アンドラ公国からスペインのバルセロナまでは、ほぼ真南に200キロ。有料道路を使うと早いのだが、ピレネーを貫く長いトンネルがあるので料金が高そう。ケチって一般道を走るが、最初の100キロは日本の林道を思わせるきついワインディングで、途中で嫌になった。
午後2時ごろバルセロナにさしかかる。「ロンリープラネット」で調べておいたキャンプ場までは市内を縦断しなければならないが、大都会のわりに道はわかりやすく、珍しく迷わなかった。
中心地から約12キロ南西の地中海に面したキャンプ場は、少々値が張るものの、電気が使い放題でプールもあり、こっちの根が生えるほど居心地がいい。どこにテントを張ってもいいというので、コンセントの真正面に陣取ってテントの中でパソコンを使えるようにした。
昼食をたべて一息ついてから、約束どおり的地(まとじ)さんに電話をかけて、ご自宅までの道順を教えてもらう。バルセロナ市内にお住まいと思っていたが、カステルデフェルスという海沿いの町で、キャンプ場からはバイクで約10分の道のりだった。
午後7時ごろ、的地さんのマンションに着く。ちょうど的地さんが週刊誌に原稿を送るところだったので、それが終わるまでビールをいただいて待った。
さて、「バルセロナで会うべき人」の的地さんは、スポーツライターである。私がいたのと同じ新聞社の記者だったとき、92年のオリンピックの取材で一年半駐在してカタルーニャの風土に惚れこんだ。そしていったん日本に帰るも、一大発起して退社。ご家族ともどもバルセロナに移住し、現在はフリーのライターとして各紙/誌に原稿に送っているのだ。私が94年入社なので、会社ではほぼ入れ違い。面識はないのだが、私のかつての上司から「ぜひ会いなさい」と紹介されたのだ。
的地さんの仕事が終わったところで、奥さんと3人で近くの魚介レストランへ。
すっかりご馳走になりながら色々な話を伺ったが、ご自身で新しい人生を切り開いた的地さんは、とても幸せそうだった。奥さんも竹を割ったような方で、こういう人となら異国の地でも楽しくやっていけるのだろう。
自分の人生を、自分で生きる。当たり前で大切なことだが、実は日本人の多くができていない気がする。人生は「人を生きる」と書くのに、形あるものに流され、まるで「物生」・・・。もっと、日本人は好きなことをやっても生きていけると考えた方が良い。私の世代でも、子どものころは子どもらしい夢を持つよう、そして大きくなるにつれてそれを捨てるよう学校で教育された。「好きなことでは生きていけない」と。だけど、好きな生き方を試しても見なかった人に、そんな事をいわれても何の説得力もないだろう?
エビや貝、パエリアをたらふくいただき、腹の中はすっかり地中海。デザートにアイスまでもらって、いやー、ヨーロッパに来てから最高の食事だった。おそらくこの先も、こんな食事は当分ないだろう・・・。
的地さんには別れ際、家で余ったというインスタント食品までいただいた。「こんなので悪いんだけど・・・」とおっしゃるが、松茸のお吸い物(!)、味噌汁&パックご飯(!!)、日清カップヌードル&明星「一平ちゃん」(!!!)、オーマンマミーヤ、宝の山ではありませんか!
なんか、栄養をいただきに的地さんに会ったみたいで・・・ありがとうございます。そしてご紹介いただいた木村さんにも、厚く御礼申し上げます・・・。
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