旅の日記

モロッコ・サハラ砂漠編(2001年6月10〜13日)

2001年6月10日(日) 2人乗りでサハラと戯れる(Tandem in Sahara)

 朝、ホテルをチェックアウトして出発しようとしたら、ロビーにたむろしているガイドの一人が声をかけてきた。「砂漠に行くんだろ?俺もトランザルプ(これもホンダの大型オフロードバイク)を持っているんだ。一緒に走ってガイドしてやろう」という。オー、ブルータスお前もか、って感じ。
 もうガイドを雇ったと説明すると、「街でガイドを雇うとロクなことにならないぞ。彼らは自信だけで生きているようなものだ。ガイドはホテルで雇うものだ。さあ、行こう」という。「自信だけで生きているのは、お前だろ?」と言ってバイクにまたがると、「お前は愚かな男だ」と彼は捨てセリフを吐いて去っていった。いやー、ラシッドを雇って良かったかも。他のガイドはやっぱり頭に来るヤツばかりだぜ。

 エル・ラシディアからエルフードまでは約100キロ。待ち合わせの10時に指定された小さなカフェにいくと、ラシッドはお茶を飲みながら待っていた。
 カフェで朝食を取りながら少し話をしたが、彼はこの国のガイドについて私と同じ考えを持っていた。つまり自分で自分の首を締めているということ、観光資源がこんなにあるのに活かしていないということ。気持ちよく旅行してもらえば、もっと客が来ることに繋がるということ。
 「昨夜、私が初めてあなたに声をかけたとき、あなたは私に冷たくした。しかし、それは気にしてはならない。私の国を旅行していれば、そうなるのが普通だからだ。あまりに多くのガイドが、自分の今日のことしか考えていない。みんなで明日のことを考えれば、もっと国は豊かになるんだ」・・・茶をすすりながら、彼は遠くを見て行った。うーん、いい男じゃない?

 カフェの向かいが彼の友達の土産物屋なので、そこに荷物を預かってもらう。そしてラシッドを後ろに乗せ、いざサハラに出発。
 エルフードから約10キロは穴だらけの舗装が続いたが、やがてそれも無くなり、ピストとよばれる砂利道になった。標識もなにもなく、道は何本も交差し、そして枝分かれしている。幹線らしき轍をたどってしばらく進むと、あるところで左の小道に曲がるよう指示された。ここから先は普通は通らないが、景色の美しいルートだそうだ。

 しばらく進むと、轍も何も無い砂漠の真中に出た。サハラ砂漠といってもフカフカの砂丘がずっと続いているわけでなく、むしろ岩や石の荒涼とした風景が続く。このあたりは路面も固く、大きな石もなくて二人でも走りやすい。無邪気に写真を撮りながら進む。
 普通のルートだとエルフードからお目当の「シェビ大砂丘」の西側を通ってメルズーカに行くのだが、ラシッドが案内してくれようとしたのは砂丘の東側を走り、アルジェリアとの国境付近まで迂回するルート。これだと、まさにガイドがいないと走れない秘境を走る事になる。

 しかし、道は予想以上に険しくなった。ところどころに深い砂が出てきたのだ。その箇所の長さは、ところによっては50mほど。ラシッドを降ろしても走れたものではなく、その度に彼に後ろから押してもらう。ときには全く動けなくなり、2人で砂に埋まった大型バイクを必死に引っ張り出したこともあった。誰も通りかからない砂漠の真中、一人だったら絶対に走れなかった。
 ジリジリと照るつける太陽の下、重労働は続いた。私は汗まみれ、DRはクラッチを酷使され、そしてラシッドは砂まみれになって肩で息をしている。しかし彼は嫌な顔ひとつすることなく、「これが仕事だからね、気にしないで。それにしてもいい経験でしょ?」といってくれた。

