旅の日記

ドイツ編(2001年7月21〜25日)

2001年7月21日(土) 今度はステファンだ!(Meeting Stefan&Eva)

 今日はドイツのニュルンベルグに行く日。トニーも今日から夏休みでスロベニアに行くので、一緒に出発することにした。

 2週間の留守の間、トニーは家をドイツ人の家族に貸すので、彼らの到着を待つ間に掃除をしてお弁当のサンドイッチを作った。余った小銭で材料を買ったのだが、今の私にはそれくらいの恩返ししかできない。
 午後1時にその家族は到着したが、彼らと話をしたりして、結局出発は午後2時過ぎとなった。低気圧は去って、青空のもと、ドイツ人に見送られてトニーと一緒に走り出す。

 トニーの家からオーストリアとの国境はすぐ。しかし越境する前、彼は駅のキヨスクに立ち寄ってBodensee湖の形のステッカーを私のために買ってくれた。「これを貼っておくと、スイス人は一発でお前がスイスに行ったってことが分かるぞ」
 オーストリアに入り、いよいよトニーと別れるときが来た。彼は東に折れ、イタリアを経由してスロベニアに向かう。私はこのまま湖沿いに走り、30分後にはドイツに入国する。固く握手をした後、「メールをくれよ。あと、オーストリアで間違って高速に乗るなよ。ステッカーが無いと罰金だゾ」と高笑いして彼は去って行った。
 ・・・なんちゅー気持ちの良いオヤジだ。あんなオヤジになりたいものである。世界ヘビー級にいい出会いだったが、あの瞬間に道路脇で地図を広げていなかったら、こうはならなかったのだ。本当に出会いは不思議なものよのう・・・。

 オーストリア領内をわずか20キロほど走り、ドイツに入国。あとはニュルンベルグに向けて、一路アウトバーンを飛ばすのみだ。
 アウトバーン!そう、あの速度制限のないドイツの高速道路網である。一部の区間を除き、180キロだろうが300キロだろうが、マッハ2だろうが光速だろうが飛ばし放題、しかも料金はタダ!おいおい、スピード狂天国じゃん!
 しかし!遅い車に乗っている者は細心の注意が必要だ。アウトバーンというと片側4車線くらいを想像していたのだが、ニュルンベルグに向かう路線は2車線しか無く、たまに90キロくらいでノロノロ走っている(アウトバーンでは90キロでも相当に遅い)トラックがいたりする。こっちは120キロくらいで巡航しているのだが、追い越し車線に出るにはバックミラーと睨めっこして、さらに振りかえって、車が来ていないことをよ〜く確認してからでないと、とんでもないことになる。
 160キロくらいで走ってきたセダンはアッという間に追い付き、そのパッシングを浴びて命からがら走行車線に戻ると、そのセダンも目の前に逃げ込んでくる。すると、追い越し車線をポルシェが200キロ近い速度で「ハゴーッ!!」と空冷エンジンを響かせて駆け抜けて行く。スピードが全ての弱肉強食の世界、まさに「アスファルト・ジャングル」なのだ!

 一時は時速150キロをマークして風圧でバックミラーが曲がったが、おかげで300キロの距離をアッという間に走ってニュルンベルグに到着。メールに添付してもらった地図の通りに進むと、私と同じDR800Sが停まっているアパートの前に出た。

 「やあ、カジュヒロかい・・・?」と出てきたのはステファン(31歳、大学職員)。彼はとても奇特な人である。日本語が読めないのに私のHPを見て、「同じバイクに乗っているんだ。ドイツに来たら遊びにおいでよ」と、出発当時から(!)メールをくれていたのだ。
 「やあやあ、ようやく会えたね。ところで、ステファンは一人暮らしかい・・・?」と恐る恐る聞いて見ると、「いや、妻と一緒だよ」というではないか!良かった!またバツイチじゃなくて・・・。
 ステファンの奥さん、エバは英語が苦手だが、スペイン出身なのでスペイン語で意志が通じる。ステファンとも普段はスペイン語で話しているという。いやー、また居心地のよさそうな家で危険だなあ。

