が行わればヨーロッパ中どこでも参加せずにはいられない。家にはそうして手にしたカップがずらりと並んでいる。そして知らなかったのだが、クリスもヨットをやるそうだ。

 そして2日、ブライトさんがそのヨットに乗せてくれた。彼は車で30分ほどの距離にある湖のボートクラブのメンバーで、いつでも好きなときにクラブ所有のヨットに乗る事ができる。ご自身のヨットは一人乗りなので、2人は乗れないのだ。

 クラブの4人乗りのヨット(全長5mほど)に乗って湖に出るが、残念ながらベタ凪。それでもブライトさんの巧みな操船で、ちょっとでも風が吹けば小気味良く船は進んだ。普段は意識しないほどの風の差なのに、これほどヨットに大きな影響がでるとは目からウロコだった。
 初めは補助セイル(帆)の操作をやらせてもらっていたがが、後でメインセイルと舵を預かった。うーん、ヨット・・・面白いぞ。やばい、悪魔のささやきが聞こえる。

 帰りにBMWのオートバイで旅するクリスがお世話になっているバイク屋に寄ってみた。その名も「ボクサーショップ」、ボクサーエンジンのBMWバイクを専門に扱うショップだ。そこで明日の朝に交換することにして、フロントフォークオイルを購入。これでヨーロッパの間は持つだろう。


2日間の走行距離           0キロ(計53170.6キロ)

出費                    25DM  文庫本
28.55DM  日本食材
  30DM  フォークオイル
計      83.55DM(1
ドル=2.2ドイツマルク、約4560円 宿泊         ブライト家
インターネット    ブライト家    


2001年8月3〜4日(金〜土) 続いてはステファン&ナタリ!(Visiting another DR-BIG rider)

 ブライトさん(夫)はメカニックでもある。軍にいたとき、戦車などの兵器を整備するのが仕事だったのだ。
 午前中、そんなブライトさんに手伝ってもらってフォークオイルを交換した。前に交換してから14000キロしか走っていないが、古いオイルはドロドロの灰色で、まるでペンキのようだった。
 前タイヤを外した際、左側のベアリングが痛んでいるのをブライトさんが発見してくれた。一人だったら気付かなかったろう。早速スペアと交換した。

 そして昼食をいただいてからブライト家を後にする。ブライト夫妻、本当にお世話になりました・・・。

 さて、今日は長旅だ。なんたって次の目的地は20キロも先である。
 走り出したら、本当にアッという間に到着してしまった。町の名前は「トー」(Thorr)、ブライト夫妻の住むカイエンベルグのほとんと隣町だ。なんでこんな近くで止まるかというと、ここにもう一人、DRに乗る男が住んでいるからである。

 彼の名はステファン。といってもニュルンベルグのDR乗りのステファンとは別人で、名前のつづりも違う。(ニュルンベルグのステファンはStefan、トーのステファンはStephan)
 しかし、私をここに導いたのはニュルンベルグのステファンでもある。彼がドイツのDRオーナーが集うHPの掲示板に「世界を走っている日本人が家に来ているぞ」と書きこんだら、トーのステファンから「遊びに来ない?」とメールが来たのだ。つい先週のことである。
 本当はノルドカップ目指して一気に北上を開始したいところなんだけど、ここまで来たら「ヨーロッパ人お宅訪問シリーズ」をもう一発いってしまえ、と訪問を決定。

 というわけで出迎えてくれたトーのステファンは・・・デカイ。身長195センチ、その足の長さを分けて欲しいもんだが、彼に言わせれば「好きなバイクに乗れない」という。以前ホンダのCB500に乗っていたのだが、気に入っていたにもかかわらず、あまりにも窮屈なので手放してしまったらしい。
 彼のDRは750ccでDR−BIGの中では初期のモデルになるが、足が届くようにシートのスポンジを抜いている私とは逆に、彼はスポンジを足している。大きければ大きいなりに、工夫が必要なのだ。