 小さな砂丘をいくつか越えると、地平線にまるで山のように大きな砂丘が見えてきた。「シェビ大砂丘」にさしかかったのである。この砂丘群の西側にメルズーカの村はあり、付近にホテル軒レストランが点在している。そのうちの一番手前のホテルに入って休憩する。ラシッドはメルズーカ 出身のベルベル人。砂漠の民だが、その彼でもあまりの重労働に具合が悪くなってしまった。ちょっとだけ昼寝をして回復してもらう。

 本来ならここから砂丘の東側へ出て大きく迂回するはずだったが、やはりあのDRでは無理だと判断。リアタイヤさえ換えていれば何とかなったかもしれないのだが・・・。
 しばらく休憩したあと、宿泊先となる「オーベルジュ・ロアシス」に向かう。「地球の歩き方」には「評判は概していいが女性客は注意」と書いてある宿だ。それもそのはず、スタッフはみんな陽気な若い男たちばかりで、いいやつらなのだが、女性とみると口説きにかかるのだろう。
 私は宿の庭に並んであるノマド(遊牧民)のテントで寝ることになるので、そこに荷物を広げて一息入れる。いいなあテント、雰囲気あるなあ。夜も涼しそうだ。

 ラクダツアーは夕方5時から始まった。宿の裏がもう大砂丘なのだが、その奥までラクダで登るのだ。鞍をつけたヒトコブラクダに乗っかると、びっくりするほど高い。頭の位置で地上3mはあるだろう。なんせコブの上だからね。
 ラクダ使いの青年が手綱を引いてくれるが、私の乗ったラクダはけっこうむずかる。急な砂丘にさしかかると「いやだあ。こんなの登れないよ」とヨダレを垂らして激しく抵抗。その度に青年が必死に引っ張ったり、機嫌をとらなければいけなかった。私は振り落されるのではないかとちょっと恐かった。
 宿から30分ほどラクダに揺られて、巨大な砂丘のふもとまで来た。この砂丘はさすがにラクダでも登れないので、ここからは歩いて登るらしい。ラクダは置いていくが、なるほど、座らせて手綱を前足に縛るのね。これから勝手に立ち上がる事ができない。

 急勾配の砂丘を登るが、意外なことに砂が固い。フカフカのところもあるが、足がほとんど沈まないところもあるのだ。不思議な気がする。
 そして頂上につくと、その向こうは地平線まで大砂丘が続いていた!まさに写真や映画で憧れた、あのサハラ砂漠の世界である。砂丘は風紋で彩られ、その峰のラインはまるでカミソリのように一直線だ。ポリスの「サハラ砂漠でお茶を」を口ずさみながら、自然が生み出した芸術に時間を忘れてみとれる。

 日暮れまで待ったが、今日は残念ながら雲が出てきて真っ赤に染まる砂丘は見られなかった。しかし、それでも十分に感動した。風が強くなり、顔にあたる砂粒が痛いほどになってきたので宿に引き返す。

 宿に帰ってシャワーを浴びると、夕食と宴会が待っていた。宴会といっても酒を飲むわけではなく、ラシッドと宿の連中が太鼓を持ち出してドコドコ叩いて歌うのだ。夜の砂漠に響くベルベルのリズムを聞きながら、ミントティーを飲む。ああ、気持ちいい。
 眠くなってきたのでテントに戻るが、そこで大変なことになっていた。宿の外はもう砂嵐のような風の強さなのだが、毛布一枚が扉になっているだけのテント内にもビュービュー風は吹き荒れ、広げていた荷物全てが砂に埋もれていた。とてもこの中では寝られないので、宿のロビーに寝かしてもらうことにする。そこもかなり砂っぽかったが、仕方ないだろう。何せサハラなのだから。


本日の走行距離          130.5キロ(計42619.6キロ)

出費                   100DH   エル・ラシディアの宿
   20DH  朝食(パンとお茶)
   10DH  水
   50DH  化石とデザートローズ(砂の結晶)
   126DH  ガソリン
計       306DH(約3170円
宿泊         Auberge l'Oasis


