旅の日記

モロッコ・フェズ編(2001年6月6〜9日)

2001年6月6日(水) アフリカ大陸上陸!(My first Africa)

 アルヘシラスからモロッコ側のセウタまでは1日に16便も高速フェリーが出ており、昨日買った切符にも便の指定は無い。好きなときに港に行って、フェリーに乗ればいいのだ。
 ユースで朝食を食べ、チェックアウトを済ませたら港に着くのが10時前になった。10時15分発の便があったので、その船に乗りこむ。乗務員は何もしてくれないので、自分で船の壁にかけてあったタイダウンベルトを使ってバイクを床に固定した。
 名前の通り、フェリーはびっくりするほど速い。時速にして4、50キロは出てるんじゃないか?あっと言う間にジブラルタル海峡を渡って対岸のアフリカ大陸へ到着。

 アフリカ!初めて足を踏み入れる大陸である。 しかし、そこはまだスペイン。スペインのなかにイギリス領があるように、ジブラルタル海峡の向こう側、モロッコにもスペイン領のセウタという都市がある。モロッコとの国境は町外れにあり、セウタには特に用事も無いので素通りしてそこを目指す。

 スペイン側の出国手続きは一切無し。素通りである。あ、パスポートにも出国のスタンプもらわなかった。ま、問題無いでしょ。
 さて、モロッコ側へ・・・あははは、いるわいるわ、怪しいのが!中米の国境を思い出すぜ!さあこい、闇両替屋に自称ガイド、まとめて相手にしてやるぜ! ・・・と意気込んだのだが、悪そうに見えてけっこう皆さんフツーの人々。ポリスもしっかりしているし、怪しそうなのが国境に近づいてくるとシッシッと追い出してくれる。モロッコの「自称ガイド」は世界でも有数のうざったさだと聞いていたので覚悟していたが、この国境は問題ないようだ。

 親切なお巡りさんの案内で、パスポートとバイク通関の両方の手続きを行う。バイクを警察の前に停めさせてくれたので見張りをつける必要もなし。意外だったのは荷物のチェックが無かったことと、バイク通関でカルネを切らなかったこと。バイクの登録書とグリーンカードの提示で簡単にペルミソを発行してくれた。おかげで30分ほどで入国手続きを全て終了。

 さて、これで本当の初アフリカ、そして初イスラム国!意気揚揚とモロッコ側を走り出す。
 今日の目的地はシャウエン(Chaouen)。セウタから100キロほど南の山間の静かな町で、大都市のように「自称ガイド」もいないとのこと。モロッコで初めての夜を過ごすのにちょうど良さそうだ。
 サマータイム中のスペインとモロッコには2時間の時差があり、モロッコ時刻はまだ午前10時過ぎ。このまま飛ばして一大観光都市フェズまで行ってしまおうかとも思ったが、南下する道はやがてリフ山脈にさしかかり、片側1車線の山道となった。結局、シャウエンに着くころにはけっこう疲れて今夜の宿泊を決定。マドリッドで一緒だったハーレー乗りの武田さんが教えてくれた宿にチェックインする。
 そうそう、武田さんはモロッコに行く予定は全くなかったのだが、アルヘシラスのフェリー乗り場を見にいったら「勢いで」キップを買ってしまったそうだ。彼はもうそろそろスペインに戻るころ、モロッコでもすれ違いだ。

 シャウエンの町は話に聞いていた通り穏やかだった。たまに「ガイドをさせてくれ」とか「ハシシ(=ガンジャ=マリファナ=大麻)買わないか」とか言って来る輩はいるが、そんなにしつこくない。
 モロッコの町には大体「メディナ」という城壁に囲まれた旧市街があり、その中は細い路地が入り組んで迷路のようになっている。大都市のメディナではそれこそガイドがいないと迷子になりかねないそうだが、シャウエンのメディナは小規模で初心者がうろつくにはもってこい。それでも同じ所をぐるぐる回ったり、意外なところに出てしまったりしたけど。