 ステファンは奥さんのナタリと3人の子どもと一緒に住んでいるが、子どもたちは夏休み中で、学校にキャンプに行ったりステファンの両親の家に行ったりしていて家にはいない。夕食は一つ下の階に住んでいるナタリの両親と、近くに住むナタリの兄カップルと一緒にバーベキューということになって、にぎやかになった。
 ステファンもナタリもバイクの旅が好きだが、3人の子どもの世話に追われてそれどころではないらしい。住んでいる家も30年のローンで改築したとのこと・・・たいへんだ。
 「北ヨーロッパの人々は、日本より生活水準が高いですよ」と私は最近よく口にするが、今回ばかりは言えそうもない。

 翌4日は、ステファンが近くの都市ケルンを案内してくれた。
 ケルンは元をたどればローマ人が築いた古都。数百年の歳月をかけて建てられたゴシック様式の大聖堂が一番の見所だが、ステファンはその裏にある一本の線路に案内してくれた。

 この線路はかつて、この街からユダヤ人を強制収容所に送るときに使われた線路だという。鉄道の要だったケルンからは何万人、何十万人というユダヤ人が2度と戻らぬ旅路についたのだ。この線路はその過ちを忘れないよう、今でも保存されている。
 観光客でにぎわう大聖堂の裏にある、目立たぬ一本の線路。ケルンの光と影を見た気がした。

 ケルン観光の帰りに、近くの炭坑に連れて行ってもらった。
 ステファンの町のまわりには炭坑が多くあり、発電に使われる炭が掘られている。炭は海外から輸入した方が安いのだが、昔から従事している労働者の首を切るわけにもいかず、税金によって補助されている炭坑は今でも拡大している。
 近所には地下に有力な炭脈がみつかり、近い将来炭坑になるという村が三つある。いずれも住民はすでに立ち退き、ゴーストタウンになっていた。ステファンの町も一歩間違えば炭坑になっていたのだ。

 いったん家に帰ってから、今度はナタリも一緒に3人でケルンの街に行き、彼らの友達に合流してビールを飲んで盛り上がった。バーにはビリヤードがあり、みんなでやったのだが、私は6戦して5勝してしまった。白人にビリヤードで勝つというのは、なかなか気分がよろしい。試合内容は低レベルだけど・・・。


2日間の走行距離       104.5キロ(計53275.1キロ)

出費                    15DM  ビール
5DM  ビリヤード
計      20DM(
約1090円 宿泊         ステファン家
インターネット    ステファン家    


2001年8月5〜6日(日〜月) 歯が取れてカメラが壊れた!(Breaking a teeth and a camera)

 5日は朝から雨が降ったり止んだり。
 ステファンは「もう1日いたら?」と言ってくれたが、もう8月も5日である。北の果て、ノルドカップが日に日に寒くなっているのである。最近の「ヨーロッパ人お宅訪問シリーズ」で十分予定をオーバーしているので、ステファンの家を出発することにした。
 出発間際、ナタリが今日向かう方向のハンブルグに住む知人を紹介してくれると言ってくれたが、丁重に断った。今日はハンブルグよりも先に行きたいし、人の家にお世話になりっぱなしで気疲れしている私は、そろそろテントで泊まりたいのだ。
 しかし!!ステファンの言う通りにもう一泊していたら、あるいはナタリの言う通りにハンブルグの知人の家に泊まっていたら、こんなことにはならなかったのだ!

 「こんなこと」とは、こんなことだ。
 ステファンの家を出発し、ひたすら北に向かった。幸い雨は強くならず、わずかな雨が降ったり止んだり。カッパは着ず、タンクバッグの防水カバーもかけていなかった。夏休み中の日曜日なのでレジャーに出かける車が多く、アウトバーン1号線はところどころ渋滞していた。

 ハンブルグの手前でサービスエリアに入り、遅い昼食にサンドイッチを食べた。フランスパンを使った固いサンドイッチ、一口噛んだらガリッというイヤな感触が・・・。
 またやってしまった。ペルー、アルゼンチンに続く3回目、さし歯の前歯が取れてしまったのだ。くそー、ヨーロッパは歯医者の代金が高そうなのに・・・まったくついていない。(しかし、こんな程度はまだ序の口だった)