2001年6月11日(月) 砂漠の商談(Arab business in the desert)

 早朝、きっと日の出ツアーで来たのだろう、欧米の団体旅行者が宿にやってきて騒ぐ声で目が覚めた。時間はまだ6時前である。小さな宿には寝ている客が他にもいるのに、「こんな朝早くから行動するなんておかしい。人間は5時間の睡眠が必要なんだ。昨日は2時間しか眠れなかったじゃないか」と大声でガイドと口論している。あのー、だからと言って他の客の睡眠時間を削らないで欲しいんですけど・・・。
 しかし、宿のベルベル人の若者が「まだ寝ている人たちがいるので、静かにお願いします」と言ってくれた。砂漠の民はいい人たちが多い。

 風は弱くなったものの、まだ止んではいなかった。朝食を食べながら待つが、時間がたっても好転する保証はない。ラシッドを乗せて宿を後にする。
 エルフードに戻る前、ラシッドが巻いているようなトゥアレグ族の藍染めのターバンが欲しかったので、メルズーカの村に連れていってもらう。
 メルズーカは、まるで砂に埋もれたような村だった。ラシッドは、この村に砂漠の部族との交易の責任者であるシェフという男がいるので、彼の所にいこうと言う。シェフは砂漠の民が作った絨毯などの民芸品を食料や生活必需品と交換し、直売もするが、各都市の店に卸すこともするのだという。
 シェフは意外と若く、私よりも若く見えた。さて、彼の店での様子は私の独話形式でどうぞ。


 ・・・おお、あったあった。目当のターバン。青いなあ、きれいだなあ、かっこいいなあ。
 なに?衣装もあるの?なるほど、上からスッポリ被るのね。いや、でも要らないよ。というより暑いよ、脱がして。そうそう。あ?ミントティーくれるの?ありがとう、ズルズル。
 お、カーペット?いや、きれいなのはわかるけど、要らないってば。いやいや、広げなくていいよ。何?部族によって色とか違うわけ?ははあ、一人の女性がラクダの毛と絹で何ヵ月もかけて織るわけね。模様の一つ一つにも意味があって、はあ、これが東西南北の印、これがテント、これがオアシスを意味するわけね。なるほど、自分の人生を織りこむわけね。それで年とって目が悪くなると、引退する前に最後の一枚を織るわけか。ああ、なんか最後の一枚シリーズは切ない色つきだねえ。

 なるほど、でも要らないってば、どうやって持ってくのよ。俺はバイクなのよ。ズルズル。お茶、うまいねえ。
 送ればいいだって?でも送料だって高いでしょ。何?日本人もいっぱい送ってるって?なになに、これがその帳面?なるほど、日本に向けて発送した郵便局の控えが貼ってあるねえ。でも、みんな送料だけで数百ディラハム(数千円)かけているよ。じゃ、カーペットはもっと高いってことでしょ?だって3000円のカーペットに5000円かけて送るわけ無いもの。
 え?俳優も買いに来た?写真がある?おっ!知ってるかって、知らないわけないじゃない。これ、福山雅治じゃん(フクヤママサハルって字、合ってます?)!うおお、こんな砂漠まで来たわけ、彼が?TV番組の取材かなあ。君、彼からボッたんじゃないの?

 なに?とっておきの一枚がある?・・・おー、トゥアレグの藍染めの小さなカーペット、かっこいい。いや、いいよこれ。今までで最高。だけどね、お金ないって。
 え、3500ディラハムで良いって?やっぱり高いじゃん。まあ、初値はそんなもんだろうなあ。じゃないと、わざわざみんな数千円もかけて日本に送らないよ。いい?俺が払えるたって、せいぜい500ディラハムくらいの金額だよ?ほら、あきれたでしょ?いや、500でこれを買おうとは思わないの。砂漠の女性が2、3ヵ月かけて織った訳でしょ?苦労わかりますよ。たぶん3500で始まって2000とか1500で話がつくのだろうけど、俺のいいたいのはその金額になったとしても買わないってことよ。ほんと。
 3000にする?いや君、人の話聞かないでしょ。ノーサンキュー、ノンメルシィ、ノーグラシアス、結構です。たとえ1000になったしても、俺は買わないってば。え?ラシッド、値切りすぎだって?いや、買うつもりはないの。たとえ1000でも買えないってことよ。1000にしろってことじゃないの。