 メディナの中の広場で、クリスというニューヨーカーに出会った。この旅で3人目の「クリス」はアマチュアカメラマン。本職は英語教師だが、たまに休みをとっては海外に撮影旅行に出て作品をためている。
 「近々個展を開きたいんだ」と言いながら、彼はかたわらに置いてある一眼レフのシャッターを押した。モロッコ人も写真を撮られるのを嫌がる(あるいは金を要求する)ので、ファインダーは覗かず、カメラだけを往来に向けておいて被写体になりそうな人が通ったらシャッターを押すのだそうだ。良い作品が撮れる確立は4本のフィルムを使って一枚ぐらいだが、こうでもしないとモロッコ人、特に絵になるような味のある老人やスレていない田舎の子供はなかなか撮れないそうだ。

 昼食をクリスとレストランで食べた。旅行者向けの店だったが、ちゃんとしたタジン(モロッコの煮込み料理)で25ディラハム(約250円)。やはり物価が安くて安心する。店はイスラム調の内装だがBGMがなぜかカントリーウエスタンで、広場のスピーカーから聞こえるアザーン(イスラム教の1日5回の祈りの呼びかけ)と入り混じってミョーな雰囲気。隣の席では地元のおっさんがハシシをプカプカ吸って、臭いが風にのってプーン。砂糖たっぷりのミントティーにはハチがたかり、ブーン。フーン・・・これがモロッコか。(勝手に納得)
 ホテルは50ディラハムで広いダブルの部屋。夕食も7ディラハムで具たっぷりのサンドイッチ。うおお、ヨーロッパに戻る前に外食しまくるぜ!


本日の走行距離        119.3キロ(計41800.1キロ)

出費                    32DH   昼食(タジン、ミントティー)
   5DH  水
   7DH  夕食(具だくさんサンド)
計       44DH(1ドル=約11.6ディラハム、約460円
宿泊         Hotel Salam


2001年6月7、8日(木、金) 魔都フェズのガイドたち(Attack of the false guides)

 「モロッコの自称(非公認)ガイドは世界一うざったい」・・・噂は果たして本当だった!この二日間だけで少なくても40人のガイドが付きまとってきて、その度にうまくあしらわなくてはならなかった。あー、つかれた。

 まずは7日、シャウエンからフェズまで移動したのだが、その道中の暑いこと暑いこと。普通、暑いとヘルメットのシールドを開けたりするのだが、この日ばかりは閉めていた方がまだ涼しい。開けるとドライヤーのような熱風が顔を直撃するのだ。ベルトにつけている腕時計で走りながら気温を計ったら39.7度。この時計だって時速100キロで空冷されているのに・・・。

 汗だくでモロッコ有数の観光都市フェズに到着する。すると、待ってましたとばかりのガイド攻勢。地図を見ようとバイクを停めるたび、数秒もしないうちにどこからともなく人がやってきて、「いいホテルを知ってるヨ」「オカネいらない。トモダチ、トモダチ」「ビンボ(貧乏)プライスでツアー組むよ」・・・。
 これはうかつに停まれない思ってバイクでグルグル走っても、今度はミニバイクに乗って追ってくる。あまりのうっとうしさに落ち着いてホテルも探せやしない。断っても無視しても、あきらめない謎の粘り強さ。うーん、そのエネルギーを他に回せば、大変な経済効果を生むような気がするのだが。

 ガイドブックでチェックしていた新市街の安宿は満室、メディナ(城壁に囲まれた旧市街)にも安宿はあるのだが、荷物満載のDRで世界一複雑と言われる迷路に挑戦したくはない。そしてスキあればたかってくる、本当にハエのような自称ガイドたち・・・結局、郊外に脱出してキャンプ場に泊まることにした。1泊80ディラハムはキャンプ場としては高いが、でかいプールがついているし、もう疲れたし、いいや。

 7日はこのあとメディナが見下ろせる小高い丘に登ったくらいで、本格的な観光はなし。夜は同じキャンプ場に泊まっていたフランス人カップルと話をしたのだが、フランスでもモロッコの自称ガイドは悪名高いらしい。かつての植民地でフランス語が通じるモロッコは、もっとフランス人が訪れてもいいはずなのだが、モロッコ人の評判が悪いために敬遠する人が多いのだと言う。観光資源が豊富なのに、モロッコ人は自分で自分の首をしめている気がしてならない。自称ガイドも数カ国語を操ったりとオツムの出来は悪くないので、なんとももったいない感じがする。
 フランス人のカップルも1度、言い寄ってきた自称ガイドにそのへんを諭そうとした事があるそうだ。しかし彼らの特性として全く人の話、意見を聞かないというのがあるので、相手にされなかったそうだ・・・。普通の人は本当に良い人たちなんだけどね。