 ハンブルグを通過し、次のリューベックも過ぎたあたりで、急に空が暗くなった。「おっ、本降りか?」と思った瞬間、たたきつけるような土砂降りになった。
 路面に跳ねかえる雨で、前もまともに見えない。横目で「5キロ先、パーキングあり」の看板を見つける。そこまでのわずかな距離が長く感じたこと・・・ようやくパーキングに到着し、屋根の下で雨宿りする。
 DR800Sを持っているというドイツ人に話しかけられ、雑談している間に雲は去り、ふたたび走り出した。

 リューベックから北東に20キロほど進むと、バルト海に出る。フェリーに乗って対岸のデンマークに渡るのは明日にするとして、手前のキャンプ場に入った。
 テントを張り、やれやれとタンクバッグを開けたら・・・水浸し。表面は大して濡れていないのに(というより、すでに乾いていたのだ)、中の物はしっとり濡れている。
 あわててデジタルカメラを出してみるが、時すでに遅し。電源を入れると勝手にフラッシュを連発、完全にイカれてしまった・・・。(フィルムを使うカメラは、防水のサイドケースに入れてあるので助かった)
 今までもちょっとの雨ならカバー無しで走っていたのだが、今日の土砂降りはそうもいかなかったようだ。ちゃんと防水カバーをかけていなかった自分が愚かしい。

 というわけで、翌6日はテントはそのままに、デジタルカメラを買いにハンブルグに逆戻り。この先もデンマークのコペンハーゲンやノルウェーのオスロなどの都市を通るが、どう考えたってドイツの方が安いだろう。
 ハンブブルグ中央駅の前に家電量販チェーン「サターン」の大型店を発見、カメラ売り場に行ったらデジタルカメラがズラリと並んでいた。

 できればSANYOのが欲しいが、残念ながらヨーロッパではあまり出回っていないようだ。300万、400万画素の最新機種もあるが、さすがに高い。HP用の写真を撮るのが目的なので、もともとそんなに画素数は必要ない。
 コンパクトフラッシュ、単三型充電池2本使用の小さいもの・・・を探したら、230万画素のコダックDC3800が696マルク(約38000円)で特売していた。さらに免税手続きを取れば、後で数パーセント戻るという。
 このカメラ、SANYOの「マルチーズ」シリースよりも小さい。購入決定!

 さっそく中央駅を撮って見るが・・・うーん、感度と色が今一歩。SANYOのは感度がビンビンに良く、室内もフラッシュいらず、夜景もメチャクチャきれいに撮れた。そして色が鮮やかで、まるで晴天下にポジフィルムで撮ったような発色をしたものだ。それに比べると、今度のコダック君はかなり色がおとなしめで、暗ーい感じがする。
 こればっかりは画素数では判断できず、買って見るまでわからない。まあ、画像ソフトで可能な限り修正して使うことにしよう。使い勝手やコンパクトさを考えれば、決して悪いカメラではない。
 ちなみに保険会社に問い合わせたら、壊れたカメラは保険で直せるらしい。日本に帰ったら直して使おう・・・。

 ついでにハンブルグの街をちょこっと観光した。
 といっても史跡を訪れたわけではなく、向かったのはいわゆる赤線地帯。ハンブルグは海に面していないが、ヨーロッパでも有数の荷揚げ高を誇る河川港都市。港町特有の赤線地帯もあり、オランダのアムステルダムのような「飾り窓」もある。
 昼間っから女性もいまい・・・と思って「飾り窓」の通りに行って見たら、いたいた、赤い電気が灯った窓の奥に、オバサンが・・・。あー、恐いもの見た。
 
 帰りにリューベックに寄ったら、思ったよりもきれいなところだった。
 川に囲まれた旧市街には古い建物が多く、ハンブルグなんかよりはるかに情緒がある。郊外に大型のスーパーがあり、そこで買物をしてキャンプ場に戻った。


2日間の走行距離       745.8キロ(計54020.9キロ)

出費                    74DM  ガソリン
38DM  キャンプ場2泊
55.75DM  食費、北欧に向けて買物(ウイスキーなど)
698DM  デジタルカメラ、CD−Rディスク
計     865.75DM(
約47220円 宿泊         Camping Ivendorf