 ちょっと!何、奥に行って他の店員と相談しているのよ?
 え、負けた?何、握手求めているのよ?買わないってば。はい?ターバンつきで1000でいい?本当に?いや、買うつもりで言った金額じゃないってばさ・・・。

 (しばし茶をズルズルすすって迷う)

 わかったよ。せっかくだから買うよ。だってこれ、いいもの。この商談もいい思い出になるし。何、ラシッド、1000で買ったのはいい買物だって?本当にそう思う?結託してるんじゃないの?でもたぶん、普通の日本人はもっと高く払っていると思うなあ。何せ、郵便局の控えだけで数百だからねえ。
 いや、自分で持ってくよ。スペインから船便で送るから、たたんで包んで。え?ノートに宣伝を日本語で書いてくれって?わかった、わかった。書いてあげるよ。「値切り倒してごめんなさい。でも、いい品ですねえ」、はい、これでどう?

 はいはい、これ、1000ディラハムね。キャッシュで。メルシィボクー、ありがとね。それじゃ、さいなら・・・。


 かくして私はターバンとカーペットを衝動買い。ま、でも砂漠の真中で、本当にアラブの商談でしたわ。(シェフもベルベル人だけど)
 メズルーカの村を後にしてラシッドとエルフードまで帰る。メインのルートを使ったので、さほど苦労はなし。ただ1ヵ所だけ、後ろから押してもらった。

 午後12時すぎにエルフード着。もっと風が弱ければ、砂漠でゆっくりしたかったのだけど。
 預けていた荷物を受け取り、とりあえずドライブチェーンの掃除だけする。このままだと砂をかんで痛むだろう。そしてラシッドと約束していたとおり、彼のノートに日本語でオススメの言葉を書いてあげる。「この人は信用に値する人です」・・・。
 約束の700ディラハムに、気持ちの分だけ50を上乗せしてラシッドに払う。そして固く握手をして別れた。ありがとうラシッド、君を乗せてサハラを走った事は最高の思い出だよ。やはり一人ではあの砂漠は走れなかった。君のような人の努力で、この国が変わる事を願っています。

 さて、エルフードからは西を目指した。アトラス山脈沿いに東西に伸びるこの道は「カスパ街道」といわれ、かつてアラブ人の支配から逃れて南下してきたベルベル人たちが築いた古い村やカスパ(城塞)が点在する。
 160キロ走り、ティネリールに到着する。昼食を食べようとするが、どうも怪しい人たちが近づいてきて嫌になる。この付近にもトドラ谷という見所があるのだが、あいにくと小雨がパラついてきた。西の空は明るいので、ここで止まらずにもっと進むことにした。

 ちょっとだけ雨に降られたが、考えどおり西に進むと雲の下を抜けた。絵になるような景色はあるのだが、なんか面倒になってそのままワルザザートの町まで飛ばしてしまった。
 到着したのは夕方、ガイドブックで目星をつけていた宿に入ると、金額も部屋もバイク駐車場も完璧の宿だった。宿探しがこんなにうまくいくと嬉しい。

 おまけに日本人の女の子が2人いた。これから食事に出るというので、一緒に行く。
 すると、彼女たちはホテルの前の車に乗り込んだ。彼女たちはマラケシュでドライバー兼ガイドを雇ったのだという。なるほど、ムッツリしたガイドがいますわ。なんでも、契約する際に彼の宿代と食事代のことを確認しなかったそうで、ちょっと険悪になっているということ。・・・たいへんですなあ。
 私も車に乗せてもらってレストランまで行くが、ドライバーが案内したのは高級な所だった。3人で高いと文句を言って安いところに連れていってもらうが、そこは「地球の歩き方」にも載っている、日本語を話す主人がいるところだった。