 8日は暑さで目が覚めた。木陰にテントを張ったつもりだったが、朝7時すぎにはテント内のあまりの暑さに寝ていられなくなった。 おかげで早朝から観光開始、世界遺産にも登録されているフェズのメディナへ。
 フェズはイスラム王朝の都としてはモロッコで最も古く、808年に建設された。13世紀にも大規模な拡張工事がなされるが、見所の多くは旧メディナ、「フェズ・エル・バリ」地区に集中している。

 まずは最大の門、ブー・ジュルード門からメディナに入る。
 城壁の向こうは、もう迷路のような路地しかない。一応メインストリートは2本あるのだが、いずれも階段の箇所があったり、狭いところだと荷物を積んだ馬やロバ1頭が通りぬけるのがやっとの細さだ。そう、車が入れないメディナの中では今でも馬やロバが荷物運搬の主な手段。おかげで足元に気をつけないと彼らのフンを踏む事になってしまう。

 フェズ・エル・バリには、このような路地が900本はあるという。迷子になりたくないが、かといってガイドを雇いたくもない。「地球の歩き方」に詳しい地図があったので、それを見ながらモスクや廟、かつての神学校などイスラム建築の粋を回る。
 8日は金曜日。イスラム教では祈りの日にあたるので休みの商店が多い。それでも時間が過ぎるとともにメディナは混雑しはじめ、言い寄ってくるガイドも増えてきた。大体は完全に無視するか、日本語でのみ答えてあきらめさせるのだが、ひどいのになると去り際に「お前なんかホテルに帰って寝てろ!」「もっと人に対して接し方があるだろ」とか捨てセリフを言うのだ。・・・あのね、いちいち丁寧に対応していたら日が暮れちゃうよ。次から次だもの。
 だけど、これでも警察の取締りによって昔よりはだいぶ少なくなったらしい。

 一番たのしみにしていたタンネリという、革の染め作業場も休みではないかと危惧したが、行って見たら働いている人たちがいて良かった。土でつくられたハチの巣状の染め穴に、男たちが体ごと漬かって革を染めているのだ。染め液の渋い色が美しい。ただし、この作業場を見下ろすためには付近の革製品屋の屋上に上らねばならず、買物をしない場合はチップを払わねばならない。

 ポイントを押さえて早朝から見て歩いたので、暑くなる前にメディナ観光を終えた。そして帰り際、海外での初・床屋に挑戦した。今までは坊主にしたり、切れる人に切ってもらっていたので(久美子は人の頭を上手に切れる)、床屋にいく必要がなかったのだ。
 メディナの出口近くにあった2畳ほどの面積しかない床屋では、坊主のオヤジがシャンプーもせずにバサバサ切りはじめる。しかし腕は見事なもので、痛くもなしにキレイさっぱり。これで約300円。本当はもっと安いのかもしれないけれど、満足なのである。

 午後はキャンプ場に戻って大きなプールで涼むが、なぜかモロッコのプールはやけに深かった。宿泊客以外にもプールは開放されているらしく、地元の若者に混じって泳ぎの練習をする。
 夕方に新市街のインターネットカフェへ行くが、なぜかグローバルIMEがインストールできない。「このバージョンのウインドウズにはインストールできません」と出るのだ。普通のウィンドウズ98なのに・・・フランス語バージョンだとダメとかあるのか?そんなバカな。HPだけはフロッピーで更新できるので、一応しておいた。


2日間の走行距離         286.1キロ(計42086.2キロ)

出費                    54DH   シャウエンの宿
   150DH  ガソリン
   82DH  飲食費
   30DH  床屋
   10DH  駐車場
   5DH  インターネット
計       331DH(約3430円
宿泊         Camping International Fes
インターネット    Cyber Room


2001年6月9日(土) メクネスに立ち寄る(Town of Meknes)

 フェズの西約50キロにメクネスという古都がある。10世紀に建設されたこの街とフェズは、「地球の歩き方」によると「京都と奈良のような関係」だという。
 はじめは宿をとり、2日ほどかけてメクネスを見ようと思っていたが、ポイントを押さえればさほど観光に時間もかからなそうだし、都市の宿探しで苦労もしたくないので、立ち寄りはちょっとだけにした。