 一休みした後、ニュルンベルグの旧市街へ連れて行ってもらった。緑の多い街で、歩いていてとても気持ちがいい。古い建物が多く、新しいのを建てる時も規制が厳しいおかげで街並みが揃っている。あのマクドナルドも古い建物のまま、黄色い「M」マークをかがけているのみだ。
 残念ながら陽がすでに落ち、写真を撮るのには暗すぎた。これはぜひ、明るいときにまた来なければ・・・。

 帰りに夕食をご馳走になったが、ステファンとエバはと〜っても大人しい。ほっておくと2人で何分も黙っているのだ。暗いわけではないのだが、とても穏やかな人たちで、まさに「植物的ナチュラル系」の人たち。スロベニアで一緒だったオランダ人オノの、「動物的ハイテンション系」のおしゃべりパワーを分けてあげたいくらいである。
 というわけで、気を使う私は一人でしゃべりまくるのだった・・・。


本日の走行距離         348.3キロ(計51319.7キロ)

出費                    9.8F  朝食の買物
   12DM テレカ
計       9.8F(約690円
       12DM(1ドル=約2.2マルク、約650円
宿泊         ステファンの家


2001年7月22日(日) ローテンブルグにミニツーリング(Visiting Rothenburg)

 ステファンは本当に自分のことを語らない。昨日あれだけ会話をしたのに、なんと今朝になって彼は日本、それも我が横浜に半年住んでいたことが判明。カタカナやひらがなが読めるし、「ヨドバシカメラ」や「横浜そごう」が好きで、丹沢にハイキングに行ったこともあるという。・・・今までメールのやりとりもしていたのに、初めて聞いた。なんだ、早く言ってよもう!

 さて、今日は快晴の日曜日。ステファンとニュルンベルグから70キロほど離れたローテンブルグに走りに行くことになった。もちろん、彼は奥さんのエバを乗せて。
 ドイツの南部には中世の風情を残した小さな町が点在し、それらを南北に結ぶルートは「ロマンチック街道」と呼ばれる。観光客、とくに日本人に人気のルートだが、ローテンブルグはそのハイライトと呼ぶにふさわしい町。城壁に囲まれた街並みはまるで絵本の世界、どんなブサイクでもおとぎ話のヒロインやヒーローになれるのだ。

 絶好のツーリング日和、数え切れないほどのライダーとピースサインをしながらすれ違い、ローテンブルグに到着。さっそく観光を開始するが、ローテンブルグは「あれを見よう」とか「これを見よう」とかでなく、てくてく散歩しながら町の雰囲気を味わうところ。
 おもちゃ屋やクリスマス・ショップを冷やかしながら3人で歩くが、本当に町全体が可愛い。コギャルなら「かわーいーいー」と語尾を伸ばしてしまうところだろう。現にコギャルとまでは言わなくても、日本人の女の子やおばさん、あるいはその間のビミョーな年齢の女性たちが大勢いる。エバが好きなテディベアのショップに入ったら、まるで銀座「博品館」のぬいぐるみ売り場かと思うほど日本人女性が多かった。

 昼食もすっかりごちそうになってしまった。今日は自分が出そうと思っても、ステファンは先に伝票を受けとって支払ってしまう。「いや、ここは私が」「何を言ってるんですか、私が」と伝票を奪いあう姿は、どこか懐かしい・・・。

 早いうちにニュルンベルグに戻ったので、また旧市街へ散歩に行った。するとローテンブルグもいいけどさ、ニュルンベルグもやっぱりいいじゃない!傾きかけた陽に照らされた街並みは、めちゃくちゃ美しいのである。

 ニュルンベルグのいいところは、古い伝統と現代の生活の調和だろう。ローテンブルグはどこか浮世離れしすぎて、ベネチアで感じたような、わざとらしい感覚があった。しかしニュルンベルグは生きている街である。人々の生活の息吹とともに、中世の風情があるのである。
 「美しいと呼べる都市は、生きている都市だ。美しくても、そこに生活が無ければテーマパークと一緒じゃん」という意見の私には、ニュルンベルグはビンビン来ているのであった。


本日の走行距離         204.1キロ(計51523.8キロ)

出費                    38DM  ガソリン
計       38DM(約2070円
宿泊         ステファンの家
インターネット    ステファンの家    


2001年7月23日(月) 新しいチェーンと親子丼(New drive chain and OYAKO-DON)