 そしてそこにはもう一人、日本人の男性がいた。まー、いるところにはいるもんだ。今までモロッコで一人も日本人を見ていなかったのに・・・。
 4人で話をしながらタジンを食べた。そして近くに珍しく酒を売るスーパーがあるというので、みんなでホテルに帰ってワインを飲もうということになった。

 そしてスーパーに入ると、なんと加藤茶がいた!ほんと、そっくりである。おまけに「ペッ!」や「ちょっとだけよ」をしてくれる。・・・恐るべし、モロッコ。この店には在モロッコの日本大使まで来て、一緒に写真を撮ったそうだ。うわー、本当に日本大使館から写真が送られてきているよ。

 モロッコ産のビールとワインを買って4人で飲んだ。ビールはイマイチだったが、ワインはまあまあいけた。メクネス周辺がぶどうを育てるのに最適の気候で、ワインも作られているのだという。イスラムでは酒を禁じているので一般の人が飲む事はまず無いのだが。

 ワルザザートの町とこのホテルはけっこう気にいった。日記もたまっているし、明日はもう1日滞在してゆっくりパソコンに向かおう。


本日の走行距離            360キロ(計42979.6キロ)

出費                  1000DH   カーペット、ターバン
   750DH  ラシッドのガイド料
   115DH  ガソリン
   35DH  夕食(タジン)
   33DH  ビール、ワイン
計       1933DH(約20000円
宿泊         Hotel Es Salam


2001年6月12、13日(火、水) ワルザザートで一休み(A rest in Ouarzazate)

 12日は朝から日記打ち。最近いろんなことがあって、ついつい長くなってしまう。時間がかかって仕方が無い。

 昼食はまた昨日のレストランに行って羊肉の卵とじタジンを食べた。美味かった。今までモロッコで食べたもののなかで一番美味かったと思う。
 午後はまたパソコンに向かい、そして夕方から町にある「タウリルトのカスパ(城塞)」に行って見る。グラウイという人物が住んでいたところで、映画「シェルタリング・スカイ」のロケにも使われたという。けっこう期待していったのだが、外見より中は質素で狭く、すぐに見終わってしまった。

 そのあともひたすら日記を打ち、夜になってようやく終わったので町のインターネット屋に行って見る。LAN接続をあっさりOKしてくれたので、久々に自分のマシンからのアップロード。たまっていたメールも受信する。
 順調に思われたが、支払う段になって、店主が自分のマシンを使ったのだから追加料金を払えという。まったく油断もスキもありません。「お前のパソコンを使わずに俺のを使って、安くなることはあっても何で高くなるのよ!」と、怒って正規の料金しか払わずに出て行く。実は明日も来るつもりだけど。

 予想以上に日記に時間がかかり、他のメールや洗濯が何もできていない。そこで13日もワルザザートに滞在することにした。
 朝からメールを打ち、そしてあらゆるものを洗った。砂まみれのジーンズと靴、汗まみれの下着とヘルメットの内装とグローブ、そしてススだらけのガソリンストーブ・・・。空気が乾燥しているので、みるみるうちに乾いて楽しい。
 夜は久々に自炊し、そしてメールを送るために昨夜のインターネット屋へ。幸い店員がバイト君だったので、嫌な思いはせずに済んだ。
 さあ、明日からまた走るぞ・・・。(なんかパソコンばかりやって、あんまり休んだ気がしないのだけど)


2日間の走行距離             0キロ(計42979.6キロ)

出費                    81DH   食費
   25DH  インターネット
   16.1DH  洗剤、水など買物
   11DH  ビール
計       133.1DH(約1380円
宿泊         Hotel Es Salam
インターネット Cyber Net