 フェズから高速道路を飛ばして約40分でメクネスに到着。この街も新市街とメディナとに分かれているが、メディナの入口近くにあった駐車場にバイクを預ける。モロッコの都市には「P」と看板の立った青空駐車エリアがあり、見張りのお兄さんにチップを払えば荷物を積んだままでも安心してバイクを停める事ができるのだ。

 まずは、17世紀にこの都市の最盛期を築いたというムーレイ・イスマイル王の眠る廟を見に行く。廟は他の都市にもあるが、ここはイスラム教徒でなくても入れる唯一の場所。
 重厚な門をくぐり、中庭をいくつか抜けると廟の入口につく。そこから靴を脱いで入ると、中央に大理石の水盤が置かれた、天井から床まで彫刻やモザイクで鮮やかに装飾された部屋にでる。イスラム建築の最高傑作の一つ、ため息がでる美しさ。王が眠る部屋はこの奥なのだが、非イスラムが入れるのはここまで。この廟はイスラム教徒の祈りの場でもあるらしい。

 廟のあとは、メディナの隅にあるキリスト教徒の地下牢へ。ムーレイ・イスマイルの時代、この牢でキリスト教徒が4万人も鎖に繋がれて弾圧を受けていたという。入場料10ディラハム払って入ると、ほとんど灯りのない、だだっ広い防空壕のような牢まで案内しておじさんはさっさと戻ってしまった。しばらく一人で見ていたが、怨念がうずまいたこの牢から弾圧を受けた人々のうめき声が聞こえてきそうで、恐くなった。逃げるように地上にあがる。

 最後にマンスール門へ。やはりムーレイ・イスマイルの時代に建設がはじまり、彼の息子の代で完成した北アフリカでも最も美しいとされる門だが、逆光のためかそうは見えなかった。まあ、手の込んだ建築物であることは確かだが。
 以上でメクネス観光を終了。ほかに見るべきものはあるのだが、全部見ていてはキリがない。サンドイッチの昼食を食べ、走り始める。そういえばメクネスでは1度もガイドや客引きに声をかけられなかった。いい街だ。

 メクネスからはサハラ目指して南下するのみだが、アトラス山脈を越えるこのルートは思ったより道がよく、暑さも厳しくないので距離が稼げる。当初の目標だった山間の町アズルーを通過、そしてその向こうのミデルトに到着。

 地図を見ようと思ってバイクを道端に停めると、さっそく町の若者たちが群がってきた。流暢な英語とカタコトの日本語で、自分たちもアフリカツイン(ホンダの大型オフロードバイク、日本で買っても90万円はする)を持っているというが、突っ込むとバイクのことを何も知らない。いいか、俺は地中海からここまで走ってきて、一度も白バイ以外の中、大型バイクを見たことがないんだぞ。それが旅行者から小銭をかすめ取るくらいしか能のないお前らが、いきなりアフリカツインを持ってる訳ないだろ!
 彼らは自分たちも明日からサハラに走りに行くので、一緒に行こうという。ガイドじゃないというが、一緒に行ったら(その場合、どうせアフリカツインは壊れたとか言って車か何かで行くのだろう)、後で法外な金額を要求されるのは火を見るより明らかだ。
 私は今日中にもっと距離を稼ぎたいので、この先のエル・ラシディアまで行くというが、彼らはその町には何もない、今日ここで一泊して明日一緒に行こう、の1点張り。本当にしつこい。日本人の妻がいると自称する日本語使いに「お前、もっと他に頭の使いようがあるだろ」と捨てセリフ を吐き、制止を振り切って走り出す。
 ホント、彼らは頭の出来は悪くないのだ。母国語のアラビア語とフランス語以外に、英語と日本語まで使うのだから。だけどね、頭を使う方向を間違っているよ。まったくもったいない。

 メクネスからエル・ラシディアを経由してアトラス山脈を越えるルートは、景色もたいへん美しい。グランド・キャニオンばりの大渓谷が続き、その底の部分にはヤシの木で縁取られた川が流れる。そしてところどころに土で作られた集落があり、古いカスパ(城)があったりする。
 絵になるなあ、と思って写真を撮っていると、やはり村の子供たちが群がってきて「アメをくれ」「ペンをくれ」「何でもいいからくれ」とうるさい。「何もやらん!」というと、今度は「村の写真を撮ったろ?撮影代をよこせ」という。7歳くらいの女の子だぜ、悲しくなるよ・・・。言っておくが、彼らは貧しいことは確かだが、餓えている様子は一切無し。何かをやる必要はまったくもって無い。