 今日は月曜日だが、ステファンは私ともう1日過ごすために休みをとった。午前中を家でゆっくり過ごした後、2人で近くのオートバイ用品屋「ポロ」に行ってみる。

 「ポロ」は数あるドイツのバイク用品店チェーンの一つ。日本でいうと「NAPS」(旧・南海部品)や「ラフ&ロード」のようなところだが、すごいのはその品揃え。ブーツ、ヘルメット、ジャケットからキャンプ用品、マフラー、サスペンションなどのチューニングパーツまで何でもあるが、店に全部並べるわけにはいかないので、電話帳のような無料カタログをもらって注文するシステムになっている。
 嬉しいのは、わがDR800S用の部品も簡単に見つかることだ。このバイクはヨーロッパ向けの輸出モデルなので、日本製といえど日本国内には数が少なく、そこらへんのバイク屋に部品が置いてあるということはまず無い。しかし、ここドイツはまさにDR800Sの本場。「ポロ」のカタログにもマフラーやサスペンションなどの社外品の部品が豊富に載っている。

 約28000キロ使用したドライブチェーンがそろそろくたびれてきたので、安かったら交換しようと思ったのだが・・・おいおい、ムチャクチャ安いじゃん。DID製のエンドレスチェーン(525VM、ステファンも愛用)が260ドイツマルク、約14000円。俺の使っているRK525ROは日本で2万円もするぞ。よっしゃ、交換決定。
 さて、チェーン交換には前後のスプロケット(ギア)交換も同時に必要になるが、「ポロ」には社外品のスプロケットがたくさんあり、DR800S用も一発で見つかった。日本じゃスズキ純正のを10日かけて待たなきゃならないのに・・・。
 さて、そのスプロケットはいくらかい?と聞くと、なんと!!チェーンの価格にすでに含まれているという。「ポロ」のチェーンの価格は全てスプロケット込みのセット価格なのだ。これって、すごいぞ。だって、日本じゃ1回のチェーン交換で合計2〜3万円はかかるのに、それが14000円で済むのだ。オー、ビバ!ドイツ!

 さっそく購入し、ステファンと一緒に交換した。エンドレスチェーンなのでスイングアームを外す必要があり、ちょっと面倒なので彼の両親の家に行った。隣町のその家にはガレージがあり、工具も揃っている。前スプロケットのネジ穴が若干合わず、ドリルで加工する必要があったが、無事、作業は終了。
 チェーンを交換したら、バイクが「スーッ」と走るようになった。特にアクセルオフの惰性で走っているときが、本当に「スーッ」という感じなのだ。古いチェーンがいかに抵抗になっていたことか・・・。こりゃ、ケチってチェーンを長く持たせても、その分燃費に影響するね。
 
 共働きのステファンとエバはあまり料理をしないようなので、今日は夕食に我輩がジャパニーズ・カンタン・メニュー、「親子丼」を振る舞うことにした。
 3人分を作るのは初めてだったが、ハーレー乗りの武田さん(ハーレーゴリ)がブラジルで買ってきてくれた「だしの素」があるので、何とかごまかしが効いてフツーの味になった。そしてバルセロナの的地さんから大量にもらった「永谷園・松茸のお吸い物」と一緒に、鉄人自ら取り分けると、2人は「うまいうまい」とバクバク食べてくれた。

 ・・・日本じゃ料理などまったくしなかったのに、私も成長したもんだ。親子丼を人に作って、「うまい」と(お世辞を若干含むが)言わせるまでになったのだから。
 ちなみに、親子丼のつくり方はマドリッドで一緒だった世界一周ライダー、山本さんから教わったものだ。その山本さんは、いよいよロシアを横断して日本に向かうという。がんばれ山本さん!そして今度は日本のキャンプ場で一緒にメシを作ろう・・・。


本日の走行距離          86.8キロ(計51610.6キロ)

出費                263.75DM  チェーン、スプロケット、チェーンルーブ
  11.29DM  親子丼用鶏肉(かなり買いすぎた)
計       275.04DM(約15000円
宿泊         ステファンの家
インターネット    ステファンの家    


2001年7月24日(火) ハイテク便器とハイデルベルグ(High-tech toilet and Heidelberg)

 ステファンとエバと別れる朝がきた。
 しかし、あまりしんみりはしない。なぜって彼らは大の日本びいきで、かなり高い確率で私に会いに日本に来るからだ。・・・私が日本に帰ったらどこに住むか知らないが、海外の友人を呼んで、くつろいでもらえるくらいの所に住めたらいいな・・・。