 夕方にエル・ラシディアに到着。疲れていたので「地球の歩き方」の最初に載っていた宿に入る。バイクも置けるし、ここでいいや。
 夕食を食べに出るが、それだけでまた数人のガイドが声をかけてくる。「いや、俺はガイドじゃないんだ。日本のアートに興味があってね。シャラク(写楽)について教えてくれ」・・・見え透いたウソはやめろよ、ニヤニヤしたその目つき、「私は悪いガイドでございます」と顔に書いてあるようなものだぜ。

 そんな中、ラシッドに出会った。
 砂漠の民トゥアレグの青いターバンを巻いた彼は、27歳のベルベル人のガイド。ベルベルとは先住モロッコ人の総称だが、彼のいうベルベルとは砂漠のある部族を意味するそうだ。
 彼は穏やかな口調で声をかけてきたが、あいかわらず私は冷たくあしらう。いいレストランがあると彼はいうが、私はまったく無視して別の安食堂に入って煮込み料理を食べた。
 食堂から出ると、ラシッドはまだ待っていた。本当にしつこいなあ、こいつ。しかし、彼はとりあえずこれを見てくれといって一冊のノートを出した。彼の扱った客が残したコメントブックで、日本語の書きこみもいくつかある。それによると・・・この先のエルフード(サハラの入口になる町)でガイドを探そうとすると、ボラれる可能性が高い。それならウソもつかず腰も低く、サービスの良いこのラシッドを雇っておいた方が得策とのこと。日本語の書きこみも英語の書きこみも概して彼のことを誉めている。そして彼は日本語が読めないので、客が文句を書いてもわからない。それを見せるのだから、自分のサービスに自信があるのだ。

 ・・・むむむ。わがDRでサハラの大砂丘まで走りたいとは思っていたが、エルフードから先、50キロ先のメルズーカという砂漠の真中の村までは未舗装路どころか単なる轍で、それも何本もあるうちから方角の合っているのを選んで走らねばならない。行ったことにある旅行者からそう聞いていたので、ガイドを雇わねばならないかもとは思っていたのだ。それにあの重たいDR800S、しかもリアタイヤは磨耗したオンロードタイヤ、砂にスタックしたら一人で脱出するのは不可能に近い。

 彼は明日の朝エルフードで待ちあわせをして、そこで荷物のほとんどを預けて二人乗りでメルヅーカまで行こうという。それも普通のルートではなく、アルジェリアとの国境付近まで行くルートで。メルズーカ近辺で一泊して食事2食、そしてラクダの砂丘ツアーをつけて彼の提示した金額は1100ディラハム(約11000円)。高い!しかし気にいった。彼はウソをつかない。自分がガイドだとはっきりいうし、欲しい金額もはっきり言う。
 ベルベル人を後ろに乗せてサハラでタンデム、面白そうだ。700ディラハムまで値切ってOKを出す。ラシッドとは明日の朝、エルフードのカフェで10時に待ち合わせた。果たしてどうなることやら!?

 そして夜、あまりにも回線が遅く、またグローバルIMEもインストールできないインターネット屋に失望してホテルに帰って寝ようとするが、あまりにも暑い。誰だ、砂漠の夜は冷えるといったのは?部屋は30度を越しているぞ。クーラーがないので窓をあけるが、ゴキブリがたてつづけに2匹飛んできた・・・。サンダルで撃退したあと、窓をしめて暑さを我慢するか、窓を開けてゴキブリを我慢するか究極の選択を迫られたが、結局窓を開けて寝る事にした。幸い、もうゴキブリはやってこなかった。


本日の走行距離          402.9キロ(計42489.1キロ)

出費                   160DH   フェズのキャンプ場2泊
   12DH  高速代
   121DH  ガソリン
   5DH  廟への寄付
   10DH  地下牢入場料
   15DH  昼食(サンドイッチ)
   4DH  駐車場
   6DH  水
   18DH  夕食(煮込み)
   5DH  インターネット
計       356DH(約3680円
宿泊         Hotel Mesky
インターネット    エル・ラシディアの名も無きところ