 彼らは午前9時前には家を出るので、それより早く出発する。すると朝早く出たのとアウトバーンのおかげで、午前10時すぎにはニュルンベルグから約200キロ西のサービスエリアに着いた。
 これからルクセンブルグ、ベルギー、オランダと行く予定だが、今日はちょっと先のハイデルベルグで泊まろう。古い学園都市で美しいらしい・・・。

 ステファンからもらったバナナを食べながら考えていたら、自らのバナナを出したくなった(便意ってことよ。バナナって、そっちじゃないよ。そんなに大きくないよ)。サービスエリアのトイレに行ってスッキリし、水を流したらビックリ!水のタンクの中央から「ウィーン」とアームが伸びてきて、回転をはじめた便座に消毒液をかけているのだ!すげえ!でも、ウォッシュレットの方がはるかに意味があると思う・・・。俺のケツって、そんなに不潔かい?

 ハイデルベルグに到着し、イタリアのベネチアで泊まったのと同じ系列のキャンプ場にチェックインする。ベネチアでもらったパンフレットがあるので一割引きになるが、もともとの値段も良心的だ。テントを張り、さっそく街に出てみる。

  ハイデルベルグは緑色のネッカー川に面した古都。ドイツで一番古い大学がある学園都市でもあり、かのゲーテゆかりの地とか。人気の観光地でもあるので、ハイシーズンの今はかなりの混雑だ。中国人、韓国人、日本人のアジア系の団体客が目立ち、合計するとかなりの割合になる。中世の街並みだが、ちょっとしたミニ・アジアだ。
 風情ある街並みの散策を満喫して帰っても、まだ陽は高かった。昼寝をしてからゆっくりと日記を打ち、ボルドーから流れてきた安ワインを飲んで寝る。人の家にいるのもいいけど、一人もまた、落ち着く。


本日の走行距離         287.7キロ(計51898.3キロ)

出費                    39DM  ガソリン
  2DM  ハイデルベルグ城入場料
  8DM  昼食(ピザ)
  9DM  ワイン、食材の買物
3.75DM  歯ブラシ
計       61.75DM(約3370円
宿泊         Camping Haide  


2001年7月25日(水) ドイツ最古の町(Germany's oldest town)

 ハイデルベルグからアウトバーンに乗り、西へ。
 次の目的地はルクセンブルグ大公国だが、国境の手前にトリアーというドイツ最古の町がある。ローマ時代の遺跡が点在するというので立ち寄ることにしたが、町に入るやいなや、妙に疲れてきた。まだ走り始めて2時間しか経っていないのに、体がどんどん重くなる・・・。
 これは昨日ハイデルベルグを歩きまわった疲労だろう。それが今ごろ出るとは、体がジジイになった証拠だ。

 今日はルクセンブルグに泊まる予定だったが、変更してトリアーのキャンプ場にチェックインする。テントを張ったらもう何をやる気力もなく、そのままバッタリ横になって昼寝をした。

 2時間ほど寝たら疲れはすっきりし、夕方になって涼しくなっていたので町に出てみる。
 トリアーの旧市街の入口にはポルタ・ニグラ(黒い門)というローマ時代の遺跡があり、この町のシンボルになっているのだが、これはなんと2世紀に建てられたもの。とても2000年近くたっているとは思えないほど威風堂々とそびえていて、ローマ建築の強固さを感じた。
 トリアーにはローマ時代の遺跡だけでなく、メルヘンチックな中世の街並みもある。また、この町はかのマルクスの出身地で、その生家は博物館になっているのだが、残念ながらすでに閉館していた。

 トリアーの町をぶらぶら散策し、カフェでビールを飲み、デパートの家電売場でフロッピーとポジフィルムを買って帰った。今夜はパソコンは開かず、ゆっくりとしよう。 


本日の走行距離         261.4キロ(計52159.7キロ)

出費                 17.55DM  ハイデルベルグのキャンプ場
  8.49DM  昼食(ハンバーガー)
  23.98DM  フロッピー、ポジフィルム
  4DM  ビール
15DM  トリアーのキャンプ場
計       69.02DM(約3760円
宿泊         Camping Trier city